12-3 居場所は大事
真っ白い光線がノアから放たれ、嬲り神を直撃する。
光線のように見える白いそれは、水だった。零度未満の状態でも凝固せずに液体の状態を維持している、過冷却水だ。嬲り神に直撃した瞬間、瞬間的に氷の塊となる。
氷の塊の中に閉じ込められ、凍結したかと思われた嬲り神であったが、何食わぬ顔で氷の中から出てくる。
ノアは動揺しつつ、次なる攻撃を放つ。嬲り神がいる空間に、氷雪の混じった極低温の旋風を発生させた。
嬲り神は肩をすくめて、旋風の中から歩いて出てくる。ボロは激しくはためいているし、雪と氷まみれになっているが、動きは全く鈍っていない。
「師匠、こいつって殺せないの?」
まるで手応えが無い有様だったので、ノアは嬲り神を指して尋ねてしまう。
「はははは、不可侵の存在なんてねーさ。お前の力が及ばないだけ。お前が貧弱なだけだ」
ミヤが答える前に、嬲り神が嘲笑して告げる。
「お前、面白いことするな~、ノア」
兵士達の焼死体を見渡して、嬲り神がけらけらと笑う。
「絵本世界だからって、やりたい放題か。お前って、法律無ければ人殺しても平気とか思うタイプ~?」
(外れ。法律があろうと、バレなければ人殺してもいいと思っているタイプ。いや、場合によってはバレてもいいかな?)
口に出すとまたミヤに叱られそうなので、頭の中で答えるノア。
「師匠、こいつって何なの?」
「こいつが何者かは、儂にもよくわかっておらん」
ノアの問いに、ミヤは不機嫌そうに答える。
(ま、知っていることは多いがね。他の連中よりかは……よく知っている)
それを誰かの前で語るつもりは無いミヤであった。
「嬲り神よ、何の用だい?」
「ひひひ、べっつにぃ~? 見かけたから挨拶しに来ただけなんだが、悪ィか?」
「うん、悪い。君の汚い顔なんて見たくない」
ミヤの問いに嬲り神が答えると、ノアが憎まれ口を叩く。
「ユーリとはもう会ったかい?」
「いんや、今あいつが主人公のコズロフになって、主軸で動いているわけだから、ちょっかいかけずに見守ってるぜ。今はな」
ミヤがさらに問うと、嬲り神は思わせぶりに言った。
「しかしミヤよ。ノアを弟子にするなんてなあ~、面白い組み合わせじゃねーの。ひょっとしてあれか? ノアを更生でもさせようってつもりか? やめろよそんなこと。こいつはこういうキャラだからこそ、愉快な奴なんだからさァ~。そいつを変えちまったらつまんねーだろ。あひゃひゃひゃ」
「師匠、こいつ凄くムカつく。だから俺を更生して。こいつをつまらなくするために、俺、人間性を改める」
嬲り神が揶揄すると、ノアが仏頂面になって宣言した。
「お前ねえ……その場その場で、脊髄反射で天邪鬼発動させるのはおやめ」
「じゃあ俺はずっとソシオパスのままでいるね。社会に背を向け続けるよ」
ミヤに言われ、ノアはまた考えを改める。
「一応自覚あったのかい……」
ノアの台詞を聞いて、苦笑するようなトーンの声を漏らすミヤ。
「ああ、それとユーリの話だけどよー」
嬲り神がにやにやと笑いながら切り出す。
「やっぱりユーリをコズロフにしたのはあんたの仕業だね」
ミヤが嬲り神の言葉を遮り、厳しい声で指摘する。
「まま、こっちの話を聞けよ。あれはな、あえてそうしたんだ。あいつの分岐点になるかもしれねーだろ。上手くいくかもしれねーし、逆効果もしれねーし、何も起こらないかもしれねーし」
「嬲り神は、ミヤ殿とユーリ殿を特別視しているみたいねー。その理由は何?」
イリスがふと感じた疑問をぶつける。
「すまん、イリス。意識しても、それには触れんでくれぬか。意識もせんでくれると、もっとありがたいがな」
「おおっと、そうでしたかー。わっかりましたー。アベルも口外せずにー」
「承知しました」
ミヤに頼まれ、イリスとアベルが頭を垂れて了承する。
「ゴートにだけは伝えておいていいよ」
「了解でーす。お気遣い感謝なのでーす」
ミヤが付け加え、イリスが礼を述べた。
「特別は特別だが、ミヤが嫌がるようだから黙っておくわ。ふへへへ、俺にもそれくらいの気遣いはできるんだぜ。ポイントプラスくれよ」
イリスとミヤのやり取りを見て、からかうように言う嬲り神。
「ふん。自分でくれよなんて言わなければプラス1してやったんだがね。そんなこと言う奴にポイントは無しだよ」
「手厳しいねー。へへへへ」
ミヤが鼻を鳴らし、嬲り神はへらへら笑い続ける。
「ノア、何ならお前も俺のトクベツにしてやろうかァ~?」
「いらない」
嬲り神がノアの方を向いて声をかけたが、ノアは冷めた目で即座に拒否する。
「速攻拒否かよ。こいつも手厳しいな。ふへへへ。じゃあな」
空間が歪み、嬲り神の姿が歪みの中に吸い込まれて消えた。
「トリックスター気取りなのかな? 気に入らない」
嬲り神がいた場所を見たまま、ノアが吐き捨てる。
「厄介な奴だよ。気を付けてかかりな。そして邪魔が入ったが、ノアは説教の続きだ。有耶無耶にはしないからね」
「え~……」
ミヤが厳しい口調で言うと、ノアは心底嫌そうな声をあげた。
***
遊牧民のキャンプで一晩過ごしたユーリとソウヤは、夜が白む頃に出立した。まだ暗い岩石砂漠を歩く。
ソウヤは健脚だった。ユーリは普通に着いていくことが辛くて、こっそり魔法を使って疲労を回復し、脚の筋力を強化していた。にも関わらず遅れがちだ。
「お主は新兵にしてはよく頑張っている。慣れればどうということもなくなるよ。兵士は戦うより歩く時間の方が長いなどと、戦場に来るまで思っていなかったろう?」
明らかにユーリが遅れている事を見て、ソウヤは人懐っこい笑顔で励ます。
ソウヤはわりとお喋りなようで、歩きながらしきりにソウヤに話しかけてきた。
「さっきの遊牧民の飯は不味かったなあ」
「ええ……」
「三人いた娘のうちの長女が好みだ。あれはきっといい子を産む。安産型よ」
「はあ……」
「お、あれは毒虫じゃぞ。以前に噛まれて熱病にうなされたわ。熱だけではなく、嘔吐や痺れも出たのー」
「ふむふむ」
「ここはここで面倒な戦場だが、密林での戦いはもっと過酷でのー」
「ええ」
饒舌に喋り続けるソウヤに、ユーリは相槌を打ち続けるだけだったが、ふと、自分の方からも話を振ってみる事にした。
「ソウヤさんはどうして戦場に?」
「お主と同じよ」
ユーリの質問に、ソウヤは即答する。
「僕と同じ?」
「む? 自分で言っとっただろうに。社会では厄介者扱いされて、あちらに居場所が無かったと。そして今この空間に満足していると。やっと自分に相応しい居場所を見つけたと」
「そ、そうでしたね……」
ソウヤに言われ、人喰い絵本に入る際に見た、コズロフの一人称モノローグを思い出すユーリ。
「拙者もそうじゃったよ。何をしてもうまくいかんでのー、斯様な拙者が、人を殺すことと、殺し殺される場所で生き抜くことだけは、長じておった。何ともろくでもない性を持って生まれたものよ」
笑いながら言うソウヤの話を、ユーリは複雑な心境で聞いていた。
ソウヤと付き合ってまだ二十四時間も経っていない。一緒に歩いて、遊牧民のキャンプに寝泊まりして、会話を続けただけだ。しかし色々と分かった事がある。
この中年男は基本的に優しい。細やかな配慮を行ってくれる。新兵であるコズロフ役のユーリに、様々な知恵と知識を教授し、面倒を見てくれる。しかしその一方で、人を合法的に殺す生き方しか出来ないとのたまう。遊牧民から略奪までしようとしていた。
(お前みたいな苦労知らずのいい子ちゃんにはわからねえだろうな)
コズロフの嘲り声がユーリの脳内に響く。
(ソウヤのおっさんも俺と同じだったんだなあ。きっと悔しい想い、哀しい体験、辛い記憶、いっぱいあるんだろうなあ。俺は戦場に出るまでそんなんばっかりだった。戦場に出て救われた。敵兵士共を殺しまくって、俺は生き返った。命を失うかもしれない極限状態で、生きている実感を得て楽しかった。敵兵士を沢山殺して仲間達に褒められて、ソウヤのおっさんにも認められて、すげえ嬉しかった。お前にはわからないだろうなあ)
(いや……僕にも少しわかるよ)
楽しそうに語るコズロフに、ユーリは微笑みながら心の中で言葉を紡ぐ。
(僕も人喰い絵本を楽しんでいる。母さんの命を奪った憎むべき対象なのにさ。人命救助のために真剣に臨まなくちゃいけないのにさ。いずれ人喰い絵本の謎を解いて、人喰い絵本が現れないようにして、人喰い絵本の犠牲者を出さないようにしたいのにさ。正直な気持ち、わくわくしている)
(そうか。お前、ただの融通効かない頭カチコチのいい子ちゃんてわけでもなかったか。ちょっと嬉しいぜ)
ユーリの話を聞いて、コズロフはユーリに対して親しみを覚えたようであった。
やがて夜が完全に明ける。
岩と岩が繋がれたアーチの下で、戦闘が起こっているのが見えた。
「やっと合戦じゃ。さあさあ、加勢に行くぞっ」
「はいっ」
生き生きとした顔と声で呼びかけるソウヤに、ユーリも思わず気合いの入った声で返事をしてしまった。
(ほとんど歩いてばかりだったから、戦闘になれば、戦場に着けば、余計に気分が揚がるのかな?)
(そうだな。俺はそうだった。お前もやっぱりそうなったか)
ユーリの頭の中で、コズロフが微笑んでいる。
戦闘の様子を見ると、味方陣営が不利だった。
しかしソウヤとユーリが参戦すると、あっさりと逆転した。
ユーリは魔法を使って敵兵士を斃しているが、誰にも不思議がられない。何かしらの脳内変換が、ここの世界の住人の中で行われていると見た。そういうことはある。この世界の住人から見たら、ユーリが――いや、コズロフが剣で敵を殺しているように見えるのだろう。
人殺しが初めてというわけではない。ユーリは絵本世界において、物語の成り行きで人を殺したことは多くあるし、現実世界でも人を殺したことはある。現実世界においては、治安維持の仕事の一環として、凶悪犯罪者の討伐による殺人だ。
殺人はあまり気持ちのいい行為ではないが、もう割り切っている。そして戦闘そのものには、いつも高揚感を覚えている。
(お前もこっち向きなんじゃないか?)
からかい気味のコズロフの言葉を、ユーリは否定しない。殺人を好むわけでは無いが、命懸けの戦いは楽しいと感じる。それは事実だ。
やがて劣勢になった敵兵士達が逃げて行く。追撃はしない。こちらの損害も激しい。
「礼を言う。助かったぞ」
「二人共、大したものだな。お前達のおかげで形勢逆転してしまった」
「是非このまま合流してくれっ」
自軍兵士達が二人を歓迎した。
「危機に参じ、敵を蹴散らし、英雄扱い。中々気分が良いものじゃろう」
「ええ」
ソウヤがユーリに笑いかける。ユーリとしては初めての経験というわけでもないが、それでも気分はいいものだ。
(そうか。お前は俺なんかよりずっと歴戦の強者だったんだな。お前の記憶が――色々と俺の中に流れ込んできちまった)
恥ずかしがるような口調で言うコズロフ。まだ新兵に過ぎない自分が、戦闘者として経験豊富なユーリを下に見ていた事が、コズロフからすると恥ずかしかったのだ。
(俺だけお前を見て不公平だから、俺も見せるぜ。お前と違って……つまんねー記憶だけどさ)
コズロフが言った直後、彼の記憶がユーリの頭の中に流れ込んできた。




