36-3 世界は中々うまくいかないように出来ている
子供の頃、友人がいた。その友人はひどい悪童で、彼は嫌々その子に付き合っていた。
ある日、彼は悪童にはめられた。一線を越えた悪事を働いた。村の倉庫に入り、盗みを働いたのである。
彼はこっぴどく叱られ、そのショックで引きこもりになった。外に出たらまた悪童に付き合わされる。そう意識して、出られなくなった。
しかし彼はヒキニートになってしまったことを、両親に毎日責められた。
彼はずっと両親を恨んでいる。自分をおかしくした原因である悪童も恨んでいる。
やがて彼は、倉庫から盗み、そのまま隠し持っていたものの存在を意識した。あの時盗んだものの中で、その一つだけは見つからなかった。
それは禁忌のスクロールだ。そして彼は独学で、密かに禁忌の魔術を習得しはじめる。
やがて彼は魔術を習得し、悪童も、自分の家族も、魔術で殺害してすっとした。
だが彼が魔術で殺人したことは、あっさりとばれてしまった。役人に追われ、逃走する日々が始まった。
厄介なことに、禁忌の魔術の副作用で、彼の体はひどく衰弱してしまっていた。まともに歩く事も困難で、捕まるのは時間の問題と思われた。
そんな彼の前に、骸骨のような容姿の男――ドームが現れ、彼の犯罪をもみ消した。
ドームは赤い帽子を彼に渡し、彼の体調も回復していった。そして彼に赤い帽子による実験をするよう促した。
***
宝石百足が姿を消す。
「宝石百足というんだったか? この世界の守り神の一人だな。あいつと通じているのか」
ドームが問いかけるが、ミヤは答えない。
(お喋りな奴だよ。その結果、色々と情報を相手に与えている。でもこいつはそんなことも意に介さない性格か)
ドームを見てミヤは思う。
「お前がその赤帽子を操っているのかい。いや、お前等か?」
「ああ、そうだ」
自分は答えずに問いかけるミヤに、ドームはあっさりと答えた。
「随分とあっさり認めるんだね」
「認めないで誤魔化したり、喋らなかったりすると、物語が進まないだろ? 俺は元来この世界の住人ではないが、人喰い絵本の意思によって、物語の登場人物にされてしまっているからな。加えて言うと、俺は駆け引きが苦手でね」
肩をすくめるドーム。
(これはかなり特殊なケースみたいだ。だから宝石百足がわざわざ警告にきたわけか。そしてあ奴は真相を知っている)
ミヤが思案している間に、ドームが呪文を唱える。
「染めよ。緑の地獄」
ミヤの足元から、シダや苔といった原始的な植物が大量に噴き出し、ミヤの体を覆わんとする。
ミヤは魔力を全方位に放ち、自分を包もうとした植物の全てを、粉微塵にして吹き飛ばす。
「冷泥と共に来られし暗湖の使者」
さらに呪文を唱え、続け様に魔術で攻撃するドーム。詠唱が短く、それでいて強力な魔術を行使している。
ドームとミヤの間の地面がぬかるみ、泥と化す。その泥が蠢き、ミヤめがけて滑るようにして向かってくる。
ミヤが魔力塊を泥めがけて放つ。
凝縮された不可視の魔力の塊が、泥に触れた瞬間弾け、泥をそこかしこに撒き散らした。
だが次の瞬間、あちこちに飛び散った泥が、空中で一斉に同じ方向に向かって高速で飛来する。即ち、ミヤの方へ。
ミヤは魔力の壁を張って泥を防ぐ、全ての泥がべちゃべちゃと音を立てて壁に当たる。
(冷気?)
泥より生じる強烈な冷気が魔力の壁を突き抜け、ミヤに襲いかかった。さらに壁に張り付いている泥が、一ヵ所にまとまって人型へ――泥で作られた軽装の剣士となった。
剣士が剣を振るうと、魔力の壁が切断される。冷気が増し、ミヤの体温が一気に下がる。
「ふん、やるじゃないか。上手いこと考えられている術だ。泥、冷気、ゴーレムかい? その三段構えとはね」
ミヤが微笑みながら称賛し、念動力猫パンチで泥の剣士を叩き潰し、魔力を強制放出させた。
「ゴーレムと呼ばれると抵抗あるかな」
立て続けに術を破られたにも関わらず、ドームはまだ余裕だった。
「ぐ……ううう……」
赤帽子の男が呻く。
ドームはミヤの動きに注意しながら、赤帽子の男の側まで移動し、かがみ、男の容態を伺う。ミヤはあえて手を出さずに、その動き話黙認した。
「その男が心配なのかい?」
ミヤが問う。
「死んでほしいとまでは思ってないぞ。中途半端ではあるが、一応こちらの役に立ってくれた。まあ、それも絵本の筋書きに過ぎないが。お前が被るその青い帽子はな、この人喰い絵本の中で作られた物ではないんだ。この絵本世界に紛れ込み、その存在を絵本世界か、あるいは絵本世界の創造主――神が認知したことで、絵本に取り入れられたのさ」
赤帽子の男の容態を確かめ終えたドームが、立ち上がり、語り出す。
「青帽子も赤帽子も同じものだが、こっちの赤帽子は、青帽子のコピーに過ぎない。コピーがどれだけオリジナルに近い性能を発揮できるか、その実験をしたんだろうな。こっちの赤帽子は人喰い絵本が作ったコピーだ。本質は同じものだがな。帽子はかぶった者次第で、赤帽子にも青帽子になる。穏やかな心でいれば、周囲の正の感情によって力が生み出され、活力を与え続ける。この状態は青。恨みつらみ呪いや怒りや悲しみや悔いの念を溜め込めば、赤くなる。かぶった者は周囲の活力を強制的に吸い取る。青は無害だが、青よりも赤の方が強い」
青は無害といった時点で、赤い帽子にはリスクもありそうだと、ミヤは判断する。
「その帽子を量産して販売でもするつもりかね?」
「さてね。売り物にするのなら、売れるだろうな。生にしがみつきたい、老いぼれた資産家や権力者は、高値で買ってくれるだろう」
「そしてそいつは他人の命を吸い取り続ける、か」
仮定の話ではあるが、実現したら実にろくでもない話だと、ミヤは思う。
「絵本の物語のうえでは、お前が実験していることになっているが、実験しているのは、人喰い絵本――いや、人喰い絵本の作者ってことかね」
「そうだな。俺はその役を担わされた」
ドームが肩をすくめて、足元に倒れている赤帽子の男を見た。
「こいつはヤバい魔術に手を出して、体が弱ってしまっている。実験を任せるにはうってつけの人材の大馬鹿者だな。俺は村人に知られないように実験しろと言ったのに、それすら出来ない馬鹿だった……。噂が外にまで広がる始末だ。しかも本人はそれに気付いてもいない」
言葉では嘲っているが、哀れみの口調で話すドームであった。
「興味深い話だったよ。人喰い絵本にも色々とあるようだね。で、時間稼ぎはもう十分かい?」
ミヤが意地悪い笑みを浮かべて尋ねると、ドームの骸骨顔も笑みの形になる。
「ああ、十分さ。援軍到着だ」
ドームが言うと、彼の背後の空間に切れ目が走った。
空間の入口から、一羽の鳥が弾けるように飛び出てくる。
ミヤの注意が鳥へと向けられる。その鳥が出た瞬間、凄まじい魔力のうねりを感じ取った。そして途轍もなく神々しい神気が周囲に満ち溢れた。
それは一羽のカモメだった。非常に大きなカモメで、翼を広げると2メートル近くにもなる。オオフルマカモメという種であるが、ミヤはそこまでは知らない。そのカモメが強い魔力と神気を放っている。
(ドームよりもさらに強い。いや、比べ物ならない力の持ち主だ)
ミヤは久しぶりに緊張を覚えた。自分に匹敵するほどの力の持ち主だと、一目でわかった。
カモメが空中で反転して、地面に降り立つ。赤帽子とドームを一瞥してから、ミヤをじっと見つめる。
「ドーム。随分と手強い相手と遭遇したみたいね。そいつがこの世界の神?」
カモメが口を開き、若い女性の声で問いかける。
「いや、違うわね。人喰い絵本に吸い込まれた人ってことね。人じゃなくて猫だけど」
ドームが答えるより前に、カモメはミヤの正体を言い当てた。
「申し訳ない。俺の手には負えませんので」
「はいはい、私の出番ね。あんたは下がってなさーい。大事な神徒を護るために、女神様が直々に頑張っちゃおうかしらー。きゃはははっ」
ドームが恭しい口調で言うと、カモメがけたたましい声をあげ、ミヤに向かって攻撃した。
空中に現れた夥しい数の火炎弾が、炎の雨の如くミヤめがけて降り注ぐ。
魔力の壁や防護膜で防げるか怪しいと感じたミヤは、魔法による高速飛翔で、火炎弾群から逃れた。
「わはははははっ、猫のくせに飛んでるしーっ」
カモメがけたたましい声で笑い、次の攻撃を行おうとしたが――
「ぶぎぇっ!」
飛んでいたカモメが地面に押し潰され、悲鳴をあげる。
そのまま圧をかけ、そして魔力の強制放出をしようとしたミヤであったが、ミヤの念動力猫パンチが、内側から粉砕された。
「やったわねーっ! 猫の分際でえっ! むっかつくーっ。絶対ぶっころーすっ!」
全身から魔力を放射して、念動力猫パンチを吹き飛ばしたカモメが、ヒステリックな怒声をあげる。
(こやつ、いとも軽々と……)
念動力猫パンチを容易く破られたことで、ミヤの中で久しぶりに闘志が湧きたつ。
さらに念動力パンチを放つミヤ。すぐに力を弾き飛ばされるが、弾かれた直後にまたパンチを繰り出し、吹き飛ばされてはまたパンチの、連続念動力猫パンチを見舞う。
やがてパンチの切れ目を狙って、カモメが上手いことその場から飛翔して逃れた。
ミヤはなおも追撃の念動力猫パンチを繰り出していくが、カモメは巧みにかわしていく。
「あははは、しっつこーい。ムキになっちゃってさあ、猫ってひょっとして単純バカな生き物なのかしらー? ギャハハハハハッ!」
カモメがミヤを見下ろし、耳障りな声で嘲る。
「あれれ~? もう諦めちゃったの~? ほらほら、もっと頑張って私に当ててみなよー。ほーら、にゃんこちゃーん、頑張れー。はい、外れーっ。きゃははーっ」
煽っている最中、ミヤの攻撃を見切ったつもりで移動するカモメ。
「ぷげっ!」
その直後、カモメが念動力猫アッパーを食らって上向きに吹っ飛んだ。
「はい、外れーって、攻撃してないよ」
カモメが煽っている最中、ミヤは念動力猫パンチを打ったように見せかけた。そのフェイントにカモメはまんまと引っかかった。移動先を予測して、移動後のタイミングに合わせて攻撃した次第である。
「あーっ、もうムカつくーっ。さっきからそっちが攻撃してばかりでーっ。ちょっとは私にも攻撃させろーっ」
怒号と共にカモメが魔力を解き放つ。
凄まじい勢いの旋風が、四方八方からミヤに襲いかかる。魔力のガードを突き抜けてくると見て、転移して避ける。
転移直後、ミヤは金縛りにあった。身動きが取れない。
「あはははー、引っかかってやんのーっ。転移して逃げるかなーと思って、罠張ってたの気付いてないでやんのー。所詮猫ねー。ばーかっ」
硬直しているミヤを見て、カモメが嘲り笑う。
(空間の歪みが生じた際に、歪みを利用して転移した者にかかる魔力の罠を、次元の狭間に仕掛けていたってわけかい。こいつ、どこまで……)
カモメが何をしたのか見抜き、改めて脅威と感じるミヤ。
動けないミヤに、カモメがさらに攻撃を見舞う。
魔力の刃がミヤの胴体を両断する。しかし血と臓腑が出ないように、ミヤは魔法でガードしていた。
「空間歪曲シュレッダー」
ミヤが奥の手を用いる。
悲鳴を上げる事も出来ず、次元のねじれから生じる刃によって、カモメの体があらゆる角度から切断され、ばらばらになった。
体が麻痺して動けなくなったミヤだが、魔法が使えないわけではない。自ら動いて回避行動は出来なくなった程度だ。戦闘に大きな支障は無い。
ばらばらになったカモメの体だが、地面に落ちる前に血と肉辺が高速で一ヵ所に集まり、あっという間に再生した。
一方でミヤも再生を完了し、緊縛も解いている。
「今のは……効いたわ。あははは、やるじゃない」
焦燥と疲労を感じさせる声で称賛するカモメ。
「人喰い絵本に動きがありますよ。奴等が干渉してくる可能性があります」
ドームがカモメを見上げて、報告する。
「ふん。今度会ったら続きをしましょうねー。じゃあねー、しつこい猫ちゃん」
カモメが別れの言葉を告げると、次元の割れ目を開いて、その中に飛び込んだ。ドームも同様にして消える。
「嬲り神をもっと馬鹿っぽくしたみたいな奴だったね」
カモメがいた空間を見上げ、ミヤは呟いた。
***
ミヤは赤帽子の男から赤い帽子を奪った。すると、赤い帽子が青くなった。
(どうしてこんなことをしたか、聞いてもらってもよいですか?」
「どうしてこんなことをしたんだい」
エイドのリクエストに応え、ミヤが赤帽子の男に尋ねる。
「僕は……」
その後、赤帽子の男はゆっくりと少しずつ、自身の過去を語り、何故赤い帽子で人の命を吸っていたかも、正直に話した。
(どうも人喰い絵本にはこの手の奴が多いね)
赤い帽子の男の話を聞き終え、ミヤは思う。
「これから僕はどうしたら……」
さめざめと泣く赤い帽子の男。
「エイド、もうすぐ儂はいなくなり、お前は元に戻る。この男の処置はお前に任せるよ」
(わかりました。捕まえて役人に突き出し、村人にも報告します)
ミヤに最後の選択を任され、エイドは淀みない口調で言った。
(さてはて、これを持って帰れるかどうか……)
赤い帽子の男が被っていた帽子を手に取るミヤ。
(これで一件落着でしょうか)
「そうなるね。お別れの時だ。後のことは任せたよ」
(短い間ですが、刺激的で楽しかったです。ミヤさん、お元気で)
「お前も達者でな」
互いに別れの言葉を告げた直後、ミヤの意識は人喰い絵本の外へと出た。
***
人喰い絵本を出る刹那、ミヤの頭の中で本来の物語の結末が流れる。
青帽子の旅人エイドが、赤帽子とドームの企みを知り、二人を退治しようとしたが、返り討ちにあって死ぬという、救いの無い話で終わっていた。
元の世界に戻ったミヤだが、所持していた青帽子は無くなっている。帽子はイレギュラーではなかった
「やれやれ。そう上手い話は無いってことか。つい期待しちまった」
幼いユーリのためにも、長生きできるならば――と思ったミヤであったが、期待通りの結果にはならず、大きな溜息をつく。
***
次元の狭間で、宝石百足とダァグ・アァアアが向かい合っている。
「あの青い帽子は別世界からもたらされた産物だよ。そしてそれを所持していたドームという男も、この世界の者ではない。メープルF同様に、別の世界から渡り歩いて来た者だ。今回、彼等を意識して、物語に組み込めるかどうか実験してみた。実験は成功だね」
ダァグが話す。青い帽子を量産する話は、あくまでダァグの創作だ。別世界から持ち込まれたイレギュラーをあえて題材にした。
「ミヤが受け取った帽子はコピーだから、持ちだせなかったのですね?」
宝石百足が尋ねる。
「その可能性が高いね。エイドが持つ帽子はオリジナルだから、あちらを選択していれば、持って帰れたと思う」
と、ダァグ。
「ドームとあのカモメはイレギュラーだ。ドームは人喰い絵本の意思を感じて、あえて話に乗ってきたようだね。彼等が何を企んでいるかわからないけど、あまり勝手をされても困る」
珍しく不機嫌そうな声を発するダァグ。
「その制御が出来るかどうか、テストしたわけですね」
「その通り。ある程度は制御できた。ドームの方はね。でもあのカモメは――不可能とは言わないが、中々難しそうだ」
確認する宝石百足に、ダァグは神妙な顔になって言った。
***
次元の狭間で、ドームとカモメが向かい合っている。
「人喰い絵本の意思が、俺を登場人物として物語に組み込みました。あるいは人喰い絵本を作る神の仕業か。しかし俺の自我は全て残っていましたし、自由も効きました。物語を破壊できるかどうかの実験もしたかった所ですが、その機はありませんでした」
「えー、そこが肝心だったのにー」
ドームが報告すると、不満げな顔をあげるカモメ。
「思うに人喰い絵本は――あるいは人喰い絵本の神は、俺が人喰い絵本の物語に乗る形で、人喰い絵本の意思を探ろうとしていた事にも、気付いていたのではないでしょうか? だから俺を物語に干渉しづらいポジションにしたのかも」
「なるほどねー。でも、あの赤帽子の男をあんたが殺すってことも出来たんじゃない?」
「それは真っ先に考えましたが、実験の幅を狭めるだけになりそうでしたよ。それで物語が終わるという可能性もありましたからね」
「なるほどねー。ドームもよく考えているんだー。流石は私が何番目かに信頼を寄せている神徒だわー。えらいえらーい」
「恐縮です。女神様」
半ばからかうような口振りで称賛するカモメに、ドームは恭しく頭を垂れる。
「ま、この世界は当分いいわー。また何か興味を注ぐものがあれば、その時来ればいいし。別の所行きましょ」
カモメが決定すると、空間の切れ目が生じ、二人は姿を消した。
36章はここで終わりです。




