32-41 地獄の尻ぬぐい
ダァグは沈黙して、中々口を開こうとしなかった。同じポーズのまま、考えを巡らせている。
「君自身も絵本に出るようにしなよ。そうすればさ、君の望みも叶うんじゃないか? 絵本を悲劇から救いやすくなるんじゃない? そのうえで、僕を呼んでよ」
ユーリが再度促したうえで、要求もする。
「それは出来ない? 怖い?」
ユーリがここで初めて、挑発的な響きの声を発する。
(挑発が似合う子ではありませんね。そういうことをするのは、この子のキャラにあわないというか)
ユーリを見て、ディーグルは思う。
「怖くはない。怖いなんて言ってるのは、挑発のつもり?」
ダァグが顔を上げて、ユーリを見る。
「挑発4で本気6ってところかな。本当に怖いのかもしれないと思った」
「本当に怖いなら、僕はこうして君達の前に姿を現す事も無かったよ。怖いというより、恥ずかしい――かな?」
本当に気恥ずかしそうな微笑を零すダァグ。
「今更何が恥だ。散々ろくでもないことして、それを恥じる心は無いのか」
「先輩、どうどう……」
とうとう苛つきを露わにしたユーリを、ノアがなだめる。これまでずっと我慢してきたが、今のダァグの一言で押さえられなくなった。
「凄い殺気だ。いいよ。その要求に乗るよ」
ユーリを見て、ダァグは微笑みながら応じた。
「僕を君達と同じ舞台の上に立たせれば、僕を殺せるとでも考えているの? やれるものならやってみるといいよ。例えそれで僕が死んだとしても、それならそれでいい。こんな醜くて穢らわしい僕なんて、死んでも構わない。それに、僕のせいでお母さんを亡くした君には、僕を殺す権利もあるだろうし、殺されても恨まないよ」
自棄の念を漂わせながらも、同時に超然たる気配も伴わせ、ダァグは言い放つ。
「そういう意図が無いと言えば嘘になる。でもそれだけじゃないよ。一歩離れたポジションにいるより、僕達と同じ目線に立てば、見えなかったものを見えてくるし、わからなかったこともわかるようになる。そう思わない?」
少し頭を冷やしたユーリが、諭すような口振りで言う。
「そっか……そういう考えもあったんだ。なるほどね」
絵本を悲劇から救いやすくなるという。たった今ユーリが口にした台詞の意味を、ダァグは理解した。
「ただし、もし僕がそれで死んだら、ユーリ・トビタには僕の代わりをしてもらうよ」
ダァグが冷ややかな視線でユーリを見て、宣言した。
「神様になれと? 冗談じゃない」
ユーリが吐き捨てる。
「神様にするわけじゃない。まだ救われていない絵本を、君に全て救ってもらう。君を絵本の中に閉じ込め、全ての絵本を救うまで、元の世界に戻れなくする。僕にはそれぐらいのことをする力はあるんだ」
「おいおいおいおい……何だそりゃ」
「いきなり何言ってるん、こいつ」
「そんなのひどいよう。どうしてユーリがそんなことしなくちゃならないのさ」
「こいつ死んでいいよ」
ダァグの話を聞いて、嬲り神ですら呆れ、スィーニーは怒りを露わにし、チャバックが抗議し、ノアは冷たく吐き捨てた。
「君だって絵本の悲劇にうんざりしていたし、救える時は救ってきたんだから、僕が死んだら、僕のやり残したことを解決してくれるよね?」
他の面々を無視して、ダァグはユーリ一人に問いかける。
「何故それをユーリ一人にやらせようとするんだい? 悪意の塊のような発言じゃないか。お前はユーリの言う通りの恥知らずだね」
それまで黙って聞いていたミヤまでもが、不快感を示した。
「そもそも人喰い絵本で悲劇のストーリーばかり作ってるのは、君だろうにね。先輩が君をやっつけたら、今度はその尻ぬぐいをさせられるのか」
ノアがダァグを見て、心底軽蔑しきった嘲笑を浮かべた。
「ミヤ様達は――あっちの世界の住人は、ずっと尻ぬぐいをさせられてきたんだよ。死人もいっぱい出てる。そんなことを平気で出来る恥知らずの神様に、何言っても無駄じゃないかなあ?」
アルレンティスが言った。いつの間にかルーグからアルレンティスに戻っている。
「馬の耳ににんじん」
「あはは、念仏だよう」
「ケッ、この場合、馬耳東風のがあってるだろ」
ノアが言い、シクラメが笑いながら訂正し、アザミも訂正した。
「何も感じないわけではない。そう言われるとへこむよ。でもさ、僕が死んだら――僕を殺したら、その責任くらいは取って欲しいよ。僕の救われていない絵本世界はそのまま、救われないままで終わってしまうんだよ?」
臆した顔つきではあるが、ダァグにはダァグで言い分があったので、それをはっきりと口にする。
「僕はダァグを殺すとは言ってない。僕の目的は、人喰い絵本が僕達の世界に干渉しなくなるようにすることだ。そして君に悲劇を描かせないこと。それは殺さなくちゃ達成できないの?」
ユーリが問う。
「それは僕の目的でもあるよ……。被っているんだね。それなのに君は僕を憎む」
ダァグが拳を強く握りしめ、ユーリをじっと見返す。
「君のやり方が悪い。そして絵本を描いているのも悲劇を生み出しているのも、他ならぬ君だ、ダァグ」
言い返すユーリ。
「必要なことだし、そうすることしかできない。前にも言ったでしょ。他に方法があるならやってる。いや、その方法を今探している最中なんだよ」
苦しそうに、そし手哀しそうな顔で言うダァグ。
「ダァグ、もし僕が君を殺すことになってしまったら、君の要求を受けてやるよ。僕が残った悲劇を全て片付けてあげる」
まるで挑戦を受けるかのような眼差しで、ユーリは決然と言い切る。
「ちょっとちょっと先輩。勢いだけでおかしな約束しちゃ駄目だよ」
「そうよ。そんなの、死ぬよりキツいことじゃんよ。ユーリがそんな地獄を背負うなんて冗談じゃない」
ノアとスィーニーが慌てて制止する。
「勢いで暴走しているわけじゃないよ。それにさ、僕はダァグを殺したいわけでもないんだ」
ユーリがノアとスィーニーをそれぞれ見やり、柔らかな笑みをたたえて言った。
「ユーリ、君は僕に嫌悪感を抱いているようだけど、僕は君に好感を覚える。敬意の念も湧く。ちょっと頭にくる所もあるけど」
ダァグが控えめな声で言い、息を吐いた。
「そう遠くないうちに、また会おう。ユーリ、ミヤ、チャバック。その他大勢」
「あたしらはその他大勢かよ」
ダァグの別れの挨拶を聞いて、アザミが笑う。
「ちょっと待って」
アルレンティスが呼び止めた。
「このまま絵本の外に出されるの? その前に、父上に別れを告げさせてほしい」
「オイラも。ネロとはもう別々なんだよね。ネロと会ってお別れを言いたい」
アルレンティスとチャバックの願いを聞き、ダァグは微笑む。
「わかった。じゃあ元いた空間に戻すよ」
ダァグが言った瞬間、全員元の絵本世界に戻った。
***
ダァグと嬲り神は消えている。サーレ、クロード、ミラジャ、キンサン、ウスグモがいる。そしてネロとイヴォンヌもいた。
「おお、ミヤだー。こうして会えるなんてー」
イヴォンヌがミヤの姿を見て弾んだ声をあげる。
「ふっさふさだねー。こんなにゃんこが、サーレと戦って勝った次代魔王だなんてねー」
ミヤを抱いて撫でるイヴォンヌ。ミヤは渋い顔をしている。イヴォンヌの撫で方が下手だったからだ。
「あ、あの、オイラは……」
ネロの前に行き、チャバックが声をかけるが、何と言ったらいいかわからなくて言葉に詰まる。
「チャバックだね。改めてありがとうね」
にっこりと笑うネロ。
「ううん……オイラよりも、御礼は猫婆に言ってよ」
はにかむチャバック。
「キンサンさんとウスグモさんとミラジャさん、色々とお世話になりました」
「お、おう……今お前さんの話はネロから聞いた所だ。魔王の妃に取り憑いていた猫の話もな」
頭を下げるチャバックと、イヴォンヌに抱かれているミヤを交互に見て、戸惑い気味な様子のキンサンであった。
「ウスグモは気絶したままだから、後でチャバックのことを話しておくね。ミラジャにも伝えておくよ」
ネロに言われ、チャバックはミラジャを見た。ミラジャはうなだれたままだ。完全に放心している。
アルレンティスはクロードの前に進み出る。
「父上。お別れだよ。その前に伝えたい。実験生物だろうと、僕は生まれてきたことに感謝してるよ。これまで生きてきて、面倒臭いことも多かったけど、楽しいこともいっぱいあったからね」
「そうか」
息子の言葉を聞き、クロードは短く、しかし満足げに頷いた。
「あの少年がロジオの転生だったのですか」
ディーグルが、イヴォンヌに撫でられ続けているミヤに声をかける。視線の先はチャバックに向けられている。
「そのせいで、絵本に何度も呼ばれていたようだね。嬲り神も最近知ったようだが。まあ、儂もチャバックに縁を感じてはいたさ。儂の知る誰かの転生だと思ってはいた。しかしそれがよりにもよってロジオだったとね」
イヴォンヌの腕の中から脱出して、ミヤが話す。
「まあ、だからといって何だという話だよ」
大きな溜息をつく。
「嬉しくないのですか?」
ディーグルが意外そうに尋ねる。
「そりゃ嬉しいに決まってるさ。でもね、ロジオはもう死んだのさ。今は弟子達の友達のチャバックなんだよ。儂のことを猫婆なんて言ってからかう、いい子なのさ」
ネロと楽しそうにお喋りをしているチャバックを、温かい目で見るミヤであった。
「ロジオの勇者の力も、ネロと同じ出どころなのかねえ?」
ミヤが疑問を口にする。
「ロジオは死んでいたはずです。どうやって蘇ったのでしょう?」
「その辺も嬲り神が知っていそうだよね。はぐらかして、教えてくれなさそうだから、聞くのもダルいけど」
ディーグルとアルレンティスが言った。
「ミヤ、色々と世話になったね。ありがとさままま」
タイミングを見計らって、サーレが話しかけてきた。
「本来なら死んでいたらしい僕を救ってくれた。理由は知らないけど、感謝しているし、できるなら恩返しもしたい。僕の命だけでなく、心も……そして僕だけじゃなくて、イヴォンヌも救ってくれた。僕が死んだら、イヴォンヌもどうなっていたかわからないからね」
「ふん。魔王が魔王に御礼だなんて、締まらないよ」
礼を述べるサーレに、ミヤが笑い声で告げる。
「お前も儂も、一度魔王になったら、もうずっと魔王のままだ。ずっと背負っていかなければならない。これで終わりじゃないんだ。これからが大変だろうよ」
「大丈夫っ。私がサーレを支えるからっ」
イヴォンヌが明るい声をあげて、サーレの腕に抱き着く。
「ふん、人前で堂々といちゃつきおって」
鼻を鳴らすミヤ。
「ミヤ、君が何を背負っているかわからないけど、その重荷を下ろせる時も来ればいいね」
サーレが爽やかな笑顔で告げたその時、ミヤ達の目の前の視界がぼやけて歪み始めた。長い間いた絵本世界から出る時が来たのだ。




