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32-38 本当の切り札

 その少年は、心ここにあらずという顔で、虚空を見上げている。


「おい、どうしたんだよヨブ。ぼーっとしやがって」


 親友の様子がおかしいことに、嬲り神は言いようも無い不安を覚えていた。何か恐ろしいことが起こる予感を感じてしまっていた。


「行かなくちゃ」


 たっぷり十秒以上経ってから、少年は決然たる面持ちになって告げる。


「行く?」

「魔王になったあの猫の世界に行く。もう一人の僕が呼んでいる。必死に助けを求めている」

「つまりはあっちの世界のヨブ――魂の横軸か」


 自分達の世界とは異なる世界があるということは、嬲り神も知っている。別世界から来た住人とも、二人ほど会っている。


「お別れだよ。嬲り神」

「はあ? 何言ってんだよ。何でお別れになるんだよ」


 親友である少年の唐突な台詞に、嬲り神は珍しく狼狽気味の声をあげた。


「同じ魂が溶け合うことで強固な力を得る。あっちの僕はもう死んでいる。魂を同調させ、融合させることで、あっちの僕を生き返らせる」


 少年が何故こんな話をしているのか、嬲り神は理解できなかったし、理解したくもないと思っていた。


「だからこれで……お別れなんだ。嬲り神」

「おい……冗談だろ……ヨブ。おい……そんないきなりよ……」


 寂しげな笑みを浮かべる少年に、嬲り神の声は震えていた。


***


「気付かなかった……。いや、少しは感じていた。チャバックはきっと儂の古い知り合いの転生なんだろうと、それくらいにはわかっていたけど……よりによってロジオだったなんて……」


 嬲り神から真相を明かされ、ミヤの声は震えていた。


「チャバックーっ。話聞いてなかったーんっ? チャバックの前世が勇者ロジオだったとか、今すごいこと話してたのにさーっ」


 スィーニーが戦闘中のチャバックに向かって叫ぶ。


「オイラが勇者ロジオ……?」


 戦っている最中、ぽかんと口を半開きにするチャバック。


(チャバックも勇者だったの?)


 チャバックの中でネロも驚いている。


「これは偉大な実験て奴だ」


 嬲り神がにやりと笑う。


「勇者の来世に当たるチャバックを、絵本の中で再び勇者の役にすることで、刺激を与える実験だ。もしかしたらよぉ、前世の記憶と力が、蘇るなんて超ハッピーでミラクルな展開も、あるかもしんねーだろ?」


 弾んだ声で言う嬲り神の横で、ミヤは考える。


(図書館亀が言ってたね。嬲り神がロジオに執着する理由は、嬲り神と縁のある者が、ロジオの魂の横軸なんじゃないかって。儂はその推測が当たっていると思ったが……まさかそれがチャバックだったなんて……)


 点と線が繋がったとして、ミヤは納得する。だから嬲り神はチャバックにも執着していたのだろうと。


「少なくともそうなれば、俺はハッピーさ。俺のマブダチのヨブが戻ってくるんだからよ。ま、正直あまり期待はしてねーよ。多分無理だろ。しかしダァグの奴は、その可能性は十分有り得ると見ているようだ」


 そう語る嬲り神の笑みが、ひどくニヒルなものへと変わる。期待はしているが、期待はできないと見ているが故に、虚しさを感じている。


 一方で、ミラジャとクロードは未だに戦闘を行っていたが、今や一対一の戦いではなくなっていた。

 クロード優勢だった戦いは、途中からミラジャの優勢に変わった。命の輪を装着した勇者軍の兵達が、続々とミラジャに加勢してきているのだ。


「べらぼうめ……。やられちまったぜ」


 キンサンが目を覚まし、身を起こす。ダメージは残っているが、戦うことは出来ることを自身で確認する。

 一方、ウスグモはまだ倒れたままだ。


「ミラジャ、勇者様に加勢してくるぜっ」

「いや、私に加勢しろ。君の力は魔王と相性が悪すぎる。力になれんだろう」


 キンサンが断りを入れるが、ミラジャはクロードと交戦しながらそう命じた。


「へっ、相性じゃあしゃーねーな」


 苦笑しながらキンサンはクロードを見て、桜の木を空中に浮かせた状態で複数呼び出す。


「奴の黒槍や黒霧は致命的だから防御も怠るな」

「合点承知の助っ」


 ミランジャの警告に威勢よく返事をすると、キンサンは桜の木を二本だけ防御用に待機させて、他の桜の木はクロードに向けて飛ばした。


「また面倒な……」


 ただでさえ勇者軍の兵士達が加わって押され気味だった所に、キンサンまで戦線に加わったことで、クロードはさらに劣勢になる予感を覚えた。


 大量に飛んでくる桜の木。黒膜や黒霧でこれらを防いでいるうちに、ミラジャや兵士達が攻撃してくるのは目に見えている。全ては防ぎきれない。


「あぎゃー!」

「い、痛いっ。痛たたたっ」

「ぐ、ぐるじい……何だこれ……」


 やにわに兵士達の動きが一斉に止まり、その場に蹲って苦しみ始める。


「こ……これは……」


 ミラジャも苦悶の形相で動きを止める。全身を焼けつくような酷い痛みに苛まれていた。

 訝りつつもクロードは、自分を潰そうとしていた桜の木を防ごうとしたが、桜の木はクロードが防御するまでもなく、回転しながらあらぬ方向へと吹っ飛び、壁や床に激しく当たって、そのまま強引に回転してへし折れ、破片を撒き散らした。


「な、何だあ!?」


 驚愕するキンサン。


「これは?」


 クロードがホールの柱の陰にいる者に気付く。巨大な黄金の蠍。目が宝石で、王冠を被っている。


「あんたをモデルにして、俺は作られた」


 水色の髪の偉丈夫が、クロードに近付き、話しかける。


「アルレンティスか?」

「派生した人格の一つ、ルーグさ。俺はクロードの欠点を取り除いた、アルレンティスの理想の父親像らしいぜ。皮肉だな。そんな俺が、あんたを助けることになるなんてよ」

「そんなものまで作ったのか」


 ルーグの話を聞いて、クロードは渋面になる。


(そして……私よりずっと強い。確かに皮肉だ)


 息子は自分に反発を抱きつつも、完全に切り捨てられないから、自分をモデルにした理想像の父を作ったのだろうと思うと、複雑な気分だった。


「もう戦えないぜ。今起きて、無理したばっかりでよ」


 キンサンが床に尻もちをつく。


「おのれ……」


 痛みの原因である王蠍を睨むミラジャ。しかしどうにも出来ない。ミラジャ自身の消耗も激しく、王蠍が周囲に撒き散らす激痛の毒素に抗えない。


 決着がついたミラジャとクロードの戦いに目をくれることなく、サーレとチャバックも攻防を続けている。


 サーレが超低温の冷気の塊をチャバックに放つが、冷気の塊を形成する魔力が吸い取られ、チャバックに届く前に消えた。


「またか。君のその魔力を吸い取る魔法は、中々厄介だよ」


 笑みを消したサーレが、忌々しげにシクラメを睨む。


 直後、不可視の刺突がサーレを襲う。サーレの魔力の防護も突き抜け、左足の付け根に大穴を開ける。

 自分に向かって中指を立てているアザミを一瞥するサーレ。


「ケッ、再生速度早えーな」


 すぐに元通りになったサーレを見て、アザミが言った。


「サーレ様!」


 サーレの方が不利と見て、クロードが加勢に入ろうとする。


「おっと。いかせねーよ」


 アザミがクロードに向かって中指を立て、魔力の刺突を繰り出した。


「邪魔だ!」


 魔力の刺突をかわしたクロードが、アザミに向けて黒槍を射出したが、黒槍の魔力をシクラメが吸い取り、黒槍は消滅する。


(これで一対一になった。魔王サーレもそれなりに消耗している)


 アザミとシクラメがクロード相手をすることで、チャバックと共にサーレと戦えない今が好機であると、ミラジャは見た。


「勇者様……今こそ切り札をっ」


 耐え難い痛みを受けて蹲ったまま、ミラジャが声を振り絞る。


「命の輪に蓄えられた全ての力を取り入れ――解放をっ」

「う、うん……」


 ミラジャに促され、チャバックは力の全てを剣に注ぎ込む。


「へえ、魔王城に大穴を開けたあの攻撃を使うのか」


 かつてないほどの大きさの緑色のオーラが立ち上る様を見て、サーレが興味深そうに微笑む。


「そうだね。お互いに、あと一手という所まで来て、こっちも切り札を抜く展開になれば盛り上がるけど、残念ながら君と違って、僕にはまだまだ余力があるよ。そしてそんな状態で切り札を切っていいのかな? 追い詰められて、いちかばちかに賭けるしか、もう無くなったということかな?」

(強がりだな。戦いの趨勢は、どう見てもチャバックに傾いている。おまけにシクラメとアザミもいる)


 サーレの言葉を聞いて、ルーグはミヤを見た。この期に及んで、未だミヤは動こうとしない。


(ミヤ様は何を考えておられる? 俺は動かなくていいのか? ディーグルも姿を現そうとしない)


 ミヤの考えを計りかねるので、取り敢えずクロードの手助けしようと、ルーグはそちらの方に回った。


 チャバックに命の輪の力の全てが注ぎ込まれる。サーレは手出ししようとせずに見守る。


 チャバックの剣が振られる。剣より怒涛の勢いで、緑の光が放たれた。


 サーレは持てる力を防御に全て注ぎ込み、緑の光を受け止めた。

 緑の光はしばらく放射し続けていたが、やがて消えた。


 サーレは全身から脂汗を流し、荒い息をついていた。かなりの力を消耗したが、チャバックの最大の攻撃を見事に防ぎ切った。


 力を使い果たして崩れ落ちるチャバック


「確かに強かった。でも、残念ながら届かなかったね」


 サーレが微笑む。あとはとどめを刺すだけだ。


「にゃんこ師匠……まだ動かないの?」

「あの婆、このままチャバックを死なせる気?」


 スィーニーとノアがミヤを見る。


 ミヤも流石に黙って見ていられず、動こうとしたその時だった。


「悪いが、本当の切り札は俺の手にあるんだなァ、これが」


 声をあげたのは嬲り神だった。


「チャバックは死なせないぜぇ。これで終わりにもさせねえ」

『嬲り神さん、もしチャバックがピンチになったら、遠慮なく僕を連れて行ってね』


 嬲り神が言った直後、少し歪な響きの声が響く。


「この声は……ジヘ?」


 チャバックはその声を覚えていた。


「前にあいつが俺に向けて言った台詞だ。あいつと俺とで交わした約束と言ってもいい。てなわけで、遠慮せず呼ぶとしよう。うん。連れていくんじゃなくて、呼び出す感じだな」


 嬲り神が言った直後、ジヘが嬲り神の横に現れる。


「嬲り神……お前はっ……。あの時と同じことをっ……」


 ミヤが嬲り神を睨みつけ、毛を逆立て、しゃーっと猫特有の威嚇声をあげる。


(うわ、婆が滅茶苦茶怒っている。しゃーしてるし)


 ノアが物珍しそうにミヤを見る。


「おいおい、怒るなよ、ミヤ。それがあの時のヨブの望みであり、きっとロジオの望みだった。そしてジヘの望みであり、きっとチャバックも受け入れる」


 そう言って嬲り神はジヘを見た。


「ジヘ、今こそチャバックを救う時だ。覚悟はいいか?」

「いいけど、どうすればいいの?」

「何もしなくてもいい。チャバックに吸収され、ジヘという個が失われることを、覚悟すればいい」

「それって……」

「ジヘは死ぬことになるんじゃないか」


 スィーニーが絶句し、ユーリが半眼になって断言した。


「お鼠様を取り込んだジャン・アンリと同じことを……」


 ユーリが嬲り神を憎々しげに睨む。


「そんなことは断じて許せない」


 珍しく嬲り神に対して、強い怒りを抱くユーリ。


「同じ魂なんだよ。片方の命は消えるが、心が消滅するわけじゃない。ただし、ジヘが拒むなら、話は別だ」


 嬲り神が笑う。


「拒まないよ。同じ魂を持つ自分なんだ。一つになることで――」

「嫌だよ! そんなの駄目だよ! オイラは断じて嫌だっ!」


 ジヘは覚悟を決めていたが、チャバックは拒んだ。


「ふん。目論見が外れたね、嬲り神」

「そうかぁ? この窮地をこの手以外でどう切り抜けるってんだ?」


 ミヤが鼻を鳴らすと、嬲り神はにやにや笑いながら問いかける。


(我々を送り届けてくれたあの男が、力をくれようとしたが、ネロは拒んだという流れ――でいいのか? よくわからんが)

(あの者達は何のやりとりをしてるんだ?)


 ミラジャとクロードには何がなんだかわからなかった。


「ふう……外野のやり取りは半分くらいしかわからないけど、そろそろとどめをさすよ」


 状況を見守っていたサーレだが、何かしら大きく状況が動くわけでもないと見て、チャバックにとどめをさすことに決める。


(待っててくれたサーレ優しいっ)


 ミヤの中で歓声をあげるイヴォンヌ。


「いんや、悪いがそうはさせないよ」


 動こうとするサーレの前に、ミヤがチャバックをかばうような格好で立ちはだかった。

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