32-35 図書館亀の誘い
「また強そうなのが出てきたね……」
「もうこっちはぼろぼろだし、とても戦えない。魔力もほぼ空っぽ」
「ゲッゲゲゲッ」
ユーリ、ノア、ペンギンロボの三名が、クロードを見て絶望する。クロード一人であり、部下は連れていない。
「ここまでなのかな……」
ユーリが呟く。中庭では未だに戦闘が続いているが、勇者軍の方が明らかに優勢だ。しかし彼等が勝利しても、三将軍の一人であるクロードに勝てるとも思えない。
(人喰い絵本を消せず、ダァグ・アァアアを止められず……セントを連れてくる事も出来ず、師匠を助ける事も出来ず、何出来ないままで……僕は死ぬのか)
悔しくて涙が出そうになったユーリであったが、クロードの前の空間が裂け、一人の少女が現れる光景を見て、絶望は希望へと変わった。
「二人共よく頑張ったのー。ヴ・ゼヴウに勝つなんてすごいのー。ムルルンも嬉しいのー」
ユーリとノアを見て、ムルルンがにっこりと笑う。
「もしかしてずっと見てたの?」
「そうなのー。ミヤ様に言われていたのー。危なくなったらすぐ助けに入れるようにしていたのー」
ノアが問うと、ムルルンが頷く。
(師匠は魔王の妃役だから、魔族サイドの動きも把握できる。そっち側から僕達を援助できるよう、手を回していてくれたわけか)
ミヤは離れた場所からでも、自分達のことを色々と配慮して動いていた事実を知り、ユーリは師匠に感謝すると同時に、自分が不甲斐なくも感じていた。
「アルレンティス……。どういうつもりだ?」
クロードがムルルンを睨む。
「ユーリとノアに手出しするなら、ムルルンは父上とも相対するのー」
ムルルンがいつになくシリアスな表情で、クロードに向かってはっきり告げる。
「いくらお前でも、勇者軍の味方をするなど許せんぞ」
クロードが険しい顔で、ムルルンを睨みつける。
「この二人は勇者軍とは違うのー」
「何を馬鹿な。たった今ヴ・ゼヴウを殺害したではないか」
ムルルンの言葉を聞いて、クロードはますます険しい顔になった。
「それは向こうが襲ってきたからだよ」
ノアが適当なことを言って誤魔化す。
(お取込み中の所、ちょっと失礼しますのん)
図書館亀がクロードに念話を入れてきた。
(その二人は坩堝を扱える素質がありますのん。殺さない方がいいですよん)
(何だと……)
(これから夢の世界へと誘いますわん)
図書館亀の言葉を聞き、思案顏になるクロード。
「どうしたんだろ。戦意が消えた」
「誰かと念話しているみたいだね」
クロードの様子を見て、ノアとユーリが囁き合う。
「あ、そうだ。婆がこの城にいるなら、距離近いから念話できるんじゃない?」
「やってみよう。魔力がもう少し回復したらね」
ノアの提案を受け、ユーリが苦笑気味に言った。
不意にムルルンが、ノアの頭をぽんぽんと叩く。
「今、疲れてはいるけど、落ち込んではいないよ」
ノアがムルルンを見上げて微笑む。
「そうなのー? 何かちょっとがっかりしているように見えたのー」
「あ、でもそのぽんぽんは続けて。凄く落ち着く」
和みの表情になるノア。
「空間が歪んでいるのー。門が開くのー」
ムルルンの発言を聞き、ユーリとノアがムルルンの視線の先を見ると、空間の門が開き、中から図書館亀が現れる。
「お久しぶりですねん。どうぞ、この門をくぐってくださいなん」
「ブエェェ」
「いきなり現れて何?」
恭しく一礼する図書館亀に、ペンギンロボも同様の仕草で頭を垂れ、ノアは不審がる。
「坩堝に招待しますよん。まだ十分に蓄積したとは言い難いですが、それでも坩堝は扱える水準に達しましたのん。管理人は不在ですが、小生が扱ってもよいと、許可を取ってありますのん」
「えっ!?」
図書館亀の話を聞いて、ノアが思わず大声をあげてしまう。
(坩堝って……魔王を創るあれだろ。それが扱える水準に達したってことは……)
ノアの心臓が期待に高鳴る。
「魔王になる力、興味はありませんのん?」
ノアの期待を見抜いたかのように、図書館亀は口元に微笑を浮かべて問いかけた。
***
ウスグモ、キンサン、ミラジャと勇者軍を相手にして、サーレは一人で戦っている。ミヤは見物モードだ。
勇者軍の命の輪をつけた兵士達が、次から次と高速で吹き飛ばされ、柱に、天井に、壁に激突する。兵士達は全身から血と臓物と砕けた骨をぶちまけ、柱に、天井に、壁に、平たくなってへばりついた。
「蛙を壁に投げつけて潰して遊んでるつもりかよっ」
キンサンがそれを見て激昂し、大量の桜の木を呼び出し、ホール内に線分を巻き起こす。
キンサンの桜吹雪がホール一面に舞い狂い、サーレめがけて一斉に降り注ぐ。
そのタイミングに合わせて、ウスグモが巨大猫を次々と呼び出し、サーレに向かわせる。
サーレが人差し指を立てる。その所作に合わせて、ホールの旋風がぴたりと止んだ。桜の木は空中に制止したかと思うと、見る見るうちに枯れて萎んでいき、最後は灰のようになって消滅した。巨大猫の大群は、床から生えた氷柱によって貫かれ、尽く果てていく。
「べらぼうめ……まるで歯が立たねえなあ」
「ここまで強大な力の持ち主だったなんて……。魔王の名は伊達じゃないってわけね……」
魔王との圧倒的な力の差を見せつけられ、キンサンとウスグモは戦意が揺らいでいた。
「臆するな! 例え敵わなくとも、我等の命を使って、少しでも魔王の力を削ぐのだ!」
ミラジャが剣を高々と上げて檄を飛ばす。
「ふん、気に入らないノリだね」
「だね。自分に酔っているのかな? それとも僕を殺すことの執念のあまりかな?」
不機嫌そうに吐き捨てるミヤに、サーレは屈託のない笑みを広げて同意した。
「食らえ! 魔王サーレ!」
ミラジャが叫び、神炎を渦巻き状にして放つ。
「憎しみたっぷり、怒りたっぶり。僕、彼女に何かしたかな?」
笑みを張り付かせたまま、サーレは人差し指を親指で弾く。
刹那、魔力の奔流が神炎を全て押し流し、その先にいるミラジャも飲み込んで、ホールの壁に大穴を開けた。
「おい! ミラジャ!」
「何とか……大丈夫だ」
キンサンが叫ぶと、壁に開いた穴の中から、全身を聖泥で包んだミラジャが現れた。
「三人で一斉にかかるぞ!」
「おうよっ」
「勇者様がいない今、ここで力を出し尽くしていいの?」
ミラジャが闘志を燃やして叫び、キンサンもそれに呼応するが、ウスグモはミラジャの判断が間違っているようにしか思えなかった。
(ミラジャ、まるで取り憑かれているかのように……。魔王の魔法にでもかかっているの? いや、そんなせせこましい手を使うまでもないほど、力の差は開いている)
ミラジャの妄執を見て、ウスグモが疑念を抱くが、この土壇場で躊躇しているわけにもいかない。ミラジャに従う形で、攻撃に移行する。
キンサンが特大の桜の木を呼び出して、サーレの頭上から落とす。
ウスグモは胴体が蛇のように伸びた奇怪な猫を、サーレに向かわせる。
ミラジャが巨大な泥の塊に炎を加えた溶岩泥を作り上げ、回転させながらサーレに飛ばす。
サーレの顔から微笑は消えなかった。
桜の木がばらばらに弾け飛び、猫の胴体は徹底的に薄く輪切りにされ、溶岩泥は凍り付いて落下して割れた。
三人が揃って口を半開きにして目を丸くし、呆然とした顔でサーレを見る。サーレは悠然と三人を見返している。
(こいつは……ネロでもかなわねーんじゃねえか?)
思わずキンサンはそう思ってしまう。
「じゃ、次は僕から行くね」
笑顔の魔王が宣言した瞬間、キンサンとウスグモの背筋が凍り付いた。自分に殺気が向けられていることを感じ取ったのだ。
サーレが片腕を軽く払う。その所作に合わせて、電撃の網が球場になってキンサンとウスグモを囲んだかと思うと、電撃の網が瞬時に狭まり、二人に電撃を浴びせた。
同時に倒れる二人。
「おや、二人ともまだ生きている。流石は勇者の仲間。御褒美にもうちょっとだけ生かしてあげようかな?」
倒れたウスグモとキンサンを見て、サーレが涼しい顔で言う。
ミラジャは絶句して立ち尽くしていた。あれだけ漲っていた闘志も、サーレの力を見せつけられて、きれいさっぱり消えていた。闘志の代わりに、恐怖と絶望がミラジャを支配していた。
(馬鹿な子だね、こいつは)
硬直しているミラジャを見て、ミヤは呆れていた。
(実際にはそれほど余裕というわけでもない。サーレはそう演出しているだけだ。サーレは攻撃するにも防御するにも、自身に内在する魔力量に比して、それなりの魔力を消耗している。それを事も無げにやっているように、見せかけているだけの話さね。サーレの笑顔と軽い所作に騙されて、余裕で戦っているかのように、力の差の開きが絶望的であるかのように、思い込まされている)
(それを見抜くミヤは流石だねっ)
冷静に分析したミヤに、イヴォンヌが感心する。
(でもこの絶対強者演出って、効果覿面でしょー)
(まあね)
自慢げに言うイヴォンヌに、頷くミヤ。
(恐怖は緊張をもたらすために、必要でもあるが、過度の恐怖は身をすくませるだけだからね。あいつらだって歴戦の強者だろうし、それはわかっているだろうに)
ミヤがそう思った三秒後、サーレがミラジャに攻撃しようとしたその時だった。
「待てーっ!」
ホールの脇の廊下から、叫び声が響く。
廊下の方へと視線が集中する。廊下から、チャバックとスィーニーの二人が駆けてきた。ディーグルの姿は無い。
「勇者様!」
「やあ勇者ネロ。こないだぶり。実に丁度いい所で、僕の前に現れたね」
ミラジャがチャバックを見て叫び、サーレは笑顔で迎える。
(ネロがこのタイミングでここに来たとして……この魔王サーレに、果たして敵うのか? 無理なのではないか?)
ミラジャは疑問を抱いていた。希望と絶望が彼女の中に同時に沸き起こっていた。先程のサーレの絶対的強者演出にあてられて、勇者ネロでも到底敵わないのではないかと、そう思い込んでしまっていた。
(ここまで来たというのに、私達は……私は負けるのか? 目の前に魔王がいるというのに、魔族に復讐できるというのに……。糞っ、畜生っ! 私の役立たず! 無能!)
もう勝てないという思い込みに囚われ、ミラジャは悔しさのあまり歯軋りする。
(いや、私だけが悪いのではない。キンサンとウスグモもだ! あっさり魔王にのされて、何だあの非力さは!)
倒れている兄妹を恨めしげに見るミラジャ。
「君の仲間、どうにも歯応えが無くてね。君はどうなんだろう? 人間世界の多くの国々をまとめ、ここまで攻め込んできたことは評価に値するけど、僕に手も足も出ないのでは、その努力も無意味のまま終焉を迎えることになるよ?」
笑顔のまま語るサーレに、チャバックは無言で剣を構える。
チャバックの全身から緑色のオーラが立ち上る様を見て、ミラジャは息を飲む。スィーニーは無言でチャバックから離れる。
(さて、このまま両者のぶつかり合いを黙って見ているわけにはいかないが、取り敢えず少しだけ様子見だ)
危なくなったら即座に助けに入るつもりで、ミヤは身構えていた。
(もしもし、よろしいですかなん?)
その時、ミヤの頭の中に声が響いた。図書館亀の声だ。
(ミヤ様、御足労願いますねん)
(今、手が離せない場面だよ。後にしな)
(これからミヤ様のお弟子さん二名を、夢の世界に誘いましたわん。坩堝を前にして、選択していただきますのん。ミヤ様にも立ち会って頂きますよん)
(はあ?)
ミヤの言い分などまるで聞く気が無く、図書館亀が一方的に告げる。
(いい所だというのに、ここで席を外せというのか。お前は随分と間の悪い奴だよ)
(それならダァグ・アァアアに頼んで、絵本の進行の時間を一時的に止めておきますのん)
図書館亀の言葉を聞いて、ミヤは驚いた。
(そんなことも出来るのかい……。時間停止とは恐れ入ったね)
(ただし停止された時間は、停止されているが故に、誰にも干渉はできませんのう。ダァグ・アァアアでさえ無理ですのん。時間停止を利用して他者を攻撃等は不可能ですねん)
図書館亀がそこまで説明した所で、ミヤの周囲の全てが停止した。
サーレもチャバックもミラジャもスィーニーも、皆固まっている。チャバックが放つ緑色のオーラも一切揺らがない。
停まった世界の中で、ミヤの体が静かに空中に浮き上がる。
ミヤは自分の体が無重力化している事に気付く、魔法で固定する。そして体内に魔法で空気を運ぶ。
(空気の流れまで停止してしまっているから、呼吸が難しいよ。そして音が響くこともないから、声も出せない。おまけに重力も摩擦も消えている。熱伝導も無いから、どんどん寒くなってきてるし)
時間が停止したということは、あらゆる力の動きが停止しているという事だ。もしこの停まった世界の中で動けたとしたら、常人なら無重力の中で吹っ飛んでいき、そう長くないうちに凍死するか、窒息死するかだろう。
ミヤの周囲の空間が歪む。ミヤが歪みの中に引きずり込まれた。
闇の中に煌めく星々。夢の世界。ミヤが何度も見た光景が広がっている。そして目の前には図書館亀がいる。
「何故この中途半端なタイミングなんだい? どういう意図があるんだい?」
ミヤが不機嫌そうに図書館亀に問う。
「小生は可能性の追求をしておりますのん。ミヤ様はタイミングに不服があるようでございますが、小生は今こそ、新たな魔王が生み出される良い機であると判断しましたのん」
恭しく頭を垂れて、図書館亀は主張する。
「しかし選択するのは、あくまで坩堝と向かい合った者ですねん」
頭を上げた図書館亀が、その時一瞬嘲り笑ったかのように、ミヤの目には映った。




