32-30 抱きしめられたいフェチ
嬲り神が目をつけたのは、図書館亀によって偽りの天啓を受けた、ミラジャという女性だった。
ミラジャに目をつけた理由は単純だ。最も操りやすいと踏んだ。聡明なように見えて、目的のために近視眼的になるタイプと見た。現に図書館亀にあっさりと操られていた。
両者が出会ったのは、ミラジャがネロを勇者として祀り上げて間もない頃だ。
「怪しい奴だな。魔族の側の者ではないのか?」
初めて嬲り神を目にしたミラジャが、警戒心と不信感たっぷりに言い放つ。
「怪しいとか不潔ってのはよく言われるぜ~。しかし魔族ってのは違うかなぁ。俺は神様だぜ~?」
「邪神の類か」
敵意は無いので剣は抜かないが、警戒は解かないミラジャ。
「ま、俺の素性はともかくとして――」
「素性の知れぬ怪しい輩の用件など聞きたくも無い」
「図書館亀の言葉は聞いたのにか? 頭の中に響く怪しい言葉を、天啓だと信じて従ったおめでたい奴が、よく言うなァ~。こいつは傑作だわ」
嬲り神の指摘を受け、ミラジャは微かに頬を紅潮させた。
「貴様……」
「ま、俺もあの亀公サイドにいると言っておこうか。そしてこれから魔王と戦う聖女様に、いい話を持ってきた」
嬲り神が声のトーンを少し押さえる。
「いくら勇者様だろうが聖女様だろうが、このまま魔王と戦った所で、お空の上にいる魔王に手も足も出ない。それは考えたことはないか?」
「空に行く手立てを考えねば、一方的にやられるだけか。確かにその通りだ。しかし私達四人だけであれば、空に入ることも出来なくもない」
「たった四人で魔王城に侵入して、中にいる魔王軍と戦うのか? それとも魔王を暗殺するのか? 冗談よせよ。現実的じゃねーだろ」
ミラジャのプランを聞いて、肩をすくめる嬲り神。
「一軍まるごと城内に突入させねーとな。その方法がある。そいつを伝えにきた。俺にはその力があると言っておいてやるぜ」
この時点で、ミラジャはようやく嬲り神の話にまともに耳を傾ける気になった。
「さて、俺を信じて話に乗るか? 疑わしいと突っぱねるか? 好きにしていいぜ」
「保障は欲しい所だ」
「しゃーねえなあ」
ミラジャの要求を受け、嬲り神が頭をかき、指を鳴らす。
何も無い空間に、図書館亀が出現する。
「この方を疑わしく思うのは当然ですが、この件に関しては信じていいですねん」
図書館亀が恭しく一礼して告げた。
「わかった。信じよう」
「ははは、図書館亀だって嘘ついてたらどーすんだって話だけど、こいつのことは信じるんだな」
「実際に力を授けてくれた相手だからな」
嘲笑う嬲り神に、ミラジャは信じると言ったにも関わらず、未だ懐疑的な視線を向けていた。
***
降りしきる豪雨によって、視界は遮られている。
痛いほどの雨粒が絶え間なく兵士達を襲い、彼等の動きそのものを鈍くする。さらには地面が泥となって、ぬかるみに足が捉われてしまう。
そんな兵士達に、有翼魔族達が空から遠距離攻撃を仕掛ける。これまでと比べ、防ぎづらく、かわしにくくなっている。空から近接攻撃を仕掛ける魔族も、泥に足を取られた人間の兵士をさくさくと斃せるようになった。
魔族達は予め体に耐水仕様のオイルを塗っていたので、雨粒は適度に弾いている。
雨だけではない。武装した兵士がよろめくほどの猛烈な突風も吹く。しかもこれは地上のみ狙って吹いて、魔族がいる場所には吹かないようコントロールされた突風だ。
地面が直径10メートルほどの円状の赤い光に覆われる。それを見た魔族達は大急ぎで飛び去る。
「どうした? 魔族が急に逃げていったぞ?」
「何か足元が光っているような?」
「本当だ。まさか、ここに何か起こるから、逃げて……」
「うわあああーっ!」
「何だごれぇぇええぇげぇえぇえ!」
赤い光の中にいる兵士達が言葉を交わし合っていると、竜巻が巻き起こり、兵士達を空中高くに舞い上げた。
発生したのは竜巻だけではない。赤い光に向かって雷が落ち、直雷撃と即雷撃によって、兵士達が次々と倒れていく。これまでは魔族に近い場所には雷は避けていたが、事前に赤い光で報せて、魔族を逃してから、最前線にも雷が落ちるようになった。
竜巻や雷による死傷者は、全体から見れば大した数ではない。しかし竜巻が巻き起こり、雷が次々と落ちる様を、すぐ側で見た兵士達は少ながらず及び腰になっていた。巨大岩の投石よりも、精神的に与えるインパクトがずっと強い。
赤い光に地面が覆われたら攻撃の予兆だということは、当然魔族側には事前に通達されている。しかし連合国側にその情報を伝達させるには時間がかかる。それまでに被害は出続ける。
「凄い魔法だ……」
「魔術かもしれないけど、いずれにしても凄い魔力が働いている」
魔王による天候操作の魔法を見て、ユーリとノアが呻く。
そこに、嬲り神が現れた。
「よっ、今が好機だぜ~。サーレの魔法のおかげで、視界がいい感じに遮られていやがる。気付かれることなく、空間の扉を開くには丁度いい塩梅ってもんだ」
へらへら笑いながら片手をあげる嬲り神。
「この時のために、俺は裏方として一生懸命頑張って仕掛けを施していたんだ。褒めてくれよ。抱きしめてくれよ。誰でもいいから俺をハグしてくれ。それが俺への報酬だぁ~」
「褒めるのはともかく、抱きしめるのは嫌だよ。汚い」
嬲り神の要求を聞き、ノアが真っ先に拒んだ。
「ノアは薄情だなァ、ま、それがノアのいい所だが。ユーリとチャバックはどうだァ?」
「あううう……抱きしめる?」
(皆が見てる前ではね……)
嬲り神が伺うが、チャパックもユーリも渋面になっている。
「まず風呂に入ったら? それとゴミだらけなのもイミフなんよ。そんなナリして抱きしめろって言って、わざとそういうことして、嫌がられる反応伺って楽しんでるじゃんよ。アホかと」
スィーニーが冷めた口調で告げる。もっともだと、その場にいる何人もがスィーニーの言葉に同意していた。
「へっ、けったいな野郎だぜ。おう、ウスグモ、抱きしめるだけでいいらしいから、してやってくんな」
「嫌よ。兄さんがすればいいでしょ」
キンサンの要求を即座に拒むウスグモ。
「誰もしてくれねーのかよ。ひでえなあ、お前等。薄情だなあ。あーあ、俺はタダ働きだあ」
「今そんなことしてる場合じゃないでしょ。さっさと空間の門とやらを開きなっての」
おどけた声をあげる嬲り神に、スィーニーが言った。
「ねえミラジャ、この男を信じていいの?」
「信じない方がいい相手だけど、この局面で嘘をつくと思えない」
ウスグモが伺うと、ミラジャは小さく肩をすくめて答えた。ミラジャにしては珍しいジェスチャーだった。
(正直私も今の今まで疑っていたが、どうやらこの男は約束を果たしてくれたようだな)
嬲り神を見ながらミラジャは思う。
「さーてとー、スィーニーが怒ってるみてーだし、お喋りはここまでだ。勇者軍の準備を整えろ。すぐに突入できるようにな。空間の扉もそう長くは開いておけないぞ。何しろデカい扉だし、魔王軍に気付かれないとも思えねーしな。よーし、開くぞ~。はいはいっはいっ♪ おーぷぅん~ざぁげーとー♪」
嬲り神が歌うと、巨大な空間の裂け目が出現した。一度に数人は入れるサイズだ。
「あの門をくぐれば、魔王城の中だ!」
ミラジャが勇者軍を見渡して告げる。
「よし、皆行こう!」
『おーっ!』
ミラジャに促されるまでもなく、チャバックが自発的に勇者軍に呼びかけると、命の輪を装着した勇者軍が歓声をあげた。
ミラジャ、キンサン、ウスグモの順番に空間の門に飛び込み、チャバック、ユーリ、ノア、スィーニーが続く。そしてその後に勇者軍の兵士達が続いた。
***
空に浮かぶ魔王城からは、地上に降りしきる豪雨、あちこちに発生する竜巻とそれに飛ばされる人間達、連続して落ちる雷の様子が、はっきりと見えた。
「おおおお、これが魔王サーレ様のお力であるか」
「はあ……すげえなあ。次元が違いすぎて嫉妬もしない」
「直接的な被害だけではない。敵兵に恐怖を与え付ける効果もある。魔王様はそこまで計算されている」
天候魔法を用いるサーレに、ヴ・ゼヴウ、セイン、クロードが感嘆する。
「確かに大したもんだよ。これだけ広範囲に、しかも継続して魔法をかけるには、膨大な魔力を必要とするだろうに」
ミヤも感心して称賛するが、その一方で、ある事実にも気付いていた。
(サーレの魔力だけでは、天候を操作する大魔法を、こうも広範囲に長時間持続できるはずがないよ。この男がどれほどの魔力を秘めているかは、儂も大体はわかっているからね。おそらく事前に蓄えてあった魔力を利用しているんだろうさ)
ミヤ的には、そのような準備もしっかりと行っていた事の方が、評価に値する。サーレは自身が膨大な魔力を有しているかのように演出したいのであろうし、ミヤがそれを配下達のいる前で指摘したりはしない。
「素敵な気分だね。胸がすくむよ」
サーレが地上に視線を向けたまま、いつもと違う笑みを浮かべて言った。
三将軍も、サーレの様子がいつもと異なる事実に気付いた。歪んだ笑みを浮かべ、昏い瞳をしていた。憎悪と狂喜が確かにそこに存在していた。
「僕さ、人間を殺すと、とても気持ち良いと感じるんだ。魔王になってから、そう感じるように僕の心が変わってしまった。とても喜ばしい変化だ」
朗々とした声で語るサーレ。
「因果応報、やったからやり返されているだけだよ。世界は僕を貶めた。だから今度は世界がやり返されている。それだけの話だよ。これは自己責任さ。人類社会はあらぬ罪で、僕を裁き殺そうとした。でも魔族はそんな僕を助け、受け入れてくれた」
それは誰に向かって語り掛けているものなのか。この場にいる三将軍とミヤとイヴォンヌに対してか。あるいは今正に自分が殺している人間の兵士達に向けてか。サーレ以外の誰にもわからなかった。
「罪には罰を。人類社会は罰を受けなくてはならない。如何なる釈明も聞き入れない。一片も同情の余地は無い。君達は悪だ。認めたくないかい? でもこれが道理なんだ。君達がどう思おうと、僕は君達を許さないよ」
(ふん、魔王らしい一面をやっと垣間見せたという所か。しかし……それは本気で言っているのかい? わざわざ口に出している時点で、違うだろ)
これまで常に清々しく振舞っていたサーレが、ここにきて自分の昏い心をさらけ出す様を見て、ミヤは哀れみに似た感情を抱く。
(此奴は揺らいでおる。復讐心だけではない。強い迷いも同時にある)
ミヤはサーレに対し、そう確信していた。
(現時点で、サーレは自分が魔王になっちゃったことや、人間の世界を滅ぼそうとしていることに、抵抗もあるってこと?)
ミヤの考えが伝わり、イヴォンヌが尋ねる。
(そうかもね。それはおそらく――小さな棘のようなものさね。完全に人間への想いを失くしたわけじゃあないんだ。負の感情だけで染まっていないんだろうさ。それが迷いに繋がっている)
(ふーん……ミヤもそうだったから、サーレのことがわかるのかしら? それで結局ミヤも魔王辞めちゃったと?)
(儂のことなんてどうでもいいんだよ。そして儂は、別に魔王を辞めてはおらんよ)
イヴォンヌがからかうように指摘すると、ミヤは不機嫌そうに言い返した。
(お前はどう思っているんだい? イヴォンヌ)
(私はサーレを止めたいと思わない。サーレが憎むなら私も憎む。地獄に堕ちるなら一緒に堕ちる)
ミヤに問われると、イヴォンヌは決然と言い放つ。
(それは思考停止であり、ただの追従とも取れてしまうね)
(そうじゃない。私だってサーレが明らかに誤ったことをして、それで破滅に向かうなら止めるよ)
ミヤの言葉を聞いて、イヴォンヌは少し気分を害しつつ反論する。
(でもさ、彼が人間を憎む気持ちは何もおかしいことじゃない。間違ってもいない。私も同じ気持ちだよ。止めたくない。うーん、この気持ち、ミヤにはわからないかなあ?)
(はっ、そうかい。わからないし、わかりたくもないが――まあ、お前はそういうタイプの女だということで、納得しておくさ)
自分であれば、どんなに大事な者であろうと、誤った道に向かうのであれば全力で止める。そう思う一方で、ミヤはかつての自分の配下である八人の幹部のことを思いだす。
(ブラッシーとアルレンティスは、イヴォンヌと同じタイプなんだろう。主である儂の決定についてきた。ディーグルは逆だね。儂が人類社会との戦争を辞めた事には反対しなかったが、ア・ドウモから手を引くことに関しては反対し、儂と道を違えた。他の五人に至っては、儂が人との戦いを辞めた事にも反発し、勝手に戦いを継続しようとした)
そしてミヤ自身も、自分背を向けた六人と同じタイプであると自覚する。




