5-5 勝利を手放し、屈従もしなくてはならない、その悔しさよ
ノアは喜悦に酔っていた。笑みが自然と込み上げる。
「あははははははっ! ついに、ついにやったよ! 母さんに勝った! ぶち殺してやった! あはははははは!」
哄笑をあげるノアであったが、急に声が止まる。
周囲を見回す。未だ海岸にいる。変化の兆しは無い。絵本の世界のままだ。
(母さんをやっつけたにも関わらず、絵本から出られない?)
主人公が侵略者たる人間の狩人の頭目を倒しても、それで物語は終わりではないという事に、嫌でも気付かされる。その先があるのだ。
(絵本の物語の……先を考えろ。この主人公はまるで俺だ。俺そっくり、俺そのものだ……。俺はどうやって物語を〆た?)
思案しながら、ノアは件の像の元へと赴く。
「ステラ族が封印で、封印が解けて武器は解放された。でも君は封印されたままなの?」
『最期に残った君も死ねば、私も復活できるよ。しかし……私もステラ族の影響で、心を蝕まれた。冷えきっていた私の心が、温かくなってしまった。だから……君を騙して死なせて、蘇る気にはならない』
ノアが問いかけると、忌み神の像は穏やかな声で答えた。
『君もせいぜい気を付ける事だ。今の君の心は闇で満たされているようだが、光は容易く闇を浸蝕する。蹂躙する。冒し尽くす』
ノアは忌み神の像の警句の意味が理解できなかったし、理解したいとも思わなかった。
ふと、ノアは崖の上を見る。
貴族が一人生きている。先程魂をミクトラのルビーに引きずり込み、そして解放した、あの貴族の当主だ。
魂を解放したら肉体に戻って復活した。魂を引きずり込んだ時間が短かったせいで、肉体が死に切れていなかったのだ。
(母さんの魂は、閉じ込められている。しかし解放すれば、蘇る?)
そう思った矢先――
「やっちゃった~♪ やっちゃった~♪ 大嫌いなお母さんをとうとう殺っちゃった~♪ でも気分はすっきりいい気分~♪ おーいぇー♪」
上機嫌の嬲り神が歌いながら、ノアの前に現れる。
「冥府の神は、現世では力が制限される。そのための魂獄紅玉なんだ。それは冥府の力の一部を現世に出す事が出来る。しかし冥府の神は失敗して、封じられてしまったのさ」
嬲り神が忌み神の情報を付け加える。
「お前、その母親を殺したかったんだよな~」
「知ってたの?」
嬲り神の指摘を受け、ノアはある疑いを抱いた。知っていてなお、自分達を選んでこの世界に引きずり込んだのではないかと。
「母親の方はともかく、息子の……いや、娘の方は、殺気が漲ってたもんよ」
肩をすくめる嬲り神。
「このままじゃ、物語は進行しないぞ? 殺し合ってどちらがか勝てば、それでめでたしめでたしにならない。いや、俺がそうはさせねーから。ふへへへ」
嬲り神の言葉を聞き、苛立ちを覚えるノア。喋り方も、表情の作り方も、話している内容も、全てが不快だった。
「じゃあどうすればいいのさ……」
「さあどうだろうねえ。腐った脳みそを頑張ってフル回転させて考えろよ。それほど難しい答えではないと思うぜ~?」
(ああ……わかっちゃった……)
魂を失い、横たわる母の体を見て、ノアはこの後どうすればいいのか、勘づいてしまった。
「ふざけるなよ……。せっかく勝ったのに、母さんをやっつけたのに、それをまた俺の手で蘇らせろっての?」
「嫌ならずっとこの絵本の中で過ごすってのもありだぜ~? 好きにしろよ」
悔しげに顔を歪めるノアを見て、嬲り神はからかうように言い捨てる。
「この絵本の結末も教えてやる。ステラ族の変わり者の主人公は、狩人の頭目ポポフに殺されるんだ。しかしそのおかげで冥府の神が復活して、ポポフ達も皆殺される。この地には怨嗟だけが残り、おかげで冥府の神は再び心を闇に支配され、魂獄紅玉を大量に造る。冥府の神の復讐が始まり、世界は闇に包まれる。馬鹿な人間達が、封印代わりのステラ族を滅ぼしたおかげで、そうなっちまうのさ~。これぞ因果応報よ」
「でも今はそうではなくなった。人喰い絵本はその話を変えたくて、俺達を引きずり込んだの? それとも嬲り神、君の意思?」
「どうだかな~? あ、どうだかな~♪ どうだったかどうでしょな~♪ あ、ほいほい♪」
ノアの指摘に、嬲り神はとぼけて歌いだす。
「母さんを甦らして……ポポフと主人公が仲直りして、それでハッピーエンドだとでもいうの? 凄く馬鹿馬鹿しいシナリオになるよ?」
「うーん……試してみないとな。正直、それで正解かどうかは俺にもわからん。もう一つ何かアクションがいると思うわ。つか、仲直りってのは無理があるだろ。仲間殺されまくってるのによ」
嬲り神のいうことももっともだと、ノアは思った。
ノアはがっくりと肩を落とし、そして決断した。
マミの魂をミクトラの中から解放する。
マミが起き上がった。赤い光の刃によって、常人であれば致命傷の傷を負っていたが、それも回復する。
「ノア……貴女は……」
荒い息をつきながら、悪鬼の形相で娘を睨みつけるマミ。しかしノアは、今度は恐怖していなかった。涼しい顔でマミを見ている。
「母さん……じゃなかった。ポポフ。戦いは俺の勝ちだ。そしてステラ族の真実を伝えるよ」
無表情に淡々と告げるノア。役になりきって演技をしている。それを見てマミは呆気に取られる。
「この土地には、地上を侵略しようとしていた、冥府の神が封じられていた。その封印のために造られていたのが、優しくて平和ボケ種族のステラ族ってわけ。そのステラ族を殺しつくしてしまうと、冥府の神が蘇り、世界は闇に包まれる可能性がある」
「ノア……」
「俺とあいつを殺せば、ステラ族は死に耐え、封印は解ける。ポポフもきっと殺されるだろう。ここは黙って引き下がってくれないか?」
ノアが下の上にいる生き残りの貴族を指す。
「それで……この物語はハッピーエンドを迎え、私達は解放されるということ?」
ノアと嬲り神の二人を交互に見やり、マミが問うた。
「多分そうじゃないかと思う」
どうでもよさそうに言うノア。
「わかったわ。もうステラ族に手出しはしない。私達はこの地から立ち去る」
話に乗っかる形で、マミもこの場面に相応しい台詞を口にした。
「ステラ族って、物凄く愚かで哀しい種族だよね」
演技をやめ、素のノアに戻って吐き捨てる。
「優しさが滅びを招く世界の摂理こそが、悪意の賜物とも言えるわね。あるいはその構図そのものが、悪意の産物かしら。そのうえ、封印に利用されるためにそういう設定で創られたんだから、哀しいことこのうえないわ」
マミもノアに同意したうえで、私見を述べた。
(母さんらしくない物言いに聞こえる。嘲るでもなく……哀しそうに……)
マミの考えを聞いて、ノアは思う。
「他の絵本も、哀しさで溢れてるぜ? また見かけたら是非入ってきてくれよ」
へらへらと笑い、からかうように言う嬲り神。
「ノア、お前面白い奴だな。気に入った。また会おうぜ」
「俺は逆。もう会いたくないよ」
嬲り神が笑顔で声をかけるが、ノアはすげなく突っぱねた。
「いや、きっとまた会う事になるぜ。そんな予感がするんだ。ふへへへ」
そう嬲り神が言った直後、空間が大きく歪み――
***
ノア、マミ、貴族の当主の三名は、元の地下室に戻っていた。
「絵本の続きは見ることが無かったわね」
「続き?」
「人喰い絵本から解放される際に、絵本の本来の結末を見せられるの。見ないケースは初めてよ」
多分、嬲り神の干渉のせいで、絵本の結末は見なかったのではないかと、マミは考える。
(畜生……ぬか喜びさせてくれて……何て酷い運命だ)
先程、母親を殺すことが出来たと大喜びしていた自分が、大馬鹿者に思えてしまうノアであった。時間を戻して自分を殴りに行きたいとさえ考えてしまう。
「ノア……貴女、私に謝りなさい」
「え? すまんこ……」
マミに要求され、ほぼ脊髄反射で謝罪するノア。
「何で謝っているかはわかってる?」
何も考えずに返答するかのように謝ったノアを見て、呆れながら尋ねるマミ。
「人喰い絵本を出るためとはいえ、母さんに歯向かったから?」
「そうよ。わかっているならいいわ。それに……今回は大手柄だったわよ。貴女は最善の働きをしたわ。絵本の中の道具を使ったとはいえ、私と戦って勝利したのも見事と褒めておくわ」
にっこりと笑うマミ。
(普通、人は褒められれば嬉しいらしい。でも俺は全然嬉しくない。嬉しいと感じない。よかった。母さんなんかに褒められて、嬉しいと感じなくてよかった。俺からすればこれは屈辱だ……。本当に……凄く悔しい。腹がきりきりと痛む。せっかく母さんを地獄に閉じ込めてやって、俺は自由を手に入れられるかと思ったのに)
悔しさと屈辱のあまり、ノアは爆発しそうになっている。爆発して死んでしまえばいいとさえ思う。悔しさが、屈辱が強すぎると、内臓まで痛くなるものだということを初めて知る。
「それに、イレギュラーを手に入れることも出来たしね。実に最高の成果よ」
「え……?」
マミの指摘を受け、ノアは右手を見る。大きなルビーがはめられたガントレットが、右手に未だ装着されたままだ。
「ミクトラ……。人喰い絵本の外に持ち出せたんだ」
ノアが意外そうに唸る。
「よくやったわノア。これも貴女の功績よ。今日は貴女のこれまでの人生で、一番私に役に立った日よ。私が貴女を最も誇らしいと感じた日よ」
イレギュラーを手に入れたことで喜び、褒め称えるマミ
「さあ、そのイレギュラーを私に渡しなさい」
「うん……」
さらなる屈辱の追い打ちに、ノアは眩暈を覚えた。いや、視界が暗転しかけた。目を開けているのに暗くなった。
(せっかく手に入れたこの素晴らしい力も手放して、母さんに渡すのか……。奪われるのか……。悔しい。何もかも言いなりになって……。何もかも取られて……。ああ、本当に無様だ。俺は今、世界一みじめな存在だ)
ノアがそう思ったその時、右手の感触が変化した。
「あれ? 消えた?」
ノアの右手からミクトラが消えていた。
「どういうこと?」
マミが訝る。
「また出た……。ああ、そういうことか」
ノアが感覚で全てを掴み、理解した。
「これ外そうとしたら消える。出そうとしたら自然に着く。俺以外は扱えないんだ」
「そういうことなのね。私が直接扱えれば、それが理想的ではあったけど、ま、それでも問題無いわ。ノアは私のものなんだし」
マミが再び微笑む。
(やっぱり、当初の予定通り、ユーリ達の力を借りるしかないか……)
まだ機はある事を思い出す。元々そちらの予定だった。
(次こそ最期だよ。絶対に……。俺は母さんを殺して、自由になる。俺は次に進む)
その先の予定を、ノアはもう決めてある。人生目標は立ててある。
「あら、この人……」
「ひいっ!」
マミは唯一生き残った貴族の当主の存在に、ようやく気が付いた。視線を向けられ、貴族は顔をひきつらせる。
マミは貴族を殺害しようとしたが、思い止まり、ノアの方を見た。
「御褒美もあげなくちゃね。ノア、貴女が殺していいわよ」
「ありがとう、母さん」
「そ、そんな……うわあああっ! ヤメデグだぢゃーイっ! ぐぼは!」
五章はここでおしまいです。
三度目の癌の手術のために入院します。退院してから続きを更新します。




