32-6 記憶喪失になろう!
人喰い絵本の中に入ったチャバックとスィーニーが、互いを確認し、周囲を確認する。
二人がいた場所は武装した兵士達が集う宿営地だった。テントが立ち並び、数多くの馬が繋ぎ止められている。訓練中の兵士達の姿も見受けられる。
「絵本、長かったねー。それにダークアーアーとかいうおかっぱの子がいたけど、あれは何だったのかなあ」
「ダァグ・アァアアね。チャバック、服が変わっているんよ。絵本の中に出てきた勇者ネロの服になってる」
「あ、本当だー。じゃあオイラが勇者の役?」
スィーニーに指摘され、チャバックは自分の服の変化を見て驚いた。
「ううう~……オイラに勇者の役なんてできるのかなあ」
不安がって唸るチャバック。
「この絵本は勇者が魔王を倒せばそれでおしまいになるん? それにしては……魔王の方が主人公っぽかった。あと、絵本の内容は終盤まで差し掛かっていたじゃない。もう物語が終わる直前というか」
スィーニーが顎に手を当て、気になることを口にする
「勇者様、その娘さんは?」
ハスキーな女性の声がかかる。声の方を向くと、尼の格好をした長身の女性が立っていた。
(絵本の中で見たね。勇者の仲間の一人、聖女ミラジャ)
女性の名を思いだすスィーニー。
「えっとねえ、スィーニーおねーちゃん」
「そんな紹介の仕方されても、相手に伝わらんと思うんよ」
屈託の無い笑顔で紹介するチャバックに、スィーニーが笑う。
「私はスィーニー、チャバック……いや勇者ネロは昔からの友人の行商人よ」
「おお、行商人さんか。こんな最前線まで来るとは商魂逞しいな。どんな商品を売っているんだい?」
はきはきとした口調で尋ねるミラジャ。笑顔も眩しく快活だ。気さくで、第一印象はとても良い。
「色んなものよ。色んな国のものを他の行商人達からも仕入れてかるらね。こんな感じ」
スィーニーが背負った鞄の中から商品を取り出して並べてみせる。
「ほほうっ、地方の特産品か。戦場で役立つ物は何か無いかね? 食品があると嬉しいな。というか、行商人にしては腕が立ちそうだな。結構修羅場をくぐっているだろ?」
「え……? んー、まあ……」
ミラジャの指摘を受け、スィーニーは言葉を濁す。
「ふっ、話したくないなら話さなくていいぞ」
スィーニーの反応を見て、ミラジャは小さく笑う。
(この人、聖女って設定らしいけど、話し方聞いてると、武人みたいなんよ。雰囲気もだけど)
ミラジャを見て、スィーニーは思う。
「勇者様、その方は?」
「おうおう、可愛いお嬢ちゃんじゃねえか。へっ、勇者様も隅に置けないねえ」
東洋風の衣服を着た男女が現れ、声をかける。二この二人も絵本で見た。勇者ネロの仲間で、男の方はキンサン・ニシチョ。女の方はウスグモ・ニシチョだ。
「猫いっぱいだあ」
ウスグモに連れ添うように歩いてくる大量の猫を見て、チャバックが目を輝かす。ウスグモ自身も一匹の猫を抱いている。
「この子は勇者様の知り合いの行商人で、スィーニーというらしい」
ミラジャが紹介した。
「いよいよ魔王軍との戦いも本番ですね。勇者様」
「え? そうなの?」
ウスグモに言われ、きょとんとするチャバック。絵本の中ではとっくに勇者軍と魔王軍が総力戦を行っていた。
「チャバック……絵本の住人と喋る時は気を付けて」
「ご、ごめんなさあい」
スィーニーがチャバックの耳元で注意する。
「ネロ、ちょっとおかしくねーかい?」
「兄さん、勇者様って言わなくちゃ駄目でしょ」
チャバックを訝るキンサンを、ウスグモが注意する。
「記憶喪失になったってことにしておこう」
「ちょっと記憶喪失になっちゃったよう」
スィーニーに耳元で促され、チャバックが言った。
「はあ? このタイミングで記憶喪失になるとか……こいつぁ困りやしたねえ」
キンサンが顔をしかめる。
「スィーニーおねーちゃんのことは覚えているし、全部忘れたわけじゃないよう」
チャバックが言う。
「記憶喪失か。しかし勇者の力が失われたわけではないようだし、大きな問題とはならないだろう。スィーニーもいることだし、改めて自己紹介した方がいいか。私はミラジャ。正教会より聖女として選ばれ、勇者ネロ様に仕えるよう仰せ使った者だ」
「あっしはキンサン・ニシチョ。ネロ様に仕えるケチな遊び人でして。キンサンと呼んでくんな」
「私はウスグモ・ニシチョ。キンサンの妹で、勇者ネロ様に仕える、ただの猫好きの遊び女よ」
ミラジャ、キンサン、ウスグモがそれぞれ自己紹介した。
「しかしよう。いつまで経っても慣れねえもんだねえ。ネロのことを様付けはよ」
「そうしないと他の者に示しがつかん」
頭をかくキンサンに、ミラジャが苦笑する。
キンサンが頭を掻いたポーズのまま動きを止めた。ミラジャもウスグモも、突然動きを止めた。
「え? ど、どうしたの?」
「時間が止まってるみたいなんよ」
チャバックが戸惑い、スィーニーが現象を言い当てる。
「御名答~♪ 時間は止めた~♪ 時間が巻き戻っていることを伝えるために♪」
調子はずれの歌声と共に、二人の目の前に嬲り神が現れる。
「物語の終わる直前まで、今回はあえて見せた。そのうえである程度時間を巻き戻したのさ。現在は、勇者達が軍団をまとめて魔王軍と戦いだした辺りで、お前達の物語がスタートってわけさ」
嬲り神が状況を説明する。
「そうなんだー」
「チャバックを引きずり込む回数多くない? これで三度目じゃんよ」
スィーニーが嬲り神を睨みつける。
「しゃーねーよ。チャバックはそういう宿命なんだからー。死なせないよう、せいぜいお前が護ってやれ。ま、今回はその必要は無えかもだが」
へらへら笑いながら言うと、嬲り神は姿を消した。そして嬲り神が消えると同時に、止まっていた時間が再び動き出した。
(世界の時間まで止められるなんて、この世界の中じゃ、あいつはとんでもない超越者ってことなんだ)
嬲り神がいた空間を見て、スィーニーは思った。
***
ミヤはサーレと、魔界沈没という名の卓上ゲームを行っていた。
もちろんミヤはルールを知らなかったが、イヴォンヌからルールと基本テクニックを聞き出しておいた。
「イヴォンヌ、随分と今日は調子が悪いね。悪手が多い」
しかしそんな付け焼刃で誤魔化せるはずもなく、サーレはミヤのプレイが酷く稚拙であることを不思議がっていた。
「ふん? そうかい? まあ、調子が悪い時もある」
(ああ、もう見てらんないっ。私に代わってっ。私の指示通りに指してっ)
イヴォンヌがミヤの中で声を荒げる。
(いや、せっかくルール教えてもらったんだし、儂にやらせなよ。何度も打たねば上手くならないと言ったのはお前だろう)
(一人でいる時に私と打ってよ。サーレとは私が打つからっ)
(ふん、仕方ないね。言う通りにしてやるよ)
イヴォンヌの要求に応じ、指示通りにゲームを行うミヤ。
「お、いつものイヴォンヌに戻ったね。鋭い手だ」
ミヤの進行を見て、サーレが弾んだ声をあげる。
「体調でも悪いのか、それとも悩みごとでもあるのかと、心配しちゃったよ。どうもさっきからいつものイヴォンヌらしくないように見えたからさ」
「そうかい。すまなかったね。でも気にして無くていいよ」
ミヤはいつもの婆喋りだが、サーレにはちゃんと補正変換がされていて、イヴォンヌの喋り方に聞こえている。
(朗らかで柔和で優しく、とても魔王とは思えん。儂とは大違いだ。儂が魔王になった時は怒りと憎しみにとらわれていたというのに、こ奴は魔王になる前とあまり変わりないように見える。どことなくユーリにも似ているね)
サーレを見て、ミヤはそんな印象を受けた。
そこに三将軍の一人であるセインがやってくる。
「あーあ……人の身から魔族に堕ちた魔王とその妃が、昼間からいちゃいちゃとかね……」
小さい声でもごもごと文句を口にするセイン。派手な風貌をしているが、隋分と暗くて覇気の無い男であると、ミヤの目には映る。
(アルレンティスとも一脈通じるところがあるが、あれよりもっと酷い感じだね。ダウナー系というか、ただそこにいるだけで暗い気が溢れているよ)
セインを見て、ミヤはそんな印象を受けた。
「ごめんごめん。でも別に僕達、人前でいちゃついているわけじゃないけどな」
サーレが笑顔で言った。
「お前はサーレや儂に暗い感情を抱いているのかい?」
ミヤがセインの方を向いて、ストレートに尋ねる。
「うーん……正直……複雑かな……。気持ちが二つに割れている。それが辛い……。相反する気持ちだと余計にさ。俺は人間が嫌いなんだよ。弱くて繁殖力だけ旺盛という、下等生物の分際で、いっちょまえに文明築き上げやがって。しかもその文明が楽しいときてる」
「人間の文明を楽しんでいるのかい?」
「ああ……俺もアシュも、人間共の作るものは大抵好きだ。魔族の間で、人間の作ったものは幅広く受け入れられている。魔界沈没だって、人間の作ったゲームだが、魔族の間でも大ブームだしな……。しかし人間は好きになれない……」
人間を肯定的に認める一方で、否定も忘れないセインだった。
「アシュはどうだ? 人間好きか?」
振り課って伺うセイン。
(アシュ?)
セインの後ろを見るミヤだが、何者の気配も無い。霊体がいるわけでもない。
「ふう……アシュはいないんだよなあ。何でいると思い込んでいるんだ? 俺は……やっぱり頭がおかしいんだろうなあ。あーあ……」
ぶつぶつと独り言ちてから、セインはサーレとミヤを交互に見た。
「魔王と妃には不快感は無い。力持つ者への敬意の念はある。人柄も嫌いではない。だが……元々は人間だ。俺達のような生まれついての魔族じゃない。そこに壁を感じる。引っかかるんだよ……」
そう言い残し、セインは去った。
入れ替わるようにして、三将軍の一人ヴ・ゼヴウが現れた。
「魔王様、王妃様、気を悪くしないでくだされ。あれは中々面倒な奴でありますが、魔王様への忠義は確かにありますが故」
「わかってるよ、ヴ・ゼヴウ。僕もイヴォンヌも全然気にしていないから」
セインのフォローを行うヴ・ゼヴウに、サーレが微笑む。
「今度現れた勇者は、これまでの勇者を名乗る者とは別格のようですなっ。すでに二つの国を奪還したのとこですぞっ。我々に気付かぬうちに、人間世界の半分の国をまとめあげて、連合軍を作った手並みも見事ですぞ」
嬉しそうに話すヴ・ゼヴウ。
「人間は個々の力は魔族に劣るかもしれませんが、その結束力は決して侮れませんぞ。そして人間は稀に集団の中から、抜きんでた才を持つ者が現れます。勇者とその郎党は正にその秀でた才の持ち主でありましょう」
セインとは逆に、ヴ・ゼヴウは人間に対して好感を抱いていた。これは魔族の中ではかなりの変わり者と言える。
「そろそろ出発時間だ」
「出発の時間?」
立ち上がるサーレを訝るミヤ。
「陛下、それを言うなら出陣でしょうっ」
「ああ、そうだね。でも魔王軍の場合、出発と言った方がしっくりくるんだよ。乗り物が動き出すのは、出発と言うだろう?」
微かに振動が起こる。振動音も。そして膨大な魔力が働いているのがわかる。
「イヴォンヌ、一緒にテラスに出ようか。外の景色を見よう」
サーレが促し、廊下へと出る。ミヤとヴ・ゼヴウもその後をついていく。
テラスに出ると、空が動いている光景が見えた。いや、城そのものが動いているのだと、すぐに気付く。
(これはつまり……)
ミヤが意識の目を投射する。城の遥か上空から意識の目で城を見下ろす。
城が移動しているのは確かだが、城だけではない。城が建つ地面が飛んでいる。まるで飛ぶ島だ。城の島だけではなく、城下町が地面ごと浮かび上がり、水平に飛翔している。そして城下町の外門には、夥しい数の魔族の兵士達が列を作って待機している。
これらの事実が何を意味するか、ミヤは即座に理解した。魔王軍は城ごと、城下町ごと、多数の軍団ごと空を移動し、空から襲いかかるのだ。それがどれだけ恐ろしいことかは、多少の想像力があればわかる。
(そういえば絵本の中でも、魔王城は空の上にあるみたいな台詞があったね。ふんっ、中々やるじゃないか。先代魔王よ。プラス11だ)
心の中で称賛し、ミヤは不敵な笑みを浮かべた。
「いい光景だよ。ここから見る地上の景色は最高だ。こんな素敵な光景がみられるだけでも、魔王になった甲斐があったよ」
爽やかな笑顔で言うサーレ。
(本音なのか自虐なのかいまいちわからんね。イヴォンヌはどう思う?)
(多分半々じゃないかな)
ミヤが問いかけると、イヴォンヌは苦笑気味に答えた。




