32-3 絵本【魔王】(リメイク) 中編
サーレの同僚の一人に、ボルドーという男がいる。この男もかつてサーレに仕事を押し付けていたが、今は大貴族の娘であるイヴォンヌと恋仲にあるということで、サーレに迂闊に仕事を押し付けられなくなった。
ボルドーはサーレの幸運を忌々しく思っていた。さらには、近々サーレが出世すると知り、余計に彼を妬むに至る。
(俺はこんな汚れ仕事しているってのに、サーレの奴はよっ)
資料室で資料をかき集め、内容を模写しながら、ボルドーは自分とサーレの境遇を意識する。
ボルドーが現在行っている仕事は、正規の仕事ではない。他国から依頼されたものだ。重要資料をそのまま書き写して流す仕事を、ボルドーは引き受けた。ようするに彼のしていることは、立派なスパイ行為である。
(そうだ。いいこと考えた)
ここでボルドーの心に、悪魔が囁きかけた。
ボルドーは、自分が行っていた模写した資料と、自分宛に届けられた他国の依頼の書簡を、サーレの机の中に忍ばせた。
「サーレが他国と通じている証拠だ。見ろっ」
そのうえで同僚達や役人達を呼び寄せ、サーレの机の引き出しを開けてみせた。当然、何故それをボルドーが見つけたか問われたが、自分の机と間違えて開いて、偶然見つけたと言ってのけたら、不問になった。
サーレはたちまちに拘束され、厳しい取り調べを受けた。
「よりによってロパーン公国と通じていたとは! この国賊! 売国奴!」
愛国心に満ち溢れぬ取調官は憤怒の形相で怒鳴り散らし、何度もサーレを殴りつける。
「自分には覚えがありません……。誰かにハメられたんです……」
サーレは何度も主張した。主張しながら、かつてクロードに言われたことを思い出していた。
『より邪悪な者が、君のその性質を利用し、君を貶める可能性もある』
性質を利用された覚えはないが、妬みを買った覚えはある。そのせいだろうと考えたが、そこまで口にすることは出来なかった。イヴォンヌと付き合ったせいでこんなことになったと、そういう考え方をしたくなかったからである。
サーレは貴族でありながら、敵国に情報を売り渡した売国奴として悪名が轟き、国民全て敵にまわる勢いで憎まれ、蔑まれた。サーレの両親はショックのあまり自殺した。兄弟達は国から逃亡した。
イヴォンヌの親であるボッフランド家は、自分達も被害者であると主張し、事なきを得た。被害を受けた形跡までも捏造した。ボッフランド家がかねてより謎の盗難被害にあっていたと主張したうえで、それらは全てサーレの仕業ということにした。盗品設定した調度品や美術品をサーレの家に置いたうえで、サーレの家の家宅捜索で発見させたのである。
「ボッフランド家の娘とよろしくやって、家の中に出入りできるようになったら、その家のものを盗むとか、どこまでお前は悪党なんだよ。本当よくやるよなあ。お前は悪の中の悪だよ」
取調官の一人が軽蔑を露わにして告げる。
サーレはその話を聞き、絶望した。自分と距離を置くための、ボッフランド家の虚言だということはすぐにわかった。
(イヴォンヌは……どうしてる? 僕のことを信じてくれているかな? それとも、裏切られたと思って、僕に怒りを向けるかな?)
サーレの最大の気がかりは、イヴォンヌの自分に対する心情だった。
(クロードさん……助けてくれないかな。もしかしてクロードさんも僕のことを疑っているのかな……?)
淡い期待を抱く一方で、疑念も抱く。
そして公開裁判になった。
傍聴席にクロードの姿は無い。しかしイヴォンヌの姿を見つけて、それだけでサーレは自然と目頭が熱くなる。
弁護士はほぼ何も言わず、検事だけが必死に息巻いて、サーレを糾弾しまくる。傍聴席からは幾度も罵倒が飛び交う。何しろ最大の敵国であるロバーン公国と通じていたのだ。そうなるのも仕方が無い。
やがてサーレに陳述する時間が巡ってきた。
「僕はこれまで誠実に生きてきました。不義を忌み、自分に恥じない生き方をしてきました。この国にも尽くしてきました。僕はこのような売国行為に手を染めていません。本当の裏切り者がいるんです。その人にハメられただけなんです。本当の売国奴は他にいるんです。僕が処刑されれば、その人物はきっと喜ぶでしょう。僕は無実の罪で殺され、本当の悪人、本当に国を裏切った悪人は、この後も生き続けるわけですか?」
「黙れ売国奴!」
「助かりたいからって何ぬかしてやがる! やってないならやってない証拠出せ!」
「自分の立場を利用して散々悪事を働きやがって、何をぬかすか!」
「舌だけはよく回る若造だなあ! この国賊めが!」
「お前の親が可哀想だよ。お前みたいな出来損ないを作って、恥じて首吊っちまってよう」
「サーレのくせに生意気だぞ!」
「嘘吐きめ! 地獄に落ちろ!」
「この期に及んで無実を主張だと!? お前こそが最悪の悪だ!」
サーレが自身の考えを述べると、傍聴席からの罵倒が一際激しくなる。その中にはかつての同僚達もいる。真犯人であるボルドーもいる。
「私はサーレの言葉を信じます!」
罵倒が収まりかけたその時、誰よりも大きな声で叫んだ者がいた。
サーレはその時、心臓が止まりそうなほどの衝撃を受けた。喜びに身を震わせた。涙が零れ落ちた。あらぬ罪を着せられ、世界中が敵に回って絶望の闇に沈みゆく心に、闇を切り裂く光が差し込んだかのような感覚を覚えた。
傍聴席のイヴォンヌが涙をこぼしながらも、サーレに向かって微笑みかけていた。サーレもそれを見て、泣きながら微笑み返す。
「この女もスパイの仲間か!?」
「おい、この女も捕まえろよ! そして裁判にかけて死刑にしちまえ!」
「売国奴売女め! 今から俺等で取り調べしてやろうぜ!」
「おお、それはいいな。まずは俺が!」
「やめて! ちょっ!? 何よ! 汚い手で触らないで!」
「やめろ! イヴォンヌは関係無い!」
傍聴席の者達が一斉に暴徒と化してイヴォンヌにヘイトを向け、あまつさえイヴォンヌに手をかけようとする様を見て、サーレは底知れぬ怒りを覚えた。
(神よ……これが貴方の思し召しなの? 僕達が一体何をしたっていうんだ!? 僕だけじゃなく、僕を信じてくれたイヴォンヌにまで――そんなの許せない!)
サーレの中で際限ない怒りと憎悪と絶望が渦巻いた、その時だった。
世界が停止した。
***
サーレとイヴォンヌ以外の全てが崩れ落ちた。風景も含めて。そして二人は闇の中で、互いに呆然とした顔で見つめあっていた。
「遅れてすまない」
聞きなれた声が響く。サーレが声のした方向を見ると、クロードがいた。しかしクロードだけではない。その横には、ひらひらした黒い服で身を包んだ小柄な少女が佇んでいる。
「お前には資質があるそうだ」
『貴方には資質があります』
クロードが言った直後、少女が口を開き、異質な響きの声を発した。
「魔王となる資質だ」
『坩堝を扱う資質です。深く煌めく闇を心に秘め、世界の理不尽を憎み、それでいて悲しみと痛みがわかる者が、坩堝を扱う資質を持ちます』
クロードの言葉の後に、少女が補足する。
二人の背後に、巨大な黒い渦が出現した。
「これが坩堝だ」
『坩堝の中には、想いが溜まっています。すでに臨界を迎えつつあります。ここにいるクロードが、坩堝を扱う資質を持つ者を導いてくれました。サーレ、それが貴方です』
「貴女は……あなた達は何者?」
少女とクロードを交互に見やり、サーレが問う。
「俺の正体は……見ての通りだ」
クロードの姿が変わる。髪の色が水色に変化し、頭から山羊の角が、背中から蝙蝠の羽が、腰からは先端がスペード状になった尻尾が伸びる。
「上位……魔族……」
『私は夢の世界の住人。坩堝の管理人です』
サーレが呻くと、少女の方も自己紹介した。
「君もこれから魔族になるのだよ。魔族の王にな」
クロードが微笑みながら告げ、サーレに向かって手を差し出す。
「サーレ、君とイヴォンヌは私が助けたが、君に罪を着せて、イヴォンヌに手をかけようとした者達を許すのか? 君を貶めた者達をまた許せるのか?」
「いや……許せない。でも……」
クロードの手を取ろうとはせず、サーレは横にいるイヴォンヌを見た。
「僕が魔族となったら、イヴォンヌが……」
「大丈夫よ。サーレが魔族になったら……私も魔族になる。ずっと一緒よ。私は絶対に貴方と離れないし、絶対に貴方を守る。私も魔族になって、魔王の妃になるよ」
躊躇うサーレに、イヴォンヌが朗らかな笑みを広げ、力強い口調で言い切る。
サーレは力なく笑い、クロードの手を取る。
「坩堝の力を望め。取り込め。魔王となれ」
『望めば貴方には坩堝の力が与えられます』
クロードと少女に促され、サーレは力を望んだ。
***
魔王となったサーレは、現実世界へと戻った。裁判所の被告席へと。イヴォンヌの姿もある。
イヴォンヌに襲いかかろうとしていた者達に向かって、サーレが腕を振るう。
悲鳴をあげる間もなく、イヴォンヌの周囲の者達の頭部が爛れ、溶けていき、倒れていく。
悲鳴はワンテンポ遅れて、無事な者達の喉から発せられた。
次の瞬間、悲鳴をあげた者達も、顔から溶けていく。
まだ生き残っている者達が恐怖に顔を歪めている。必死に泣き叫び、逃げ惑っている。
あるいは愛する者を失い、嘆いている。絶望している。
その光景を見て、サーレは胸がすく思いだった。何と清々しい気分だろうと思った。
「どうしてかな? 酷い光景なのに、見ててすかっとするわ」
イヴォンヌが残酷な笑みを浮かべて言う。彼女もサーレと同じ思いだった。
「それが魔族になったということだ」
イヴォンヌの隣に現れたクロードが告げる。
「先輩、もしかして僕が魔王になるように、仕組んだのですか?」
「いいや、君の運命をある程度知っていた。私には断片的な予知の力がある。歳のせいか、最近はあまり働かなくなってきたがね。君に悲劇が訪れることを知ったうえで、君に近付いた」
疑念をぶつけるサーレに、クロードは正直に答える。
サーレはクロードの答えを信じることにした。そしてクロードを憎むこともなかった。クロードが仕組んでいたならともかく、彼はこうなることを予期していただけだし、ちゃんと救ってくれた。それなら味方ということでいいとした。
「それとな、これから私は、君の先輩ではない。君は私の主であり、私は君の臣下となる」
「それなら敬語も使わなくちゃ。よろしく、クロード」
「そうでしたな。よろしくお願いします。魔王サーレ様」
冗談めかしてわらうサーレに、クロードは恭しく跪いて一礼した。
***
魔王となってからのサーレは、多数の魔族を率いて、人類社会に本格的に攻撃しだす。
サーレの下には、三将軍と呼ばれる者達がいた。クロードを含めたその三人は、数多くの下位将軍達を率いる、魔王の側近だ。
「人間共の抵抗、思いの外激しいですな。くははは、あの必死な様は見ていて楽しいものですぞっ」
三将軍の一人ヴ・ゼヴウが豪快に笑う。全身を黒い甲冑で身を包んだ、髭面の騎士だ。魔王への忠義が途轍もなく強く、好戦的性格をしている。
「君の発言にはどうも、人間に対して好感を抱いているような節が見受けられるね」
サーレが指摘する。
「ははっ。私は人間が好きです。非力でありながらも、知恵の限り、修練の限りを尽くし、力を付ける。成長する。そして人間より遥かに強大な魔族に立ち向かうあの姿、まこと輝いて見えるっ」
ヴ・ゼヴウはあっさりとその指摘を認めた。サーレは別に咎めようとはしないし、不快とも感じない。それがヴ・ゼヴウの受け取り方であるなら、改めろとも言えない。
「これから滅ぼそうとする人間を、そして魔王様が大嫌いな人間を、堂々と隙とか言っちゃうのか……はあ……」
三将軍の一人セインが、大きく溜息をつく。覇気が乏しいダウナー系で、いつもネガティブな発言が多い。その全身はタトゥーだらけだ。
「アシュ、お前はこいつのこと、どう思う?」
セインが振り返り、意見を伺う。
しかしそこには誰もいない。
「ああ……そうか。アシュは……」
がっくりと肩を落とすセイン。
「アシュって誰なの? イマジナリーフレンド?」
「さて……わかりません」
イヴォンヌが隣にいるクロードに尋ねたが、クロードは興味なさげに言った。
「セイン、ヴ・ゼヴウ。今後も魔族の支配する世の中を作るために、人類滅亡のために、頑張ってね」
「任されよっ」
「はーい……頑張りますよっと……あーあ」
サーレが笑顔で呼びかけると、ヴ・ゼヴウは威勢よく己の胸を叩いて快活な声で返答をし、セインは破棄の欠片も無い声で応じたうえに
「というか、魔王なのにあんなに朗らかな笑顔ってどうなんだか……」
「僕の性格までは変わらないよ。人間やめても、魔王になってもね」
「変わらなくてよかったー」
ぽつりと呟くセインに、サーレが笑みを張りつかせたまま言い、イヴォンヌは嬉しそうに言った。
***
サーレが魔王になり、イヴォンヌも魔族へと変わり、二人はすぐに夫婦となった。
「本当に僕についてきてよかったのかい」
卓上ゲームの魔界沈没をしながら、サーレはイヴォンヌに尋ねる。
「魔王のくせに僕とかやめなって。吾輩とか、余とか、我とか、色々それっぽいのあるでしょ」
「僕は僕だ」
イヴォンヌが言うが、サーレはかぶりを振る。
「私は絶対サーレを見捨てたくなかったから。裏切りたくなかったから」
シリアスな表情になって、イヴォンヌが言う。
「それで僕に付き合って、人間やめて魔族にもなってしまうなんて」
「素敵な話じゃない」
「王国も滅茶苦茶にしてしまった。君の家族も……どうなったかわからない」
「気にしなくていいわ。私はあまり家族と仲良くなかったし。ただ――」
「ただ?」
「ただ、舞踏会にもう一度出たかったかな」
「舞踏会が好きだったの?」
イヴォンヌの台詞を意外と感じるサーレ。
「あの雰囲気が不思議と、ね。多くの人達が踊って、自分もその中にいて……何でか知らないけど、好きだった」
「じゃあ、近いうちに魔族達を集めて舞踏会を開いてみるかい?」
「魔族達も踊れるのかしら?」
「踊れなくても無理矢理踊らせるよ。どんな踊りをするか楽しみじゃないか」
会話を交わすサーレとイヴォンヌが、くすくすと笑い合った。




