30-7 かけがえのないものを手に入れて死ね
ベ・ンハは父親の影響で歪んだ。女をさらってきて縛り上げてモデルにするという行いと、受け継いだ遺伝子が、ベ・ンハを父親と同じ行動に駆り立てた。
父親は極めて横暴で、事あるごとにベ・ンハを理不尽に叱りつけ、殴りつけた。しかしベ・ンハはこれまた父親譲りのふてぶてしい性格で、父親に叱られようと殴られようと、まるで言うことを聞かずにマイペースを貫いた。
息子が何を考えているのか、父親にもわからなかった。得体の知れない不気味さを抱き、息子に対して芽生えた微かな恐れを、暴力と怒声でもって紛らわせるようになったのである。
誰にも理解されない。誰にも愛されない。誰からも好意を向けられない。それがベ・ンハの標準。
自身の責任であることもわかっている。見た目も悪い。悪い見た目を直すどころか、不摂生な生活で余計に悪くしている。身なりも気遣わない。他人も気遣わない。人から嫌われる要素はたっぷりあっても、好かれる要素は全く無い。それも自覚している。すでに諦めている。
諦めていたつもりだったベ・ンハであったが、ただ一人、自分を認めてくれた者がいた。それがメッサラーだ。
かつては高次元生物の研究に熱をあけでいたベ・ンハだが、実はもう興味を失くしている。だからメッサラーが封印されていた時期は、高次元生物の研究にも手を出さなかった。メッサラーが自分の術師としての腕を見込んでくれたから、ただそれだけで彼に協力している。
「ちょっとタイム」
ノアが片手を上げて、戦闘中断を求めた。
「外に出よう。ここで暴れると、あんたの彫像を壊しちゃうよ」
「え……? あ、ありがとう……」
ノアの気遣いを受け、ベ・ンハは思わず戸惑いながら礼を述べてしまう。
「いつでもどうぞ」
にやにや笑って促すノア。
ベ・ンハは呪文ではなく、印を結んで術を発動した。何体ものゾンビが地面の中から湧いてくる。空中からはゴーストやレイスも出現する。霊の方が数が多い。
ノアがゾンビに向けて炎の嵐を放つ。たちまちに火達磨になるゾンビ達。
その間に、ゴーストとレイスがノアに殺到する。前からだけではない、両側面と上空からも向かってきている。
(これは面倒。よく考えられているね)
魔力による直接攻撃しか効かないため、ノアは後方以外の方角めがけて、広範囲に魔力を解き放った。闇雲な魔力放射は余計に消耗してしまうが、霊体だけを狙うにしては、敵の数が多すぎるし、近くに寄りすぎている。そこまで器用な真似は、ノアには出来ない。
(先輩なら可能だろうけどね。それにしても……)
ノアは顔をしかめてベ・ンハを見る。
「外に出ても臭うなあ。体も洗ってなさそうだね。服も洗ってない?」
「風呂や洗濯や炊事が嫌いなわけではない。ついつい活動に熱中して、色々なことを忘れるだけだ。食事や睡眠を忘れる事も多い」
律儀に答えるベ・ンハ。
「さっきは一番嫌いって言ったけどさ、実は俺、あんたみたいな人、嫌いじゃない。それどころか親近感が湧く。だからといって殺されてやる気はないけどね。他者の命を奪ってでも、歪んだ信念と欲を貫くあんたの姿勢、実にいいよ。でもね……」
ノアの台詞を聞いて、ベ・ンハの全身が震えた。衝撃のあまり動きが止まった。脳内麻薬が大量に迸った。
「やっぱり臭いよ。お風呂は入るべき」
言うなり攻撃しようとしたノアだが、攻撃の手を止めた。ベ・ンハが感動して停止してしまっていたからだ。
他の相手なら、隙を見せたら容赦なく攻撃するノアであったが、何故かベ・ンハに対しては、そうする気になれなかった。
「俺の作品……」
「ん?」
「俺の作品、見てくれたな。俺の作品は良かったか?」
「あまり芸術はわからない。でもね、そんな俺でも思わず見とれた。それくらいにはいい作品」
ベ・ンハの問いかけに、ノアは正直に答えた。
「そうか……そうか……」
ベ・ンハの口元が綻ぶ。
「初めて知った」
「何を?」
「俺の彫像を認めてもらう喜びを……」
メッサラーは死霊術師としての自分を認めてくれた。それはそれでとても嬉しかったが、ベ・ンハが最も打ち込んでいる、彫刻を認めてくれた今の喜びは、その比ではない。天に昇るような気分だ。
ベ・ンハが呪文を唱える。何十人もの女性の霊が出現する。その全てに、悲痛もしくは絶望の表情が張り付いている。彼女達はベ・ンハがモデルにした女性達の霊だ。死後も肉体はゾンビにして、霊体は使役するためにストックしていた。死んでもなお、ベ・ンハから逃れられずにいた。
(これは結構キツい)
ノアも流石に余裕が無くなった。単純に数が多すぎる。
女性達の霊が殺到する。ノアは魔力を放出しまくって迎え撃つ。
転移して逃れたうえで、ベ・ンハ本人を攻撃してしまった方が手っ取り早い。しかしノアはそうする気が無かった。力勝負で正面から受けて、相手の力を全て受け止めたい気分だった。何故そんな気分になったかはわからないが、ベ・ンハという男は、ノアをそういう気分にさせる相手だった。
全ての霊を浄化させたうえで、ノアはベ・ンハに向かって氷の槍を放った。
ベ・ンハは印を結んで、地面から巨人のゾンビを前方に出現させ、壁とする。
しかし氷の槍は巨人ゾンビの体を貫くと、そのままベ・ンハの下腹部に突き刺さった。ベ・ンハの下半身が凍結する。
仰向けに倒れるベ・ンハ。巨人ゾンビも消える。
「中々やるね。いい汗かいたよ」
額から零れ落ちる汗をぬぐい、微笑むノア。
「お前もな……」
ベ・ンハは倒れたまま目だけ動かしてノアを見やり、笑った。
(嫌いじゃないと、親近感を抱くと、そう言ってもらったことの方が嬉しい)
それこそ震えが走るほどに嬉しかったベ・ンハである。
(俺にそんなことを言ってくれた奴は初めてだ。俺は誰からも不気味がられ、理解されず……。でもお前と俺、どこかで通じ合う者同士なのか? メッサラーもあの長髪の子に、そのような感情を抱いているようだったな)
足音が聞こえる。自分を斃したノアが近づいてきている。
近くにやってきたノアが、自分を見下ろしている。
どうしてノアが自分の側にやってきたか、ベ・ンハにはわからない。ただ、ノアの顔を見ながら逝けることは嬉しい。
どうしてベ・ンハを近くで見送ろうとしたのか、ノアにもよくわからない。ただ、近くで見送りたくなった。
(俺は凄く尊いものを……手に入れたかもしれない。そんな気がする)
薄れる意識の中、ベ・ンハは思う。
(素晴らしいよ、ノア。お前は世界で一番素敵な女だ。そんなお前が俺の前に現れた僥倖、手放したくない。そんなお前を殺してモデルにして彫像を彫ったら、一体どれだけ素晴らしい作品が出来る? 俺はどれだけ幸せになれる? 俺はどれだけ絶頂感を味わえる? 幸福と快楽が過ぎてショック死するんじゃないか?)
その想いを、最期に言葉に出して伝えたいと思ったベ・ンハが口を開く。
「ノア……素晴らしいよ、お前……。嗚呼……お前の彫像を……彫りたかった。残念だ……。きっと今までで一番の彫像に……」
ベ・ンハは全ての言葉を伝えきれなかったが、それでも一番言いたいことは言えた。
「まあ、あんたみたいな不潔で異常な男だろうとさ、そこまで評価されると悪い気はしない。でも――」
すでに事切れたベ・ンハに向かって、ノアが告げる。
「でも来世では、風呂に入りなよ。歯も磨いて。掃除もして。嬲り神じゃあるまいし」
そこまで喋った時点で、ノアは殺気を感じて反射的に転移した。
ノアが居た場所の地面に、深い斬撃の跡が刻まれる。
「ここでベ・ンハさんを殺しちゃうなんてー。許さなーい」
突然現れたエスタンが、棒読みで言う。
「何で棒読み?」
突っ込むノア。
「え? え? 棒読みでしたっ? そそんなことないないですよー」
「何で動揺?」
現れるなり色々とおかしいエスタンに、訝るノア。
(ちょっとヤバいかも。この人相手に真っ向から力勝負しちゃったから、結構消耗している)
思わぬ連戦に、ノアは少なからず危機感を抱いていた。エスタンの力も、ベ・ンハに引けを取らぬものだと、対峙していてわかる。
エスタンが短く呪文を唱える。
(武器?)
エスタンの周囲に、曲剣、戦斧、三又槍、短剣、鎚等、様々な武器が半透明状で現れる。
(まさか、武器の霊とでも? あるいは霊体化させた武器?)
空中に浮かぶ武器軍めがけて、ノアが魔力の矢を放つ。
魔力の矢は半透明の武器のうち二つに命中し、これを消滅させたが、他は全て回避された。
霊体武器がノアを攻撃しだす。ノアは霊体武器が自分に当たる瞬間に魔力で盾を作り、霊体武器を弾いていく。
(省エネしながら戦うのは神経使うなあ)
魔法技術を要する戦いは、まだ半人前のノアには難易度が高かった。魔力そのものの内在量であれば、すでに一人前の魔法使いにも比肩するノアであるが、魔力の扱いそのものに関しては、まだまだ未熟であるし、苦手でもある。
それでもノアは必死に意識を集中させて、間断なく襲いくる霊体武器の攻撃を凌いでいた。
(え……? あっ……しまった……)
ふとノアは気付いた。自分の胴に、霊体の糸が巻かれていることに。
糸は地面から伸びていた。ノアの意識が空中に向けられている間に、エスタンがこっそりと伸ばしていたのだ。
糸が急に太くなり、紐ほどの太さになる。
ノアは魔力を込めて紐を弾こうとしたが、その前に霊体紐より電撃が流され、ノアの動きを止めた。そのうえ魔力を強制放出させられる。
ノアの意識が飛び、白目を剥いて横向きに倒れる。
「さて、魔法使いが素材なら、見込みありそうですねー。御主人様に頑張ってもらいますかー。何十年も呑気に封印されて、大事な研究棚上げしっぱなしだったし、きりきり働いてもらわないとー」
霊体武器を消し、霊体紐で拘束したまま、ノアを担ぎ上げるエスタン。
「せっかく苦労して御主人様を改造したのに、散々ですよー。魔法使いオトメとミヤのせいで……ぶつぶつ……」
エスカが愚痴りながら、ノアを運ぶ。
一匹のハツカネズミが、その様子を見ていた。
***
ユーリが戻ってくると オトメの家の前にミヤがいた。まるでユーリの帰還を待っていたかのように。
「どうしたんです? 師匠」
「ノアが捕まった。ノアを呼び出したべ・ンハと、ノアが戦闘になってね。ノアが勝ったけど、その後すぐにあのメイド幽霊のエスタンが襲いかかってきて、そいつに負けたのさ。ほんのつい数分前だ」
ミヤの報告を聞いて、ユーリの顔が強張る。
「ベ・ンハは死んだね。奴は不死ではなかった」
「師匠、使い魔で僕達の様子をチェックしていたんですね」
「うむ。何かあったらすぐ手を回せるようにね。ノアは多分大丈夫だろう。援軍を送った。しかしそっちにだけ任してはおけないし、儂等も行くよ。ノアが連れて行かれる場所は間違いなく深淵だろうしね」
深淵に連れて行かれることが何を意味するか、ユーリにはすぐにわかった。
「実験台にされるということですね」
「だろうさ。これで決着をつけるよ。サユリも連れて行く。だがその前に話しておきたいことがある」
ミヤが目を細める。
「今から言うことはサユリには黙っておきなよ。メッサラーはね、オトメさんの命を永らえさせようとして、不老の法を研究しだしたんだ。未知の可能性の塊である高次元生命体に手出しをしたのさ」
ミヤの話を聞き、ユーリは自分がメッサラーに感じる謎のシンパシーの正体が判明し、納得した。
「これはオトメさんから聞いた話だけどね、高次元生物と融合した副作用で、メッサラーは本来の人格もねじ曲がり、自身の老化が進み、ただ不老の法に執着するだけの、見境いの無い狂人のようになってしまったらしいんだよ」
そこまで話してミヤは、小さく溜息をつく。
(まあ、この話、儂は信じていないんだけどね。真相は……)
真相は他にある。疑っていたが、ハツカネズミの使い魔を通じ、エスタンのぼやきを聞いて、ミヤは確信に至った。
(つまり……メッサラーは僕と似ている。そうか……僕はメッサラーの本質が見えてしまって、だから……)
そこまで考えて、ユーリははっとした。
(まさか……あの呼び声は人格が捻じ曲がる前のメッサラー?)




