30-6 心の声が聞こえる理由は?
ユーリが単身で深淵に向かうと、深淵の手前にメッサラーとエスタンの姿があった。
(タスケテ……ボクニキヅイテ……)
メッサラーと会った瞬間、頭の中に声が響き、ユーリはぎょっとする。
そのユーリの表情の変化を見て、メッサラーとエスタンは不審がる。
(今のは……)
ただの声ではなく、感情そのものがダイレクトに伝わってきた。痛切な願い。必死の訴え。
(セント、今のは確かに声だった。気持ちそのものが響いた)
(ええ。貴方の心が、誰かの心の叫びを捉えたようね)
心の中で問いかけると、ユーリの頭の中で宝石百足のヴィジョンが浮かび上がり、柔らかな女性の声で答える。
(僕にそんな力があるの? 突然目覚めた? それとも相手の力?)
(可能性は色々考えられるけど、後でちゃんとミヤに話して相談してみた方がいいわ)
質問をぶつけまくるユーリに、宝石百足で助言する。
『痛みの中に真理があり、深遠がある。魔力は、精神や魂と密接な関係がある』
アルレンティス=ルーグに、魔力増幅のための稽古をつけて貰った際、彼に言われた言葉が、ユーリの脳裏をよぎった。
(そうだ。これは痛みが起点になっている。痛みから生じる叫びが、僕に届いている)
声を聞いて、ユーリはそう感じた。
「私は君に興味があった。彫像にされている時、私の側にいた少年だな」
メッサラーが口を開く。
「うん。いつも磨いていた。彫像だった時、意識はあったの?」
「たまに……だな。私の魂は常にまどろみに入っていたような状態で、ぼやけた意識が外を見ていた。正直封じられていたあの時間は、心地好い状態だったな。だからこそ余計に封を破るのが困難だったわけだが」
ユーリに問われ、メッサラーは正直に答える。
「君は何者だ? 私の魂と共鳴している気がする」
「僕も貴方に親近感が湧いているけど、理由はわからないし、何者だと言われても答えようがない。ただの半人前の魔法使いで、大魔法使いミヤの弟子だ」
「互いに――か。何か通じるものがあるのか? 前世からの因縁等があるのか、あるいは……君も私と同じ性質であり、それを互いの第六感が感応しあっているのかもな」
(だからって何だって言うんでしょ。この会話、意味あるのかなあ?)
ユーリとメッサラーの話を聞いて、エスタンは苛々していた。
(正体がわかった。電磁波だ。師匠が言っていた)
ユーリはかつてミヤより
、強い意思や想いや感情は電磁波を伴い、その電磁波によって物理的に感じられると、教えられていた。特に殺意は強烈な電磁波が発せられる。それが所謂殺意だと。そして今、自分とメッサラーは、互いに放たれる電磁を感じ取っているのだろうと、ユーリは判断する。
「貴方は不老不死を完全なものにするために、生きた人間を高次元生物と混ぜる実験をしているのか?」
「如何にも」
わかっていたことだが、改めて本人に問うユーリ。それに対し、メッサラーは厳かに肯定した。
「自分も高次元生物と混ぜた。そのおかげで貴方の人格まで変わったと聞いているよ」
「何の話だ……? 私は……そのような覚えは……」
ユーリが口にした台詞を聞き、メッサラーか大きく目を見開き、動揺気味の声を発する。
「あ……いや……そうか。確かに私はまず自分自身と高次元生命を混ぜて……それから……その前……ううう……」
急に頭を抱えて呻きだすメッサラーを見て、横にいるエスタンも、向かい合っていたユーリも驚く。
(タスケテ! ボクハココダ!)
ユーリの中でまた声が響く。今度はもっとはっきりと聞こえた。
(さっきの声だ。ここだと言われても、助けてと言われても、どこにいるんだ? 何者なんだ?)
周囲を見回すユーリ。
「御主人様に何をしたんですか?」
エスタンが険悪な声を発し、殺気を孕んだ視線をユーリにぶつける。メッサラーの異変が、ユーリが何かしたと思い込んでいた。
「何もしてないよ」
「はー? 何もしていないのにこんな風になるわけありませんしー。こうなっては、話し合いは無しってことで、御主人様を護るために、矛を取らねばなりません」
「よせ……エスタン……」
今にも襲いかかろうとするエスタンを、メッサラーが制する。
「よせってどういうことですか。御主人様の頭に魔法で細工しているっぽいですよー。そんな余計なことする奴、放っておけないですよー」
(余計なこと?)
エスタンが発したその台詞が、ユーリは引っかかった。
「ミヤ一派は私を許さんだろう。いずれ相見える。今ここでこの少年だけ殺しても仕方ない」
「戦力を削るため、今がチャンスだと思いますけどー?」
「私は会話がしたくて呼んだのだ」
「はあ……御主人様は律儀ですね。わかりましたよー」
膨れっ面になって、そっぽを向くエスタン。
(どう考えても、主に対する態度じゃないね)
エスタンの言動を見て、ユーリは思う。
「互いに何かある……と認識しているが、その何かが判明しないな。もどかしい所だ。私は……それはとても重要なことだと予感している」
「僕もですよ」
メッサラーの言葉に同意するユーリ。痒い所に手が届かない気分とはこのことだ。
「失礼します」
最早話すことは無さそうだと思い、ユーリはその場を去る。会話ではわからない。戦えば、何かしら刺激があって、互いに何かわかるのではないかと、そんな考えがユーリの脳裏によぎった。
***
「サユリ、ちょっと席を外してくれないかしら? ミヤちゃんとお話したいことがあるの」
「えー? 師匠にずっと抱っこしていたいのだー」
オトメが告げるが、サユリは不満声をあげる。
「後でいっぱい抱っこしていいから、今はいい子にしててね」
「むー、わかりましてー」
渋々とオトメから離れ、部屋の外に出るサユリ。
「オトメさん、サユリのこと甘やかしすぎじゃないですか?」
「うん、私もそう思うわ。でもねえ、あの子も中々難しい子なのよ」
ミヤが指摘すると、オトメは和やかな表情で言った後、神妙な面持ちになった。
「ミヤちゃん、私はまだサユリのために、もう少しここに留まるつもりよ」
オトメの言葉の意味も、その先にくるであろう言葉も、ミヤにはわかった。
「ミヤちゃんも……そろそろ危ないでしょう?」
「ええ、儂もユーリのため、無理矢理延命しております。今はそれに加えて、ノアのためでもありますがね。あの子達を一人前にするまでは……何とか生にしがみつきますよ」
「どうしても駄目になったら、私の所に来て、私と同じ処置をする?」
「言われると思いました。しかし――お断りさせて頂きます。流石にそればかりは受け入れがたいです」
オトメの厚意を、丁重な口調で断るミヤ。
「そう。仕方ないわね」
「オトメさん、儂の正体、弟子達に知られてしまいました。つい最近ね」
ミヤの唐突なその言葉に、オトメは一瞬驚いた表情を見せた後、いたわりの視線でミヤを見た。
「ミヤちゃん、貴女の弟子達はミヤちゃんのこと、とっても慕って信頼しているのね。特にユーリ君は、人喰い絵本にお母さんを奪われて、ミヤちゃんが魔王だと知って、それでもなお貴女を師として、ついてきているのよね」
「ええ……。儂が罪深い存在なのは今更ですが、あの子の母親を殺めておきながら、あの子の母親代わりになって、慕われている。この罪は……」
「ミヤちゃんが直接殺したわけでもないわ。いくら人喰い絵本をミヤちゃんが呼び込んだと言ってもね」
「そう割り切れないから、三百年もの間、苦しんでいるのです」
慰めの言葉をオトメに、ミヤは自虐的な笑みを浮かべた。
***
家の中に足を踏み入れた瞬間、悪臭が漂ってきた。
家の中は女の彫像だらけだった。ノアは芸術に造詣が深いわけではないが、それでもどれも素晴らしい出来だと感じる。
ノアの前には、やや肥満気味のもじゃもじゃ頭の男が異様な目つきでノアを見ている。常人なら気味が悪いと感じる顔つきと視線。しかしノアは意に介さない。
「改めて自己紹介する。ベ・ンハだ」
「ノア・ムサシノダ」
互いに自己紹介をする。
「この彫像の中に、モデルになった女が詰まってるとかある? それともあの爺みたいに、彫像にされているとか?」
「どららも無い。俺がこの手で彫った、純然たる彫像だ」
ノアの質問に、真面目に答えるベ・ンハ。
「頭ちゃんと洗ってる? 臭いんだけど」
「たまに水で洗う」
「たまに? 毎日ちゃんと頭髪洗剤つけて洗いなよ。こんな風に」
「ぶっ!?」
突然ベ・ンハの頭部に水分と洗剤が現れ、激しくシェイクされる。ノアの魔法によるものだ。
「どう? すっきりしたよね?」
「中々……愉快で破天荒な性格をしているな。面白い」
問答無用で魔法で洗髪してきたノアを見て、ベ・ンハがにたりと笑う。すでに髪は魔法で乾燥もされている。
「面白いからこそ、もっと知りたい。お前のことを。そして用件だが……彫刻のモデルになってもらいたい」
ベ・ンハが要求する。
ノアは何も答えない。沈黙したまま、相手の次の言葉を待つ。
「相手を知れば知る程、良い彫像が彫れる。気持ちが込められる。個性的な女がいい。賢い女もいい。気の強い女もいい。弱い女でもいい」
「いいね、それ。殺人鬼の多くには、そうしたこだわりがある。特異な性癖がある。母さんもそうだった。そういうのはいいよね」
ベ・ンハの話を聞いて、ノアは微笑を浮かべた。
「わかってくれなくてもいいぞ。この価値感は、俺だけのスペシャルだ。共感してくれなくてもいい」
「全部わかるわけではない。共感できるのは部分的なものだけだ。俺にもそういうのはある。こういう相手だと殺しが燃えるって奴ね。そして俺は今、そういう相手と遭遇しているよ」
「そうか」
ノアの言葉に頷くと、ベ・ンハは呪文を唱えた。
直後、ノアの両手足が不可視の力で拘束される。ノアの体が床に倒れる。
ノアは抵抗せず、興味津々といった顔でベ・ンハを見る。
「これ、どういうつもり? 変なプレイ?」
「モデルになってもらうと言ったろう? その一環だ」
おかしそうに尋ねるノアに、大真面目に答えるベ・ンハ。
「俺はモデルのことを出来るだけ知りたいと言ったろう? その一環だ。色々な感情を見たい。表情を見たい。最終的には死体をモデルにして彫像を掘る予定だが、そこに至る過程の段階が重要だ。お前のような美しく、そして尖っている娘は、特に楽しめそうだ。きっといい彫像ができるだろう」
「へえ、楽しそうだねえ」
それまで無表情だったベ・ンハが、いつの間にかうっとりとした表情で語る様を見て、ノアの心に火がついた。
「あんた今、俺の前でいい気になっていたよね。調子こいてたよね。陶酔していた。悦に浸って自分語りしていた。幸せそうだった。幸福だとアピールしていた」
久しぶりに強い怒りに身を焦がし、強い殺意の炎を魂に宿した事に、ノアは悦びに打ち震えていた。
昏い享楽。昏い愉悦。昏い恍惚。久しぶりの在るべき自分。ミヤとユーリと共に暮らしだしてから、ノアが忘れていた感情。昔の自分が戻ってきたことに、ノアは喜んでいる。ベ・ンハという歪んだ男が、歪んだ欲望を自分に向けたことで、そしてそれによってベ・ンハが歪んだ至福を見せつけた事で、ノアはかつてのノアに引き戻された。
「俺が一番嫌いな奴はさ、俺の前で幸せアピールする奴だ。そして俺が一番好きなことは、俺の前で幸せアピールした奴を殺すことだ」
楽しそうに喋りながら、ノアは立ち上がった。ベ・ンハの術の拘束はあっさりと解かれた。
「良い台詞だ。俺の記憶に留めてやる。お前の彫像を見る度に、お前のその台詞を思い出すことになる」
ベ・ンハもさらなる昂りを覚える。ノアが魅力的過ぎてたまらなかった。最高のモデルだと感じた。興奮が最高潮となり、最高の作品が作れると確信した。興奮のあまり、勃起すらしていた。
「抗えるなら精一杯抗ってくれ。その方が良い作品が出来る。お前そのものを俺にぶつけてくれ」
そう告げるなり、ベ・ンハが呪文を唱える。
ノアは邪魔をしようとしない。あえて唱えさせる。
室内に女のゾンビが次々と湧きだす。
「死体にしたモデル達は、その後も俺の元において、ゾンビにして愛でている。ぞんざいに使い捨てるような真似はしない。大事にしている。当然お前も――」
「大事に? 俺と戦わせる時点で、大事にはしてないと思う」
ノアがベ・ンハの台詞を遮って言うと、魔法を発動させた。
ゾンビ女達が一人残らず床に伏した。重力弾が放たれたのだ。強力な重力がゾンビ女の体を押し潰していく。腐敗した血肉が弾け飛ぶ。
「ほら、ばらばらのぐちょぐちょだ。全然大事に扱われてない」
部屋中に散乱した血肉を見渡し、ノアはおかしそうにくすくすと笑っていた。




