30-1 祈りは精神の自己愛撫
朝。ミヤの家の広間。
「また先輩、祈ってる。ああ、師匠も祈ってるね」
自室から出てきたノアが、テーブルの前で座って祈っているユーリと、祭壇の前で祈っているミヤを見て言った。
「神様へのお祈り、すごく嫌い」
「僕は習慣になっているんだから仕方ないよ。何でノアは祈りを嫌うの?」
仏頂面で言い切るノアに、ユーリが苦笑気味に尋ねる。
「祈りはタダで出来るしょうもない自己満足だから。実際には何の効果も無い。自己満足で自分の気持ちを落ち着かせるだけ。精神の自己愛撫。気持ち悪い」
「気持ち悪い家族に囲まれて不幸だろう? 嫌なら出ていきな」
言いたい放題のノアに対し、ミヤが不機嫌そうに言い捨て、トイレに向かう。
「あんなこと言わなくてもいいのにね。婆は言葉選ばなすぎ」
「それはノアの方に言えることだからね。家族相手でも言葉を選ぼう」
不貞腐れるノアに、ユーリはやんわりと注意すると、立ち上がって掃除を始める。
ノアも掃除を始めた。柱時計の老人の彫像を磨きにかかる。
「こないだのホラーは何だったんだろう」
掃除をしながらノアは、老人の彫像が憤怒の形相になって、ポーズも変わっていたことを思い出す。ミヤ曰く、友人から預かって管理している呪物のようなものと言っていたが、その正体は教えて貰えていない。
「あ……」
ノアが像菌をかけている途中、老人の彫像がぱかっと音を立てて、縦に真っ二つに割れて壊れた。
「どうしよう……婆に凄く怒られる。ポイントマイナス三桁は確実だ」
「落ち着いて。魔法で直しておこう」
怯えるノアに、ユーリが言ったその時、ミヤがトイレから戻ってきた。
「ふん、まんまと儂の目を欺いたもんだ。しかし封印をかけなおした時には確かに存在していたし、あの後またすぐに封印を自力で解いたということかい」
壊れた彫像を見て、ミヤが鼻を鳴らす。
「師匠、どういうことです?」
脈絡の無い台詞話口にするミヤに、ユーリが尋ねる。
「これは偽物だね」
「偽物?」
ミヤの言葉を訝るノア。
「この偽物を作ったのは、彫像にされて封印されていたあの爺だよ。あいつはずっとここで封印されていたのさ」
「あいつ? 人間が封印されていたんですか?」
「ああ、魔法使いの犯罪者がね。殺すことが出来ないから、封印という処置がとられて、儂がずっと管理していた」
ユーリの問いに、淡々と答えるミヤ。
「呪いの家具どころか人間を彫像化して封印したものだったなんて、イカしてる話だね」
「イカしてるの? それ」
ノアの発言に、ユーリが突っ込む。
「不死の魔法使いメッサラー。まあ厄介な奴さね。もう二百年以上生きているが、不死であっても不老ではない」
意味深な口調で語るミヤ。
「ま、奴の行き先はわかっている。今から追うとしよう。サユリも連れて行くかね」
「え? 何でそこでサユリさんの名が出てくるんです?」
ユーリが不思議そうな顔になって問う。
「あの彫像の爺――メッサラーはね、歳が離れたサユリの兄弟子に当たる。そしてメッサラーの彫像を儂に預けたのは、サユリの師匠なんだよ。サユリの師匠のオトメさんがメッサラーを封じ、儂に預けた次第だ」
「師匠が他人をさん付けしてるっ」
ノアが驚く。
「儂より少しばかり年上だからね。年上にはちゃんと敬意を払わないといかん」
当然であるとして言い切るミヤだった。
***
一人の老人が、その地に足を踏み入れる。
森の中には木製の道が伸びている。それは地面に沿う橋であるかのようだ。
木製の道をしばらく歩いて行くと、若干開けた空間に出る。高い樹木の間を、何本もの木製の道が伸びている。これらはまさに橋そのものだ。10メートルほどの高さを南北に、20メートルの高さに東西に、30メートルの高さでは南東から北西にと、高さも向きも異なる位置に、無数の橋がかかり、その上を人が歩いている。異なる高さの橋へと行き来するための、木製の階段もあちこちにある。
橋の合間には、木製の広間に空中に設けられている。これまた異なる高さに幾つもある。広間では様々な衣装を身に着けた老若男女がいる。人種も服装も年齢もそれぞれ異なる者達が、やっていることは一つ。修行だ。
「あれから何年経ったかわからんが、変わらんな。ここは」
老人は懐かしさに目を細める。
老人は歩き続ける。風景はその先も変わらない。見上げれば、異なる高さに異なる方角に橋のような木製の道が伸びている。空中広間がある。たまに建造物も見受けられる。
老人の名はメッサラー。かつてこの地で修行と研究に明け暮れていた。
「エスタン? あれから何年になるのだ?」
メッサラーが歩きながら声をかけると、突然老人の横に、メイド服を着た背の高い女性が現れた。
「はー……御主人様、やーっと戻ってきてくれましたかー。三十年ほどかと。貴族の反乱で王制が崩れてしばらく経ってから、御主人様も封じられたので」
「はっ……そんなに経ったか」
メイド姿の女性エスタンの言葉を聞いて、メッサラーは皮肉げに笑う。
「ちなみについ最近、王制は復権しました」
「ア・ハイの政治のことなどどうでもいいわ」
エスタンの報告を聞き、メッサラーは冷めた目で吐き捨てる。
「魔法使いと魔術師の地位も元通りになりましたよ。魔術学院と魔術師ギルドが再建されました」
「それもどうでもいい。私も師匠も、この修験場ログスギーに居続けたが故に、世俗の影響は何も受けず、研究に没頭できた。そして私の研究は大きく飛躍した」
秘薬したがしかし、望みは叶っていない。その叶わぬ望みを今度こそ叶えねばと、メッサラーは強く誓う。
「御主人様の大いなる研究が、今度こそ成就しますように」
「ふん、誰に祈っているのやら」
祈りのポーズを取るエスタンを見て、つまらなそうに吐き捨てるメッサラー。
「誰にでもありません。神様に祈っているわけではありません。運命そのものの流れに祈るとでも言いましょうか」
「つまりそれが神のようなものではないか? 祈りで運命が動けば世話がないわ」
メッサラーがニヒルな表情になって憎まれ口を叩く。
「そうですね。祈りとは究極の自己満足に過ぎないでしょう。それは私もわかっていますよ」
エスタンが肩をすくめた。
「我が師オトメと愚弟サユリはまだ健在か」
「サユリはア・ハイに名を連ねる魔法使い序列三位となりました」
「わざわざ名を晒し、公僕として魔法使いとしての業務に携わるとは、つくづく愚弟だな」
エスタンの報告を聞き、メッサラーは眉をひそめる。
「御給金はいいですからね。ああ、オトメ様もまだ、このログスギーにおられるようです」
「まあ、そうであろうな。しかしまだ生きている、か……」
エスタンの報告を聞き、メッサラーは再度眉をひそめた。先程は弟弟子への呆れであったが、今度は別のニュアンスだ。師匠に不審を覚えていた。
(三十年経過したのにか? あの時にはもう……)
何かを考えようとして、メッサラーの思考は急に途絶えた。不自然な形で思考が切り替わった。しかしメッサラーはそれを不自然と意識する事も無かった。
***
洗っているかどうかも定かではないぐしゃぐしゃの髪。まばらな無精髭。半開きの口。欠けた歯。左右で位置も形も大きく異なる細い目。くすんだ肌。肥満気味のだらしない体型。極めつけは所々敗れているうえに、汚れまくった服。彼のその姿を一目見れば、大抵の者が悪印象を抱く――そんな見た目の男だった。一言で言えば不潔。二言言うなら不潔かつ不気味な男だ。
不摂生を絵に描いたような生活を送っているからこそ、男の見た目もそれに相応しいものへと変える。彼は睡眠時間も食事の時間ばらばらなうえに偏食。部屋の掃除もろくにせず、風呂もあまり入らない。おまけに同じ服を何日も着っぱなしだ。
男は像を彫っている。半裸の女性が奇妙なポーズを取っている彫像が、かなり出来上がっている。
男の前では、半裸の女性が彫像と同じポーズを取っている。その顔には絶望と恐怖が混じった表情が張り付いている。
「お前は選ばれた。俺のモデルとして。俺のスペシャルとして。それは名誉であるが、お前にはどうせ理解できない」
一心不乱に彫刻に明け暮れていた男が、不意に口を開く。
「祈れ。必死に祈れ。自分を助けてくれて、神に祈れ。祈ればその祈りが通じるかもしれない。それがお前に出来る唯一のこと」
喋りながら男は、作業を止めた。ノミを逆手に持ち、モデルになっている女に近付く。
「ここまでくれば、生体はいい。何を言ってるかわかるか?」
男に問いかけられ、女性の絶望の色が濃くなった。しかし声はあげられない。身動きもできない。瞬きと表情の変化くらいしか出来ない。
「モデルは生体より、死体である方が好ましい。生体である時間は終わりだ。生体であるお前のことは、十分知ることができた。死体になれば、さらに本当のお前がわかる。死体は嘘をつかない。相手を知れば知る程、クオリティーの高い作品を彫れるのだ」
喋りながら男はノミを女の喉元に振り下ろす。
と、そこに老人とメイド姿の女性が現れる。メッサラーとエスタンだ。
「相変わらずだな。ベ・ンハよ」
女の死体を一瞥して、メッサラーが言った。
「メッサラー老。やはり生きていたか。どこで何をしていた?」
ベ・ンハと呼ばれた男が問う。
「殺せぬ私を、彫像にして封印してきよってな。あの彫像はお前が作ったのではなかろうな?」
「私は女しか彫らん。で、三十年振りに続きをしようというのか? 御老体」
淡々と問うメッサラーに、淡々と問い返すベ・ンハ。
「そのためにお前を訪ねた。他に理由などあるものか」
つまらなそうな口振りで答えるメッサラー。
「三十年も封じられている間に、俺が心変わりしている可能性もあるぞ」
「ふふ……無いだろう。三十年前と同じことをしているお前だ」
ベ・ンハの台詞を聞いて、メッサラーが初めて笑った。
「俺は御老体と違って、研究者としての才は薄い。それを痛感した。俺は芸術家としての道を行きたいと、そう思って過ごしてきた」
「ふむ。それでは誘いも断るか」
「いいや。メッサラー老が蘇ったのであれば、再び志を同じくするのも吝かではない。しかし今日はこの作品を仕上げるのが先だ」
ベ・ンハが言い、再び彫刻の作業に戻った。




