24-1 再び吸い込まれる
夢の世界。坩堝の前。
「ここは~あらゆーるー世界~が、混じりー合うー場所~♪ いーわばー♪ 不滅のへ世界~だー♪」
耳障りな調子はずれの歌が響き、ミヤは顔をしかめた。
「ようミヤ。今度はお前が来たか」
嬲り神が嬉しそうに笑いながら手を上げる。
「こうしてお前と二人きりになると懐かしくないか? ここで俺とお前は初めて会った。そいつが物語の始まりだ。人喰い絵本と――」
途中で言葉を切る嬲り神。何かを迷い、言葉を選ぶ。そして言い直す。
「人喰い絵本は滅びゆく世界。断片世界。次々と生み出されては、悲劇の海に沈む世界。だがよぉ、お前達のおかげで多くの世界が、悲劇から救われたぜ? 滅びを免れたぜ?」
「絵本の物語の悲劇が回避できなかったら、その世界は滅んでしまうのかい?」
「全体が滅びの海に沈んでいく――かな?」
ミヤの問いに、嬲り神は肩をすくめて曖昧な表現で答える。
「今、誤魔化したのかい? 何か言いかけて、言おうとしたことをやめてなかったか? 二度くらい誤魔化したね」
ミヤが指摘すると、嬲り神は微苦笑を零す。
「ああ……そうだな。言っちまうか。お前達が人喰い絵本と呼ぶ俺達の世界は、お前と俺との出会いが原因で、お前のいる世界の住人を呼び込むようになった」
「今更だ。ずっとそうだと思っていたよ。儂の憎しみに感化されて、悲劇の世界と同調したわけだね」
嘆息するミヤ。
「ミヤの世界でも、人喰い絵本は魔王が残した災厄と伝わっているだろ?」
「三百年前を境にして現れた災厄は、何でもかんでも魔王のせいにされているが、魔物や破壊神の足は、魔王が蒔いた種さ。それは間違いない。でもね、淡い望みもあったよ。ひょっとしたら人喰い絵本は、儂のせいでは無く別の理由じゃないかっていう、淡い望みがね」
喋りながらミヤは、胸の痛みを覚える。
「ところで――気にならねーか? 悲劇を免れた世界の未来を。あるいは過去も」
話題を変える嬲り神。こちらが本題だ。この話を伝えに来た。
「あるんだよ。ダァグ・アァアアという絵本作家に描かれたこの世界は、その物語が生まれた瞬間、横にも縦にも広がる。前にも上にも。後にも先にもな。絵本も小説も演劇も、作者の見えない所で確かに世界は存在している。そうでないと世界は成り立たない。構成されない。構築されない。作者の頭に無くても、作品の中に記されなくても、描かれなかった領域は、当然あって然るべきだ。町も自然も住人も未来も過去も」
理屈で考えればそれは当然だと、ミヤは感じる。絵本世界の住人達にも命があり、魂がある。絵本として描かれた中だけで完結しているわけではないだろうと。断片的に創られた世界だろうと、作者の知らぬ所で世界はあるだろう。
「これから呼ぶ世界は、ダァグ・アァアアが未来を描かない世界だ。結末を書いていない世界だ」
「これから呼ぶ世界だと?」
その一言にミヤは強く反応した。不吉な予感がした。
「俺が呼ぶぜ。人喰い絵本の扉を開く。精鋭を連れてこいよ。何せ今度はハードだぜ~。ユーリとノアの面倒、しっかり見ておけよ。下手すりゃあの半人前共は、おっ死んじまうからよォ」
「ふん、侮るな。あの子達はそう容易く負けはせんよ。もちろん儂もな」
挑発する嬲り神に、ミヤが不敵に笑う。
「あー、あー、あーあー、それ無意味。そういう意気込み、全く無意味で無駄。負けないだの、頑張るだの、勝つだの、いっくら気合い入れて臨んでもよ、本人の意気込みなんてもん、運命つータチの悪い絶対的なもんの前じゃあ、チリ紙みてーに簡単に吹き飛ばされるように出来てるんだ。何をどう足掻いてもどうにもならない運命の壁が、この世にはあるんだよ。それは創造主であるダァグ・アァアアでさえ、どうにもならねえんだ。虚しいもんだ」
へらへら笑ったまま、本当にニヒルな口調で喋る嬲り神。
「それはかつてのお前のことかい? 精一杯努力しても、運命に勝てずに心折れたのか? そういう経験があったからこそ、そういう台詞が出たんじゃないか?」
ミヤが意地悪い口調で指摘すると、嬲り神は笑みを消した。
直後、ミヤの意識は夢の世界から現実へと引き戻される。
「ふん、逃げおった」
自室の風景を目にしたミヤは、嘲笑気味に鼻を鳴らした。
***
ディーグルが現れた翌日、ユーリとノアは二人並んで繁華街を歩いていた。
「ディーグルって奴、最強の八恐と言うだけあるね。あのジャン・アンリに優勢に戦っていた」
「うん。それも凄いとは思ったけど、僕が気になったのは、師匠とのスタンスかな」
ノアとユーリは歩きながら、先程いきなり現れたディーグルのことを喋っている。
「ディーグルは婆に親しげに接していたけど、婆はディーグルに対して躊躇い気味というか、壁作っていたというか、信用してないというか、とにかく思う所ありな雰囲気だった」
「それは俺も感じた」
ノアもユーリと同じ見方だった。
「西方大陸と敵対しているような、そんな発言も気になる。僕達の前で堂々と喋ってたけど。でも師匠は西の大陸のこと嫌いだから、聞くに聞けないな」
「魔王のことも駄目、破壊神の足の話題も駄目、あの婆は会話にタブー多すぎて面倒」
「嫌な思い出があるからなんじゃないかなあ」
「嫌な思い出か……。そうか、それは俺にもある。そうだね。嫌な思い出なら仕方ない。余計なぜんまいは回しちゃ駄目だね」
ユーリに言われて、ノアは考え方を改める。
「ディーグル、登場の仕方からして随分とお騒がせな奴っぽかった。見た目は紳士ぶっているけどさ」
「そうだね。盲神教の教祖がディーグルさんだったし」
「もう盲神教の調査はいらないよね? 婆が感じていた教祖への縁の正体だって、これで判明したしさ」
「うん。一応ミッチェルさんに挨拶しに行こう」
「面倒。でも先輩がそう言うなら仕方ない。先輩っ本当に糞真面目で義理堅い」
これもミヤの躾の賜物なのだろうかと、そんな風に思うノアだった。
そんな二人の前方から、ディーグルとアルレンティスが肩を並べて現れる。
「噂をすれば、だね」
ノアが言う。
「昨日振りです。おはようございます」
「どうしたの? 何だか警戒気味だけど」
ディーグルがにっこりと微笑み、アルレンティスがユーリとノアを見て訝る。
「昨日色々あったせいで、私に対して警戒しているようです」
ディーグルがアルレンティスに言った。
「はあ……。そうなんだ。よくわからないけど、二人共、ディーグルを警戒しなくていいよ。悪い奴じゃない」
「元魔王の部下なのに?」
アルレンティスの台詞を聞いて、ノアがおかしそうに突っ込む。
「ディーグルさんの行動がよくわかりません。西の大陸の人達とずっと敵対していた人――ということはわかりましたが、それが師匠とも繋がりがある雰囲気でしたし。その理由、教えて頂けませんか?」
ユーリがディーグルに向かって、正直に不審を伝えたうえで尋ねた。
(そして師匠は西方大陸の話題を避けたがる。それだけの理由があるということだ)
その謎がディーグル経由で聞けるかもしれないと、ユーリは期待していた。
「なるほど。ミヤ様は貴方達に、西の件に関して触れていなかったのですね。しかしミヤ様は貴方達の前で私が喋ることを許していましたから、絶対に秘密にしなくてはならないこと――というわけでもないのかもしれません。しかしまあ、ミヤ様が裂けているというなら、無断でその話をするわけにもいきません。ミヤ様がどのように考えているかも計りかねますし」
「まあ、僕達もどうしても聞きたいという程の話でもないですけど……」
ディーグルにやんわりと断られ、ユーリは言った。聞けたらいいな程度の期待だったので、がっかりはしていない。
「こんなことストレートに訊くのも何ですけど、ディーグルさんは、師匠の味方だと信じていいんですよね?」
「もちろんですよ。そして貴方達の味方でもあります」
ユーリに問われ、ディーグルは優しい笑みを広げる。
「目が嘘をついていな。信じていい。俺はそう信じる」
ノアがディーグルを見て言った。
「ありがとうございます。目でわかるのですね?」
「ううん、実はよくわからない。実は適当に言っただけ」
「ノア……」
ディーグルに問われ、ノアはあっけらかんと言い放ち、ユーリは苦笑していた。
「本当凄く疑われてるなあ……。ディーグル、一体何したの?」
アルレンティスが尋ねる。
「後でゆっくりお話致します。少なくともミヤ様の信用を損なう行為に及んだ覚えはないのですが」
「はあ……。勝手に西にちょっかい出していたのに? あれはミヤ様だって否定していたじゃない」
ディーグルの台詞を聞き、呆れ気味に言うアルレンティス。
(そう言えば……おかしいな)
ふと、ノアは疑問を覚えた。
(ユーリ、シモン両先輩は、婆のことを師匠呼びするのに、弟子である八恐って皆、師匠とは呼ばない。ミヤ様と呼ぶ。どうしてだろ)
***
魔術学院。昼休み。
チャバックはいつも通り、ウルスラ、ガリリネ、オットーの三名とつるみ、雑談を交わしていた。
「教会と盲神教の争いは和解という形で終わったそうだ。大事になりすぎたせいで、貴族連盟も黙っていられず、そして今回に限っては教会を特別扱いもせず、双方に罰金処罰だとよ。そして教会に、異教への弾圧は控えろと注意したらしい。すげーことになったな」
「それって凄いことなの?」
新聞の内容を話して聞かせるオットーに、ウルスラが不思議そうに尋ねる。
「ああ、すげーことだぜ。このア・ハイは教会一強の状態がずっと続いていたし、あいつらが他の宗教に何しようと、見て見ぬ振りしてたってのによ。いくら騒ぎになったからといって、こんな沙汰が下るなんて、教会の坊主共もさぞかしびっくりしてんだろうなあ」
オットーが小気味よさそうに言う。やりたい放題やっていた権力者が一泡吹かされた痛快な話だと、オットーは受け止めていた。
「多分猫婆のおかげー。オイラ、朝に猫婆と会ったんだー。そして教会と盲神教の話をしたんだよー」
「大魔法使いミヤが何かしたの?」
嬉しそうに報告するチャバックに、ガリリネが尋ねる。
「教会と盲神教の喧嘩に関わっていたんだってー。騒ぎを起こした原因は、教会が頑固者だからつけこまれたからだーとか、貴族の偉い人達に言いつけてやったって言ってたよう。だからきっとそれが原因だとオイラは思うー」
「何ていうか、ミヤ様がこの国の裏トップって気がしてきた」
「連盟議長のワグナーでもミヤには頭が上がらないって話も、聞いたことあるな」
チャバックの話を聞いて、ウルスラとオットーが言った。
「八恐の一人である、ウィンド・デッド・ルヴァディーグルとかいうのが現れたって話もある。こいつも大魔法使いミヤの弟子なんだとよ」
新聞に書かれていたことを、さらに伝えるオットー。
「名前長くてオイラ覚えられそうにないよう」
チャバックが言ったその時だった。
(チャバック……チャバック……ごめん、またこっちに呼ぶことになるみたいだ……)
(チャバック、また会えるようだぜ……)
突然チャバックの頭の中に二つの声が響いた。
「どうしたの? チャバック」
呆然とするチャバックを見て、ウルスラが声をかける。
(あの声は……ジヘと嬲り神……。つまり……ここにもうすぐ現れるっ)
二つの聞き覚えのある声が聞こえたことで、一つの答えに行き着いたチャバックは、血相を変えて友人三名を見た。
「皆ここから逃げてっ! オイラから離れて!」
チャバックが血相を変えて叫ぶ。
「な、何だよ……」
「ただごとじゃなさそうだね」
オットーが戸惑いながら、ガリリネは冷静に、チャバックの言葉に従う。
「危ないならチャバックも一緒に――」
ウルスラが言いかけたその時だった。
教室の空間に、チャバックの後方に、巨大な切れ目が走り、あっという間に空間の扉が開いた。
チャバックは真っ先に吸い込まれた。ガリリネ、オットー、ウルスラも吸い込まれた。
チャバック達だけではなく、クラスの半分以上の学生が吸い込まれた。何人かは逃げ延びた。
「これ……人喰い絵本?」
「前に見たことある。人喰い絵本の扉だ。でもこれは……物凄く大きい……」
「何人も吸い込まれたぞ……」
逃げ延びた生徒達が、教室の中に開いた空間の扉を見やりながらざわつく。




