23-1 ふわふわとぽかぽかの正体
「完璧なものなど存在しない。人は完璧になれない――という考えはどうだろうか」
アザミとシクラメの二人を前にして、ジャン・アンリは絵のスケッチをしながら語る。人物画を描く事が多いジャン・アンリだが、その日は静物画を書いていた。スケッチブックに水彩画でリンゴの絵を描いている。
「しかし人は上を目指す。人は失敗する。数字には上限が無いため、人は決して上限には及ばないと知っている。人は完璧な領域に到達できない。人はそれを知っているにも関わらず、上を目指し続ける。それは矛盾ではなく、虚しい抵抗でも無い。人であるが所以であると解釈してよろしいか?」
「僕達の目的の大部分は達成されたようなものだけど、ジャン・アンリは欲張りさんだあ。まだ満足してないんだねえ」
ジャン・アンリの話を聞いて、シクラメが心なしか揶揄するような口振りで言った。
彼等の組織K&Mアゲインの目的の一つは、魔術師と魔法使いの地位回復だ。様々な要因が重なり、その目的の大部分は達成されたと言っていい。これまで禁止されていた魔術師同士での組織化が解かれ、魔術学院も新生された。
「貴族の権限を剥奪するまで、私達の戦いは終わらないという事にしておこう。否。全ての人間が幼少より魔術を学び、魔術師になる事が私のゴールという事にしておく」
壮大な目的を口にするジャン・アンリ。それは夢物語ではなく、ジャン・アンリは確かに実現を目指している。
「そいつが達成されれば、次の戦いを見つけちまう。安寧なんてねェんだ。生きている限り戦いは終わらねーさ」
テーブルの上に足を組んで座ったアザミが、肩をすくめて吐き捨てた。
「それとよォ、ジャン・アンリ。てめーは貴族に対して個人的な恨みもあるようだから、その辺が引っかかるわ。私怨はやめとけよ?」
ジャン・アンリを睨み、低い語気で釘を刺すアザミ。
「私怨が無いわけではない。しかし私の私怨と目的を切り離し、論理的に考えても、現在のア・ハイの貴族は、人類の可能性の足を止める者達であると断ずるのはどうだろう? 理解してもらえたか?」
アザミの視線を受け止め、ジャン・アンリは無表情に返す。
「ジャン・アンリは何考えているかわからないから、そう言われてもアザミは不安なんだよう」
「糞兄貴、余計な口出しするな」
くすくす笑うシクラメを、アザミが不機嫌そうに睨む。
「では、それは心外であると言っておく。私は同士の前では、思ったことをちゃんと口にする。仲間を騙す真似をしてどうなるのだろう?」
もっともなことを口にするジャン・アンリ。
「しかしアザミも不安になるのか。不安顔のアザミが無性に描きたくなった。このリンゴの表面にアザミの不安顔を描くというのはどうだろう? いや、そうしよう」
ジャン・アンリがテーブルの上にあったリンゴを一つ手に取り、大真面目に問う。
「わぁい。描いて描いて」
「ふざけんな。ふつーに描くならともかく、何でリンゴの表面に人の顔描くんだよ。あたしは妖怪かよ」
シクラメが喜ぶ一方、アザミは眉間にしわを寄せる。
「盲神教という連中も、我々と似ている。だからこそ組んだと解釈してよいか?」
「改革を目指す者として、今のア・ハイの体制が気に入らないという点で、あたしらとあいつらは同じだ」
ジャン・アンリが問うと、アザミは視線を逸らして、神妙に表情になった。
「ただなあ……ソッスカーで活動するのはどうかと思うぜ。絶対に教会に目をつけられる」
盲神教の活動の仕方に、アザミは懸念を抱いていた。
ア・ハイ群島は、『教会』とだけ呼称されている宗教一つが幅を利かせており、他の宗教勢力がア・ハイ群島で流行らないようにしている。ア・ハイに教会以外の宗教が皆無というわけではないが、他の宗教は地方で少人数の信者を抱え、目立たぬように細々と活動している。
故に盲神教が首都ソッスカーに進出すれば、教会との対立は避けられないと考えられる。
「教会と対立した際、我々は助けに入るのか?」
ジャン・アンリが伺う。
「ケッ。藪の中に蛇がいるとわかっていて手を突っ込んで、噛まれた間抜けが、蛇を退治してくれだの、毒を吸いだしてくれだのと、んなことを大真面目に言ってきたら、相手にしてやるのか? 冗談も大概にしろって話だぜ。そんな馬鹿野郎は相手にしたくねーよ」
「その場合、虎の尾を踏みに行くという例えの方が適切なのではないか?」
吐き捨てるアザミに、ジャン・アンリが突っ込んだ。
***
「あ、猫婆だ。今日は~。猫婆一人って珍しいねー」
朝、ミヤが繁華街を歩いていると、チャバックが声をかけてきた。
「ふん。儂だってたまには一人で買い物するよ。ユーリやノアには知られたくない買い物だってするしね」
ミヤの口元が自然と緩む。どういうわけか、チャバックを見るといつも懐かしく温かい気分になる。
(この子とも多分縁があるんだろう。昔、儂が親しくなった者の生まれ変わりなのかねえ)
チャバックを見上げ、ミヤは思う。
「えー、それって何~? 教えてえ」
「弟子にも教えんのに、お前に教えるわけがなかろう」
茶目っ気たっぷりな表情と声のチャバックに、ミヤも珍しく茶目っ気に満ちた声を出す。
ユーリとノアはチャバックの見送りを辞めた。いじめられる可能性は無いと判断したからだ。
「チャバック、昔に比べて随分と表情が明るくなったじゃないか」
「えー? 昔暗かった?」
ミヤから指摘され、チャバックが意外そうな声をあげる。
「笑っていても、陰があったよ。今は陽のオーラが内から溢れ出ているのが儂には見える。充実した毎日を送れているようだね」
「うん。オイラ魔術学院に入って、毎日ふわふわして楽しいんだー。このふわふわな気持ち、何なんだろー。ふわふわだけでなく、ぽかぽかもしてる~」
「そのふわふわとぽかぽかの正体はね、幸せって奴だよ」
「幸せ……」
ミヤの言葉を聞き、チャバックははっとした。
「オイラ、自分のことずっと不幸せだと思ってたよう。人より悪い、人より駄目、人より劣る、そう思ってたし、皆に出来損ないの子って言われて、見下されて、罵られて……辛かったのに……」
「チャバックや」
沈みがちな顔になるチャバックを見て、ミヤは優しい声をかける。
「今は誰もオイラを罵らない。それどころか逆に褒めてくれる。何だか今の自分が信じられないよ。ひょっとしてオイラ、ずっと夢を見ているの? だったらずっと夢の中にいたいなあ」
「あのね、チャバックや。魔術学院に通う前だって、お前のことを認めていた者はおっただろう? ユーリ、ノア、スィーニー、それに儂もな」
「うん、それにブラッシーさんも、ケープ先生も、叔父さんも、あと他に宅配の仕事の親方とか。ああ、結構いる~」
「そしてこれは夢じゃないよ。絶対に。嘘だと思ったら、鼻の穴に指をいれて回してごらん」
「えー? そこはほっぺをつねるんじゃないの~?」
ミヤに優しく促されるも、チャバックは従うことはなかった。
その後、チャバックと別れたミヤはしばらく街を歩くと、今度はシモンを見つけた。教会の僧とシモンが何やら激しく言い合っている。
「シモン、何をしておる」
「おおっ、師匠。良い所に来られた。これぞ仏の導きよ。カッカッカッ」
ミヤが声をかけると、シモンは破顔する。
「大魔法使いミヤ様ですか。シモン様の師でしたね」
僧が何故かミヤを見て、ほっとしたような顔つきになった。
「儂の馬鹿弟子が何かしでかしたのかい?」
「ちょっ、何故に拙僧が悪い前提なのですかっ」
ミヤの台詞に、シモンがあんぐりと口を開ける。
「シモン様が盲神教なる怪しげな異教徒に肩入れしているのです。それで我々が、あまり彼等に肩入れしないで欲しいと訴えておりました」
僧が事情を説明する。
「はんっ、それを言うなら拙僧とて異教徒であるぞ。教会の狭量ぶりは目に余るっ」
「し、シモン様は特例です。魔法使いですし、王族ですし……」
盲神教が取り締まられていると聞き、複雑な気分になるミヤ。
「教会はこの国の一大勢力だろ? その盲神教とやらは、教会が目障りとして弾圧しなくちゃならないほど、悪くて怖い奴等なのかい?」
ミヤが僧に尋ねる。
「我々の教義では異教徒は認めないのです。教会一つに絞ってきたから、ア・ハイは宗教上の衝突が無くやってこられたのです。それはミヤ様も御存知でしょう?」
「ぬうっ、何を申すか。人知れず異教の芽を潰す度に、血と涙を流し続けていたであろう。それで衝突が無いとはよくもまあ厚顔無恥な――」
「おやめ、シモン」
僧の話を聞いて、非難を始めるシモンを、ミヤが制する。
「大司教に伝えておきな。そのやり方がいつまでも続くとは思わないことだと。いつか必ず破綻し、ツケを払う時が来るとね」
「わ、わかりました……」
ミヤが少し厳しめの口調で言うと、僧は狼狽気味に頷き、その場を立ち去った。
「ふん。同じ台詞を昔も言ったね」
皮肉げに呟くミヤ。
「ほほう。誰にですか?」
「誰だっていいよ。そして……昔、これを言った奴と、教会のやり方はよく似ている」
忌々しい記憶を掘り起こされたと思い、ミヤは小さく息を吐いた。
***
ユーリ、ノア、スィーニー、アルレンティス=ムルルン、ブラッシーの五人が、ソッスカーの山頂平野繁華街のオープンカフェで、会話を交わしている。
そのうちノアだけは、先程から席から外れ、カフェの近くに来た野良猫を執拗に撫でている。
「ノア君、猫がそんなに好きなの~ん?」
「そうじゃない。婆をぎゃふんと言わせるために、猫撫でスキル上げしてる」
ブラッシーが尋ねると、ノアは真剣な表情で猫を撫でながら答える。
「にゃんこ師匠を撫でるとぎゃふんと言うの?」
「物の例え。俺に撫でられて婆は絶頂する瞬間をぎゃふんと例えた」
スィーニーがおかしそうに言い、ノアは真面目に言った。
「その表現に繋げるのはどうなんよ」
「撫でられて絶頂とかノア君てばHね~ん」
思わず変なことを考えてしまうスィーニーと、ストレートに口にしてからかうブラッシー。
「発想をそういう風に繋げる方がいやらしい。絶頂は性的な意味だけじゃないんだし」
ノアが猫を撫でながら真面目に返す。
「ムルルンは何してるの?」
スィーニーがムルルンに向かって問う。ムルルンは先程からずっと、小さなメモ帳のようなものにペンを入れている。
「クロスワードパズルなのー。当てればお金が三倍になるのー」
「それ最近問題になっている、老人向けのインチキ賭博じゃん」
ムルルンの答えを聞いて、スィーニーが呆れる。
「ムルルンは昔からこういうのにすぐ騙されるのよね~」
「そうなのー、詐欺のカモとか、ビリーに言われてるのー。ムルルンは悲しいなのー」
ブラッシーが言い、ムルルンは悲しげにクロスワードパズルをテーブルの上に置いた。スィーニーに詐欺だと指摘され、ショックを受けていた。
「魔王の部下でも最強なのに、詐欺にあいやすいとか、しょーもないコメディみたいだ」
ノアが微笑みながら言うと、ムルルンとブラッシーが同時にノアに顔を向けた。
「ムルルンは八恐で最強じゃないのー」
「違うわよーん。アルレンティスは八恐の筆頭だけど、八恐で一番強いってわけじゃないわ~ん。ただ、皆のリーダー格だっただけ~。ま、私と並んで、二番目か三番目の強さだったし、他の五人は、上位の三人と比べて大分差があったというか、はっきりと弱かったけどね~ん」
と、ブラッシー。
「そうなのー。他の五人は弱いし悪かったから、ブラッシーが血を吸ってカラカラのペラペラにしちゃったのー」
「この前も血吸ったと言ってましたね。悪かったって?」
ムルルンの話を聞いて、ユーリが尋ねる。
「んー……余計なこと言っちゃったかしら~ん。私は人間側についたし、アルレンティスとディーグルも、魔王様亡き後は結局人間側に落ち着いちゃったけどね、他の五人はそうではなかったのよ~ん。魔王様の意思を継いで人間に敵対するって言い出したもんで、邪魔だったから、私が始末しちゃったってわけ」
「そうなのー。ブラッシー、おつかれさまままなのー」
ブラッシーが八恐にまつわるエピソードを暴露し、ムルルンが労う。
「歴史の凄い真実が、雑談レベルであっさりと明かされてるんよ……」
「ま、こんなんでも私達、生ける伝説だから~ん」
スィーニーが言うと、ブラッシーが小さく手を振りながら微笑む。
「ブラッシーさんとアルレンティスさんが拮抗しているけど、一番ではないと断言するという事は、一番強い八恐は、一番だとわかるほど飛び抜けて強かったという事ですね?」
ユーリが指摘する。
「そういう事よ~ん。ま、ミヤ様には劣るんだけどね~ん」
と、ブラッシー。
「つまり最強の八恐ってのは、こないだ言っていたウィンド・デッド・ルヴァディーグルさんですよね」
「それ、名前しか知らないわ」
さらにユーリが指摘し、スィーニーが言った。八恐の伝承が伝わっているのは、ブラッシーとアルレンティスだけで、他は名前しか伝わっていない。
「その通りよーん。知られてはいないけど、彼こそが魔王様最強の配下だったわーん」
「魔王様とも一番仲が良かったのー」
ブラッシーとムルルンが言ったその時、ユーリの視線に、カフェに向かって歩いてくるミヤの姿が入った。
「何だいノア。本当に猫撫での特訓しているのかい」
猫を撫で続けるノアを見て、ミヤが苦笑する。
「師匠は猫なのに表情豊かで面白い」
ノアがミヤを見て言った。
「盲神教の奴等、この首都にまで進出してきたそうだよ」
ミヤが話題を切り出す。スィーニーの耳がびくりと動く。
「師匠、盲神教がそんなに気になるんです?」
「教祖のゴア・プルルが気になっていてね。あいつとは初めて会った気がせん。強い縁を感じてならん」
ユーリが尋ね、ミヤが答える。
(西方大陸から来たという時点で――そしてあの国に反発を覚えているという時点で、儂と接点はあると言ってもよいがの)
しかしどのような接点であるかまでは、現時点ではよくわからない。推測や想像はいくらでも出来るが。
(スィーニー、今話せますか?)
その時、スィーニーにメープルCから念話通信が入った。
(メープルC、すぐ近くにターゲットMがいます。念話は悟られる可能性があります)
動揺を抑えつつ、スィーニーが返す。




