20-3 不在の理由
オットーは両親からも兄弟からも虐げられていたが、長女だけは他の家族と違った。オットーを人並に扱った。普通に接してくれた。
しかしその長女も家を出ていってしまい、オットーは心底落胆する事になる。
「ごめんね、オットー。貴方を残していくのは私も辛いけど、私は……幸せになりたいの。父さんや母さんとは、これ以上付き合えない……」
そう言い残して出ていった姉の言葉が胸に突き刺さっている。人をなじることしか知らず、酒と煙草と博打と暴食に明け暮れたあのろくでもない両親に、姉がどんな目に合わされていたのかは知らないが、出て行きたくなる気持ちもわかる。
オットーも姉のように出て行こうかと思ったが、その勇気は無かった。自分は何をしても駄目な人間だと、刷り込まれていたからだ。外に出ても一人で生きていくことはできないと思い込んでいた。
今になってから、オットーは思う。姉のおかげで、自分は心底腐らずに済んだのではないかと。姉がいなければ、自分も両親のような、どうしょうもない屑になったのではないかと考える。
***
飛空艇を降り、首都ソッスカーの地を踏むシェード。
シェードがソッスカーを訪れることは初めてではないが、シェードの主な活動範囲はア・ハイ群島の北部地方であった。
ソッスカー港は人の出入りの激しい場所であるが、違法薬物の混入に目を光らせているため、わりとチェックは厳しい。
「聞いたか? 新生したばかりの魔術学院で、一週間で魔術を使えるようになった天才が現れたとか」
「何かわからんけど凄いことらしいな。でも早熟ってだけで終わる可能性もあるんじゃないか? 噂作りのための捏造の可能性もある」
港の作業員がそんな噂話をしているのが、シェードの耳に入る。
すでにその噂は、飛空艇内でも聞いている。それは新聞にも載っている。御丁寧にも、該当人物の名前と似顔絵付きでだ。
(スター扱いか。勤務先の同僚五人、家族四人を殺害しておきながら、そちらでは全く手配されることなく。どういうからくりが働いているのか。いずれにせよ反吐が出る悪の構図だ)
この世の全ての悪を憎むシェードは、激しい憤りを覚える。
「私は悪を討ち続ける。私は悪を苦しめ続ける。私も悪である。苦しみ続ける」
過去何百回と繰り返した台詞を、ぶつぶつと呟く。
(主は悪を許さぬ。私は主より使命を賜った。悪を討つ使命。そのために私も悪となった。主よ。悪である私を許すことなかれ。私を責め続けよ)
シェードは心の中で訴えると、空を見上げ、陰鬱な気分になった。
「呪わしい……」
澄み切った青空を仰いだまま、シェードは目を細めて呟く。
(悪である自分が呪わしい)
悪を裁くために殺し屋になったシェードであるが、自らの行為を決して正当化はしない。ずっと罪悪感と嫌悪感を引きずっている。しかしそれでも、自分の生き方は変えられない。変えるつもりもない。
(誰か、早く私を裁いてくれ)
自分では変えられないからこそ、自分以外の誰かに裁いて欲しいと、自分を終わらせて欲しいと、シェードは願っている。
***
ユーリとノアが毎日交代でチャバックの御付きをしている。その日はノアの番だった。
「だけどチャバックのガーディアン不要説が、現時点で急上昇中。婆がそう言ってるし」
魔術学院に登校するチャバックの隣を歩きながら、ノアが言う。
「猫婆の言う通りだよー。オイラもう一人でも大丈夫だもんねえ」
にこにこ笑いながら言い切るチャバック。実際、チャバックをいじめるような人物は教室内にはいない様子だ。すでに魔術を習得しているという点で、一目置かれてすらいる。
「鼻水垂らしながら言っても説得力無い。その鼻水のせいでいじめが発生する可能性も有り」
「おっと……」
ノアに指摘され、チャバックは慌てて鼻水を拭く。
「でも鼻水だけでいじめられるなんてことあるかなあ?」
もっともな疑問を口にするチャバック。
「無いかもしれないけど、鼻水垂れっぱなしはよくない。気を付けるべきだ。俺の会社の社員が鼻水垂れっぱなしとか、社長的には嫌だからね」
「ううう、ごめんよう。オイラ気を付けるよ」
ノアに真顔で諭され、チャバックは素直に聞き入れた。
「すまんこって言おう」
「嫌だよー。社員にすまんこと言わせる社長も、社員的に嫌だよう」
「チャバック……社長命令は絶対なんだよ?」
「そんな命令する社長も嫌だー」
ノアに真顔で諭されるも、今度は聞き入れないチャバックであった。
「まあ、他に気がかりなことがあるから、しばらくは同伴するけどね」
ミヤから聞いたミカゼカの事を思い出すノア。
「気がかり~?」
「うん、まあちょっとね」
余計な気遣いになるので、ミカゼカの件はチャバックには黙っていた方が良いと、ノアは判断した。
「おっはよー、ノア、チャバック」
そこにウルスラとオットーとガリリネが来る。ウルスラが朝からはきはきした元気の良い声をあげ、手を振っていた。
「オットー、ミカゼカは?」
「さあ……。今日は来てないな。朝から姿が見えない。いつもべったり一緒ってわけじゃねーけど、朝からいないのは初めてだ」
ノアが問い、オットーが答える。
(アルレンティス=ミカゼカが姿を消した。これは何かある前触れと言えるのかな?)
勘繰るノア。
「ねね、ノアも大花火大会、一緒に行こうよ」
「行こう行こう」
ウルスラが誘いをかけ、チャバックも呼びかける。
「うん。行くつもりでいた。婆やスィーニーとも一緒に行く予定だから、皆で行こう」
微笑みながら答えた後、突然立ち止まるノア。そして振り返り、何も無い場所をじっと見つめる。
「ノア、どうしたの?」
ガリリネが不審がって声をかける。
「気付いたのは俺だけか。挨拶しておいた。気付いているぞってね」
不敵な笑みをたたえて、何も無い場所を見つめ続けるノア。
「誰かに尾行でもされてるってこと?」
「そのようだけど、誰を尾行しているのかまでかはわからない。要注意」
尋ねるガリリネに答えると、ノアは再び歩きだす。
「それって私かも……。昨日も父さんと母さんが来たし、見張られているとか」
ウルスラが暗い表情になって言う。
「そこまでするか?」
オットーが笑い飛ばそうとしたが、昨日のウルスラの両親のあの常軌を逸した様子を見る限り、それくらいやりかねないとも思った。
(よくあんな馬鹿親の元に生まれて、ウルスラはこんなにいい子に育ったもんだよ。その分辛かっただろうになあ)
ウルスラに同情するオットー。
一方、ノアの視線の先の建物の陰に、息を潜めている者がいた。
(私の気配に気付く者がいたか。子供とはいえ、流石は魔法使いだけはある。そして集団で行動しているのは厄介だ)
ノアに悟られたことを意識して、シェードは思案を巡らせる。
(チャンスを待ちたいが、存在を悟られたことも枷になるかもしれない。慎重にいかねば)
簡単に行く仕事では無さそうな予感を覚え、シェードは気を引き締めた。
***
魔術学院では、早くから魔術の実技訓練が行われていた。
呪文を唱え、魔術を発動させようとするが、一人を除いて誰も上手くいかない。唯一魔術が使えるチャバックも、未収得の魔術に挑戦しているため、呪文を唱えても何も起こらない。
上手く発動させている一人とは、オットーだ。オットーは相変わらず、初歩魔術であるエニャルギーの精製術を行っていた。精度も粗く、量も乏しいエニャルギー精製で、例え術が発動してエニャルギーが精製できたとしても、売り物にはならない、訓練用の術だ。
何度も呪文を唱え、幾つものエニャルギー結晶を作っていく。作る度に、エニャルギー結晶に込められているエニャルギーの量が多くなり、精度も上がっていくのが、オットーには実感できた。
(コツが……どんどん掴めていく……。呪文の詠唱に合わせて、精神の集中と魔力の放出のコントロールの仕方が、やればやるほど上手く出来ていく)
自分が凄い勢いで成長している事を実感できて、オットーは高揚感に包まれる。
「オットーさん、めきめき力つけてる……」
実技教師を務めるエルフの少年魔術師が、驚愕の表情でオットーを見る。
「このままじゃオイラ、オットーさんに追い抜かされちゃう~?」
チャバックが笑いながら、エルフの少年教師に尋ねる。
「わからない。チャバック君はすでに二つの呪文を習得しているし、そろそろ三つ目も覚えられる段階にある。ただ、チャバック君は得手と不得手がはっきりしているし、ムラがあるから、得意分野に集中するか、苦手な分野にも挑むかで、違ってくるかなあ」
少年教師が答えた。
(アルレンティス=ミカゼカの才能を見る目は確かだった)
オットーを見て、ノアは思う。
(欲望を叶えると言っても、本人の望みを安易にはいどうぞと叶えるわけでもなく、そいつにとって良い道に導いて、努力させる形。ここまでは別にいい。でも欲望の使者アルレンティスは、この後に……)
欲望の使者アルレンティスは、願いを叶えた者を破滅させる事もあると伝えられている。必ずしもバッドエンドではなく、ハッピーエンドの場合もある。バッドエンドだけであれば、誰もアルレンティスに願いを叶えて欲しいとは思わなくなるであろうから、ハッピーエンドも作っているのだろうと、ノアは見る。オットーが果たしてどちらのケースになるかはわからない。
(婆もアルレンティスの他の人格も、ミカゼカには否定的だ。このまま何事も無く終わるかな? ハッピーエンドで終わった逸話も多いけど、オットーの場合はどうなるのか……。ていうか俺はチャバックを護るためにここに足を運んでいるのであって、オットーのことは、どうでもいいんだけどな。でもチャバックやウルスラとももう仲間みたくなってるから、俺や先輩にとっても仲間ってことになるなのかな?)
そう考えると、オットーを見殺しにすることは出来ないと、ノアは結論づけた。
(そして肝心のミカゼカがいないのも気になるな。何故今日は来てないんだ)
ミカゼカがオットーから離れているという事は、裏でこそこそ工作しているからではないかと、ノアは勘繰る。
ノアがあれこれと危惧している一方で、オットーは愉悦に浸っていた。
(面白い。楽しい。この感覚は何だよ……。何やっても失敗ばかりで上手くいかなかった俺が、滅茶苦茶上手くいってやがる。畜生、これも何かの罠か? しかも、俺に仲間が出来ちまっている。皆年下だけど、俺のことを見下す奴は誰もいねえ。何だよ、これ。出来過ぎてて怖えよ)
自分が出来ることを見つけた喜びに酔いしれる一方で、オットーは微かな恐怖も抱いていた。
(そういやミカゼカは……どこ行ったんだ? 何でいつまで経っても姿を現さねーんだよ)
恐怖の種は、自分を導いてくれた存在――欲望の使者アルレンティスに他ならない。
***
ミカゼカは宿のベッドで目覚め、時計を見て愕然とする。
「え? 十時半……? たは~……凄いお寝坊だネ……。昨日夜更かししすぎたせいダ」
寝坊したミカゼカは、苦笑しながら頬を掻いていた。




