第30話 part-c
[part-c]レナ
深紅の機体<アクトラントクランツ>は、空中で激しい攻防を繰り広げていた。
相手にしているのは、青緑色という毒々しいカラーリングのAOFだ。敵は空を縦横無尽に駆け巡りながら攻撃のチャンスを窺ってくる――そしてほんの僅かなチャンスでも見つけると、呼吸する隙も与えずに近接戦闘を仕掛けてくるのだ。
「――」
くねるような軌道を飛翔していた敵機は一瞬だけ動きを停止し、ク、と方向を変えて再び加速。こちらへ突き出すのは右腕の動きだ。何度も見ていると飽きるように思えるだろうが、今のレナにはそういう思考の余裕さえ無かった。
「は、……ッ!」
酸素が不足したイルカみたいに呼吸すると、レナは慌てて回避運動を取った。こちらが体勢を整える頃には、敵機は次の攻撃へ移ろうとしているのだ――まさに息をつく暇もない。敵が繰り出す連続攻撃は、機体よりも操縦主へ深々とダメージを与えてくる。
まるで一対多で戦闘させられているみたいだ、とレナは漠然と思った。酸素が不足した頭は他のことに思考を巡らす余裕など無く、ただ目の前の敵を追うことだけで手一杯になってしまう。別の角度から攻撃されれば一巻の終わりだ。
急激なGに襲われるコクピットの中でようやく酸素を取り込み、レナは<アクト>を横へ急転させる。敵の近接一撃が左脇に逸れたのを確認したところで、レナは上空へ機体を疾らせた。こちらの動きが読めなかったのか、わずかに敵の反応が遅れる――しかしそれもコンマ数秒のことで、敵はすぐに<アクト>を追ってきた。
(上がれ……ッ!)
スピードならば<アクト>に利があるはずだ。いくらAOFが「|加速の一瞬だけ重力をほぼゼロにする(ゼログラビティ・アクセラレータ)」機構を備えていたって、やはり空気抵抗を受けるのは事実だ。ずんぐりとした巨体であるぶん敵の出せる最大速度は遅く、高速飛翔を想定された<アクトラントクランツ>には敵わない。
敵と距離を置いたところで、レナは眼下で繰り広げられる戦況を頭に叩き込んだ。
ガーディアン・ゲートブリッジ上では量産機どうしの戦闘が今も続いている。物量では優勢にある統一連合の<エーラント>たちも、突然現れた敵の主力にはお手上げだろう――たった1機の敵によって大幅に数を減らされ、今は戦線を下げて状況を立て直している様子だ。
そして、その1機は別の相手と交戦中である。
漆黒の機体<オルウェントクランツ>は、白亜の機体<シールウィンデ>が食い止めていた。
エックハルト大尉、つまりフィエリアの兄が搭乗するAOFである。善戦には程遠いが、それでも例の敵に対して対等に渡り合っているところを見ると、パイロットとしての腕は充分なのだろう。白亜の機体は2つの巨大な推進器によって急加速と急停止を繰り返し、そして3次元空間を自由に旋回できるという特殊な性能を自在に組み合わせて漆黒を翻弄中だ。
別の角度を見渡せば――
「アイツら……!」
やや離れた位置、援護する形で3機のAOFがあった。
1機はレナが何度か交戦した経験のある黒い<ヴィーア>だ。残りの2機は見たこともないタイプだったが、それなりに高い戦闘能力を有しているのは事実だろう。銀色のAOFは射程圏ギリギリ届かぬエリアからからエネルギーライフルを撃ち、橋上にいる<エーラント>の陣形を崩そうと躍起になっている。さらに後方――ブリッジの向こうを高感度カメラで凝視すれば、狙撃型装備のAOFがある。
超高速で撃ち出されるビームの矢が、<エーラント>たちの急所を精確に抉っていく。
「あの3機さえ先に墜とせば……!」
戦況は変えられる、と思ったところで、レナを襲ったのは警告音。
慌てて回避すると、下から放たれたバルカン砲は上空へ突き抜けて行った。
「クソっ! どいつもコイツも邪魔なんだから――!」
レナは腰にマウントしていたサーベルを引き抜くと青白い光刃を出力させ、フルスピードで突っ込んできた敵機を斬った。
手応えはあった。が、辛うじて敵の右腕――巨大な鉤爪がサーベルを捉え、レナの一撃は意味を為さない。
は、と目の前の状況に息を呑んだ。
「コイツ……なんでっ!? 最大出力のハズなのに!」
エネルギーサーベルは出力によって色が異なる――青白という最大出力で振るった光刃が、まさか実体の鉤爪ごときに捉われるなんて。
ウソでしょ、と思ったレナを、今度は別の衝撃が襲った。
敵が突き出した右腕、鉤爪の中心にある砲口から放たれたのは衝撃砲。見えない拳に殴られたような痛みを得たときには、<アクト>は後方へ吹っ飛ばされていた。
「ぐぅっ……!!」
空気が肺から逃げていく。必死になって息を口に含むと、レナは空気の塊を飲み込んだ。吐きそうになる衝動をこらえつつスロットルを握り直し、慌てて体勢を立て直す。
どうやら相手は隠していた武器を露わにしたらしい。敵機は右手を閉じたり開いたりを繰り返し、まるで新しいオモチャの感触を確かめるみたく、鉤爪を打ち鳴らした。鉄板をフォークでなぞるような金属音が響き、レナは思わず表情をしかめる。
「なんて奴……こんな化け物みたいなのがASEEにいるなんて聞いてないわよ!」
『レナ、聞こえる?』
「いったい何ですか! こんな時に!」
『相変わらず鋭い逆ギレね。まぁ置いといて、<フィリテ・リエラ>も前線に出撃するわ。超長射程艦主砲による敵戦力の掃討を試みます。さっき上層部からの指示が降りて、<オルウェントクランツ>を排除することが出来ればガーディアンゲートブリッジへの被害は問わないそうよ』
そんな、とレナは息を呑んだ。
つまり例の強敵を討つためには、要塞1つを犠牲に払ったとしても構わないということだ。それに、核融合エンジンを搭載した<フィリテ・リエラ>の陽電子砲はγ線による汚染が懸念されるため、なおさら慎重な決断が必要とされるはず――つまりそのような判断が下されたということは、上層部の連中は<オルウェントクランツ>の討伐に対し本気になっていることを意味する。あまりに大きな対価だ。だがそれと同時に、
「ちょっと待ってください! ……じゃあ、ここで皆が戦う意味は?」
『残念ながら全ては例の敵を討つための布石よ。我々のシナリオ通りってことね――貴女は早めに今の戦闘を切り上げて、<オルウェントクランツ>の注意を引いて頂戴』
そんなの無理――とレナはスロットルを握る手に力を込めた。
覚醒状態であるセカンドフォルテを使えば、いま目の前にいる敵は楽に倒せるだろう――しかし、そうすると<オルウェントクランツ>を相手にすることが出来なくなってしまう。大量にエネルギーを食う<第二形態>を使えば、また戦闘不能の状態に陥るからだ。
たしかに陽電子砲の火力は圧倒的である。幾ら最強のAOFであろうと命中すれば只事では済まないし、キョウノミヤの読みが正しければ、脅威である<オルウェントクランツ>を此処で墜とすことが出来る。今後のことを考えれば、彼女や上層部が下した判断は間違っていない――それなのに。
(なんで胸がざわつくの? この気持ちは……いったい何?)
そう思っている間に敵は急接近。思考に耽っているだけの余裕は無さそうだ。
すべて終わってから考えればいい――と自分に言い聞かせて、レナは再び深紅の機体を駆った。
青緑色の敵は右手の央に光球を従え、それは幅にして30メートルを侵食した。
高速で撃ち出されたのは形を失った光球だ。衝撃波のように発散したそれは深紅の機体を狙ったが、レナは<アクト>を急転させて一射を避ける――すかさずエネルギーライフルを持ち替えて応射し、敵から反撃の余裕を奪った。
……厄介な相手だ。
接近戦の腕は文句のつけようがなく、そして冷静な回避は『入り』も『抜き』の動作も完璧である。果たしてどんな操縦主が相手なのか気になるが、倒してしまえば関係ない。
躊躇なくトリガーを絞ると、青緑の機体は倍の速度でビームの矢を避けた。
敵の動きを先読みしたレナは高度を上げ、近接戦闘に備えた――が、敵機は予想に反して動きを止めた。無言のまま滞空する。
マイクに一瞬だけノイズが走ったあと、
『オマエ、なーんか戦っててもあんまり面白くねーなァ。本気でやり返してこねェとつまんねーんだケド』
(こいつ……オープンチャンネルで? いったい何を……)
突然聞こえた敵の声に戸惑いながら、レナは身構えた。
敵が別の策を講じていない可能性は無く、余裕を見せておきながら闇討ち――といった算段が考えられないことはない。
と、今度は別の声が混ざった。
『そうサねぇ? まだ、あの黒いのに乗ってるボウヤのが、戦っていて面白かったと思うわね』
通信に割り込んだのは女の声だ。どうやら|オペレーター(通信士)の声が混ざっているわけではないらしい。だとすれば――
「……アンタたち、もしかして複座のパイロット?」
『おォッ、マーサ今の聞こえたかマーサ!?』
『少し興奮しすぎなのサ、ティオド。少しは静かにするとイイわ』
……なるほど。
レナは1人で勝手にうなずいてみせた。
敵は複座――つまり2人乗りのAOFなのだ。2人の操縦主が完全な役割分担を行っていると考えれば、これだけの戦闘レベルがあるのも納得できる。つまり、片方のパイロット(おそらく男の方だろう)が戦闘をこなし、もう片方が回避運動に徹していると考えれば、攻撃と回避の動きがバラバラになった現象も理解できないことはない。だが驚異的な連携だ。
男の声はヒッヒ、と汚い声で嗤って、
『あのさァ、ちょっと頼みがあるんだケド?』
「……なに?」
『もっと本気で殺しに来てくれねーかなァ? じゃないとクソつまんねーし……オマエ殺すョ?』
突如、レナは怒りに駆られた。
戦いをゲーム程度にしか思っていない連中だ。戦争を理由に敵を殺し、殺すことだけに快感を覚え、ひたすら新たな快感を求めて戦場を彷徨う亡霊。目の前にいる人間が誰に愛され、何を愛したか――そんなものを思いやりもせず、何十人も何百人も殺すだけの殺戮魔である。
(コイツも……! きっとアイツと同類なんだ。だから、あたしは――)
フッ、と瞳から色が失せる。レナの頭の中で完全に箍が外れた。
「――セカンドフォルテ、起動」
青白い光がコクピットへ満ちるのと同時に、レナの脳は見えない鉄槌に殴られた。




