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黎撃のインフィニティ  作者: いーちゃん
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第26話 part-c

[part-c]


 驚いたフィエリアが跳ねて飛び退き、

「どうしたのですか急に!」少女の背中に向かって声を投げる。

「急用! フィエリアはイアルとデートしてて!」

「慎んでお断りしたいのですが…」

「10分経ったら必ず戻るから! 我慢っ!」

 引き攣った笑みの少女を横に置いて、レナは猛然と駆け出していた。

 ぶつかりそうになった通行人を避け、人混みの中を走り進んでいく。どうして彼を追いかけようと思ったのか、自分でも理由が分からない。もしかしたら単なる人違いだったかも知れないし、自分の見間違いとか気のせいだったかも知れない。だけど、とレナは問答無用で石畳を蹴った。足は新たな加速を得る。

 ……どうしても会っておかなければいけない気がしたのだ。理由はわからないが、今ここで会っておかなければ、きっと後で後悔するような感じがしたのである。自分の中にある何かが鎌首を(もた)げたようとする感覚だ。それは深い部分で眠っていたハズのものが呼び起されるようで、レナは原因不明の焦燥に駆られた。

 ――何だろう、この感じ。

 自分の心のなかに歯車があるとしたら、その噛み合わせの部分が大きく音を立ててごつごつと回り始めるような。

(分からない)

 でも、とレナは握った拳を胸に宛てた。

 細身の少年はまるで逃げるように人混みの中を進んでいく。

「っと、ごめんなさい!」

 はずみで足が引っ掛かる。転倒した通行人に謝りながら、レナは少年の姿を追って走った。

 ちっ、と舌打つ。

 どうやら今のタイミングで少年を見失ってしまったようで、ときどき見え隠れしていたはずの背中はメインストリートからぽっかりと消えていた。

「見失ったわ。どこに行ったの……」

 混雑の隙間を縫うように進み、一旦立ち止まるとレナはやがて裏の路地へ出ることにした。少年が姿を消したとすればこの辺りだろう――と予想しながら狭い道を再び走り、息せき切って進んでいく。

 腐敗したにおいに鼻をつまみ、並んだコンテナ式のごみ箱を避けながら奥へ行くと、道はさらに複雑に入り組んでいた。蓋の上に乗っていた猫が予期せぬ来客に驚いて跳びはねる――それを横目にしながら進むと、まるで迷路みたいだなとレナは思った。

 路地裏に作られた迷路を最も奥まで攻略すると、ふと気づけば目の前には高い壁があった。どうやら建物の背中側に回り込んでしまったようで、行き場を失った彼女の足はその場でたたらを踏んだ。

「こんなところで行き止まりだなんて……」

 やっぱり、あの少年は自分の見間違いだったのだろうか? 気のせいだったのか?

「ねえ、きみー! どうしてあたしから逃げるのよ!」

 ダメもとで声を張り上げてみたが、レナを取り囲む壁が周囲への拡散を防いだ。

 跳ね返ってくる音は何も無い。建物の向こうにはストリートがあり、そこに並ぶ商店の生活音と人の声だけがざわめきとして聞こえる。もちろん少年からの反応はそこには無かった。

(駄目に決まってるよね。きっと気のせいだったんだ……)

 おそらく勘違いだったのだろう。あの少年を見た気がするのも、彼が路地裏に姿を消したように思えたのも、全ては自分の錯覚だったに違いない。

 あの少年は自分の見間違いなのだ。胸の中で鳴るごつごつという音も、きっと幻想か、何かの思い違いに決まっている。

 レナは肩を落とした。

 そう自分に言い聞かせて袋路(ふくろじ)を後にしようとした時、低い声は投げられた。

「よぉ嬢ちゃん、さっきは転ばせてくれてありがとな」

 そこには図らずも穏やかな雰囲気ではない、険しい目付きをした男たちが構えていた。全部で5、6人だろうか――どう見ても街の不良グループといった感じで、彼らはレナの逃げ道を塞ぐように仁王立ちしている。

「誰っ……!?」

「ここなら人も来ねぇからなぁ? さっき転ばせてもらった礼をしようと思ってよ」

「お、お礼なんて要らないですから――ってフザけてもられない状況よねこれはハハハ!」

 ナナメ口調で言うと男は手の関節をパキポキと鳴らした。既に向こうは臨戦態勢である。彼の沸点はジエチルエーテルよりも低いのだろうか、と思ったところでレナはブンブンと両手を振った。

 男は血管の浮いたこめかみをピクつかせ、

「何をワケのわかんねーことほざいてやがる、このクソ女!」

 男が怒声で一喝した。ひっ、とレナは一瞬だけ縮こまる。

 どうやら先ほど街を走っていたとき、足を引っ掛けたせいで転ばせてしまったようだ。それについてお怒りなのだろう。

 もしも相手が巨大なイノシシだったら鹿に乗った好青年が割り込んで「静まりたまえ!なぜそのように荒ぶるのか!」とか言って制止するのだろうけど、そんな奇跡が起こるハズはない。とはいえ、まさか転ばせた相手がこんなにデカい図体をしていたとは思ってなかったけど。

 不良の後ろでは別の男たちが「剥いちまえ剥いちまえ」などと卑猥かつ缶詰の残り汁みたく汚い言葉で囃し立てており、先方の男は下卑た薄ら笑いを口元に浮かべると目の前の獲物に歩み寄った。

 うっ、と気圧されてレナは後ろに身を引く。

 背中に冷たい壁の感覚を得て、レナは横目で状況を確認した。

(マズったわね、こりゃ……。助けを呼ぶ? どうする?)

 手元に武器となるような物はない。

 逃げ道も塞がれてしまった状況で、これは間違いなくピンチである。『それいけ!どら猫さん』ならば間違いなく秘密道具が出てくるシーンだし、視聴者が最もワクワクする場面なのだが当事者にとってこれは究極のピンチである。

 ……もしかしたら殴られちゃったりするかも?

 イアルとフィエリアを呼べば何とか救ってもらえるだろうが――残念ながら、迫る男との体格差を計算しつつ助力を乞う余裕はない。

 ふぅ、とレナは諦めたような呼気を放った。構えを取る。

「ったく仕方ないわねー。あたしってば近接体術は苦手なんだけど」

「ゴチャゴチャうっせえ! さっさと強姦されやがれ!!」

「もっと婉曲的表現は無かったの!? ――っと!」

 男がレナに覆い被さろうとする。

 瞬間的にしゃがむことで突進を避けると、レナは右脚を高く振り上げた。

 高い位置にきたボレーシュートの要領で蹴り抜くと、ブーツの爪先が男の顔の中心――鼻っ柱と呼ばれる部分を直撃する。

 クリティカルヒットを受けた男は奇妙な声を発しながら吹っ飛び、やがて地面に崩れて動かなくなった。重量級のゴツい男がノックアウトされる光景を目の当たりにして、不良どもが口を開けっぱなしのまま硬直する。

 ――今がチャンス!

 レナは隙を縫って駆け出した。逃げるなら今のうちしかない!

「……おい」

 と、後ろに控えていた男たちに腕を捕まれる。レナは左腕の痛みに思わず叫んだ。

「きゃっ! は、離してよ! だいたいにしてアンタ達が悪いんでしょ! 複数人でこんなにか弱いオンナノコを襲って、プライドとか無いの!? このチンカス野郎!」

「意外と下ネタいけるじゃねーか、コノヤロー!」

「う……痛ッ!」

 持ち上げられた左腕に、ぎりり、とさらに力が込められる。血の動きが止まるより先に骨が折れてしまいそうなほどの握力だ。

 喉から苦悶の声を絞り、レナは上乗せされた痛みに耐えた。

 後ろの方にいる男たちが、為されるがままの少女を見て笑い転げている。

「もっと可愛い声も出せるんじゃねえか? あぁ?」

「くっ……そ、それは……なんて」

「こっち触ったらもっとイイ声が出るのかなァ? え?」

「ひぁっ! やめ――」

 男の太い手がスカートの裾に触れる。

 余ったほうの手で必死の抵抗の末、誰か助けて! と金切り声を上げようとしたそのときだ。

 チッ、という舌打ちとともに暗がりから現れた人影があった。

「……それ以上はやめといた方がいいぞ。嫌がってるじゃないか」

「なんだァ?」

 男たちが不機嫌そうに振り仰ぐ先には細身の少年が立っていた。

 ハッとしてレナは短く息を呑む。

 さっきまで人混みの中で探していた少年である。長めの前髪が特徴的で、どこか不機嫌そう――というか、明らかにカルシウムが不足したような気怠そうな表情。

 ……見間違いなんかじゃなかったんだ。

 ホッと胸を撫で下ろすと、少年はなかば呆れたように呼気を置いた。

 対する男たちは次々に声を張り上げ、

「なんだなんだァ、いきなり現れてヒーロー気分か? そんな痩せっぽちで何が出来んだよ、ボクちゃんはおウチに帰ってマスでもかいてな!」

「マス…なんだと? 良く分んないけどそんなに痩せてるか俺。たしかに毎日ごはんいっぱい食べろって良く言われるが」

 逆上した男たちががなりたてる。

 先鋒の不良がコキコキと首を鳴らした。改めて構えの姿勢を取ると、新たな獲物を見つけた男は汚ない舌で唇を舐めた。

 レナは腕の痛みも忘れて問うた。

「きみ……どうして」

 レナの呼び掛けにピクリと反応したあと、少年は視線を逸らすことで、彼女を無視した。

 姿勢は相変わらずポケットに手を突っ込んだまま。

 男が飛びかかる。

 少年は二度目の舌打ちすると身体を左に避け、軽い足払いの動きで男の体重を倒した。倒れた男の首の上で太ももを組み、相手が動けないように束縛。

 不良集団から見れば、今の僅かな時間で何が起こったのか判別がつかないだろう。

 後ろに控えている男たちが目を点にした。

 少年はようやくポケットから手を出すと、不機嫌そうに前髪を軽く掻いて、

「どうする? 続けるならコイツやっちゃうけど」

「コイツ目がマジだ……! やべェ、逃げようぜ!」

 男たちはいっせいに路地から逃げ始める。口々に死ねとか失せろサイコとか覚えてろとか言いながら、ガラの悪い不良集団は路地裏から一目散に退散していった。気絶したガタイの良い男は泡を吹いていたが、少年は気道が確保できるように男の身体を蹴転がすと、何も言わずに立ち去ろうとした。

「待ってよ! きみ、なんで――」

「だって、嫌だったんだろ。とりあえず表に出ようぜ」

 2人は裏路地の闇を抜けて、表通りにある光の中へ出た。

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