第25話 part-h
[part-h]レナ
真夜中になると、艦内には当直のメンバーを除けば人の姿が見えなくなる。
レナ・アーウィンは象牙色を基調色とした造りの廊下で息を荒げていた。壁に描かれた数本の色がついた一本線――それは赤・青・黄・緑の縞模様だったが――その中でも黄色が指し示すルートを選んで方向を切り替え、まるで短距離走のごとくダッシュする。
(くそっ、寝る前にジンジャエールなんか飲むんじゃなかったわよ……!)
横っ腹が鈍い痛みに襲われる。ワイシャツの寝間着姿が走りにくいことも相まって、足の動きは大きく減衰しつつあった。
<フィリテ・リエラ>は艦首から最後尾までの全長が400メートルを超える大型艦であるため、居住区から艦橋までの距離は必然的に遠くなる。不便な事この上ないし、こういう時に限って「どこでも扉」が欲しくなるものだ。
ついでに言っておくと「どこでも扉」とは、統一連合の中で定期的に制作されているほのぼのゆるゆる日常系アニメ『ほら行け!ドラ猫さん』シリーズに登場する不思議魔法具である。1回の放送で持ち前のブラックさと独特のゆるふわ感がヒットし、現在の放送回数は32回にものぼる――らしいのだが詳しいことは知らない。レナはストリーミング配信で追いかける程度のライトな視聴者だった。
エレベータに乗り込んで上の階に出ると、すぐに<フィリテ・リエラ>の艦橋だった。
「遅くなりました!」
ノックよりも先に扉を開けると、お呼びの掛かったメンバーたちが既に待機していた。
艦長であるキョウノミヤ女史は当然のこと、レナの同僚であるイアルとフィエリア――を見て、レナは一瞬だけ唖然とした。というより愕然とした。
思いがけずネグリジェ姿だったフィエリアはレナを見て一瞬だけ目配せすると、すぐに鋭い視線に戻った。
(い、意外とヒラヒラのも着るんだ……)
そして見回すと、一般隊からは部隊長格の男たちが5人ほど。彼らも眠っている途中で叩き起こされたクチなのだろうが、寝間着のレナとは対照的にシャキッとしているのを見ると慙愧に堪えない。
キョウノミヤは腕を組んだスタイルはそのまま、眼鏡の奥からレナを一瞥するとモニターへ向き直る。
「さっきの緊急コールでも伝えたと思うけど……アフリカの戦線に投入されていた部隊が全滅したわ」
その場にいた皆が凍りついた。
否、正確に言うと動けなくなったのだ。ちょっとでも反応すれば背後から頭を撃ち抜かれそうな空気が漂って、レナも思わず身を固くする。
普段は落ち着きのないイアルでさえも、あごの先に指を宛てたまま不動の姿勢を保っていた。
「先ほど本隊から通達があったの。軍の一部勢力<トライアドウルブズ隊>が蜂起した直後、反勢力ごと正規軍も壊滅させられたらしいわ。被害は相当なものだそうでね、撃墜された<エーラント>が120を超えたみたい」
「120機も……!?」
聞き間違いかと思えるほど、誰もが戦慄する数字だ。
それくらいの戦力が置かれていたとすれば、それは統一連合の本隊<ハーメルン大隊>と比肩する程度の部隊が駐留していた計算になる。
その中でも<トライアドウルブズ>……通称3W部隊とも呼ばれる隊には優秀な機体と操縦主が揃い踏みだったとか。さまざまな後ろ暗い事情についてレナの知ることはなかったが、戦闘の経験としてみれば、派遣部隊の中で最も豊富だったに違いない。
いくら離反したとはいえ、正規軍と合わせて120機も壊滅したとは何事だろう――とまで考えたところで、
「<オルウェントクランツ>よ。しかも単機でね」
二度目の戦慄。今度こそその場の空気が完全に凍りついた。
その機体名を知らぬ者はここには居ないだろう。統一連合とASEEの戦争を始める皮切りとなった新型機強奪事件によって、中立であった第六施設島はメチャクチャにされた。その後も統一連合の部隊は憂き目を見る羽目となったのだ。レナたちは奪取された<オルウェントクランツ>を未だに奪い返すことが出来ず、何度も苦汁を飲まされてきた。
レナは右の拳を握った。
隊長格の男が立ち上がり、怒号のような声で問いを投げる。
「だが、あの機体はナイロビで撃破したハズではなかったか……」
「AOFは中枢のコアさえ無事であれば何度でもパーツを組み替えて再生が可能なの。おそらく向こうにも優秀な技術者がいるようね」
「ではコア部分だけを取り出して改修した、と」
「そうなるわ」
キョウノミヤ女史は噛んで含めるような口調で言った。
感心してる場合かよ……とイアルは呆れながら肩を竦めたが、へらへら笑うほど余裕のある人間は1人もいなかった。
手元のパネルを運指によって操作し、キョウノミヤが画面を切り替える。
すると映し出されたのは衛星写真だ。おそらくアフリカ上空を飛行している衛星が最大望遠モードで撮影したのであろう。
火の海と化した大地に佇む機体が1つ。
全てを焼きつくし、全てを奪い、全てを殲滅した最強最悪のアーマード・アウトフレーム。
――それが<オルウェントクランツ>である。
見慣れていたはずの漆黒のフォルムだったが、今までと少しだけ形状が変わっていることにレナは気がついた。おそらく改修の際にオリジナルのパーツと独自のものを組み合わせたのが原因だろう。この度合いでは細部まで観察することは叶わなかったが、
「あ、あたしが……」
レナは震える声で吐き捨てた。奥歯を噛み締める。
「あたしがこの前の戦闘で失敗してなければ……ちゃんとコアごと破壊していれば」
きっと今頃こんな事態にはなっていなかったはずだ。
ナイロビで<オルウェントクランツ>を相手にして戦ったとき、レナはコクピットへの直撃を外してしまったのである。確実に貫くはずだった一撃を失敗したせいで今回のような悲劇が起こったとしたら、その責任は自分にある――とまで考えたところで、イアルが持ち前の語調で軽口を叩いた。
「おいおい何を考えてるか知らねーが、今さらあーだこーだ騒いでも仕方ねーだろうよ。それよりも、アイツがこれからどう行動を取ってくるかが重要じゃねーのか。現状でアイツを食い止められる機体は、レナの<アクトラントクランツ>しかいないんだから」
「だとすれば、我々が向こうの敵に合わせる必要がありましょう。好き勝手に行動されると、また二の舞になりかねません」
フィエリアが大きな頷きとともに前へ進み出る。
それは――たしかにそうだ、とレナは思った。
いまの統一連合で<オルウェントクランツ>に対抗できる機体は、レナが駆る同型機体<アクトラントクランツ>しか存在しないのだ。それならば、レナが前線に出て敵を引き付けなければいけない。
イアルとフィエリアの意見に対しては、ここにいるメンバーの結論が一致した。
キョウノミヤは別の端末を操作し、
「そうね、彼らもアフリカ東海岸を北上中のようだし。このまま紅海の補給ポイントにて迎撃するのも悪くないわ。本隊に打電してプランを練りましょう」
それでいいかしら? と問うと全員が納得した。
メンバーたちが艦橋を去っていくのにも気付かず、レナはモニターに映る敵を強い視線で睨んでいた。
(アイツが…アイツさえ居なければ……)
いつか絶対に倒さねばならぬ憎い敵。冷酷非情、そしてASEE最強の機体<オルウェントクランツ>は、まるで炎の荒野に残って弄笑を放っているようにも思えた。
(必ず……あたしが必ずブッ倒してやる)
ただひとつ、レナが理解していなかったことがある。
それは相手操縦主がどんな表情をしていたのか、ということだ。
もしかしたらそれは、憤怒に形相を歪めていたかも知れない。
それは、渇いた笑いを洩らしていたかも知れない。
それは、言葉なく静かに泣いていたのかも知れない。
それは、もしかすると嗚咽をこらえていたのかも知れない。
今の少女に、それを知る術は無かった。




