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黎撃のインフィニティ  作者: いーちゃん
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第25話 part-e

[part-e]ミオ


 右脚が痛い。

 骨折はしていないようだが、車がスピンした時にぶつけてしまったみたいである。

 ミオは右脚を前に引き摺った。

 左脚は重い。

 思うように動かない。頭の中にある動きと身体のそれが一致してくれず、苛立つ。

 ミオは左脚を前に押し出した。

「セレン……」

 無事だよな?

 きっと怖い目にあってるんだ。俺が行って早く助けてあげないと。

 どうしても俺じゃなきゃ駄目なんだ。

 セレンは今まで1人ぼっちで過ごしていた。

 本だけに囲まれて、寂しいことも辛いことも苦しいことも悲しいことも、ぜんぶ自分だけで受け止めてたんだ。人口ゼロの死んだ街で。夜になったら灯りさえつかない場所で。世界の隅っこで。

 ……ほんとに馬鹿みたいな奴。

 わざわざ自分から勝手に孤立して、寂しがってたら世話ねーんだよ。

 自業自得って言葉は便利だろ。自己責任って言葉は便利だろ。

 ――でもな。

(俺は……)

 たったの7日間で変わってしまった。

 あの、吸い寄せられるように無邪気で、優しげで、聖母さまなんて比較にならないとびっきりの笑顔を見ただけで、自分は変えられてしまったんだ。

 セレンと一緒なら、もっと自分は変わっていける気がした。

 とても暗い、深い淵から這い上がれると思った。

 ときどき感じていた胸の痛みは、きっとそういうことなんだと思う。

 変わろうとして、でも変わってしまうのは不安で、だから心が迷ってたんだ。

 今なら分かる。自分はもっと変わっていきたいんだって。変わっていけるんだって。

 戦うことだけが俺の全てじゃない。もっと他の、自分自身が持つ可能性というものに惹かれたのだ。

 歩みを進める。

「セレン……!」

 いま行く。

 走る。

 足取りは重たい。

 でもな、今さら痛覚なんざ知ったことじゃねーんだよ。

 出ろよアドレナリン。身体から痛覚を奪っていけ。

 急げ。動け。走れ。

 噴き出していた汗がすっかり引いた。

 アスファルトの上を風のような疾さで駆け、顎を噛み、ミオは駛走した。

 旧市街地の北にある、オンボロなバス停の横を通り過ぎる。

 今日の午前中、セレン、亜月、美月と共に並んでいた場所だ。バスは時刻表通りにはやってこなかったけど、待っている時間だってセレンは嫌な顔をせず、笑って一緒に居てくれた。

 丘の上にある研究所の建物を見ながら突っ走り、今は誰もいない旧市街地のメインストリートを駆け抜ける。

 ふたりで一緒に買い物をした場所だ。町のガラは決して良くない話とか、運悪く傭兵に襲撃されて一緒に逃げたりした。

 林道を走り抜ける。ここで捨てたアタッシュケースの中身を、セレンは無理に問い詰めたりしなかった。最後まで嘘をついたままだ。

 切り立った崖を横にして道路を進む。あの下には洞窟があって、その奥には教会があったんだ。

 ゴーストタウンのメインストリートを疾駆する。

 たしか、この場所で殴られたミオは意識を失って、それをセレンに救ってもらったハズだ。もちろん自分は覚えてないけれど。

 上空での戦闘はさらにエスカレートしている。地を走っているミオなんかお構い無く、赤と白の<エーラント>は互いに砲を撃ち、ビームを撃ち、青白いプラズマ刃を振るう。

 腕をもがれた赤い<エーラント>がバランスを崩し、必死の制御も間に合わず海に着水した。大きな水柱が遠くに上がったのが見えたが、ミオは足の動きを止めなかった。

 今度は別の機体がガトリング砲を撃ちまくる。

 白い機体が掃射した驟雨はミオの進行方向を一直線に薙ぎ払い、道路の表層ごと穿った。地面が砕け、アスファルトの下にある大地が剥き出しになる。ミオは弾丸の軌跡を横っ飛びに跳ねることで避け、頭から地べたにダイブした。

「ま、まだだ……まだ行ける……っ!」

 こんなところで終わってたまるかよ。

 起き上がる。

 セレンはもっと怖い目にあっているんだぞ。

「ふざけんなよッ……!」

 叱咤。血の味を吐き捨てる。

 空を舞う<エーラント>たちは、まるで這いつくばるミオを嘲弄するように戦闘を続行した。

 ――コイツらの相手はあとだ。

 セレンを助けたら、俺が全員ともぶっ倒してやるよ。

 起き上がる。

 やがてミオは見慣れた場所に辿り着いた。

 午前中まで此処に居たというのに、どうしてか懐かしささえ憶えてしまう。砂浜から道路を挟んだ向かい側、ちょうど1つの建物が残っていた。木で作られた一軒家である。

「セレン……」

 息が切れたまま、ミオは入り口の木戸を体重で押して開けた。

 意識が白く朦朧とする。きっと過呼吸か酸欠を起こしているのだろう。身体が宙に浮く感じがした。

 ぼやけた輪郭の中、部屋に広がっているのは狭い部屋だ。小さなテーブルと椅子、そして本棚と台所があるダイニングはいつも通り。そこに横たわった身体が1つある。

 女性にしては長身の、明るい色をしたワンピース姿。

 良かった。無事だったんだよな――と安堵に胸を撫で下ろす。幾分か心が安らいだ。

 近づいて跪くと、ミオはその身体を横にして抱き上げる。

「セレン……俺だよ。迎えに来たよ……すごく怖かったよな。ごめんな……」

 小ぎれいな顔の頬に自分の頬を重ねると、体温のあたたかさを感じた。

 無事なんだ。良かった――

「もう1人にしないから。ずっと俺が傍に付いてるから……2人で遠くに逃げよう……」

 もう誰にも邪魔されない場所へ。

 ASEEからも逃げ出して、銃もAOFも捨てて、どこかへ逃げよう。

 そうだ、行くならフランスがいい。セレンはフランスに戻りたいとも言ってたし。今は統一連合に加わっているけれど、きっと2人なら何とかなるハズだ。

「だから、起きて……目を覚まして…………」

 細身を揺り動かすと、柔質な金色のロングヘアがふわりと迷った。

 俺を驚かそうとしてるんだよな?

 ビックリさせたあとで、またニッコリと笑ってくれるんだよな?

 でも、あんまり遊んでると怒るぞ。ここだって戦場なんだ。いつ流れ弾が飛んでくるかも分からないし、一刻も早く逃げないと危険なのだから。

 彼女の頬を叩くべく背中から手を離すと、指先には新しい感覚があった。

 ――ぬめり。

 粘性をともなった液体だ。

 指を広げてみると、赤色のそれは糊のような重みとともに滴った。見てみれば、暗くて見えなかった床には海のように広がった赤い面積があった。

「セレン……? 嘘、嘘だろ――」

「みー、く…ん……」

 息を吹き返すような呼気と共に、彼女は弱々しい声で少年の名前を求めた。

 右手が虚空を彷徨い、少年がそれを掴むとセレンは力の抜けた安堵を見せた。

「良かっ、た……最期に…また、会えて……」

「まだだ。諦めんなよ!」

「で、も…っ。無理よ、もう……」

 ――嫌だ!

 という叫びを、ミオは息を飲み込むことで辛うじて押さえた。

 感情が暴走してしまいそうになる。

 彼女は痛みを堪えたように、しかし力強さと弱々しさを半分で割ったような笑みを作った。

 は、と再び放った呼気はミオを直撃する。

「まだだよ…俺たち、これからだって……思ったのにっ……、なんでこんな――――」

「そう、思ってくれたの……嬉しい、なっ…………」

 わたしも、おなじ気持ちだから。

 彼女はゆっくりと言葉を区切って付け加えた。

 今から変わっていけるハズだったのに。

 セレンは濁った瞳を開き、少年の腕を優しく掴んだ。

 ミオはその腕を抱くと、愛おしい温かさを確かめる。初めて肌に触れたとき、次に触れたとき、布団のなかで感じたぬくもり、唇に触れたとき、吐息を感じたとき――この温度と永遠に触れ合って居たい。

 だけどそれは目の前から失われつつあった。

 だんだんと消えゆく瞳の色がそれを物語る。

 セレンの細い人差し指が、ミオの胸の中心へ触れた。

「みーくんは……優しいから……きっと、誰よりも優しいから…だから、自分の海の中にある……本当の、…心を、いつか思い出してね…。たとえ目の前にあるのが…、どれだけ嫌いな世界でも…どんなに悲しい世界でも……きっと、忘れないであげてね……」

 俺は優しくなんかないよ、という言葉をミオは飲み込んだ。代わりに小さく頷き、弱く握られた手を優しく握り返す。

 それだけでセレンは口許を笑ませた。胸から青色のペンダントを掲げてみせ、

「これ…返すね……っ」

「どうしてだよ。なんで俺を呼んでくれなかったんだよ……ちゃんと約束しただろ!」

「だって、これを使ったら……みーくんと離れ離れに、なるじゃない…それだけは、絶対に……イヤだったの。だから――」

「お前は……っ、本当の…バカだよ……」

 セレンは嬉しそうに笑ってみせた。

 元気だったら「わーい、みーくんにバカって言ってもらえたー」と照れ笑いしながらからかってくるハズなのに、その余力はもう残っていない。

 ね、と彼女は最後の力を振り絞り、少年の耳元で頼んだ。

 ミオは無言のまま静かに頷くと、彼女の朱唇に自分の唇を押し重ねた。

 良かった、とセレンは擦れた声で呟く。

「わたし、ね……」

「もう何も言うな…そんなこと俺は気にしないよ……」

 大丈夫だから、と付け加えてやる。

 ふっ、と口許が弛緩した。それは表情となってあらわれる。

 それと同時に、彼女の身体が重たくなった気がした。ミオは細い身体を床に横たえると、無言のまますっくと立ち上がる。

 相貌は最期までにこやかな笑みだった。肩をトントン小突いたら目を覚ましてくれそうな、耳元で名前を呼んだらまた笑ってくれそうなほど穏やかな永遠の寝顔は、やっぱり綺麗だった。

 引き出しには鍵が刺さりっぱなしになっていた。

 たしか最初はロックが掛かっていたはずのドロワーは、今は引けば簡単に口を開いてくれる。

 その中には自動拳銃とナイフが、まるで宝物のような鄭重さで収められていた。ここへ来た時に失くしたとばかり思っていたが、

(セレンは最初から、ずっと知っていたんだ)

 俺がこちら側の世界にいることを。

 トリガーを引き、敵を撃ち、殺し、生きる側の人間であることを。

 それにも拘わらず、彼女はそのことを問い詰めたりしなかった。むしろ訊かずに居てくれた。もっと早めに気付いていたならば――今頃は別の世界があっただろう。

 ミオは引き出しの底にあった白い紙をポケットに詰め込む。

 最後の最後にセレンの死に顔を見て、少年は力無く笑んだ。

 まるで魔法のような7日間、自分に向けてくれた笑顔を精一杯で返す。微笑のような、それでいて苦笑のような泣き顔は、たしかに微笑んでいた。

「――有り難う」

 その言葉だけが出ると、涙は唐突に溢れ出した。

 セレンはもう戻ってこない。どれだけ泣き叫んでも、名前を呼んでも帰ってきてくれないところへ行ったのだ。

 胸の中心がぽっかりと食い破られたような空洞となり、それは嗚咽となって込み上げた。

 青色のペンダントからGPSのチップを取り出し、ミオは指運によってそれを破壊する。

 瞬間、荒々しい、まるで暴力のような風とともに、上空から舞い降りた影があった。

 漆黒のAOFだ。

セレンが死んだ。

 統一連合の内部集団「トライアド・ウルヴズ」に拉致されたセレンは人質としても用を終え、速やかに殺された。

 その行為はあまりにも残虐で容赦なく、また無慈悲だった。

 息絶える寸前、セレンの細い人差し指が、ミオの胸の中心へ触れる。

「みーくんは……優しいから……きっと、誰よりも優しいから…だから、自分の海の中にある……本当の、…心を、いつか思い出してね…。たとえ目の前にあるのが…、どれだけ嫌いな世界でも…どんなに悲しい世界でも……きっと、忘れないであげてね……」

 彼女を看取ったミオは、言葉もなく部屋の引き出しを開放する。

 初めてケープタウンに潜入した日、なくしていたと思っていた自動拳銃とナイフが出てきた。

 彼女は最初から1つだけ、嘘をついていたのだ。

 彼女は最初から、「ミオが別の世界の住人である」ことを知っていた。

 平和ではなく、戦争の側に立つ人間であることを知っていた。

 それでも彼女は――


 セレンは戻ってこない。どれだけ泣き叫んでも、名前を呼んでも帰ってきてくれないところへ行ったのだ。胸の中心がぽっかりと食い破られたような空洞となり、それは嗚咽となって込み上げた。

 ミオは天に向かって咆哮する。

 それと同時に、一機の漆黒のAOFが現われる。

 <オルウェントクランツ・アフターリファイン>。

 最凶の機体は、少年の咆哮とともに始動する。

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