第25話 part-a
第25話へ突入しました。
ようやく「黎撃のインフィニティ」っぽくなってきました?
なってない…?
[part-a]ミオ
ズドン、という大砲のような重低音とともに空気の震動が起こった。
地震みたいな揺れとともに空気の圧力が波として押し寄せ、数人の観客が悲鳴を上げた。素早くエレベーターホールで身を伏せる。
「な、何だ!?」
窓ガラスが大きく膨らんで爆ぜる音だ。
音の方向は下からのものだろう。何階で爆発が起こったのかは分からないが、おそらく70階のあたりに違いない。エレベータの階数表示をもとに予測した数字だが、音の大きさと距離から考えても妥当な計算だった。
客の叫び声と空圧による振動が不協和音を奏で、鼓膜を激しく突き立てる。さながらガラス片で耳の内側を引っ掻かれているような感じがして、ミオは思わず手の塞ぎで耳を覆った。
エレベータ付近で怯んでいたスタッフがメガホンを掴み、
『落ち着いてくださーい! 現在、ビルの管理者が状況確認を急いでいます! 繰り返します! パニックにならないでください――』
屋上階である80階には逃げ場がない。
60階まで降りれば、そこからは別のエレベータが繋がっているため建物から逃げられる。しかし70階のあたりで爆発が起こったとすれば、そこまで行くための方法が尽きたことになる。
(くそっ、なんでエレベータか動かないんだよ!)
他の手段は――と考えてみると、せいぜい非常階段が残っている程度だが、さすがに20階ぶんも走って降り切れる人間など居るハズもない。それに、下の階で起こった爆発が一度で終わるという確証はない。
そういう思考が共通していたためか、たいていの客たちは予想外に落ち着いた反応を見せていた。勝手な行動に踏み切ったら死ぬと、皆そう思っていたのだろう。パニックを起こしたのはほんの一握りとなる数人で、今はスタッフたちが彼らを包囲して説得を試みている。
くそ、とミオは前髪を掻いて舌打ちした。
(どうしてこんなタイミングで巻き込まれなきゃならないんだ……)
仮に神様が居るのなら恨みたくもなる。
ふと隣を見た。
セレンは青ざめた表情で唇を噛んでいる。この前の旧市街地で戦闘に巻き込まれたときも、きっとこんな感じだったのだろう。
怖いよな、とミオは思った。そんなの当たり前だ。だって自分が死ぬかも知れないのだから。もう二度と日常の世界に帰れなくなるかも知れない、って考えたら誰だって怖いに決まってる。
だけど、俺はこちら側の人間だ。
恐怖なんて忘れた側の人間だ。
ミオはゆっくりと立ち上がった。セレンが驚愕の表情で動きを追う。
「みーくん……?」
「セレン。約束は、まだ覚えてるよな」
彼女はハッとして、首から掛かった青色のペンダントを隠すように握った。
ぺたんと床に膝をついた姿勢のまま、その場で動かなくなる。萎れた花のように項垂れた彼女は、一体どんな表情をしているんだろう。
ミオは不意に胸が痛むのを感じた。
涙だろうか。それとも怒りだろうか。
「……どうやら覚えてくれてるみたいだな」
「そんなのイヤよ、みーくんと会えなくなるなんて」
「本当に怖くなったら必ず喚んでくれ。そのペンダントを壊して」
「でも、そしたらみーくんとは二度と会えなくなるって……」
そういう約束だ、とミオは内心で唾棄した。
ペンダントの中にあるGPSの小型チップを壊せば、改修の終わった<オルウェントクランツ>が自動的に射出してもらえる仕組みになっている。あの機体が持っている機動力なら、きっと光の如き速度で応じてくれる。
だが、いったん漆黒の機体を喚んでしまえば、ミオはセレンの前から姿を消さなければならない。
彼女の前で冷酷非情な『人殺し』に変貌するなんて、それでいて一緒に居続けることなど出来るわけがないのだから。
(セレンは……俺たちとは違うん側の人間だ)
誰かの命を泥まみれの靴で踏みつけにして、そして平気で歩いていけるような人間ではないのだ。引き金を絞って誰かを撃ち、そうしなければ自分が生きる場所さえ得られない自分とは、まるで陽だまりと影のように異なっている。
――俺たちとは違う。
ぐっ、とその言葉が重圧となって圧し掛かってきた。
「セレン……聞いてくれ」
「イヤよ! 絶対イヤ!」
ぴしゃりと撥ねつけられ、やむなくミオは口を閉ざした。
周囲にいた客たちが一瞬だけ静まり返り、こちらへ視線を窺わせる。しかし気まずい様子を悟ったのか、すぐに目を逸らしてしまった。
「だって、これを使ったらみーくんが遠くに行ってしまう……そんなのは嫌よ。わたし、まだみーくんのこと何も知らないのに」
「セレン……」
「もっと知りたいって思ったのに……それはいけないことなのかな」
「誓ってくれ。本気で怖くなったら必ず――」
「ずっと一緒に居てくれたっていいじゃない……どうして…」
どういう風に声を掛けていいか自分には分からなかった。
駄々を捏ねるなら、その頬を平手で打てば良いのか。きっとそれも1つのやり方には違いあるまい。
だけど――自分にはそんなこと出来なかった。
代わりに「ごめん」と短く呟いて、ミオは己の唇でセレンの朱唇を塞いだ。
んっ――と鼻に抜けるような声がして、しかし口付けは一瞬で終わる。
「大丈夫。必ず戻ってくるよ、お姉ちゃん」
「約束してくれる……?」
「もちろん」耳許で囁くように言う。「だから行かせて。君を必ず守ってみせる」
小指を絡めると、セレンはくしゃっと歪んだ泣き笑いのような表情を浮かべてくれた。
それを見たミオは心のうちに安堵を抱き、素早くその場で立ち上がる。
爆発が起こったのは下の階だ。火が起こったのなら火災が誘発されてもおかしくないし、時間的な余裕は残されていない。
亜月と美月は無言のまま頷き返すと、ミオに付いて行動を開始した。
3人は非常階段を段飛ばしで駆け下りてゆく。
「良かったのかね、あれで」
「……」
声はやや後ろから飛ばされた。
段差を跳ねながら亜月が問い、ミオは無言を返す。その後ろからは美月が軽い身のこなしで付いてきた。
クリーム色の壁に描かれた階数表示は74。青色の数字が、目標階まで近づきつつあることを謳っていた。
良かったのかと訊かれても、逆にどうすれば正答だったのかミオには分からない。何が正しい選択で、何が間違った選択肢だったのかなんて――きっと後にならなければ分からない。議論するだけ無駄だ。
だとすれば自分が出来るのは、掬った選択肢を可能な限り正答に近づけることだ。
ミオは答えないまま、
「亜月、銃は持ってるな?」
「45口径なら」
「充分だ。美月?」
「持ってるけど。こんな物騒なもん使わないわよ、あたし」
美月は後ろから自動拳銃を投げ渡した。
ミオは左手の動きで見事にキャッチし、軽やかにスライドを引いて初弾を装填する。
懐かしい重みだ、とミオは思った。
ASEEの制式自動拳銃のカスタムモデル。グリップの部分が少しだけ細くなっているのは、おそらく美月の手のサイズを考慮したためだろう。
「今回の爆発はテロの可能性が高い。犯人探しは後回しだ。脱出路の確保を最優先目標とし、脅威があれば排除行動に出る。ここから先は慎重に進むぞ」
「敵がいるかも知れないってことね。やっぱり返してもらおうかしら、武器」
「断る」
短く一蹴。
やがて68階の数字に辿り着くと、ミオは金属扉へ張り付いた。
音で内部の状況を確認して亜月に合図を送り、レバーハンドル型のドアノブをゆっくり引く――が、その動きは途中で止まった。
爆発の影響で扉の内側が変形しているのだ。開かない。
くそっ、とミオは毒づく。急がないと火が回ってしまう――それまでに何とかしなければ、と焦るもドアは固形化して動かない。
「チッ、どうすればいいんだよこれ……」
「下がってて。あたしがやるわ」
美月が後ろに数歩下がり、扉の近くにいたミオと亜月は入り口の左右に身を引いた。
少女の細身が床を蹴って加速、爪先で跳躍。
小柄な体躯が金属扉を蹴破り、美月はそのまま空中を一回転して踊り場に着地。その隙にミオと亜月が内部に飛び込む。
自動拳銃を構えたまま68階のフロアに突入すると、最初に視認できたのは粉塵の煙とメチャクチャに壊滅した内装だった。等間隔で立っているはずの四角い柱は塗装が焦げて黒くなり、風圧で天井も剥がされているため配管の様子やダクトが丸見えだ。屋内の解剖図があるとしたら、ざっとこんな感じなのだろう。
洋服屋は品物ごと大きく吹っ飛び、炭化した衣類が床に散らばっている。転がるマネキンの腕を踏み潰してミオは奥に進んだ。
「誰もいない……」
「ワッショイするなら今のうち?」
「何だと?」
「……な、なんでもないわよ」
そうか、とミオは応じた。
美月が遠くで赤面しているのが分かったけど、相手にしているだけの余裕はなかった。
やはり爆発のあった階に犯人が居るハズもない。居たとしたらよほどのマゾか自殺願望のどちらかだろう。あるいは自分ごと爆発に巻き込むような生粋のエンターテイナーか。
(犯人はここには居ない……遠隔操作型の爆弾だとしたら別の階だろうな)
上の階か、それとも下の階か――
(それにしても、いったいどこの連中なんだ? 民兵か、ただのテロリストか……いや、もう少し大きい規模だろう。いずれにせよタチの悪い連中だ)
ミオは建物の中へ視線を這わせた。
客の姿が無いということは、あらかじめ用意周到に準備が為されていたということだ。客の出入りを封鎖していたハズなら、犯行グループは少なくとも十数人は要ることになる。
それに爆発物の使い方も巧い。おかしな表現だが、最も少ない量で効果的・広範囲へダメージを与える設置場所を適切に選んでいる。
(この炸薬量と配置の仕方……おそらく経験者だな。その辺にいるテロリスト共とは思えん)
下の階に行くぞ、と合図してミオは踵を返した。
「ちょ、ちょっと待って! エレベーターが……」
「どうした?」
美月が指を差す。同時にミオは見た。
さっきまで止まっていたはずのエレベータ――その真上に設置されている階数表示だ。
いつの間にか起動していたらしく、数字はぐんぐん上がっていく。
――嘘だろ。
ミオは息を飲む。
点灯したオレンジ色のランプはルーレットのように『80』を示すと、まるで少年の懸念を嘲笑うかのように動かなくなった。
「ちょっと待てよ、セレンがいる階なんだぞ――!?」
「落ち着け少年、ここで焦れば思う壺だ」
「じゃあどうしろって言うんだよ! 敵は上の階に行ったんだろ!? なら俺が行って――」
「だから落ち着けと言ったろう。敵とは限らん。それに敵だと仮定しても、全員で上に向かえば行き違いになる可能性がある。この場での最優先事項は2つだ」
「セレンを救って逃げる。敵を殺す」
「単純明快で素晴らしい回答だ。しかし過ちがある」
「何――?」
「セレンは我々の数に含まれない」
放たれた言葉の意味を理解するのに一拍かかった。
彼女が数には含まれない?
それは一体どういう意味だよ――と喉から怒鳴り声が飛び出しそうになり、ミオは慌てて堪えた。
亜月は指を立てると、さらに冷酷な『正答』を突き付ける。
「忘れたのか? 我々はASEEの特務なんだ。一般人なんざ知ったこっちゃない」
「お、お前っ……!?」思わず亜月の胸倉を掴みそうになった。
「そうやって、今までに何人も何人も数え切れないほど殺してきたハズだろう。それにも関わらずセレンだけを救い、彼女を救ってヒーローになるというのは、力を持てる者の傲りではないか?」
判決を下すような物言いをする亜月に対し、ミオは返す言葉が見つからなかった。
くそっ、と内心で毒づく。
こんな言い掛かりにいちいち構ってられるか!
無駄な議論をしている間にもセレンは危険な目に遭っているのだから。一刻も早く俺が救ってやらないといけない。どんな連中だか知らないが、敵をぶっ倒すのはセレンを救ったあとだ。
亜月はミオに背中を向けると、
「……問答はやめよう、突っ掛かって悪かったよ。美月は下の60階に向かってくれ。私と少年は上の80階へ向かう」
「はいはい了解。セレンを頼むわよ!」
その声を聞き終えるよりも早く、ミオの足は段差を踏み飛ばしていた。
――間に合ってくれ。
彼女の命以外には、それ以外には何も望んだりしない。
セレンは、彼女だけは絶対に傷つけないでくれとミオは心の内で咆哮した。
他には何も要らない。必要ない。
階段を疾駆する。踊り場のスロープを掴んで方向を切り返し、次の階へとステップを踏む。
(急げ! もっと早く……!)
足が無意味に空転した。
段差に爪先を引っ掛けたせいで、ミオの体重は派手にバランスを崩したのである。
思いっきり転倒する。手をついて立ち上がる。
毒づいているヒマはない。このままセレンが傷付くようなことになったら――俺はきっと。
(あぁそうだ。俺はセレンが好きになったんだ。悪いかよ……!)
今まで『好き』の意味が解らなかった。理解できなかった。
自分には関係ないと思いながら、そういう感情に背を向けて今まで生きてきた。
だけど、あの太陽を見あげる向日葵みたいな笑顔に魅せられて、たったの一週間で自分は『変わってしまった』のだ。
――この感情は、まだ恋愛とは程遠いものかも知れない。
それでも、とミオは思った。
生まれて初めて芽生えた気持ちなんだ。死んでも守りたいのなんて当たり前だ。
次の踊り場に差し掛かったとき、ミオの意識は一瞬で壁際に叩きつけられた。
爆発だ。どうやら別の階にも炸薬が仕掛けられていたらしい。空気の圧力で接合部ごと大きく吹っ飛ばされた扉が、ミオの細身を巻き込んだのである。ミオの身体は重金属ドアの長方形に押し付けられるようなかたちで押さえつけられた。
(く……そっ! った、れ!)
抜け出そうと必死で足掻く。間に合え、と念じる。
肺から息が溢れる。
全身が痛い。手足が思うように動かない。
血が出てる。だからどうしたって言うんだ。
破壊された一枚扉を蹴っ飛ばし、ミオは立ち上がって次の階へ。
現在の数字は75。
――急げ。
叫ぶ。が、しかし声は擦れて出なかった。
(好きだって、この気持ちを――そうだ、俺たちは一緒に居たいんだ)
笑うなら好きに笑えばいい。嘲うなら口を歪めて嘲えばいい。
鉛みたいに重くなった足を引きずりながら、ひたすらミオは階段を駆け上がった。




