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黎撃のインフィニティ  作者: いーちゃん
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第6話

 奪取した新型AOF<オルウェントクランツ>の解析を進めるレゼア・レクラム。しかし旧来の方法では解けないセキュリティによって苦しめられることになる。

 一方、レナはキョウノミヤによって新型機<アクトラントクランツ>の基礎データを知ることに。彼女はその圧倒的な機動性や火力性能に驚嘆する。

 そして何より驚くべきは、操縦主の意思によって覚醒する機構・セカンドフォルテ。この力があれば、自分は何を守れるのか?

 内心に問う少女の横で、キョウノミヤはレナを指揮官に任命することを提案する。


 一方、ミオはASEEの母艦である<オーガスタス>で空を見上げていた。

[part-A]ミオ


 自分の好きなものを挙げろ――と言われると、たいていの人の反応は2種類に分けられる。日頃の行動から自分の趣味が思い浮かぶ人間と、もう一方は、考えても何も出てこなくて「読書」などと無難な答えを返す人間のどちらかだ。

 そう分類するならば、ミオは間違いなく後者の一人だった。ただし、彼の場合は「読書」の代わりに「散歩」の2文字が入るけれど。

 ミオは通路にいた。

 機動艦<オーガスタス>、右舷側にある細い廊下である。窓の外を見ると、いつもはきれいに輝いているはずの海面が、今日は機嫌悪そうにくすぶっていた。天気は良くない。

 そう、ミオの唯一の趣味は散歩だった。

 上陸許可が降りれば必ずといっても良いほど外の街へ繰り出し、何も考えずにひたすら周辺を歩いて散策する。特に理由もなく、目的もなく、気の向くままに歩いて、それに飽きると元の場所へ戻ってくる。昔からそうだった。それ以外やることなんて無かったし、与えられた過酷な制限の中で出来る最大の自由は、目的なくフラフラしていることだった。

(……ヒマだな。戦争が始まったって、本当なんだろうか)

 海を航行していると、当然ではあるが外には出られない。甲板に出て時間を潰しても良かったが、あいにく天気は小雨になっていた。

 ミオは口元をへの字にして嘆息すると、左腕の時計を見た。

 同僚と約束した時間まで残り10分。少し早いが……と思いながら、ミオの足は格納庫(ハンガー)へ向かう。

 エントランスをくぐると、見えてきたのは全高16メートルもある漆黒の機体(オルウェントクランツ)だ。その足元にはヘルメットを被った整備員たちが群がっていて、作業の最終打ち合わせを行っている。その中心にはレゼア・レクラムの姿があった。

 ミオが格納庫へ踏み入ると、まさにタイミングをはかったみたく礼をして、作業員たちは解散してしまう。口々に言葉を交わしながら、彼らはホールの反対側へと姿を消していった。

「お疲れさん」

 背後から話し掛けると、レゼアは振り返った。鼻のてっぺんが黒く汚れているのを見ると、自ら率先して作業に取り組んでいたのだろう。

 黄色いヘルメットをはずすと、彼女は額の汗を拭いながら、

「なんだ、早かったじゃないか」

「暇を持て余してしまってな。やることがなかったから――といっても、いま来たばかりだけど」

「ふむ……だったら今やるか? 模擬戦」

「そんな簡単に出来るのか?」

「作業が予想外に早く終わってな。パラメータの設定値は以前のおまえのデータが見つかったからそのまま流用した。まず実戦形式で試してみて、それから少しずつ修正した方が早いだろう」

 それじゃ――と言うと、彼女は手元に従えていたノートPCを近くに追いやって、機体の周辺に転がっていた工具たちを片付け始めた。

 無作為に敷かれたブルーシートの上には、使い道も分からない金属工具が宝の山のように(うずたか)く積もっていた。彼女はそれらを種類ごとに仕分け、手際よく専用のボックスへと仕舞っていく――スパナの収まった箱には大きいものから小さいものまで、まるで家族みたいに工具が並んでいた。

 ミオは片付けを手伝いながら、

「レゼアはいいよな、いろいろ自分で出来てさ。時おり羨ましく感じる」

「どうした急に。センチメンタルか? 慰めてやろうか、ん?」

「うっせ。ただ時々思うんだよ。自分でもっと色々出来たら楽しそうだな、って」

「私は小さい時からいろんなことにトライしてたからな……というか、そうせざるを得なかったんだが。その過程で出来るようになったことは多いが、どれも一流やプロには届かない。私はただの器用貧乏だ」

「だけど何も出来ない奴よりはマシだと思うよ。俺は機械いじりが出来るワケじゃないし、ソースとかコードとか言われても……食卓に置いてあるアレしか思い浮かばない。レゼアがやってくれてることに対して何の恩返しも出来ないから」

 手放しで称賛されて、レゼアは頬を紅潮させると一瞬だけ立ち止まった。

 ふん、と2キロほどある工具のボックスを隅へ投げ置く。

「恩返しとか余計なことは考えなくていい、私はお前に尽くさなければならない義務があるんだ。有り体に言えば自己満足なんだけどな。――ほら、下らないこと言ってないでさっさとコクピットに入れ」

 言われて頷き、ミオはキャットウォークの3階へ。

 身軽なステップで機体の腰部へ飛び込むと、隔壁がスライドしてハッチが閉まる。中の高圧空気が脱気される音がして、ミオの細身は狭苦しいコクピットへと収まった。金属が噛み合う音が響くと、そこは自分ひとりだけの空間である。

「……」

 メインモニターが光を映すと、深青色の画面には薄緑の文字列が浮かび上がった。

 星空みたいに綺麗だな――と思いながら、ミオは静かに目を閉じる。

 前に乗っていた機体のように、OSSの起動の遅さに苛立つ必要はない。機体のすべての情報を統括するプログラムは素早い立ち上がりを見せ、すでに命令の受け付け準備が終わっていた。

『AOF起動完了。第一から第五ロックボルト解除。続いて脚部拘束を全解除。システムオールグリーン。状況を戦闘ステータス・フェイズ2にてアクティブモードへ移行……<オルウェントクランツ>、スタンバイ。これより模擬演習を開始する』

「……」

『いけるな?』

「――あぁ」

 視界が冴える。機体が戦闘モードになったのを知って、ミオの身体が戦闘モードへ切り替わった。

 <オルウェントクランツ>は歩みを覚えたての幼児のように、そして格納庫の扉から姿を現した。

 ちょっとだけ膝を折って、まるで跳躍するような仕草――しかし加速は一瞬。急激なGを背負ったあと、機体はすでに数百メートルの高度にある。

 少しだけ滞空状態で待っていると、レゼアの駆る<ヴィーア>はすぐに艦内ハッチから飛び出してきた。普段のようなミサイル連装ポッドを背負わず、今日ばかりは分厚いシールドを2枚も装備している。

『これより演習ならびに模擬戦を開始する。今回の目的は戦闘パラメータの把握と修正だ。動きのダイナミズムやクセを数値化して、最適なものにするのが目標だからな。いつも通りに動いてくれればいい。もちろん武装のパラメータも確認するが、間違って私を撃墜するなよ?』

「注意する」

『ホントに大丈夫か疑問なんだが』

 <オルウェントクランツ>の武装は特殊だった。

 通常ならマウントされているはずのレールライフルや、高エネルギー刃を出力するサーベルが一切ない。

 その代わりに、ひし形を縦向きに引き伸ばし、さらにコンパクト化したような盾をひとつ装備しているだけだ。

 盾の尖端からビーム刃が出力する。

 この装備は盾にもなるし、近接では細い抜身のサーベルになり、遠距離ではライフルにもなる。そう、武装が変形するのだ。

「……行くぞ」

 接近は一瞬だ。黒い影は虚空を疾駆し、<ヴィーア>へと迫る。

 やや反応が遅れたレゼアは慌ててシールドを掲げ、ビーム刃による攻撃を防いだ。多重にコーティングされた特殊防盾だ。たしか6層から8層に渡って強力な塗装が施されていて、実弾攻撃はおろかビーム砲さえ凌ぐし、さらに言えば陽電子砲さえギリギリで耐久できる特注品だ。たしかロケットの大気圏突入にも平気で耐える代物で、こんなものを持ち出すあたり、よほど撃墜されたくなかったのだろうか。

「間違って撃墜するかも知れんな」

『……あ? なんか言ったか?』

「いいから構えてろ」

 ミオは相手の構える盾だけを狙って、見事な速度でサーベルを振るった。

 右薙ぎ、手を返して左から一閃、機体を翻すと大上段からの斬り落とし。レゼアは交互の盾を巧く使い分けながら、それらの攻撃を防いでゆく。

 最後に袈裟斬りを受け止めると、レゼアは通信回線で呼び掛けた。

『そろそろいいんじゃないか? 近接戦闘のデータは取れた。どうだ?』

「関節部の動きがひどい。あとで再設定を頼む」

『りょーかい。次は射撃の方でデータを取る。またシールドを狙ってくれ』

 分かった――と頷いて、ミオは武装を変形させる。現れたのはライフルだ。

 素早く後退。<ヴィーア>と距離を取って、相手を照準する。どれだけの威力があるかは不明だ。

「レゼア。シールド2枚とも重ねとけ」

『貫通することは無いと思うが……』

「いいから。なんだか嫌な予感がする」

 同僚がしぶしぶといった感じで両方の盾を重ねる。

 それを確認すると、ミオは容赦なくトリガーを引いた。

 ライフルの先から迸ったのは黒い閃光。溢れる粒子は細長い形状に収まり、ビームの矢となって一枚目にある盾の中心を穿った。

 ミオは間髪いれずにもう一射。

 同じ部分を狙われた盾が炸裂し、衝撃は2枚目の盾へ。

『す、すごいな…たった2発で艦主砲と同じ破壊力ってか? あと2発撃つなら予告くらいしておけ。久々に死ぬかと思ったぞ!』

 驚嘆するレゼアを置いて、ミオはスラスターを噴かして後方へ。ロック距離を確認するためだ。

(距離500…600……まだ射程圏内か?)

 畏れを為しておののきそうになる思いと、その強さに打ち震えるような、矛盾した感情がミオの胸を突き上げる。

 だが身体は正直だ。鳥肌が立っている。

 いや、それだけじゃない。

 ミオは同僚の駆る機体をキッと睨んだ。

 遠方に距離を取っていた彼は、再びペダルを踏み込んで急加速。数百メートルの距離はわずか一瞬で縮まり、気付けば<ヴィーア>の隣に滞空している。

 レゼアは思わず唸った。

『うむ、素晴らしい性能だ。加速力も含めて機動性も火力も充分なレベルにある。パラメータ補正は後で私が処理しておくが、何か気付いたことは?』

「……何かこっちに来る」

『え?』

 ――と、ミオは突然<ヴィーア>へ蹴りをいれた。

『ぐっ…何をするんだ! こんな愛情表現求めてない!』

「うるせえぞ! 下がってろ」

 ミオは武装を変形させる。現れたのは尖端へビーム刃を出力させたサーベルだ。

 遠方から放たれた弧状の衝撃波を、左薙ぎの一閃が斬り伏せる。ミオは素早く次の迎撃姿勢を取った。

 いったい何だ――と敵の姿を求めるミオの死角から、黒い影が懐へ潜り込んだ。

 警告音(アラート)

 反射的に機体を仰け反らせて回避、一気に後方ステップを踏んで攻撃を避けると、もう一撃は背後から襲ってきた。

(――2機か!?)

 サーベルをでたらめな方向へ薙ぐ。振り下ろされた鎌による攻撃を危ういところで受け止め、ミオは緊急離脱。

 機体を切り揉みさせて飛翔すると、一撃目を放ってきた影は執拗に距離を縮めてきた。

 レゼアが叫ぶ。

『おい大丈夫か!? いま増援を――』

「呼ぶな。コイツら生半可じゃない! それより態勢を立て直せ!」

 一般兵の駆る<ヴィーア>を集めたところで、この反応速度で戦えるわけがない。下手をすれば返り討ちも良いところで、結局ミオの足手まといになるだけだ。いま自分の目の前にいる敵は、中途半端な寄せ集めの戦力でマトモに戦える相手ではない。

 なんだ、こいつら!?

 ――と、鋭利に伸びた何かが<オルウェントクランツ>の頭部を掠めた。あと3、4度も左へ首を傾けていれば直撃コースだったろう。

 伸縮自在の槍は、目の前にいる機体から放たれていた。

 濁った血赤色の装甲をした機体(フレーム)である。ところどころ装甲の肉抜き処理が施されていて、軽量化が図られているのが分かった。その手に握られているのは真っ直ぐに伸びた芯――およそ2機体ぶんの背丈にも延長された槍だ。

 死を覚悟した瞬間、再び背後からの攻撃。後ろにいたのは黒色の機体だ。マントのようなものを巻き付けている。

 避ける。逃げる。逃げる。逃げる!

 コイツらはおそらく、いや確実に正規軍の連中ではない。だとしたら傭兵か?

 問いただしてみるか――と思ったミオは、自分が追い詰められている状況に気付く。そんな問答を展開している余裕はなさそうだ。

 ブーストを展開して急加速。目まぐるしく変わる視界のなか、ミオは敵の位置を把握しようと躍起になる。

 襲ってきたのはいずれも近接戦闘型の機体だ。だとすれば、適当な距離を取らなければ自分が不利である。それに、相手の目的が分からない限り、レゼアを単独で置いておくのも不安である。

 <オルウェントクランツ>は無我夢中で空を逃げるが、それでも血赤色の機体は追ってくる。伸縮自在の槍は、射程が40メートルもあれば充分なのだろう。ミオは海面ギリギリの高度を飛翔し、上方向から延長した槍の攻撃を見事に回避。

 急上昇。

 狙うのは相手の腕部だ――武器が伸びた直後には、わずかな硬直が発生する。そこが狙い目。

 ビーム刃を高出力モードへ。明緑色だったそれは青白い刃へ変わり、ミオは下から斬り上げるような一閃。

「はあぁぁぁっ!!!!」

 攻撃を防ごうとした相手の右腕ごと、容赦なくそのシールドを斬り飛ばす。

 振り向きざま左手に武器を持ち変えて2撃目――を繰り出す寸前、何かがサーベルの動きを阻んだ。

 巨大に湾曲した鎌だ。

 普通のAOFならば一刀両断されてしまいそうな大きさの鎌である。三日月型の内側には黄色いビーム刃が出力されている。その切っ先は高出力のサーベルを巧く捉えていた。

「邪魔だ。死にてーのか」

 ギロと睨んで、ミオはすぐに標的を切り替えた。

 次に狙うは黒い機体。横へ一閃。

 しかし、鎌を携行した敵は攻撃を回避すると、ミオの予想に反して撤退していった。それに従ったのか血赤色の機体も後ろ姿を見せ、あっという間に姿を消していく。

 敵機の背中を見送りながら、ひとまず助かったか――と息を深く吐き出した。

 <オルウェントクランツ>を奪取して次の日に破壊されるなんてのは、それだけは絶対に避けておきたい「ヘマ」だ。

 ミオが安堵する中、同僚のレゼアも大きく息をついていた。

『危なかった……というか、お前ってこんなに強かったんだな。私も少し焦ったぞ。それよりあの機体――』

「……」

 所属こそ不明であるものの、今の相手は間違いなく実力のある2機だった。

 迅速かつ精確無比な攻撃、一見するとデタラメのようで緻密な連携性。そして何よりもその反応速度が、相手パイロットの力量を物語っている。

 そんな相手を目の前にして、ダメージさえ負わずに撤退を選ばせた実力は、さすが "世界最強" は名ばかりでないということか、とミオは自分を皮肉った。

 AOFの操縦主として自分の技量は、世界の中でも間違いなくトップレベルに君臨していた。桁外れな身体能力と適応度、反射速度、そして戦闘時の冷静さ――どれを取っても非の打ちどころが無いそれらが、自分の実力を裏付けている。自惚れにも聞こえるが、それが一般的な評価だ。

「レゼア、さっきの敵の確認を頼みたい。アイツらの所属やスペックを割り出してくれ」

『了解。本部のデータベースと照合しておくさ』

「あと、もう一度整備を頼むぞ。大事な武装が欠如してる」

 ミオは不満そうに言って、<オルウェントクランツ>の右腕――ちょうど手首の部分を見せた。

 あぁ、とレゼアは納得する。ミオにとっては重要な武器を、一つだけマウントするのを忘れていたのである。

 ミオは鋼糸(ワイヤー)使いだった。

 超高々密度の鋼性糸を射出させ、敵の機体へ引っ掛けてトリッキーな戦い方を繰り広げたり、それは実弾武器なども易々と迎撃可能なほどの性能を誇る。また、近接戦闘においては鋼糸を振り回すだけでも相手との距離を確保することが出来、それは彼が独自で編み出した戦闘スタイルとも言えた。

 整備中に追加しとおこうと思って、どうやら忘れてしまったようだ。

 レゼアは頷いてみせると、

『悪かった。次からはしっかりする』

「まぁいいさ、今回は結果オーライだ。帰投するぞ」

 飄々と言って、ミオは機体を翻した。



[part-B]レナ


 同じ頃、キョウノミヤとの打ち合わせを終えたレナはミーティングルームへ向かっていた。隣には速足で廊下を歩くキョウノミヤがいて、彼女はそれを追い掛けるような構図である。

「いい? 貴女はもう作戦指揮官なのよ。この艦のクルーを率いる立場なの。しっかりしてくれなきゃ困るわ」

「うー。でも、さっき就任したばっかりだし……」

「だからどうしたの。私なんか軍務の仕事と技術班統括者、そして艦長まで一斉に押し付けられたのよ。それが数日前の話」

「キョウノミヤさんが優秀だからじゃないですかねー!?」

「それは……そうね」

「自分で頷いたよこの(ひと)……」

 木製の扉の前で立ち止まると、キョウノミヤは振り返って言った。その目は真っ直ぐに、レナの黒い瞳を見据えてくる。

「打ち合わせ通りにやれば問題ないわ。だから安心して」

 それだけ言うと、彼女は前を向いて扉に手を掛けた。

 この扉の奥には、きっと何十人――いや、名簿を見た限りでは百名近くのメンバーがいるはずだ。全員がAOFの操縦主で、レナは彼らの命を預かることになる。

 より被害の少ない戦闘プランを立案し、相手に多くのダメージを与える。さらには部隊ごとに適切な命令を下し、作戦領域にて指揮を執る――それが作戦指揮官の役割だ。

「私なんかで大丈夫なのかな……」

 レナは小さい声でぼやくと、キョウノミヤは無視した。開いた扉をくぐる。

 扇形をした部屋の中は、大学の大講義室ほどの大きさだった。8人掛けの横長いテーブルが階段状になっていて、それは前にいくほど低くなっている。横へ3列に仕切られた間のスペースが通路となっており、後ろから前まで通り抜けることができる。

 彼女が入ったのはルームの前方、部屋の右側にある扉だ。集まる視線を掻い潜りながら、レナは巨大なスクリーンの横に立つ。

 キョウノミヤはマイクのスイッチをいれて、

「これから次の作戦に向けてミーティングを行います。その前に、まずは皆さんに報告することがあります。本日付で、私は本艦の作戦指揮官として彼女――レナ・アーウィンを抜擢しました。まだ17歳ではあるけれど、彼女には充分な素質と経験があると私は感じています」

 机と通路によって区切られた部屋、その全体がざわついた。

 当たり前だ、とレナは思う。たかが17歳の未熟者に命を預けたい連中なんて、居るワケがないだろう。それだけじゃなく、年下の人間の命令に従うなんてのは、彼らにとっては屈辱でしかない。特に上下関係の厳しい環境にいる彼らにとっては猶更だ。

 キョウノミヤはルーム全体を上の方まで見渡して、

「何か異論があれば、どうぞ」

 ヒソヒソ声が充満し、レナは思わず目を伏せたくなった。

 やっぱり無理だ――自分なんかに従ってくれる人間など、この中に居るハズがない。

 そう思っていると、階段状になった座席の中段あたりに座っていた男が挙手する。場は途端に静まり返った。

「質問いいだろうか」

「ええ」

 発せられた低い声に対し、キョウノミヤが頷いて応じる。

 男は真っ直ぐにレナを見たあと、

「本当にこんな子で指揮が務まるのか、オレには心配でならない。さっき部屋に入ってきた瞬間から彼女を観察していたが、その様子じゃあ此処にいる全員とは初対面だろう。もっと経験を積んで、俺たちと面識のある人間を選ぶべきではないか」

「なるほど。ですが、先ほども言ったように彼女には操縦主としての実力も経験もあります。ただ貴方達と面識がないだけです」

「実力がある? だとしても、それと指揮官の選任は別だろう。今までだって優秀な操縦主が指揮を務めてきたワケではない」

「じゃあ、これからは?」

 キョウノミヤは揶揄するように言い、口端に笑み。男は静かに黙った。

 だんだんと険悪なムードに包まれていき、レナはそこから逃げ出してしまいたいような衝動に駆られた。男は再び口を開いて、

「それより、この子は誰なんだ。七光りでこの場にいるのであれば、すぐに立ち去ってもらおう」

「"連合二強"、と言えば少しは分かってもらえるかしら?」

 場がどよめく。

 素直に感嘆する者もいれば、一拍遅れて気付く者、首を傾げて隣の仲間に教えてもらう者もある。そしてなぜか前方からは「この子が?」「連合二強って女の子だったのかよ…」「うおー可愛いー」と囃し立てる声も上がった。

 男は息を呑む。

「ば、バカな――こんな子が?」

「残念ながら事実です。彼女は指揮官としてはまだ未熟者かも知れない。でも、操縦主(パイロット)としての技量は貴方たちよりも遥かに上の存在よ」

 男は言葉を失うと、力をなくして元の席へ座り込んだ。

 キョウノミヤはスクリーンの横に立っているレナへ目配せ。一瞥すると、レナは一歩だけ前へ踏み出した。

「えっと…あのっ……!」

 喋ろうとしていた言葉が全て消し飛ぶ。

 しどろもどろになったレナを、その場の全員が注目していた。途端、「かぁっ」と全身が火照ったのが分かる――と、レナの顔は見事な真っ赤に染まった。水を掛ければ蒸発してしまいそうになる。

 深呼吸。直前まで頭に叩き込んでいたワードは吹き飛んだ。

 ならば自分の言葉で話すしかない――

 キッと視線を上げて、レナは想いを込めて言った。

「みなさんには……私が指揮官の立場になる、ということについて納得いただけないかも知れません。正直な話、私は指揮を執る立場なんて初めてです。もちろん不安です。怖いです。此処にいるみんなの命を預かるわけですから……」

 その場にいた全員が黙る。

 レナは演台の縁へかけている手に力を込めた。大人の服の裾を掴む子供のみたいに、である。

「ご存知の通り、昨日の第六施設島での一件により、新型機<オルウェントクランツ>は強奪されました。内部のスパイによる情報の漏洩とみられていますが、原因と責任の追及は本部に任せておきましょう。本艦へ課された次の任務は、強奪された敵機の滷獲・あるいは撃破です。しかし、甘い見通しでは全く歯が立ちません」

 敵の操縦主は強い。しかも桁外れなほどに、である。

 レナともう一人の、いわゆる "二強" の名を持つフェルミとタッグを組んでも、まったく相手にならなかったほどの敵である。そんな技量を有する敵を相手にして、何の対処法も知らずに突っ込んでいくのはただの危険か、もしくは本物のバカのどちらかだ。

 いつだって冷酷非情な戦い方で、味方に対しても一切容赦がない。自分にとって邪魔者となれば、アイツの前では敵も味方も関係ないのだ。

「我々が相手にしなければならないのはそういう(・・・・)敵です。相手パイロットに関する情報は、まだ完全とは言えませんが、お手持ちの端末からデータベースへアクセスすれば、見られるようにしておきました。相手の技量は圧倒的、そして搭乗しているのは最新鋭機なんです」

「待ってくれ。――全員で包囲すれば戦えるのでは? 一体多ならば我々の連携は優位にある」

 今度は別の男が手を挙げた。

 レナは首を横に振って、

「それは逆です。以前にも同様の作戦をとった部隊(チーム)がありましたが、残念なことに結果は全滅でした。アイツは一対多での戦闘が物凄く巧いです。しかも用いたのは近接戦闘だけでした。指揮系統の乱れた部隊は、あっという間に壊滅します」

 アイツに立ち向かえるのは少数精鋭で組まれたペアか、もしくは単機だけだ。それ以外は足手まといになる。

 彼女は一息して、

「私も余計な犠牲者は出したくありません。ですから、被害が最小限に抑えられる最大効率のプランを提案していくつもりです。だけど、みなさんの仰ることも分かります。こんな年下の人間に命令されるなんて、納得できない方も多いでしょう。そのため、一人でも反対の方がいれば、私は指揮官の立場から降りようと思っています。異議のある方は、是非」

 言って、部屋中を見回す。

 シンと静まり返った講堂の中で、反対意見はゼロ。それどころか、何人かのメンバーは満足げな表情で腕を組んでいた。

「え? あたしで…、大丈夫なんですか?」

「俺は納得したぞ」

 最初に挙手した男が、手を挙げて立ち上がった。その周辺から、俺も、俺も――と立ち上がるメンバーが数人。

「まぁ、仕方ねーか」

「だな。俺も賛成」

 最前列からも声が上がる。レナが部屋に入ってきたとき「うおー可愛いー」とヒソヒソ声で囃し立てていた連中だ。

 さらに後ろの方からは「いよいよ世代交代か…」という声や、「こんな可愛い娘に命令されるんならアリだよなぁ」といった発言まで含め、講堂は数多の声で埋め尽くされた。

 その場に居る全ての者が、レナを――たったいま生まれたばかりの指揮官を見つめていた。

 かぁっと火照る。思わず泣きそうになって、レナは目を伏せた。

「ごめんなさい……あたし、ホントは人前で喋るのとか苦手で…」

「そんなんで指揮官が務まんのかーっ!」

「はいっ…そうですよね。ちゃんと頑張りますから。……って、え?」

 聞き覚えのある声で発せられた野次に、レナは思わず声の主を探した。見れば、壁際のあたりに立っていたのはテンペニーだ。その後ろには、背中に隠れるようにしてニーナが立っていた。第六施設島で会った2人とも、どうやら無事に<フィリテ・リエラ>へ受け容れられていたのだろう。

 そうだ――と、レナは思う。

 ここに居る人たちは、みんな理由があって此処に居るのだ。

 ならば自分は力を使おう、力を尽くそう。彼らのために。

 キッ、と視線を上げる。

「頼りない指揮官かも知れないけど、精一杯がんばりますから。では早速、次の作戦プランを説明したいと思います――」


 ミーティングが終わると、大講堂にはキョウノミヤとレナの2人だけが残った。すっかり知り合いになった数人の兵士たちは、新しい指揮官へ手を振りながらぞろぞろと講堂を出ていく――その中には握手を求めてきた者もいたし、「もういいから足で踏んでください」とその場に土下座する連中も居た。きっと頭がおかしいのだろう。

(か、変わった人が多いのね…)

 レナは全員に手を振り返し終わると、荷物を片していたキョウノミヤへ向き直る。

 彼女は嘆息しながら、

「打ち合わせの予定とだいぶ違ったわね」

「頭の中に叩き込んだ内容、全部トんじゃいましたから」

「原稿通りなら『私に従えクズ共』から始まる予定だったのにね」

「……残念ながらそんな酷いこと言える性格じゃないですから」

「あら、でもアイツらきっと喜んでたと思うわよ。なんせマゾなんだから――――――この艦のバカどもは全員ね」

 それもどうなんだよ…とは思ったものの、レナは愛想笑いでその場を切り抜けた。

 翌日には<フィリテ・リエラ>は避難民を降艦させ、そして午後には戦闘へと突入する。時間的な余裕は無いのだ。

「でも貴女、意外といい指揮官になれそうよ。あ、そうだ。紹介したいメンバーが居るから、また後で司令室に来ること」

 それと――と言って、キョウノミヤはレナの黒い瞳を深く見据えた。

「覚悟、あるわね?」

「勿論です。あたしが彼らを守ります――何があっても、絶対に守ってみせます」

 それならいいわ、と言い置いて、キョウノミヤは軽く手を振ると講堂を出ていった。最後は予想外に素っ気なかった――彼女の性格なら、少しは絡んでも良いと思ったのだが。

 上官の背中を見送ると、レナは「ほぅっ」と小さく吐息して椅子に寄り掛かった。

 レナは生まれてこのかた、人前で話をする経験が全くなかった。というか、人前に出るのが嫌いで仕方がなかった。

 たしか小学生のときにピアノの演奏会があって、それが引き金となったような気がする。人生初の演奏会で目一杯失敗してしまったレナは、それ以来、人前に出ることを意識的に避けていたのである。

 ふと口端に笑みが浮かんだ。思い出が甦る。

 入軍してからもずっとそうだ。あえて目立たない方法を使って、なるべく人の少ない場所で努力をした。困ったときは同僚のフェルミに任せて、仮病を使って逃げたりもした。それくらいに、人の前に出るのが恥ずかしくて、苦手で仕方なかった。

「懐かしいな…」

 ふと呟くと、声は講堂の後ろの方から届いた。

「――いいね」

「ひゃっ! だ、誰……ですか?」

「キミは実に面白い」

 コツ、と段差を降りる音がする。しかし、そこに人の影はなかった。だが、扇形に広がった講堂の後ろの方――スクリーンを前に見て右側に設置されたドアが開きっぱなしになっていて、その向こう側に黒い闇が広がっている。

 レナは目を凝らした。

 扉へ寄り掛かるようにして立っている影がある。細身で背は高く見えるが、それ以上の特徴は判別できなかった。

「……あなた、誰?」レナは訝んで問う。

「僕かい? 自己紹介は苦手だし、やめとくよ。たぶんキミと会うことも無いだろうしさ」

 歌い上げるような少年の声は、レナに寒気を催させた。

 コイツとは間違いなく友達になりたくない――そういった類の"予感"を肌で感じ取り、彼女は睨みを強める。

「いずれキミが戦うことになる相手の"分身"ということにしておこうか。いや、正しくは僕が"本体"かな」

「はぁ……。謎かけみたいなやつ? 言っとくけど、あたしそういうのメチャクチャ苦――」

 手、と言おうとした途中で、無残にも扉は閉められた。

 誰だったんだアイツ、と思いながら、レナは口を半開きにしたまま固まっていた。

 奪取した<オルウェントクランツ>の機体パラメータを確認したレゼアとミオは、所属不明の謎の2機に襲撃される。

 一方、若輩ながら作戦の指揮官を任されたレナ・アーウィンは、兵士たちを前に敵の強さ、凶悪さを伝えた。ミーティングが終わったあとの講堂。

「いずれキミが戦うことになる相手の"分身"ということにしておこうか。いや、正しくは僕が"本体"かな」

 謎めいた問いかけを残して消える謎の少年。

 次話へつづく。

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