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黎撃のインフィニティ  作者: いーちゃん
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第23話 part-d

[part-d]セレン


 フードコートの中にあるお店で代金を支払うと、店員のおじさんはその場でクレープを作り始めた。

 焼けた円状の生地を2枚広げてその場でクリームやトッピングを乗せていき、慣れた手つきでチョコレートソースをくるっと半周させる。最後にココアパウダーをふりかければ2個とも完成で、おじさんは生地を折ると包み紙に挟んで渡してくれた。

 礼を言ったところで「お姉ちゃんデートかい?」と冷やかしを受けたので、セレンは照れ笑いでそれに応えておく。

 ベンチの辺りに戻ると、少年は椅子の上に1人で佇んでいた。

 何をそんなに思うことがあるのか――眉間に皺を寄せる険しい表情で、じっと深く考え込んでいた様子である。

 目はまるで遠くの物を睨み付けるような視線だ。

 セレンはそれとなく近寄りがたさを感じた。

 どうしてこんなことを思ってしまうのだろう――と、左右の手にクレープを持ったまま立ち尽くす。

 普段の調子なら真っ直ぐ隣に行って買ったものを手渡せるハズなのに、今は足が金縛りだ。

 あの少年を近くで見守っていたい、と内心で思う。

 誰だって悩みごとの1つや2つくらい持っているだろう。

 かくいうセレンだって、5年前は悩みの種が尽きないどころか満開に花咲いて大合唱していた。胸の中がぐちゃぐちゃになってしまいそうなほど考え込むことがあったし、それでも解決できないことなんて指折り数え切れないほどあった。

(だから少しだけ気持ちは理解できるかな)

 そういった無駄な試行錯誤を繰り返した人間こそが大人になっていくのだ、という事実に気付いたのはごく最近のことだ。

 あの少年は何を悩んでいるのだろうかと思案する。

 ――やはり性のことだろうか。

(んー、そっち方面はお姉さんプロフェッショナルじゃないから教えられないなぁ…)

 淡い笑みとともに小首を傾げたのは疑問の表情。

 じゃあ何だろう――と再び見上げたとき、セレンの目に映ったのは遠くを視る少年の柔らかな素顔だった。

 どこか諦めたように寂しそうな、それでいて優しさを含んだ横顔。

 そこに先ほどのような鋭さは無い。まるで深呼吸したあとみたいに、安堵と綻びが半々に混ざったような風貌だ。

 あぁ――と、このときセレンは全てを理解した。

 自分が目で追っていたいのは、少年が見せる稀な無邪気さなのだ。

 それは危険を前にしたときの冷え切った視線でもなければ、しかし苛立ったときの(かお)でもない。

 ほんの少しだけ色付いた好意に、セレンは足を前へ進めた。

「みーくん?」

 クレープを横から差し出す。

 少年はサッと面をあげてこちらを見ると、すぐに表情をほころばせた。待っていましたと包み紙を受け取ったところでクレープへ夢中になるのを見て、セレンは隣へ腰を落ち着ける。

 少年がパクついているのを眺めているだけで、どうしてか自分まで満足したような気分になる。視線に気付いたミオが食指をやめて顔を逸らし、

「そ、そんなに見られると食べにくいのだが」

 鼻の頭にクリーム付いてるよ?

 ……と言おうとしてセレンは踏み留まった。ここはあえて放っておこう。

 ミオは下から俯き顔を覗き込んで、

「どうしたんだ? 食べたくないのか?」

「ううん、そういうことでは無いんだけれど」

 ? と少年は疑問顔。

 生地の隙間から溢れそうになったクリームを舌でペロと舐め取ったのを見てなんだか卑猥だなあみーくんえっちだなぁとか思考しやがった脳に鉄槌を下し、セレンは太平洋よりも深い吐息を1つだけ落とした。

 ……やっぱり少年を可愛いなぁと思ってしまう。

 やや中性的なところがあるせいで、彼を見ていると思考のベクトルが不埒な方向へ全力疾走を始めてしまうのだ。ピンク色の何かが全裸で脳内を走り回るイメージである。ちょっと意味が分からないと思うが安心して聞いて欲しい。自分でもいったい何を考えているのか分かってない。

(つまりはショタコン?)

 短く言えばそうなるのだろう。

 んー、と首を捻ってピンク成分を頭から追い出す。何の話をしていたんだっけ。

 セレンが真面目モードへ戻る頃には、ミオは早くもクレープを完食していた。鼻の先っちょは今でも白く汚れている。

「みーくん? 汚れてるから取ってあげようね」

 人差し指で鼻の上にあるクリームを掬ってやり、口元に差し出す。

「はい、あーん♪」

「付いてたのか……って、恥ずかしいからやめて欲しいぞ」

「でも自分のでしょう? じゃあ私が舐めてもいいのね?」

 そういうことじゃ――と少年が表情を引き攣らせるも間に合わず、セレンはちゅぴと指を舐め終えていた。

「んー、甘くて美味しい」

「あのなぁ……」

 真っ赤になって困惑する少年の隣で満足げな表情を見せ、セレンは自らのクレープに口を付ける。

 ミオは一瞬だけ前髪をたくし上げて掻いた。チラチラと周囲を見回す様子はきっと人目を気にしているのだろう――流石に少しはしゃぎすぎたかな、とは内心で反省しておく。

 こうして2人で座っていると、流れていく時間に置いていかれてしまいそうだった。

 ずっとこのままでもいいのにな、とセレンは思う。

 ずっとこのままがいいのにな、とセレンは願う。

 世界の流れから2人だけ切り離されたとしても、きっと今の自分なら恐怖を感じないで居られるだろう。そうに違いない。

「みーくんは、いま何を考えていたの?」

 問いはまるで呼吸をするように唇から漏れ出た。

 少年は横で沈黙する。答えたくないのか、それとも単に答えられないだけなのか――その表情が沈鬱になるのを見て、セレンは申し訳なさと共に言葉を続けた。

「みーくんが何を考えているのか知りたいわ。たぶん色々なことを考えていると思うの。でも、そういうのを全部知りたいって思うのは駄目なのかな。傲慢かな」

「なんで……」

 ミオは力ない声で訊き返した。

 なぜ知りたいか――と問われると、今度はセレンが複雑な面持ちになる。

 君のことを好きになりたいから。気になるから。

 そういった感情はまだ仕舞っておこう。

「どうしても、みーくんの力になりたいから、かな。でも……そういうのって言葉にしないと伝わらないわ。人間って生き物はとっても不便なの。これだけ文明が発展しても、世界が歩むスピードを上げても、言葉にしなければ何も伝わらない。とっても面倒くさい生き物なのよ」

「……言い回しがセレンっぽいな」

 そうかしら、といいつつ、ふふ、とセレンは笑みを見せる。対するミオは前髪を掻いた。

 少年の黒い瞳をじっと見詰めて、

「わたし、みーくんが何を考えているのか知りたいわ。それはきっと、あなたのことが好きだからよ」

 沈黙。

 ふっと脱力したようにミオが肩を落としたのは、打ち明ける勇気を溜めているようにも見えた。

 少年は少しだけ峻巡を見せたあと、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「俺さ、別に大したことをウジウジ悩んでたワケじゃないんだよ。たとえば将来のこととか、未来のこととか、あるいは世界平和とか――そんなことが世の中には百万個くらいあって、考えてもキリがなくて、正直なところ俺にはどうでもいいんだ。なのに、心の中にどうしても捨てきれないことがあって」

 細かいことは問うまいと心に決めて、セレンは無言で頷きを返した。

 今の自分に出来ることは、少年の言葉を可能な限り引き出すことだ。言い及んだり問い詰めたりすることではない。

 必要ならばその頭を撫でよう。

 必要ならばその体を抱きしめよう。

 涙を流したならその雫を拭き取ろう。

「ごめん。巧く言えないかも知れない」

「それでも大丈夫。さっきも言ったでしょう? 言葉でなければ伝わらない生き物だって」

 今度はミオが頷く番だった。

 首を縦に肯したあとにも、視線はやはり迷いを含んでいる。

「俺……さ、昔からずっと自分の居場所が欲しかったんだ。誰かから死ぬほど必要とされたかった。俺が居る理由、どうしても俺じゃなきゃいけない理由――そういうのが欲しかった。ただそれだけのことをいつまでもウジウジ悩んで、本当にバカみたいだなって思ってて」

 でも、と少年は続けた。

「考えると心臓のあたりが潰れそうになるんだ。もしかしたらこの世の中は、きっと俺なんか必要なくて、俺がいなくなったところで世界の歩むスピードはきっと変わらなくて。逆に本当は俺なんか居ない方が、ずっと都合の良い世界が広がっているんじゃないのかって。だから分からなくなる。自分は此処に居てもいいのか、それとも居てはいけないのかと」

 セレンは喉から飛び出ようとした言葉を引き留めた。

 そんなことない――と。

 彼が居なくなったらどれだけ寂しい世界が残るだろう。

 彼が姿を消したならどれだけ悲しい世界があるのだろう。

 それを教えるのは非常に容易い。ここで頬を叩いて、子供の躾みたいに解らせることも可能だろう。

 だけどそれは本質じゃない、とセレンは感じる。

 『誰かに死ぬほど必要とされたかった』

 たったそれだけ。世界平和と比べれば遥かに小さな願い事だ。

 彼女は呼気を1つ、それを嘆息として、

「なーんだ、それって単純なことじゃない。誰かに死ぬほど必要とされたいって、それはつまり『好かれたい』『誰かに恋されたい』ってことじゃないのかな。だったらみーくんの居場所は此処にあると思うわ。だから大丈夫よ」

「俺は……ここに居ても、いいのかな」

「もちろん! って、わたしなら笑顔で答えるけど?」

 頭の上にポンと手を置いて撫でてやると、少年の細身が小刻みに震えているのが分かった。

 が、下から覗き込むような野暮ったい真似はしない。

 今の自分に出来ることは――と考え、セレンは自らの右手を少年の左手へ。

 重ねる。

 あたたかさはすぐに肌をとおして伝わってきた。

 この1週間で何度となく感じた温もりだ。シャワーで頭を洗ってあげたとき、一緒にベッドへ潜り込んだときの背中の温度、そして手を取ったときの不思議な温かさ。

 この感覚と共に居たい、とセレンは思った。

 理由なんて単純だ。心惹かれ好きになってしまったからである。

 でも――と思考を巡らせたところでセレンは首を横へ振った。

 少なくとも今だけ、余計なことは思うまい。

 ひと通り時間が過ぎると、2人は約束の時間までショッピングモールを見て回った。大規模な<カナル・ウォーク>には何でも出店されているが、中でもセレンが気に入ったのは本屋だった。

 ゆっくりと店内を歩いて、揃いのストラップを買う。ミオは相変わらず遠慮したが、

「やりたいことが出来たから、お金なんて心配しなくて平気だからね。ケープタウンにいるうちにどうしても使い切ってしまいたくて」

「やりたいこと?」

「今の生活が終わったら、またフランスに戻りたいなって思ってるの。ここで過ごす時間はとても充ち足りているけれど、やっぱりそれだけでは生きていけないから」

「戻ってどうするつもりなんだ?」

「学校の先生を目指したいなって考えてる。子供のお世話をするの好きだし、学生時代に教職免許は取ったから」

「いい夢だ。そしたら本ばっかり読んでもいられなくなるな。場所はパリか?」

「かも知れないわね。だとしたら、次にみーくんと会うのはフランスになるかもね。ねえ、そしたら私のことを探してくれる?」

「もちろんだ。全部終わったら、きっと探してみせるよ。約束する」

 ミオは苦笑してくれた。

 そんなことを話ながらダラダラ歩いていると、1階にはイベントスペースがあった。

 円状に広がった広場には四角いステージが組まれており、上の方には看板と色とりどりの電飾がぶら下がっている。周りに作られたベンチには客席が作られており、そこに陣取る彼らは何かを心待ちにしているようにも見えた。

「あれ、何かやってるのかしらね」

「さぁな。ヒマだったら参加してみるか?」

 覗き込んでみた先、案内板にはこう記されていた。

 ――『女装コンテスト』。

 ミオは泣きながら逃げ出そうと足掻いたが、セレンの笑顔はそれを許さなかった。

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