第23話 part-c
週1で更新ありますあります。
今さらだけどちょっとは休ませてくれよな~、頼むよ~
[part-c]ミオ
煉瓦の石畳で作られたストリートは10メートルの幅を持つ。
車の立ち入りが禁止された歩行者天国である。道の両側には屋台みたいな格好をした出店が立ち並び、歩行者は店で囲まれた内側を歩くという仕組みだ。
……まるでお祭りみたいだな、と少年は感じた。
ポケットへ手を突っ込んだまま歩く姿はミオだ。その隣にはワンピース姿のセレンがゆったりした歩調で並んでいる。
亜月と美月とは駅前で別れてしまったので、取り残された2人はしばらく途方に暮れていた。何しろ都市部行きを提案したのは亜月なのに、その本人が居なくなってしまったのでは話にならない。
立ち止まっていても仕方がないということで、セレンに案内されるまま歩行者の波に巻き込まれたのだ。
(亜月には『頑張れよ』と言われたけど、アレは一体どういう意味なんだ?)
チラと横を見る。すぐ隣では、セレンが相変わらず周辺の店を見回していた。
おいおい田舎者の雰囲気が丸出しだぞ。こういう場所は何事にも惑わされず、キョロキョロせずに歩くことが重要なんだ。俺なんか道端の犬のフンを踏んでも慌てず平然としているくらいだからな。
「む。……みーくん何だか汚い」思考を読まれた。
「じょ、冗談に決まってるだろ!」
慌てて身振りを返すが、セレンは頬を膨らませたまま、プイとそっぽを向いてしまった。
嫌われただろうか、と思いながら踵を上げて靴の裏を確認。どうやら犬のフンは踏んでない。
……といった旨をセレンに見せると、彼女は明らかに不快感を示して鼻までつまみやがった。鼻声で「そんなもの報告しないでよぅ」って言ったのは可愛かったけれど。って、だから踏んでないっての!
はぁ、と肩を落としながら人混みをトボトボ歩いて行く。
ケープタウンの都市部は、駅を中心として網目状に広がった構造だ。西と南の方向を山に、北を海に囲まれた街である。海には人工島でつくられた空港やフェリーなどの船着き場があり、収容人数7万人を誇るスタジアムなんかも海の近くに設置されている。昔はサッカーのW杯で使われた経験があるらしく、現在でも地元のチームや国の代表選手がトレーニングに使っているようだ。
つまり何が言いたいのかというと――
(やはり旧市街地とは大違いだな……観光地と大都市が一体化したって感じがする)
まずは建造物の多さである。
太い幹線道路の脇には高層ビルが林立していて、見上げると首が痛くなりそうだった。特に建物の窓拭きを行っているときなんて、作業中の様子を見ると怖すぎて目も当てられなくなる。強風で落ちたらどうしよう――とか考えるだけで貧血を起こして卒倒しそうになるとセレンは言っていた。
そして行き交う人の多さである。
空港によるアクセスがあるために、ケープタウンの都市部は観光客の姿も多い。たいていの人は旧市街地には行かず、この "グリーンマーケット" と呼ばれる場所で駅前へと引き返してしまうのだとか。
きっと民芸品や特産物なんて見ても大して面白くないのだろう。それだったらショッピングモールで時間を潰したほうが楽しいに決まっている。
時々ぶつかりそうになる肩を避けながら歩いていると、通行人がチッと舌を鳴らしてきた。どうやら靴を踏んでしまったようだ。
素早く詫びたあと、セレンが少年の袖を引っ張る。
「みーくん、大丈夫?」
「あぁ、俺、あんまり人の多い場所を歩くのって得意じゃなくて。それより今からどこに行くんだ?」
「もう少し行った先にカナル・ウォークってショッピングモールがあるから、そこに行こうと思って。せっかく来たんだし、何かお買い物して帰らないと勿体ないかなー、なんてね」
「つまり俺はまた荷物持ちか。まあ構わんが」
「嫌だったかしら? 何ならみーくんのことコインロッカーにブチ込んで、わたし1人で行ってもいいのよ?」
「凶悪犯か! 遺体となって発見されちゃうからやめてくれ」
「でも、みーくんが荷物持つの嫌だったら仕方ないわ……」
「他に選択肢あるだろーがっ! ってかそれだったら喜んで持つわ!」
――とは言ってみたものの、その30分後のことである。
場所はショッピングモール『カナル・ウォーク』の4階だ。建物は円柱をくり貫いたような造りで、中心の部分が7階の高さまで吹き抜けの構造となっている。各階にはぐるりと一周するような配置で店舗が開かれており、廊下の周りには子供連れの客やカップル、そして観光客の姿も多く見られた。
その一角にミオは立たされている。
両脇に荷物を抱えさせられた状態で、だ。
……何この状況。
我が身を振り返りながら思う。
俺はこんな場所でいったい何をやっているのか――と。レゼアが見たら間違いなく呆れて嘆息するに違いない。
はるばる南アフリカの先端までやってきたASEE最強の操縦主が、こんなショッピングモールの隅っこに立たされている。仕事内容は荷物持ちで時給はゼロ。
遠くから哀れみの視線を送ってくる女の子が2人、「あれじゃ彼氏のほうも大変ねぇ」と囁きながら通りすぎていく女性は子供を連れていて、どうやら知り合いどうしで仲良く買い物に来たらしい。
子どものうち1人が「ママー、何あれー」とミオを指さして舌足らずな声で騒ぎ、すぐに頭を叩かれていた。うるせえぞクソガキ。
そして反対の方向からは観光客がミオに向かってフラッシュを焚いている。あらかじめ言っておくけど俺はオブジェじゃないしピエロでもない。だから勝手に撮影すんなっての。おいおい握手とか求めるのやめろ。こっちは手がいっぱいだから無理なんだよ。分かるか?
ファンサービスが悪くて申し訳ないな、分かったらさっさと向こうへゲッタウェイしろよ――とか思いつつ、ミオの表情は相変わらず引き攣っていた。
「みーくん、待たせちゃってごめんねー」
ああもぅ、と鬱陶しげに前髪を掻きむしっていると、セレンが店から戻ってくる。上機嫌なのが遠目からでも良く分かる。
たったいま会計を終えた荷物をさらに上へ重ねて、
「じゃ、次に行きましょうか!」
「つ、次って、もう充分に買っただろ。まだ足りないのか?」
「そうよ? 人間の物欲は無限大だもの。わたしだって人間よ?」
「だけどなあ、こんなに服があったっていいこと無いだろ。洗えば交代で着られるワケだし」
「あーっ、みーくん女の子に向かってそーゆーこと言うんだー。ちょっと見損なっちゃったなー」
……なんで? とミオは疑問顔。一方のセレンは可愛くほっぺたを膨らませていた。服なんて着られれば全く問題ないではないか。もしかして自分が今まで常識だと思っていたことが誤っているのだろうか。服は肌を隠すもの、という常識は間違っているらしい。
遅れて歩く少年が問うと、セレンはくるりと振り向いて、
「女の子は幾つになっても女の子なのよ、いつだっておシャレしたい生き物なの。みーくんに分かる?」
「俺には分からん世界だ。理解できん」
「ふふ、そーゆー素直なところがみーくんよねっ」
にぱっ、と底抜けに明るい笑みで白歯を見せ、セレンは再び前へ向き直った。
服なんて着られればいいのになあ、とミオは思う。
素体が隠せて、寒くない程度の厚さとそこそこの機能性があれば充分だ。動きにくかったり肌にまとわりつくような布地は嫌いだったけど、ファッションだとかそういった類いの洒落っ気は、残念なことに自分は持ち合わせていなかった。服装を考えるだけ面倒だったし、自分を良く見せたいとか、目立ちたいとか、そういう考えには到底近づき難い。無論、ファッション誌などは目を通したことが無い。派手な格好に趣向を凝らすよりもむしろ目立たず、隅でひっそりして居られるほうがよっぽど自分の好みである。
2人がやって来たのは3階だ。メンズストアの前でセレンが立ち止まる。
店舗の前に設置された棚には薄手のシャツが畳まれた状態で並んでいて、奥のブースには革のジャケットやジーンズが掛けられている。
店内BGMに掛かっているのは人気ロックバンドの曲だ。ヘビーな低音とシャウトのかかったボーカルで有名なグループだったが、残念ながら名前は出てこない。
(何て名前だったかな……レゼアなら思い出せるんだろうけど。アイツ音楽のこと詳しいからな)
ポリポリと頭を掻く。
うーん、やっぱり思い出せないな。
なんて思っているうちに、セレンが棚の商品を物色し始める。おいおい今度は何を買う気だ。
「男ものの服装なんて必要ないだろ。さっさと行こうぜ」
「ん、そろそろみーくんもお洒落しないとね」
「は? いや、俺はいいよそういうの苦手だし。それに、服なんて持ってても……」
「だーめ。みーくんはせっかく素材がいいんだから、もっとカッコつければいいのよ。服装とか髪型とか」
「そ、そうか? でもなぁ、そういうのあんまり好きじゃなくて」
ミオは髪を指先でつまんでみた。
軽く引っ張るだけで、前髪は目の位置より低いところまで届いてしまう。レゼアには「鬱陶しくないのか?」と訊かれることもあったが、自分にはこれくらいの長さが丁度よかった。
青みがかった黒い髪は前が長めに切り揃えられている。整髪料とかは使ったこともないけれど、しかし柔らかい毛質は素直に言うことを聞いてくれるため、朝起きたときもボサボサ髪にならなくて済む。
オシャレか、と内心で呟く。
そんな余裕があれば自分も大きく変わるのだろうか――なんて思いつつ髪の毛から指を離すと、毛はバネのような動きをもって跳ねた。
ハッキリ言って、ミオはこの手の話が苦手だった。
「いいよ別に、俺はこのままで。お洒落なんて似合わないよ」
「わたしが嫌なのっ」彼女は語尾を強めて言った。「隣に居る男の子がカッコ良かったら、何だかときめくものがあるじゃない?」
「意味が分かんねーぞ……」
「みーくんだって、一緒に歩いてる女の子は可愛い方がいいでしょう?」
むっ、とセレンは唇を突き出して訴える。
まぁセレンは充分に可愛いけどな、とは思っても言葉には出さないでおこう。あんまり調子に乗られると面倒だし……なんて思っていると、彼女は嬉しそうに口許を緩めた。
ふふ、と笑む。
その腕には新しい上着のセットが抱えられていた。
は、と呆れたようにミオは肩を落として、
「分かった分かった、試着すれば満足なんだろ? 仰せの通りに、お姫様」
「うむ。分かればよろしいのだぞっ」
需要の無いファッションショーが終わるまで、しばらく掛かりそうだった。
長い時間をかけて試着と購入を済ませると2人はショップを出た。
結局、ミオは革のジャケットとダメージジーンズ、そしてブーツまで買ってもらった。何度か遠慮したけれどセレンが意固地になって拒んだためで、ミオはどうにも浮かない気持ちになる。
お洒落なんて無縁だったからな――と増えた手荷物を尻目にミオは思った。
「こんなに買ってもらっちゃったけどいいのか? というかセレンの財布ってどうなってるんだ……」
「知りたい? 実はね、四次元になってるのよ」
「なんだか猫型ロボットでも出てきそうな話だ」
「ふふ、冗談。国費で大学に行かせてもらったあと、返済の必要がなくなっちゃったのよ。だからお金ならたくさん持ってるわ。1人だと使いきれないくらいにね」
「一生に一度でいいから言ってみたい台詞だな。札束でビンタか」
「うーん、してあげよっか? そこの角にATMあるんだけど」
「セレンのボケは相変わらずセメントでいいなぁ!」
はははとミオが死んだ目のまま口元で笑み、ふふふとセレンが応酬する。
下りのエスカレータに乗って2階に降りるとフードコートがあった。セレンはクレープ屋の前で立ち止まると、迷わずチョコバナナ味を選んで注文。ミオはその隙にコインロッカーへ荷物を収め、ベンチのある辺りに戻ってきた。
ここで過ごす時間は不思議だ、とミオは思う。
ベンチに座って疲れた脚を伸ばしていると、老いた夫婦や乳母車に赤ん坊を乗せた婦人がミオの前を通り過ぎていく。
今まで、こんなにゆっくりと流れる時間は無かった。特にミオは子供の頃からASEEという組織にどっぷりと浸かっていたし、ひとつの任務が終われば次へ、そしてさらに次から次へと舞い降りてくる任務に巻き込まれ、ろくに息継ぎする時間さえ与えられなかったように感じる。
それはきっと、任務を成功させることが自分の存在証明だった、と言い換えることもできよう。
戦うことが出来なくなれば自分の居場所はどこにもない。
ミオは顔を上げた。
「俺、ここに居てもいいのかな……」
呟いたのは小さな独り言。
大して意味を持たぬ、しかし何度も問うてきた言葉は空気に紛れて掻き消される。
もしも戦争なんてものが存在しなければ、セレンは自分を受け容れてくれるだろうか。
彼女が「もちろん!」と笑んで応えてくれるなら、自分はきっと此処に居ても良いのだろう。
――だとしたら俺はどうすればいい?
この街にいる人々はとても幸せそうに見える。しごく当たり前の「日常」を謳歌し、武器も持たず、誰も傷付けず、そして誰も傷付かずに生きていける世界だ。
だからこそ胸がチクリと痛くなる。
自分だけが透明な分厚いガラスで仕切られ、その中に押し込められたような気分になった。
俺は、ここにいる人たちとは違う。
心の奥底で、周囲にいる人間と自分自身を見比べてしまうのだ。
――たとえば戦争なんてものが無くなったとして、俺はこっち側の世界に入り込めるのか。
今まで命を奪ってきた人たちを蔑ろにして、それでも平然と生きていけるだけの価値が自分にあるのだろうか?
――どうすればいいのか分からない。
思わず泣きそうになった。
考えるべきこと、考えても無駄なこと……諦めるべきこと、諦めたくないこと。そういうのが一緒くたになって自らの奥深い部分に重圧となって圧し掛かってきて、もう何を思えば良いのかさえ分からなくなってくる。まるで身体が押し潰されてしまいそうな感覚だ。思考するたびにイライラしてくる。
本当は自分の居場所なんてどこにも無いんじゃないか、なんて思ったり。
そう考えると感情がごちゃ混ぜになって、今度は何もかも壊したい衝動に駆られてしまう。だけど周りを傷付ける勇気なんか自分にはなくて、と思考が永久ループする。
どうやら自分の粗脳は本当に作りがショボいようだ。嘆いたところでどうしようもないけれど。
はぁ、と吐息したタイミングだ。ミオは手元にクレープの包みが渡されるのを感じて振り返る。
「みーくん?」
セレンは相変わらず、にこにこした笑みでこちらを見詰めてくれていた。




