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黎撃のインフィニティ  作者: いーちゃん
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第5話 インド洋編

 母艦へ帰投したミオはシャワーを浴び終え、自室で画像フォルダを漁っていた。幾度と無く戦ってきた紅髪の少女。レナ・アーウィンは自分のことを知らないのだ。

 テレビでは、ASEEによって統一連合へ宣戦布告される様子が映っていた。明日からは正式に戦争だというのに、自分の身体はピクリとも反応しない。

 一方、レナも高速起動艦<フィリテ・リエラ>へ帰投していた。上官であるキョウノミヤに助けられたものの、新型AOFが奪取されたという事実は元に戻らない。

『俺たちは戦って戦って、そして全部が終わったら用済みなんだ――誰も、自らを犠牲にして戦った連中なんて知らない。地面へ埋めた瓦礫の上に新しい世界を築いて、汚い部分を隠して、きっと笑うんだ。それなのに……』

 半年前に言われた言葉がレナの胸に突き刺さる。

 それなのにどうして自分は戦うのか? あのとき自分は何と答えたか――

 敵対する少年と少女の、過酷な運命が始まる。

[挿話:part_a:レナ]


 目の前をミサイルの弾幕が駆け抜ける。レナは機体を翻すと、難なくその驟雨を回避した。

 16連装ポッドから排出されたミサイルは、白い煙を後方に撒きながらしつこく獲物を狙ってくる。

 まるで空を走る魚群のようだ――とレナは思った。

 その魚群はレナの駆る機影を見失うと、背の方へ一斉に方向転換を遂げる。追従だ。

 ……まだ狙ってくるか!

 軽い舌打ちとともにスロットルを倒し、壊れるほどの力でレバーを握りつつペダルを踏み込んだ。

 空と海が横に反転する。

 レナの駆る機体、深紅色をした<エーラント>はミサイルの群れから逃れるべく海へ真っ逆さま――と思いきや急に向きを変え、天から襲ってくる大群を照準/引き金を絞る。

 大群のうちの幾つかを、秒間12発で放たれた実弾が撃ち落とす。だが、それは全部ではなかった。残ったミサイルの群れはレナを追撃する。

「くそっ!」

 悪態を突いてライフルを収め、レナは腰にマウントされていたサーベルを閃かせる。細くて長い長剣だ。鋼刃は先端にビームを出力させる。

 再び力強くペダルを踏むと、<エーラント>はエンジン音を高鳴らせながら急加速。向かうはミサイルへ真正面。

 直線に伸びた緑色の刃が一閃、二閃して、残っていたそれらを切り落とした。爆発による空気塊の斥力を盾で受け流すと、レナの目は敵の姿を求めた。

『――甘いな』

 敵の声。

 真上か、と仰ぐよりも早く<エーラント>は回避運動へ。

 空中で後方ステップを踏んだ深紅の装甲を、軽快ともいえる音たちが掠めていった。牽制用の頭部バルカンが命中したのである。

 モニターに映る数値――機体の状態を総合的に評価したときの値、つまり耐久値が徐々に削られていく。脚部パーツが悲鳴を上げ、限界に近かったそれは警告音(アラート)となってコクピットに響き渡り、そして鼓膜へ突き刺さった。

 音の信号はしかし焦躁となって、レナの指先へと伝導される。吹き出した汗が止まらない。

 ――目の前の敵に集中しろ!

 レナは唇を強く噛んだ。

 相手は1機だけだ。ASEEの量産型<ヴィーア>の特機仕様である。漆黒の装甲は、まだほとんどダメージを負っていないものの――ただ、敵の左腕だけは様子が違った。ほんの数分前にレナがサーベルで切り落としてやったのである。

 状況は有利になりつつあった。相手は左腕が使えないも同然なのだ。

 それなのに、と思う。

 相手との距離は一変して縮まらない。追い掛ければ敵の右腕にある鋼糸(ワイヤーアンカー)が猛威を振るい、逆に距離を置けばミサイルの雨が追ってくる。

 景色が右にも左にも転がり、レナは<エーラント>の機体を切り揉みさせて敵の<ヴィーア>へ肉薄する――と、至近距離で左薙ぎの鋼糸が装甲を掠めた。

 回避。レナはライフルを引き抜いて素早く敵を照準――至近距離だ。引き金を絞る。

 だが、敵はそれを嘲笑するかのように易々と攻撃をよけた。その場に滞空すると、敵機はレナの<エーラント>と対峙する。

 武器の弾薬も残り少ない。あまり時間が掛かっては相手の思うつぼだ――と、レナは友軍の信号を横目で確認。離れた場所で交戦中の味方はすでに虫の息だった。いまだに粘っている機体はそう多くはない、と苛立ちながら見ていると、レーダーの範囲外から出現した信号があった。味方の援軍が駆けつけてくれたのだ。

 助かった、とレナは安堵。

 敵の姿を見据える――と、そこには先刻までの<ヴィーア>の姿はなく、第六施設島から奪取された<オルウェントクランツ>が滞空していた。

 細身のシルエット。鋭角的なフォルム。前駆機と同じく漆黒色のカラーリングは、闇の中であれば溶けてしまいそうである。

「え、うそ……? なんで――」

 言い終わる前に、敵の機体はライフルを引き抜くと増援部隊に向かって一射。

 たったそれだけ。先端から迸ったビームの矢が増援部隊へ命中し、直撃した部分から大きく膨れ上がる。

 周囲一帯の地殻を吹き飛ばすほど大きな爆発だ。

「……!」

 瞬間、ハッと息を飲んでレナは目覚めた。反射的に身を起こす。

 気づけば自分の身体はベッドの上にあった。昨晩のままの格好で、どうやら毛布一枚さえ被らずに深く眠ってしまったらしい。

 なんだ夢か――と吐息して、彼女は再びベッドの上へ倒れこんだ。

 初めて見る天井だ。まるで病室のように質素簡潔で、何も置かれていない部屋。

 前まで居住していた場所とはだいぶ異なっている。以前まで住んでいた部屋は飾り付けもそれなりにオシャレだったし、大事にしていたぬいぐるみ達もあちこちに座っていた。部屋に初期装備してある防火カーテンなんて取り払って、好みの柄のカーテンを取り付けていたハズだ。でも今はそれがない。

 当たり前か、と思う。

 レナは昨日の夜、我が身ひとつで<フィリテ・リエラ>へと飛び込んだのだ。まあ仕方のないことだと割り切るしかないし、自室の備品は後でなんとかしてみよう。

 ふと鏡を見て、彼女はぎょっとした。口の周りに出来たパリパリの白いのは涎のあとだ。

 手の甲で拭うと、レナはシャワールームへ。まとわりついた汗と泥を流していく。

「……」

 浴び終わったあと、レナは洗面台にある鏡をじっと眺めた。

 すらりと立ったスリムな裸身。線が細く色白で、今はしっとりと濡れた腰まで届く黒髪が、白磁の体躯とは対照的なコントラストを為している。

 肩幅は狭く、自らの身体を浅く抱いた腕も少しの力を加えれば折れてしまいそうだ。

 鏡に映った顔へ細い指が触れる。と、刃物のように鋭利な冷たさを感じて、レナは指を離した。

 父親から受け継いだ黒ダイヤのような瞳、そして母親から譲り受けた長い睫毛。両親ともに整った顔立ちの人だったから、レナもそれを引き継いだのだろう。

 それと――レナには自分しか知らないもう一つの特徴がある。

 鏡に向かって小さく笑いかけると、向こう側にいる自分も真似をして笑い返した。

 レナは意外なことに、笑うと垂れ目なのだ。いつも強気で勝気そうな表情からは想像できないが。正直なところ自分の愛嬌に気付いたのはごく数週間前のことである。それ以来、垂れ目の事実は自分の中での小さな秘密となっていた。



[part-A]ミオ


 長い眠りから目が覚めると、やわらげな双丘がミオの目の前にあった。

 胸をはだけた衣服は女性用の制服だ。毎日のように見ていれば容易に分かる。

 窓から差し込んでくる陽射しに、ミオは思わず目を細めた。まるで闇の中から引き上げられるような気怠さに抗って、ミオは眠気を脱ぎ捨てる。

 眼前のそれを凝視。

 乱れた白のブラウスの隙間からのぞいた「それ」は少し汗ばんでいるようで、ホックは解かれている様子だった。色白できれい。形は丸くて、触ったら指が沈みそうに適度な大きさ。

 すぅ、と寝息が顔にかかる。

 見れば、同僚のレゼア・レクラムが気持ちよさそうな寝息を立てていた――ただし、自分の隣で。

 うわ、とベッドの中で器用に飛び上がりそうになって、ミオは危うく声を殺した。起こしたらマズい――と思ったが、彼の懸念は間に合わなかった。

 動く気配を感じ取ったレゼアは、静かに目を覚ますと安堵の笑顔を作ってみせる。

「ふふっ。おはよう」

「お、おは……よ」

 ガクガクした声でミオは応えた。

 彼女は目を瞬かせると、

「悪いなぁ、昨日は作業が遅れてしまって。疲れたから少し休もうと思ったんだが……どうやらそのまま寝てしまったようだ」

「じ、自分の部屋で寝ればいいだろっ。なんで俺の部屋に入ってくるんだよ!」

「おまえの部屋の方がワークスペースから近いしな。ラクラクだ」

 そういう問題じゃねーだろ、とミオは前髪をグシャグシャにすると溜め息。

 当たり前の話ではあるが、居住区は基本的に男子と女子で部屋が分かれている。各居住区にはセキュリティ用の(ゲート)が設けられていたハズだったが、現在では男子用のそれは機能していない。扉を壊した犯人はいまだに不明で、廊下に設置された監視用カメラの映像にも偽造が施されるほど用意周到であったという。そのまま事件はお蔵入り、というわけだ。

 ――ちなみに扉を破壊した張本人はミオの目の前にいる。

 まったく呆れ果てた…というか女を連れ込んでるなんてバレたら――と思うと、このまま丸くなって死にたい気持ちになる。

 レゼア・レクラムはたしかに美人だ。頭の回転も早いし、頼めばだいたいのことは何でも器用にこなしてくれる。

 ただし人間としては少しブッ飛んでるけどな…

 やさしい翠色の瞳を見つめていると、レゼアは無言のまま両腕を伸ばし/少年へ向かって広げてみせた。

 まるで恋人同士のような仕草。寝起きのせいで思考が浮わついているためか、いつもなら嫌がるミオの頭は、吸い込まれるように左右の腕の中へ。

 柔らかい抱擁。レゼアは広げていた腕をそっと絡めると、少年の後頭部へ回した。

「――あたたかい」

 言うと、レゼアは無言のまま頷いてくれる。ミオは安心して目を閉じた。

 寝ているうちにかいた彼女の汗が、鼻孔を心地よく刺激してくる。女のひとの匂いだ――と思っていると、トクン、と小さな音が聴こえた。最初は気付かなかったその音は、しかし耳を澄ませば規則的に鳴っているのが分かる。

 レゼアの心音だ。

 小さくて可愛い、それでいて強い胸の灯火の音。

(このまま眠ってしまいたい…)

 純粋に思った。

 ぎゅ、とパートナーの服の裾を握ると、まるで幼子のようになれる。過去へ戻ることが出来る。

 何もかも知らない、ずっと子供のままで居られたら。

(もしも、あのときから成長していなければ――)

 思って、ミオは思考を制止した。それ以上は踏み込むな、と脳裏に声が反響する。

 起き上がると、レゼアが心配そうに顔を覗きこんでいた。

「おまえ…」

「大丈夫、大丈夫だから。あと谷間が危ういから隠せ」

 は、と吐息。

 頬に伝わっていたものを拭い去ると、ミオは再びベッドへ横向きになった。

「やっぱり、まだ思い出すのか?」

「ううん。正確にパッと情景が浮かぶことはなくなった。けど、なんだかな…俺にも良く分からない」

「そっか…」

 表情を暗くするレゼアを、ミオは悪意のない笑みで一蹴してやった。

 時計を見ると、針は朝の8時を差すところだった。少し遅くなってしまったか――とレゼアは起き上がって、シャワールームの方へ向かった。

「午前中に、あの機体の解析を終わらせようと思ってる。パラメータ値の再設定をして、午後にパーツ交換を済ませたら、夕刻から模擬戦まで持っていければいいかな」

「ごめんな、任せっきりにしてしまって」

「礼はいいさ。ただ、解析の方は技術班に協力してもらったんだが…全然進まなかったんだ。深層の部分にあるパスに強いロックが掛けられていて、それが解けない。旧来のアルゴリズムに従って作業しているんだが…ところどころ原因不明のエラーが連発してしまって」

 彼女は扉の向こうへ入っていった。

 見ると、カーテンの手前には脱ぎ捨てられた肌着と…そして下着が放置されたままだ。

「……」

 ってかお前そこで脱いでたのかよ――とは言えず、ミオはベッドで横向きになったまま生唾をゴクリと飲み下した。

 部屋に満ちたのは、継続的に床を叩くシャワーの音だ。

 あの擦りガラスを隔てた向こう側には、一糸纏わぬ同僚の姿が――と思っただけで顔が火照ってくる。

 ――今ならバレない。

 悪意じみた声が頭の中で笑って、ミオは思わず首を横に振った。

 いや、べつに彼女の裸とかパンツとかを見てみたいワケじゃないし、決して「グッヘッヘ……覗いてやるか」といった下卑た思いを抱いているワケでもない。というか、むしろ長く共同生活を送っているせいで下着姿などは見慣れているし、別に嬉しくもなんともないし興奮もない。

 不意打ちのような声はシャワールームから届いた。

『一緒に入るかー?』

「は、入らねえよバカ! ッてかお前はなんで人の考えてることをあっさりと――、あー……その」

 言って、ミオは言葉が滑ったことを後悔。

 思わず口ごもっていると、謎めいた笑いは扉の向こう側から響いた。見れば、ガラス戸の影には細身な、しかし豊満な――もう面倒だから一語に訳すと「えろてぃっくな」レゼアの肢体が映っていた。どうやらバスタオルを巻き付けている途中らしい。

「なるほど。子供だったみーくんも、えっちなことを妄想するまで成長したワケか。お姉ちゃんは……………………………嬉しい!!」

「う、うわあああぁぁぁぁぁやめろおぉぉぉぉぉ――――――――!!!!!!」

 扉が思いっきり放たれ、バスタオル姿のレゼアが飛び込んでくる。

 後世に伝えられる「朝8時の悲劇」はこうして始まった。



[part-B]ミオ


 朝の時間帯の士官食堂は、基本的にいつも混雑している。

 100人程度が収まるスペースに艦内の150人が一同に会するワケだから、どうしても入れない「犠牲者」が少なからず出る。夕食ならば時間をズラしても一向に構わないのだが、朝だけはそうもいかないのだ。

 そして今回は、ミオとレゼアの2人が犠牲者となっていた。

「ふぅ…どうやら間に合わなかったらしいな。満員だ」

「誰のせいだよ」

「だから朝からセックスなんかすべきじゃなかったんだ…」

「してねーだろ! あとメシ前にしかも真顔で深刻そうに言うのやめろ。誤解を受けるしメシが不味くなる」

 言い合う2人のプレートに乗っているのは、レゼアの分がバタートーストとトマトサラダ、ミオの分が御飯と味噌汁という案配だ。

 ミオは食堂の扉を外へ出ると休憩用のスペースに向かった。椅子には座れないものの、なんとか立ち食いなら出来ないことはない。ミオとレゼアの他にもあぶれた兵士が数人、テーブルの隅で黙々と食事を済ませていた。

 休憩室に並んでいた自販機で2人分の飲み物を買って、ミオはテーブルに戻った。

 手早く朝食を済ませる。

「さっき言ってたこと、もう一度だけ訊いてもいいか? 機体の解析についてだが、旧来の方法じゃ解けないって言ってたよな。詳しく教えてくれ」

 ん、あ――と紙パックに刺さったストローを吸って、レゼアは頷いてみせた。

 昨晩ミオが部屋に戻ったあとの話だ。すぐに技術部との打ち合わせを終えたレゼアは、急いで格納庫へと向かった。

 もちろん敵から奪取した<オルウェントクランツ>の解析を進めるためである。

 まず、機体の解析には二種類の方法がある。

 レゼアは人差し指と中指でV字を作って見せ、説明しはじめた。

 その一つは機体の性能をハード的な面から評価する方法で、これは模擬戦や実戦を通してみて、その機体のブーストや耐久値、バランサーの挙動、スラスターの出力や兵器の性能、そしてロック距離などを確認する「ハード解析」だ。これによって機体の大まかな特性・性質そして強みや弱みなどを把握することができ、数値化したデータは今後の応用において新たな基準となる。

 一方で今回レゼアが行ったのは、プログラム的な面からの「ソフト解析」のことである。

 基本的にに機体の操縦というのは、すべての動きを操縦主(パイロット)がマニュアル操作で実行しているワケではない。機体のコンピュータにはOSS、いわゆるオペレーション・サポート・システムと呼ばれる膨大な量のプログラムが組まれており、操縦主の動きを参照値(データ)を元にして支えている。たとえば脚部の細かな動き方や、滞空中におけるブーストの消費量、間接部の扱い、操縦の雑さや精密さ、そして「クセ」――など、各々の兵士に見合ったパラメータを参考にして、機体の性能を圧倒的なレベルにまで引き出している。

 ソフト面からの評価を行うためにはプログラムを解読しなければならないが、そこへ辿り着くには何重ものセキュリティの暗号鍵を突破しなくてはならない。

 レゼアはそこまでの説明を終えると、深々と溜め息した。

「私は機体に仕組まれた暗号を解こうとしていた。だがF層以降のパスコードが異常なんだ。旧来のアルゴリズム解法じゃ絶対に解けない。かといって量子暗号化されているワケでもない」

 ふむ、どうしたものか……と彼女は再び嘆息して、組んだ両手の上に顎を乗せて考え込む。

 ソフト関連についてミオはあまり詳しくない――というか、ほとんど知識が無かった。

「悪いな、力になれなくて。俺が出来るのは操縦だけだから」

「いいさ。代わりに10時からのパラメータ値再設定からは協力してくれ。それと夕刻の模擬演習も」

「分かった」

 言うと、ミオは手元にあったブリックパックに穴をあけ、中の液体を茶碗へ注ぐ。

 白米飯の入った容器が乳白色の液体で満たされていき、やがて海に囲まれた氷山みたいに埋没してしまった。

 それを見ていた同僚が「おぉ……、おぉ……」と表情を濁らせていき、最後には気持ち悪いものでも見るような目つきになる。

「おまえ……その食べ方いい加減に直らないのか」

「いや、普通に美味いぞ。これ」

 レゼアがうんざりとした声で言う。ミオは平然とした態度で返した。

「ちなみに今日は苺ヨーグルトでな」

「ああ、そう」

 会話は長く続かなかった。



[part-C]レナ


 普段より早めに朝食を済ませたレナは、すでに格納庫へ向けて歩を進めていた。

 右舷の廊下は、長く直線的な構造をしている。全長280メートルにも及ぶ機動艦<フィリテ・リエラ>の縁へ沿うように設けられた、一直線のスペースである。艦の進行方向に対して前方には艦橋(ブリッジ)、そして後方には物資を詰め込んだ倉庫区画があって、一定間隔ごとに埋め込まれて/カバーリングが為された蛍光灯が床と天井に設置されており、両者ともに廊下を照らしていた。

 彼女が目指しているのは、艦橋と倉庫に挟まれた中間にある格納庫だ。

 廊下を仕切っている扉の前に立つと、スキャン部分が彼女を認識してロックが閉鎖から解除へ切り替わり、静穏式の隔壁がサッと開く。

 細い脚が廊下の繋目(つなぎめ)を踏み越え、次の区画(セパレーション)へ進んだ。

 やがてオフホワイトの壁が終わり、右側に見えたのはガラス窓だ。その向こうにあるのは、四階ぶんが吹き抜けの構造となっている大型の整備格納庫である。この通路があるのはちょうど二階に相当する高度で、上には二階ぶん、下には一階ぶんにわたって格納庫の空間が広がっているのが分かる。

 ふと足を止めると、レナはガラス窓に息がかかるくらいの距離で顔を近づけた。

 コンクリートによって四方を囲まれた広大なフロアである。壁や床、天井には大型の照明器具が設置されており、全方位にわたって光を照らしている。

 そして広大な床には一つの影があった。人型機動兵器(アーマード・アウトフレーム)である。鉄格子で組まれた拘束具に背面をガッチリ固定され、整備班はその周辺で作業を行っていた。

 キャットウォークの片方に立った機体へ目を向ける。

 明るい赤とブラッドオレンジを足して2で割ったような朱色(ヴァーミリオンレッド)の装甲をした、全高およそ16メートルの機動兵器だ。一対の眼や角のように伸びたアンテナ部、鋭角的なフォルムはこれまでの量産機とは大きく異なっていて、きっと装備の性能も飛躍しているのだろう。<アクトラントクランツ>という名前を受けた最新鋭の機体は、その背面部に大きくせり出した翼のようなものが見て取れる。灰褐色のそれは、関節部が細かく折れ曲がっていて、翼というよりも鳥類骨格と評した方が近いかも知れない。

「あれが、あたしの新しい機体……」

 アクト、ラント……クランツ。

 口の中で飴玉のように言葉を転がすと、レナは自身の躰を浅く抱いた。

 あれに乗ったら、自分は再び戦場に出て戦わなくてはならない。

 戦うのは怖い、とレナは思う。誰だってそうだ。戦うのは怖いに決まっている。もう一度だけ自分に言い聞かせる。

 だけど、それ以上にもっと怖いことがあるとレナは思う。

 何もしないまま誰も守れずに、仲間や友達、そして家族が失われていくのを見ている方がもっと怖い。誰かが泣いているの見て、知らぬ振りをして通り過ぎるのは容易い。だけどレナ・アーウィンという人間はそういう生き方を許してくれないのだ。

 不器用だと言われれば、たしかにそうかも知れない。人付き合いは決して巧くないし、終始笑顔を振り撒いていられるほど愛想も良くない。

 息で白く曇った窓をこぶしで拭いて、

「今度は、ちゃんと守れるかな……」

 何もかもを守ってみせる。

 そのためにならレナは何度だって戦うことができる。たとえどれだけの痛みが伴っても――。

 エントランス部分を抜けて階段を降りていくと、キョウノミヤは<アクトラントクランツ>の足元にノートPCを広げて作業に没頭していた。また白衣姿である。LANポートから伸びたケーブルが途中で数本に分岐して、さらに延長ケーブルを伸ばして機体の各部位に接続している。接続された箇所は機体の脚部に二本、腕部に二本、そしてコクピット部に五本だ。

 レナは作業場まで辿り着くと、

「キョウノミヤさん?」

「んー、待ってね。もうすぐ作業終わるから」

 彼女は高速でキーを叩き、チッと舌打ちしてから再び鍵盤を連打。

 上で作業していたメンバーに声を掛けるとPCの蓋を閉じ、ふぅと溜息。

 レナは隣に座った。

「終わったんですか?」

「ちょうどね。もう<アクト>の機能を全開放したから、きっと最高性能の状態で使えると思うわ。動かして大丈夫と言いたいところなんだけど、さすがに今は……ね。他の機体の整備も終わってないし、疲れてる人も多いわ。実戦形式での演習は無理かも」

「それは構いませんよ。まだ敵も動いていないようですし。それに、民間人を乗せたまま戦闘するわけにはいきません」

「悪いわね」

 キョウノミヤは表情を曇らせ、格納庫の隅へ目をやった。

 第六施設島の一件があってから、<フィリテ・リエラ>は一般市民を預かったままの状態だ。艦内へ収容できた人もいるが、入りきらなかった人たちは格納庫に小さなスペースを作って、そこに集団で避難している。模擬戦などにかまけている余裕はない。

「あの人たちは今後どうなるんですか? みんな帰る場所をなくしちゃって……」

「本艦はフィリピン諸島に寄港するわ。そこで降りてもらうしかないわね。もちろん食料や衣服、寝る場所とかは向こうが提供してくれるらしいから、少なくともこんな場所より安心していられると思うわ」

「そうですか。たしかにそれは安心なんですけど、やっぱり……」

 レナは避難民を一瞥すると視線を戻した。

 元の場所に帰してあげたい、という願望はレナにもある。否、ほかのクルーも同じような面持ちだろう。自分が生活していた場所に戻れないのは可哀想だ。いろいろな戦場を転々と過ごしてきたレナとは勝手が違うし、可能ならば元の場所へ帰らせてあげたい。

 キョウノミヤも視線を落とした。

「急なことだったから仕方ないとは思うわ。でも私たちは割り切って進まなければならない。時間は物事は解決しないのよ」

「……」

 キョウノミヤは再びノートPCを広げた。スリープ状態からの起動は早い。

 画面に出現したのは<アクトラントクランツ>の詳細情報(プロパティ)だ。どうやら機体の性能(スペック)を教えようとしているらしい――と感じたレナは、食い入って画面を見つめた。

「これが統一連合の誇る最新鋭の機体(フレーム)、UEX-E26<アクトラントクランツ>。貴女が新しく駆ることになる機体」

 彼女は誇らしげに機体番号と名称を告げ、逆にレナは感嘆の息をついた。

 数値的なスペックを見るに、以前の機体の数倍にも及ぶ機動性能がある。特に突飛なのは火力で、その能力は前駆機の十数倍にも届く勢いである。

 ブーストの出力や、バランサーの性能、それまでのスピードやパワーなどを遥かに圧倒する数値だ。まさに最強のAOFといっても過言ではない。蓄えておけるエネルギーの容量も多く、なるべく長時間の戦闘にも耐えられるような仕組みであり――さらに驚くべきは、<アクト>の内部核にはエネルギーを生産するシステムが内蔵されていることだ。

 ――つまり、理論的には無限大の時間を戦い続けていられる。

「どう? 驚いたかしら。これが今のオーバードテクノロジーなのよ」

 キョウノミヤの発した問いに、レナはぎくしゃくと首を頷かせた。

 超越した科学技術(オーバード・テクノロジー)といえば、レナも聞き慣れない単語ではなかった。

 統合国家統一連合機構――世界を政治/経済/軍事的に完全に統一し、争いのない恒久の平和を作るという理想を描く計画が提唱された段階で、それと同時に宣言されたのが科学技術の集約であった。世界各地で散らばった状態のまま研究されていた分野を統合するのが目的で、いくつもの研究機関が独自の研究を加速させたのだ。

 それにより科学は圧倒的な進歩を遂げることに成功した。AOFの進化も、その産物といえるだろう。

 わずか6年前まで、機動兵器(アーマード・フレーム)は実弾を撃つだけの歩行兵器だったのだ。それがやがてビーム兵器を有し、飛行能力を持って量産ラインへ乗り、そしてつい先日には最新鋭機まで登場したわけだから。これは急速な進歩以外の何物でもない。いつ読んだ本だったか忘れてしまったけれど、科学技術の進歩は50年をサイクルに発生するらしい。そのサイクルと比べれば、AOFの技術進化は圧倒的なスピードだと分かる。

 レナは端末を渡され、そのページを順番にスライドしていく。

 背面の鳥類骨格のような装備は、どうやらスラスターと同じような役割を担っているらしい。つまりブースト展開中において左右の動きを司る部位だ――と見ていると、どうやらそれだけに留まらない、ということが分かって、レナはページ送りの手を止めた。

 が、ページにはそれ以降の記述は無かった。キョウノミヤがしげしげと眺めてくる。

背面装備(リアウェポン)のことね」

「気になったんですけど細かい記述がなくて」

「そうね。わざとマニュアルには書かなかったの」

「――え? それは……」

 レナが問うと、キョウノミヤは顎を上げて、まるで愛おしいものでも眺めるように<アクト>を見上げる。

 娘を見つめる母みたいな視線だ、と思った。

 私はね、という切り出しを聞いて、レナは弾かれたようにキョウノミヤの横顔を仰ぐ。

「私達は、パイロットの感情に応答するシステムを作り上げたのよ」

 彼女は白衣のポケットに手を突っ込んだ。

「戦闘中は脳にアドレナリンが補給され続けるから、操縦主は覚醒状態へ近い状態にある。実際には覚醒中のヒトの意識には2段階の状態が存在するの。貴女の意識がその上位段階に達したとき、きっと猛威をふるってくれる力だと思うわ。そのシステム――つまり第二形態(セカンドフォルテ)を使った後、きっと貴女は戦闘のことをぼんやりとしか覚えていない。脳の記憶領域が外部信号を受け付けなくなるからね、だから説明を省いたの。だって意味ないでしょ?」

「は、はぁ。そう……ですか。実際に戦う側としては不安がありますけど。第二形態(セカンドフォルテ)、ですか?」

「誤解はしないでね。貴女へ危害を与えるような凶悪なものではないから。あなたにとって強い力となるはずだわ」

 そういうものか……と、レナは一抹の不安を覚えながら端末を元の画面へ戻した。

 覚醒状態と簡単に言われると理解に苦しむが、レナは何度か似たような経験を味わったことがある。戦闘中、アドレナリンの供給が過多になりすぎた結果、自分の意識がまるで鋭利な日本刀か凍ったナイフのように研ぎ澄まされる感覚だ。視界が突然クリアになり、遥か遠くから戦場を見渡せるようになる。弾の1つ1つの軌跡から、敵の装甲表面にある傷まで鮮烈に"視える"ようになるのだ。

(あの感覚……自分が自分で無くなるような)

 レナは首を振ると、視点を端末へと戻した。もうひとつだけ眺めておきたいページがあったのだ。それは同時に開発されたハズの<オルウェントクランツ>である。

 全体の性能(スペック)を比較すると、機動性の項を除けば<アクトラントクランツ>の方が能力は高い。<オルウェントクランツ>の火力や装甲など、その数値は<アクト>のそれよりも一回りくらい劣っている。たしかに機動性は圧倒的だが、それ以外の項目では全て<アクト>の方が勝っている。

 見ていると、キョウノミヤは横から言葉を付け加えた。

「<オルウェントクランツ>には強力なセキュリティロックをかけておいたわ。たぶん全ての機能を解放しきれていないから、実質的に弱体化している可能性が高い。もちろん戦ってみなければ分からないけれど」

 キョウノミヤは鼻高々だったが、レナはそのようになれなかった。

 あの敵パイロットを思うだけで、胸の央には焦がれるような想いが突き上がってくる。機体の性能は差し置いて、現時点で最強の素質を持っている操縦主は間違いなく『アイツ』なのだから。当然のこと油断は大敵だ。

 その様子を見たキョウノミヤがクス、と笑って、

「よっぽど勝ちたいのね、彼に」

「はい。今までだって、散々アイツに苦しめられてきたんですから……負けてばっかりでしたし、大切な仲間も何人も失ってきました。だからアイツだけは、どうしてもあたしが討たなきゃいけないんです」

 レナはこぶしを強く握った。

 必ず仕留める。たとえ自分が犠牲になろうとも、アイツにだけは絶対に負けるわけにいかない。

 自分の邪魔になれば平然と仲間を犠牲にする奴らだ。そんな連中にいつまでも負けていられるもんか! ――と吼えたい衝動を抑えて、レナは奥歯を噛んだ。

 キョウノミヤは一瞬だけ瞑すると、「分かったわ」と言って大きく吐息。

「レナ・アーウィン。本時刻をもって、貴女を<フィリテ・リエラ>の指揮官に任命します」

「え、あ……? って、えぇぇ!?」

「なに? 嫌なの?」

「無理ですって! あたし指揮なんて執ったことないし、それに……」

「それに?」

「ひ、人と話すのとか…あんまり得意じゃないし……」

「コミュ障ガチ勢ね」

「そんなんじゃありませんからー! もう! でも、指揮なんてあたしには無理ですって。言葉より先に手が出る人間ですよ?」

「あら。私はそういうバカ嫌いじゃないけれど?」

 然り気無く(さりげなく)バカとか言ってくるよこの人……と頭を抱えていると、キョウノミヤはノートPCを畳んでケースへ仕舞い込んだ。

 立ち上がる。

「"彼" 、強いんでしょう? だったらそれなりの対策を心得ている貴女の存在は大きいわ。良い指揮官は、味方への損害をカバーできる人間よ。かつてのキャプテン・クックがそうであったように」

「でも、私は……」

「今後、本艦は彼と何度も交戦することになるわ。そのとき、また貴女の目の前で犠牲者が出るかも知れない。それでもいいの?」

 疼き。

 左の胸に閉じ込められた何かが急激に暴れだし、レナの細身を芯の部分から蝕んでくる。

 ――守れ。

 内側からの声。

 何度でも甦る光景は、高く積もったあの瓦礫の山と幼い頃の自分の姿だ。弱くて、何も出来なくて――

 ただ悔しかった。圧倒的な力を前にして、途方に暮れていた自分が。泣けば悲しみから逃れられると思っていたあの頃が。

 だから――

「やります。あたしが引き受けます」

 キッと面を上げ、レナは強く応えた。


 奪取した新型AOF<オルウェントクランツ>の解析を進めるレゼア・レクラム。しかし旧来の方法では解けないセキュリティによって苦しめられることになる。

 一方、レナはキョウノミヤによって新型機<アクトラントクランツ>の基礎データを知ることに。彼女はその圧倒的な機動性や火力性能に驚嘆する。

 そして何より驚くべきは、操縦主の意思によって覚醒する機構・セカンドフォルテ。この力があれば、自分は何を守れるのか?

 内心に問う少女の横で、キョウノミヤはレナを指揮官に任命することを提案する。

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