第23話 part-a
アフリカへ戻ってきました。
これから7日間潜入の最終日を描いて行こうと思います。
遅筆ですが何卒。
[part-a]セレン
旧市街地の北端からは、都市部へ向かうバスが発着している。
さすがに20キロという距離は遠い。人間の歩行速度が時速3キロ程度だって聞いたことがあるから、歩いたら6時間、往復したらその2倍も時間が掛かってしまう。
いつもは港町と旧市街地を歩いて往復するセレンだったが、決して足腰に自信があるワケではない。
大学時代は下宿先か書籍だらけの研究室、または図書館の講堂で本を読み漁っていただけなので、ほとんど運動なんてしなかった。ゼミ対抗のバレーボール大会だって参加しなかったくらいだったし。
その代わりとして、気付けば食事もしないまま文字へ夢中だったため、太るようなことも無かったけれど。
そんな数年前の学生生活と比べれば、少しは強くなったと思う。たぶんね。
バス独特の揺れを感じながら、セレンは最後部の席から窓の外を見た。
視線がゆくのは進行方向から見て右側だ。
テーブル・マウンテンと呼ばれる大きな山がある。オーストラリア大陸にある世界最大の一枚岩、エアーズ・ロックにも並ぶ大きさの山で、机に似た形状をしていることから、そんな名称が付けられたのだとか。
山頂が広い平面になっていて、昔は神様がそこで食事をした――みたいな言い伝えを聞いたことがあるけれど、残念ながら目撃したことはない。
そのまま首を横へ動かし、次に見るのは左側。
わぁ、とセレンは表情を輝かせる。
いまだに発展が続いているケープタウン――その都市部はアメリカ西海岸にある大都市と変わらないレベルの街並みだ。
高層のオフィスビルが所狭しと建ち並んでおり、商業施設だって広く充実している。街の中心部へ行けば高速鉄道の駅や、さらに北へ行けば空港もあった。
(空港かぁ…、このままみーくんと飛行機使って駆け落ちとか?)
ふふ、と笑む。
もちろん半分は冗談だ。でも残りの分は本気? と首を傾いでみる。
座席の隣を見ると、少年は幸せそうな寝顔で眠っていた。普段の凛々しさとは裏腹に、17歳とは思えないほど幼げな表情。
自然と笑みがこぼれてしまう。
(そっか、7歳差かぁ……)
自分が24歳で、みーくんが17歳。単純の引き算だと7年も違いがある計算となる。
(そうよね。みーくんが立派になる頃には、私なんておばさんだものね……そう考えるとちょっと悔しいわ)
しゅん、としょげたまま横目で隣席を見た。
生まれる時代を間違えた気がする。あと5年でも6年でも遅れて生まれてきたら、間違いなく少年と添い遂げたハズなのに。
昨日の夜、セレンは少年に向かって「好き」の気持ちを打ち明けた。まだ恋愛的な好意には遠く及ばないけれど、彼には自分にとって特別な何かがある。
彼のことを知っていきたい、とセレンは思う。
首から掛けたペンダントを指で摘まみ上げた。サファイア色の石英はネジのような構造になっており、フタを回せば真っ二つに分かれる仕組みになっている。中から出てきたのは黒い四角のチップだ。
何に使うのだろう、とセレンは疑問する。めっぽう機械音痴な自分には理解できないが、
(これを壊したら……二度とみーくんには会えなくなる)
思うのは少年の言葉だ。
(これを壊さなければ、みーくんはまた会いに来てくれる……)
昨日の夜、非常事態になったら中のチップを壊せと少年は言っていた。
先日のような事件に巻き込まれる可能性がある。だから怖くなったら壊せと。そうすれば必ず駆けつけてくれると。
しかし、とセレンは表情を翳らせた。
このチップを壊してしまったとき、自分たちが再び結ばれることは無くなる。それが一体どういう意味なのか――というのは今のセレンには分からないし、きっと理解も出来ないだろう。
ふと気になって横を見る。
あどけない表情で隣に眠っている少年が、よもや世界を滅ぼす悪魔だとは思えない。
考えても仕方のないことなのだろうか、と内心に問う。
生きている世界が違う――とミオは言っていたはずだ。だとしたら自分は、遠い場所から彼を見ていることしか出来ないのか?
世の中にはどうにもならない事情がある、というのは充分に知っている。そんな道理を辨えられぬほど自分は子供ではないし、また解らぬほど愚かではない。だけど、と手を固く握る。
――二度と会えない。
その言葉の響きだけが、どうにも胸の奥深くを微塵も無く抉ってくる。
詳しいことは分からなくても、それだけ深い事情を抱えていることは理解できた。おそらく横にいる少年は――と思考したところでセレンは首を横に振る。
これ以上深い部分に足を突っ込むのはやめよう、と思案したところでバスは減速した。
相変わらずみーくんは起きてくれない。バスの揺れが予想外に心地よかったのか、乗車後5分でこの有り様だ。
ちなみに前の席に座っているのは亜月と美月なのだが、この2人も肩を寄せ合ったまま眠っている。まるで子供みたいに。
たぶん疲れているんだろうな、とセレンは自分に言い聞かせた。それも仕方のない話だ。セレンが住んでいる家には寝床がふたつしかない。片方はベッドだが、もう片方は部屋の奥に仕舞い込んであった布団である。部屋には4人が居た。しかも男が1、女が3という謎の状況である。
下の階で寝ると言い張ったみーくんを無理やり押し込めて、昨晩はセレンとミオ、そして亜月と美月という組み合わせで眠ることになったのだ。2人が入る布団中はとてもじゃないが広くなかったし、良く眠れたとは言い難いだろう。
しかしセレンは良く眠れた。
温かくて可愛い抱き枕が目の前にあったお陰で夜は寒くなかったし、なんだか言い様のない安心感があったのだ。
ちなみにみーくんはといえば、まるで怯えた小動物みたいに震えっぱなしだった。
(可愛かったなぁ……もっと苛めたくなっちゃうわ)
はぁ、と朱の唇から熱い吐息。
嗜虐心がそそられる――というのが正しい表現なのかは分からないが、だいたいそんな感じだ。
車内のアナウンスが告げられる。
終点である都市部/中央ゲートが近づきつつあるのだ。バスは国道に入ると右へ折れ、真っ直ぐの道を減速しながら進む。
その先にあるのはターミナルだ。バスやタクシーが数多く溢れている。
「みーくん起きて。降りるわよ?」
太ももを揺さぶってやる。
くかー、と何とも間の抜けた寝息が返ってきた。
セレンは呆れながら嘆息し、困ったような仕草で頬へ手を宛てる。
「みーくん?」
くかー。
うん、これは駄目かも……。
熟睡している少年を起こすのは思ったよりも手間が掛かるかも知れない――とか思いながら、セレンは伸びた前髪を横に避けてやる。
行為は一瞬だ。
ちゅ、と朱唇が少年の頬へ触れた。
対するミオは、う、と小さな呻き声をして、
「あ…、おれ……?」
「ふふ、起きた? ぐっすり眠ってたもんねー」
ミオは焦点のズレた瞳でセレンを見たあと、意識は急速に覚醒へ。
頬の感触に気付いたミオは指先で肌を確認。そこに違和感のようなものを得て、
「いっ!? セレン、もしかして今――」
しっ、と人差し指で少年の唇を塞いでやる。
口を耳元へと持っていき、
「静かに。美月ちゃんと亜月が起きちゃうでしょう?」囁く。
「お、俺を起こすのはアリなのかよ……」
「あなたがみーくんだからよ。もしかして分かってないのかしら?」
シートに乗せられていた少年の右手に左手を重ねると、ピク、と跳ねる感触があった。ウブで可愛いなぁ。もっと苛めたくなってしまう。
真っ赤に染まった少年の顔は、拗ねたように反対を向いている。
減速。バスが停止して、急ぎの乗客たちが扉の近くに並び始めた。短い信号音とともに前部のドアが開くと、まるで徒競走のように出ていく。
「うーん、良く寝たぁ!」
勢いよく背伸びをしたのは窓側座席にいる美月だ。
なまった身体を左右へ動かし、関節がパキポキと軽い音で鳴った。ついでに上半身をシートの上で捻ると、今度はボキボキという重い音が。それでも気持ち良さそうに2度目の伸び。
「そうだな……昨日は良く寝られなかったからな。究極に寝相が悪い小娘のお陰で」
「そ、それは朝謝ったじゃないのよー!」
「謝って済むなら何とやらだ。警察どころか国連も要らん」
亜月が持ち前の低い声で言う。ちょっと不機嫌そうな様子で、美月は申し訳なさそうに落ち込んだ。
「いずれ男がデキてから後悔しないようにな」
「そんなー!」
「そうだそうだ、寝相の悪い女は嫌われるぞ」ミオが後ろから揶揄する。
「やーめーてー!」
前の席でギャーギャー騒いでいると、車掌がマイクで「早く降りて」の合図。ちょっとうんざりした表情だ。
4人はバスから降りてターミナルに降りた。
彼らを吐き出すと、バスはすぐに前部のドアを閉めて今度は後部ドアを開く。停留所で待っていた客がタラップを踏んで乗り始め、行き先表示のロールがグルリと反転して旧市街地へ変更される。
時間帯が午前中とあって、廃れた旧市街地へ向かう客はまばらだ。というか、旧市街地へ行く人なんてほとんどいないのだろう。バスの運転手は顔に帽子をかぶせて居眠りに耽った。
分厚いコンクリの段差に立って、セレンは周囲を見渡した。
「都市部を訪れるのは久し振りだわ。短い間で随分と変わったのねえ」
年に一度も行くか行かないか、という頻度だったし、なにか特別な用事でもなければ来たことはない。
「さてこれからどうするのかね? デートプランは立っていないようだが」
「そうねえ、まずはセンター街のほうを歩いてみようかしら。それより亜月、脚の方は大丈夫なの?」
「丸一日たっぷり休んだんだ、動くくらいなら問題ないさ。ま、疲れたら喫茶店にでも入って、休みつつ行かせてもらうさ」
「だから家で休んでいなさい、って言ったでしょ?」
「ほう? そうやって "みーくん" とふたりっきりデートを楽しむつもりだったのかね」
「ふふ、それはどうかしらねえ」
セレンは苦笑とともに少年を見やる。
彼は電光広告に夢中だったせいか、? というわけがわからないという表情のまま疑問符を浮かべていた。まったくアホっぽくて可愛いなあ、とセレンは内心思った。
ふたりっきりのデートというのは憧れるけれど、都市部へのお出かけを計画したのは亜月である。彼女がノープランのまま計画し、美月とみーくんが乗っかり、そしてセレンが最後に便乗したことになる。
亜月は下にジーンズ、上にはTシャツとレザージャケットという姿だ。大人っぽく鋭利な雰囲気を漂わせる彼女だからこそ、黒の配色はとても良く似合っている。いずれの服もセレンが学生時代に着ていたもの――正確に言えば、オシャレがしたくて買ってみたはいいものの、自分に似合わなかったために諦めていた服である。タンスの奥から引っ張り出してみたけれど、サイズが合っていて良かった。スタイルが良くて着こなしが上手い彼女ならきっと良く使ってくれるだろう――と思ってプレゼントしたのだ。それに、亜月は昨日まで脚に怪我を負っていたから、靴も負担の少ないハイカットのスニーカーを選ばせた。
それに対して明るい色のワンピースを着ているのが美月である。最初は「うぇー、ガキっぽーい」とかブーブー言いながら嫌がっていたけれど、セレンが似たような格好をしているのを見て改心したらしい。サンダルまでデザインがそっくりなので服装だけ見ればまるで姉妹である。
はぁ、と亜月がこめかみを掻いて吐息。
「ちょっといいかね、みーくん? 話がある」亜月が手をこまねいた。ミオはうんざりした口調で、
「おいおい……お前までその名前で呼ばないでくれ。恥ずかしいだろ」
「では訂正。ちょっといいかねクソガキ、話がある」
「極端すぎだろ! その中間くらいの馴れ馴れしさで呼べって言ってんだよぐぇ」
「いいから来いっ!」
亜月に首根っこを掴まれ、みーくんはそのまんまアスファルトの上を引きずられて行った。なんだか母猫に運ばれる仔猫みたいだ――なんて思ったけど、さすがに欲目が過ぎるだろうか。うーん。
話しづらいことでもあるのかなぁ、と首を傾いでいると、
「あ、あのさ……」今度は美月が口を開いた。
「どうしたの?」
「やっぱりこの服、子供っぽくないかなあ? ワンピースとか着たことなくて、なんだかヘンな感じ。貸してくれたのは感謝してるんだけど」
「すごく似合ってるわよ? とっても可愛いと思うわ」
「そ、そう……? ならいいんだけどっ」
サンダルの爪先を軸としてクルリと回ってみせると、スカートの部分がふわりと浮いた。ツインテールがぴょんと跳ねる。
美月は自分のファッションをチェックしながら、ついでに周囲からの視線も気にしている。
やっぱり17歳の女の子だものね、と微笑をたたえながら見ていると、セレンはあることに気付いた。
――街の至るところに妙な緊張感がある。
それは駅の構内へと続く階段であったり、銀行の入り口であったり、あるいはコンビニの前を歩いていたり。
軍の制服に身を包んだ兵士だ。
セレンだって学生時代に一度くらい見たことがある。たまたま見物に訪れていた凱旋門広場で、あのときは行進パレードが行われていたハズだ。当時に見た制服と変わらないデザインで、暗青色の布地に2本の赤いストライプが横に流れている。
ピリピリした様子の男たちは脇に小銃を携えた格好だ。そのプレッシャーが伝播するせいで、都市部には静電気に打たれたような緊張感がある。
男たちは大半が2人組だ。いまコンビニから出てきたのは大柄な男で、それが加わって3人になったグループも見られた。太った男は手元にアメリカンドッグを持っていて、それを美味しそうに頬張っている。同僚は肩を竦めて呆れていた。
彼らの所属は、
「……統一連合の連中ね」
美月の視線が不意に鋭くなった。
まるで怨嗟が込められたような目で、ツインテールの彼女は警戒心を滾らせる。小さな拳がぎゅっと握られていた。
「美月ちゃん?」セレンは優しい声で問いかけた。
「なに?」美月は鬱陶しそうな動きで振り向く。
「その目、やめた方がいいわよ?」




