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黎撃のインフィニティ  作者: いーちゃん
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第21話 part-c

[part-c]ミツキ


 ミオがシャワーを終えて部屋に戻ると、美月は一階で本棚に向き合っていた。

 手にあるのは文庫本だ。

 パラパラと(ページ)をめくり、気になる部分だけ斜め読みして棚へ戻す。

「読めるのか?」

「うーん、全然分かんないわ。でも亜月なら読めるかもね」

「亜月? 頭いいんだな」

「アンタと比べたらダニとライオンくらい差があるわ」

 ……まじかよ。

 そういえば――とソファの上でミオは思い返した。

 亜月はまだ上のベッドで眠っているはずだ。おそらく熱は引いただろうけど、ずっと何も食べてないだろうし、自分じゃ水分補給さえ出来ないだろう。

 たしか水はベッド脇に置いてあったハズだが、たぶん減ってないだろうな――と思いながらミオは2階へ。

「ちょっと、ドコ行くのよ!」

「亜月の様子を見てくる。さすがに放ったらかしは可哀想だろ」

 あ――と美月は慌てて2冊目の本を戻し、ガラス戸を閉めると小走りで後ろを付いてきた。どうやら同僚の看病をすっかり忘れていたらしい。

 2階の部屋は相変わらず窓が開きっぱなしになっていた。

 これじゃ幾らなんでも寒いだろ、と思いながら閉めてやり、冷たい空気をシャットアウト。ついでにカーテンも閉じる。

 テーブルの上にはいつの間にかアロマキャンドルが点けられていた。おそらくミオがシャワーを浴びている隙に、セレンが気を利かせてくれたのだろう。

 置かれているのは小皿の上だ。翠色の蝋の上に弱い火がチロチロと揺れている。

 ランタンとは違う印象の光だ。

 美月はキャンドルの近くで鼻を動かすことで匂いを嗅ぎ、

「……メロン?」

「待て待て、普通は緑色と言ったらミント系だろうがっ。どんだけ食欲旺盛なんだよ」

「いや、でもメロンの匂いがするわよ。ほらほら」

 皿をパッと掴むなり、美月はキャンドルをミオの方へ押し付けてくる。ってか危ないからやめてくれ。蝋燭って地味に1000℃くらいあるからな――あれ、もしかしてコレは話題の『溶けた蝋燭を垂らす』系のプレイなのか? もしかすると俺は襲われかけてる?

「なに変態みたいなこと考えてんのよ。いいから嗅ぎなさいよ」

「どこを?」

「蝋燭に決まってんでしょーがっ!!」

 がつん、と殴られる。

 頭頂を殴った握り拳を向け、親指を「グッ」と下に向ける美月。ついでに首のあたりを横へスラッシュしたのは「死ね!!」の合図だ。

 やむなくミオはキャンドルへ顔を近付ける。

 漂ってきたのはミント系の香料とは少し違っていたが、やはり――

「ハーブの匂いだな」

「メロンでしょ」

「鼻でも詰まってんじゃないのか?」ガツン!「痛え!」

「絶対にメロンよ!」

「ハーブに決まってんだろ!」

「メロン!」

「ハーブだろ!」

 ぐぐ、と睨み合いを続ける中で、ひとつの声が上がった。

 女性の声のなかでも低い音程だ。呻きのようなものが発せられたあと、ミオと美月は慌てて振り返った。

 と、同時に動きがある。

 それはベッドの上だ。左腕はしんどそうに顔を覆ったあと、

「五月蝿いぞふたりとも。頭にガンガン響く」

「あ、亜月!」

 うぅ――と苦悶とともに上半身を起き上がらせると、それを見た少女がベッドサイドへ駆け寄った。投げ出されたキャンドルをミオがタイミング良くキャッチし、スンスンと匂いを嗅いでみる。

 やっぱりハーブの匂いだよなあ、と思いながら元の場所へ戻した。

 身を起こした亜月は体の平衡感覚を確認。頭を横へ振ることでそれを終えると、部屋の中をキョロキョロ見回した。

 テーブルに置いてあるグラスを取って中の水をぐいとあおる。

 は、と息をついて、

「どうやら……私は民間人の手を借りてしまったらしいな」

「あぁ、港町にある家だ。あとで部屋の主人と会わせるから、そのとき礼を言ってやってくれ。悪いヤツじゃない」

「それなら尚更だ、迷惑を掛けて済まんな」

 短く言うと、亜月はグラスを掴んだまま視線を落とした。

 鋭い眼光と重たげな物言いには迫力があり、厳しさのあるオーラを漂わせた。真面目な表情になったレゼアより怖いかもな――と思ったが、たしかアイツと知り合いだって昼間に言ってた気がする。たしか北欧部隊で一緒になった経験があるとか。

 亜月は空になったグラスを元の場所に置いて、

「美月から大部分の話は聞いたな?」

「ああ。どうやら災難だったようだな」

「申し訳ない、私が未熟だった」

 ぺこり、と彼女は首の動きで頭を下げる。

 その態度に反応して美月が飛び上がった。

「そ、そんな! 亜月は私を庇っただけでしょ。謝る必要なんかないのよ」

「過ぎたことをギャーギャー騒いでも仕方あるまい。それに、あの状況ではやむを得なかった。私が飛び込んでいなかったら、お前は今ごろ死んでただろう」

「それは…そうですけど――」

 美月は納得いかなそうな表情だったが、亜月はそれを一蹴。

 あのレインコートの男に襲われたとき、亜月は美月の盾となって負傷した。ふくらはぎの部分を深々と切られ、血を流しつつもその場を切り抜けた2人は、研究所の上階でひっそりと救援を待っていた。

 だが不幸なことに不衛生な環境が祟って発熱と体調不良を起こし、美月ひとりとなってしまった。残された彼女は1人で任務にあたり、同時にレインコート男の追跡にもあたっていたのだと言う。

 これが今日までに置かれていた状況だ。

 ミオは軽く頬のあたりを掻き、

「で、その救援なんだが――俺がトチったせいで、回収は2日後まで待たなきゃならない」

 申し訳なさそうに言うと、亜月は頭に疑問符を浮かべた。

 衛星通信用の端末が壊れちゃったの、と美月が説明を加える。

 ついでにミオがレインコート男に襲われたことも話し、仕方なく納得してもらった。

 連絡が取れなくなってしまった以上、3人は明後日の回収を待つしか方法は無い。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこういうことだ。

 亜月は、ふむ、と形の良い顎に指を添えて、

「やむを得ん。生きていただけでも良しとすべきだな」

「それより身体の方は大丈夫なのか? あんまり無理すんなよ」

「気遣い痛み入るが、しかし心配は無用だ。美月のお陰で止血は1週間も前に終わっているからな。痛みは少しだけ残っているが、明日には元通り歩けそうだ。感謝するぞ、少年」

「しょ、少年……?」

「少年ではないのかね? なんと、まさか君は――」

「何を勘違いしてるか分からんが余計な方向に気を回すなよ」

 呆れた口調で言うと、亜月は口元でいたずらっぽく苦笑。

 どうやら体調の方は問題なさそうで、ミオは少しだけ安堵を得た。

 とりあえず2人の無事が確認出来て良かった。これで明後日の回収を待てば、自分の任務は達成されたことになる。

 一時はどうなるかと思ったが――と感慨に耽るのはまだ早計だが、いずれにせよ結果オーライだ。

 亜月は空になったグラスを差し出して、

「美月、悪いが水を注いでくれないか。喉が渇いてしまってな」

「それより、おなか空いてない? セレンに頼めば何か作ってもらえるだろうけど……」

「いーや、その必要は無さそうだぞ」

 亜月が注視したのは部屋の入り口だ。

 残った2人が遅れて視線を送ると、き、という軋み音とともに扉が動いた。

 ドアが開く。

 長方形に切り取られた向こう側から現れたのはセレンだ。両手で支えているのは茶色のトレーで、その上にあるのは白い皿。

 乗せられているのはハムエッグのトーストだ。

 先刻(さっき)のフレンチトーストとは打って変わった香ばしい匂いに、ミオと美月は「おぉ…」と思わず感嘆してしまう。

 それを見たセレンが頬に苦笑をたたえ、ベッド脇へと近づいた。膝を折ってしゃがむ。

「目が覚めたのね? お怪我の調子はいかがかしら?」

「あぁ、お陰で助かったよ。何と礼を言えばいいのやら」亜月が答えた。

「いいのよ? お礼なら美月ちゃんからも、勿論みーくんからもたくさん貰ったから。それより食べて? おなか空いてるでしょう?」

 目の前にトーストの皿が置くと、セレンはにっこりと笑顔をつくった。

 こんがりと焼き色のついた食パンの上には大きなハムが2枚、その上には目玉焼きが1個のせられていて、上から黒胡椒とバジルソースが見事にトッピングされている。

 ――美月。

 ――なあに?

 ――おいしそうだな。

 ――そうね。

 両膝立ちの構えになった2人がまじまじと皿の上を凝視するなか、亜月は自分へ向けられる視線に戸惑いながら食パンを手に取った。

 それが口元へ運ばれていく。

 ああ、とミオと美月が悲痛な表情になった。

 並んだ2人の顔を見て若干の優越感に浸りながら、亜月はパンの端を齧る。

「これは……美味いな」

「「せ、セレン――――――――っ!!」」特大の叫び声がふたつ並ぶ。

 呼ばれた本人はビクッと肩を震わせて、

「ど、どうしたの2人とも!? 急に大声なんか出して――」

「俺にもあのハムエッグトースト作ってくれ!」「私にも作って! 私も食べたい!」

「で、でも美月ちゃんとみーくんはさっきフレンチトースト食べたじゃない? ってか2人とも目が豆電球よ?」

「頼む作ってくれ! じゃないと俺はこのまま――ぐっ、身体が言うことを聞かなくなってやがる……」

「私も――今すぐアレを食べないと死んじゃう…干からびて死んじゃうっ……」

「ず、随分と恩着せがましい言い方を知ってるのねー……」

 ぐあああああああ、と喉の奥で呻きながら、ばたり、と2人が床にくずおれる。ついでに床をゴロゴロ転げまわって「欲しいー!欲しいのー!!」のアピールをすると、セレンは困った表情で頬に手を宛てた。

 ちなみに床を転げまわって駄々をこねるのは精神年齢4歳以下だそうだ。

 彼女は頷きながら、

「はいはい。じゃあハムと卵は残ってるから、それで2人分を作ってあげましょうね」

「「やったー!」」声を合わせてのハイタッチをしたところで、ゴン、という重い音が鳴り響いた。

 頭上に亜月の握り拳が落ちたのだ。鉄拳制裁という四字熟語が脳みその裏側を全裸で疾走し、その箇所がじーんと熱くなる。

「お前たち少しは静かにしろ。こっちは怪我人だ」苛立った声で亜月が言い放つ。

 すみませんでした。

 あんまり怒らせない方がいい、と感じた2人は瞬時に土下座の体勢。

 それを見たセレンがクスクス笑いながら、再びトレーを持って下の階へ降りて行く。

 はぁ、と溜め息して、足音が降りきったのを確認。

「……で、だ。そろそろ話の続きに戻るぞ。回収が明後日になった以上、我々には1つ任務が出来た。それが何か分かるな?」

「いいから私もハムエッグトーストが食べたい……」

 ガツン! と頭頂を殴られて、美月はその場で煙を上げながら沈黙した。たぶん大破したんだと思う。

「え、えっと…」それを横目にしていたミオは真面目に思考して、「…分かりません」

 ガツン!

「お前たちは緊張感が無さすぎる」

 思いっきり頭を抱えて、亜月は悔しがるような口調で言った。

 いいか、という言葉はトーストを咥えながら発せられる。

 白身と黄身の中間あたりを噛み千切りながら、

「ここから旧市街地より北にある都市部には、統一連合の連中が来てるんだぞ。そして奴らは今にも南下を始めてくるかも知れない。だとしたら相手の戦力を確認しておくのは当然だろう」

「ちょっと待ってくれ。3人で、か?」

「勿論だ。4人目が居るか?」

 ……だよな。

 ミオは消沈した。

 都市部に行くには、旧市街地の北端ゲートから出ているバスに乗るのが手っ取り早い。朝に2本、昼に1本、そして夜に2本のダイヤがあり、北へ向かうことが可能である。

 だが、万が一戦闘に巻き込まれるようなことがあった場合――3人、しかも生身だけでは危険すぎる。

「様子を見ているだけなら連中も無闇な手出しはせんよ。私たちは普通の観光客を装って行けばいい。幸い都市部は人口密集地だから多少でも目立たずに済む」

「だ、だがなぁ……」

「気が乗らんのか? これはレゼアに報告しておかねば――『特務第5班は任務に対して消極的で軟弱』と」

「わ、分かった! 行くからそれだけはやめてくれ! っていうか足の方は大丈夫なのかよ? またおんぶは困るからな」

 はいはい、と亜月がミオを鼻であしらう。

 食欲をそそる香ばしい匂いと、下の階で皿がぶつかる音が聞こえた。それまで床に伸びていた美月のツインテールが犬の尻尾みたいに跳ね、ぴょんと飛び上がる。

 運ばれてきたハムエッグトーストにミオと美月が歓喜して騒ぎ、そして二度目の鉄拳が下された。

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