表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黎撃のインフィニティ  作者: いーちゃん
56/95

第21話 part-b

日本戻ってきました。

[part-b]ミオ


「ふぅー、美味しかったです! ふわっふわでしたー!」

「お粗末さま。ごめんね、こんなの晩御飯にしちゃって。足りなかったかしら?」

「いえいえ大・満・足ですよ! 食べ過ぎたくらいです。私のおなかだって、ほら!」

 美月がぽんぽん小腹を叩くと、セレンは可笑しそうな苦笑をこらえた。

 どこか困ったような表情だが楽しそうでもある。彼女はおどけて、

「あらあら美月ちゃんったら妊娠何ヵ月なのかしらねえ?」

「4か月です」右手は親指以外をパッと広げてみせた。

「まあ、そんなに? みーくんもいよいよパパになるのね」

「待ってくれ俺にはそんな覚え無いぞ」

「はいっ。でもコイツ、自分が父親になる自覚が出来てないみたいで……」

「美月まで!? ってか何で! なんでだよ!」

 え、まさか本当に妊娠してるのか――と、ミオはおそるおそる手を滑らせた。

 ソファの隣に腰かけた美月の腹を、まるで探るように、撫でるように――手のひらで触れる。

 しかも彼女は「うん、いいよ触って……」とか頬を上気させながら言うもんだから、ミオは余計にワケが分からなくなった。

 どういうことだ――と思いつつ、服の上から肌に触れると。

 温かくて柔らかい感触が伝わった。呼吸のペースとともに上下する感覚が得られ、ミオは慌てて手を引っ込める。

 途端に青ざめて、

「け、蹴ったぞ……」

「ワケないでしょ。アンタほんとにツマンナイわねー、もっと『これが命の重みか…』くらいキレのあるボケでも言えないの?」

 ――無理に決まってんだろ。ってか大して変わんねーだろ。

 とか思いながら、ミオは面倒くさそうに前髪を掻いた。

 こういったノリみたいなものには相変わらずついていけない。とりあえず腹が立つから美月は無視するとして、

「まぁまぁ。みーくんも、そろそろ面白いこと言えるようにならないとねえ」

「つまんなくて悪かったな」

 ふてくされると、それを見てセレンがくっくと笑った。

 テーブルの上に置かれた皿を集めて流し台(シンク)へ持っていき、スポンジで洗い始める。

「手伝いましょうか? なんだかお世話になってばっかりだし」

「んーん、大丈夫よ? それよりお風呂に入ってきたら? といってもシャワーで良ければなんだけど。温水は出るから」

 え、と美月の表情がぱっと輝いた。

 ずっと任務に付きっきりだったから、ろくに風呂なんて入れなかったんだろう。そういえば走ってるとき汗臭かったっけなぁ――と思い浮かべていると、頭上に握り拳が飛んできた。

 なんで思考を読まれてるんだ俺は。

「ちゃんと、身体くらい、流して、ました、けど~?」

 音節を強調すんな。超怖いからやめろって。

 分かったよ、俺が悪かったから――と頭のてっぺんを抱えていると、美月はくるりと背を向けて笑顔になる。

「じゃあ遠慮なくっ!」

「はぁい、ゆっくり入ってらっしゃいなー」

 ……なんで俺に対してと愛想が違うんだよ。

 ソファで苦悶するミオに向かって「べーっ」と舌を出すと、美月は威勢よく風呂場へ直行した。一枚戸が開いて、また閉じる。

 はぁ、と嘆息して椅子に体重を沈ませると、セレンは台所からクスクス笑った。

 気が付けば皿を洗う音は、いつの間にかフォークが擦れる金属音に変わっている。どうやら台所は自分の仕事場、と思い込んでいるらしく、セレンは料理全般に関して手伝わせてくれない。

 これまでの5日間でミオが台所を担当したのは1回だけで、それを除けば料理も片付けも、すべてセレンがやってくれた。

 昼間は基本的に忙しかった中で衣類の洗濯、それが済むと部屋の掃除と片付け、時間ができると読書や書き物に時間を費やす――というのが彼女の生活スタイルである。

 基本的に自由人。と言えば気ままに思えるが、

 ――やっぱり独りぼっちは寂しいよな。

 視線を足元へ落とす。

「みーくんどうしたの? フレンチトースト美味しくなかった?」

「ん。あぁ、そんなことは無いよ。とっても美味しかったから、今度また食べたいな」

「そう? なら良いんだけど。学生時代にバイトしてた喫茶店で作り方を覚えたの――っていうか勝手に真似したんだけどね。実は作る段階でメープルシロップを加えてたのよ。ちょっと甘かったでしょう?」

「……」

「みーくん、元気ないの?」

 いや――とミオは首を横に振る。

 元気が無いワケじゃない、と告げると、セレンは心配そうに首を傾げた。

 洗い物を終えて皿とフォークを片付けると、ナプキンで手を拭いてソファへやってくる。

 彼女はミオの横に座った。

 クッションが浅く沈むのを感じて、ミオはセレンに対して寄り掛かるような姿勢になる。肩に側頭が乗せられると、彼女は「ん」の頷きで体重を受け止め、そして黙った。

 ランタンの灯が揺れ、部屋の中を影が踊る。

 静かに時間が過ぎていく。

 一階に聞こえるのは美月が浴びているシャワーのBGMだけだ。どうやら腐った配管の泥水は出てこなかったようで、風呂場でギャーギャー騒ぐ様子はない。

「……みーくん。お外、出よっか」

「出ていけと?」

「ふふ、違うわよ。ちょっとデートして欲しいなって」

 クスクス笑うと、セレンは少年の腕を絡め取った。

 手を引かれて家から一歩出ると、外は真っ青な暗闇だ。黒に埋め尽くされた世界には白銀の月が浮かんでおり、闇と白銀の調和が、深いダークブルーの色調をはっきりと生む。

 もちろんそこに街灯の明かりは無い。

 天気が良く月が見えていれば、外はかろうじて足元の情報が得られ、海まで歩いていくことが出来る。

 玄関口でスリッパを脱ぎ捨て、素足のまま踏み出したふたりは導かれるようにして砂浜へ。

 陽が沈んでから急速に冷やされた砂は、足裏に冷たい感触を与えてくる。

 ふと気づけば波打ち際だ。

 風の音と、寄せては返す潮騒の音、そして匂い。さらに右手にあるのは温かさだ。隣に立つセレンは少年の手を握ったまま、しかし離そうとしなかった。

「……怖いのかな」

「え?」ミオは不意をつかれて驚く。

「なんとなく、そんな感じがしたから。みーくんっていつもそう。この数日間ずっと、寂しいような、そして何かを怖がってるような感じがするの」

 そうかな、と呟くと、セレンは頷いた。

 寂しい――という感覚は分からないが、何かに対して怯えているのは事実だ。その「何か」というのは時と場合にも依るけど。

 戦うということ。

 自分が「用済み」にされてしまうのでは、ということ。

 そして今は――と、ミオは続きの言葉を飲み込んだ。

 喉へ丸めた上で、続ける。

「今はセレンを失ってしまいそうで……それが何より怖い」

 そっか、と縦に振っただけで、彼女は以降の追求をしなかった。

 彼女は理由も詳細も問わない。それが2人の交わした『約束事』だ。

 歩を進める。砂を踏む。

 ミオも手を引かれて前に出た。

 ちゃぷ、と波に足首をつけると、海の水は思っていたよりも冷たくなかった。足首を濡らす波は生ぬるく、それが去ってしまうと冷えた風が濡れた部分を冷やし、また温かい海水が感覚を上書きしてくれる。

 セレンは謳うような仕草で唇をひらいた。

「わたしもね、ずっとそう思ってるの。みーくんが遠い場所へ行っちゃうんじゃないかって。もう二度と会えなくなっちゃうんじゃないかって。あの2人も、みーくんのお知り合いなんでしょう?」

 ――あぁ、とミオは静かに頷く。

 セレンは視線を落とした。

 美月と亜月も、こちら側の人間なのだ。

 セレンが立っている世界とは根本的に違っている。

 ブロンドの長髪(ロングヘア)が風に揺られて横へなびいた。

 一本一本の綺麗な流線を、そのピアノ線のような煌めきを、記憶の中へ大切に仕舞い込んでおきたくなる。

 ――そうなんだ、俺たちの関係は……。

 ミオとセレンの関係は "ねじれ" の位置にあるのだから。

 どれだけ足掻いても、同じ方を向いていたとしても、決して交差(クロス)することのない2本の(ライン)なのだ。

 それがどうしても悔しい。胸が張り裂けそうになる。

 セレンは足を踏み出した。

 ちゃぷ、と水音がして、右足は15センチの深さへ浸かった。

「どれだけの速度で進めば、また、みーくんに会えるのかな。今度会えるなら別のかたちでも構わない。会えるならそれだけでいい」

 両腕を広げる。

 ワンピースの裾が広がって、彼女はくるりと振り返った。

「わたし、みーくんのことが好きよ? ふふ、恋愛的な好きまで成長してないけれど」

 前とは違う口調で、セレンは言葉を放った。

 からかっているわけではない――というのは一目瞭然だ。

 そこにいつものような笑みはなく、ただしっかりと目を見据えて、彼女は強く言った。

 ううん、と首を振る。黒い風に流れるブロンド髪を右手で押さえて、

「これから、もっと好きになっていきたいって思えるよ。もっと()のことが知りたいし、一緒に居たい」

「……どうして」

「優しいところ、かな。前にも言ったけど。みーくんの本当の心は、ずっと奥深い部分に隠れている気がするの。引っ込み思案で臆病で、だけど本当は誰よりも優しい心。それが分厚い殻に阻まれて、内側から『助けて』って呼んでる」

「そんな……そんなワケない。俺は」

「言わないのっ」

 しっ、と彼女は人差し指をミオの唇に宛てた。

 思わず泣きそうになった。

 本当は全て打ち明けてしまいたい。

 自分は好きで戦っているワケではないのだと。

 自分の居場所を手にしたい、その一心で自らの手を汚してきたということを。

 だけど言えない。言ってはならない。それが2人の『約束事』だ。

 両の頬に冷たい手が宛てられ、ミオは振り向かされた。

 セレンの柔らかな表情が、きめ細かい肌が、優しい瞳が、睫毛が、朱の唇が目の前にある。

 吐息が掛かるほどの距離。思わず呼吸が止まった。

「みーくんの眼はこんなに優しい色をしてる。だから、ね」

 頬に唇が触れた。

 ミオの身体が強張ると、セレンはそれを和らげるように腰へと手を伸ばした。片方の手が少年の右手を優しく握り、もう片方の右腕はミオの身体を抱き寄せる。

 短い抱擁が終わると、

「セレン……」

「やっぱりわたしじゃイヤだった……かな。ごめんね。オバサンだもんね」

「い、いやそんなことは無いのだが――」両手をブンブン振って弁解するとセレンは苦笑して、

「ふふ、みーくんってば顔が真っ赤よ?」

「し、仕方ないだろ……」

 っつーかセレンの方だって赤くなってるし。

 前髪を掻きむしると、セレンは再び微苦笑してミオの黒髪を分けた。満足そうに笑む。

 そうだ、とミオは思った。

 少年の表情に暗い陰が落ちると、彼女は途端に残念そうな顔になる。

「セレン。もしかすると今から数日以内に、この前みたいな怖い出来事が起こるかも知れない」

「怖いこと……? また戦いみたいなことが起こるの?」

「なるべく無事に済めばいいんだが。そこで急なんだが――これを渡しておく」

 ミオは首のペンダントの紐をはずすと、セレンへそのまま掛けてやった。首の後ろで器用に結べば完成だ。

 彼女は胸のあたりに収まった青色を手に取って、まじまじと眺めた。アクセサリは月明かりを弱く反射する。

「これは……? すごく綺麗ね。素敵だわ」

「もしも――もしも非常事態になったら、この中に入ってるものを壊してくれ。開け方は簡単だ」

 実際に宝石を開いてみせる。

 中から現れた薄型のシリコンチップ見て、セレンは不思議そうな表情になった。

 こんな小さな物で何が出来るのか――とでも問いたげな目で、彼女はミオを見る。

 チップを元に戻して、

「この宝石ごと石か何かでブッ壊してもいい。そしたら俺が、どんな場所であっても必ずセレンを救けに行くから。だけどそいつを壊したら、たぶん俺たちはもう二度と元に戻れない。ずっと会うことは無くなる」

「どうして?」

「俺たちの立ってる世界が違うからだ。なんとなくセレンも分かってることだと思う」

 セレンは身動きを失って、ついでに言葉も失くした。

 彼女が助けを乞えば、ミオはそれを救いに行く。

 危険となる対象を殲滅することで、セレンを命に換えても守ることが出来る。

 だが、そうすればミオとセレンは決別しなければならない。

 ……自分は彼女と一緒に居続けることは出来ないのだ。

「でも、これを最後まで壊さなければ、みーくんと一緒に居られるのね?」

「そうなるな。時間は掛かるだろうけど」

「良かったわ。じゃあ、そのときはまた嘘をついてね? どんな嘘でも、きっと嘘ごと君を好きになれるから」

 にこり、と笑む。

 心が痛くなって、思わず涙が出そうになった。

 くしゃっと歪んだ泣き笑いのような表情で、ミオはセレンの肩を抱き締めた。自分の中にある何かが産声を上げそうになる。

 ――必ず守ってみせる。君を。

 心のうちで誓う。

 どんなことがあっても、この人だけは必ず。

 絶対だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ