第21話 part-a
南アフリカ・ケープタウン編へと話は戻ります。
[part-a]ミオ
亜月の体重を背負ったまま、ミオは入り口の扉をブチ破る。
「――セレン!」
戸口から問うと、彼女はダイニングテーブルへ腰掛けていた。机卓の上には皿が置かれており、ほのかに甘い匂いが漂ってくる。食欲をそそる匂いだ。
彼女はフレンチトーストにパクついたまま、惚けたような表情で少年を見た。その後ろに立つ少女とミオが背負っている女性を交互に見回して、
「え、えっとぉ…これはどういった方々……?」
「怪我をしてるんだ。ちょっと看てくれないか。ひどく出血した様子でな」
「! だ、だったら2階の方がいいわ。待ってて、すぐに準備するからっ!」
慌ててスリッパを突っ掛けて救急箱を取り、セレンは2階へ飛び急いだ。どうやら異常事態を察知してくれたらしい。
ミオは自分の靴を脱いで部屋へ上がると、美月が後ろからおそるおそる訊いた。
「彼女、民間人よね……いったいどういうことなの?」
ミオは答えにくそうに表情を曇らせ、眉尻を下げた。
そのまま答えて、
「実は俺も数日前、レインコートのアイツから襲撃を受けてな。たまたま保護してもらった経緯もあって今はここで生活してる」
「はぁ!? 色々と首突っ込まれたらどうするのよ! あたしたちは軍の人間なの。それを自覚してるの?」
「わかってるさ。だけど全てが終わるまで、どんなことがあっても訊かないよう説得しておいたんだ……。彼女は自分が騙されていることを分かった上で俺を承諾してくれた。余計な話はあとだ」
美月は一瞬だけ、難解なプログラムでも解くような表情になった。
おそらくミオが言ったことの意味を図りかねたのだろうが、反応は一拍だけ遅れたあと、ちいさな呟きとして返ってくる。
そんなの――と、美月は思わず言葉を失った。
ひどい、と唇の動きは続く。
女性の視点から見れば、やはり異常な出来事や関係に見えるのだろう。「自分が騙されていると分かった上で受け容れる」なんて、とてもじゃないが一般の女の人なら我慢できないに決まっている。
そう考えるとミオとセレンの繋がりは「異常」なのだろう。
だが、セレンはそれを承知で頷いてくれた。分かった上で何も言わずに首を肯してくれたのだ。
たしかに冷酷すぎる決断なのかも知れないな、という苦笑を残して、ミオは部屋に上がった。
亜月の身体が横向きになる頃には、呼吸や汗は緩やかなものになっていた。ちょうど体温が低下を始める頃だ。
手当てを終えて上から毛布を掛けてやると、セレンが小さな声で呟いた。
「ひどい傷ね。いったいどうしてこんな怪我を?」
「後ろから急にナイフで襲われたんです。そのときに私を庇ってくれて……なんとか応急処置は施したんですが、衛生状態が悪かったから悪化してしまって」
「そうなのね……とくに旧市街地は治安も柄も良くないから、慣れないうちは気を付けたほうがいいわ。でも傷跡はすでに固化してるみたいだし、この分だと明日には動けるようになるかも。みーくんだって頭ぱっくりトマトだったのに、1日で復活したものねえ?」
「セレンの介抱があったからだろうな――っておいぱっくりトマトって何だグロすぎだろ」
ふふ、と微笑する。ミオはそれと対照的に後頭部を掻いた。
……どうもセレンが相手だと調子が狂うんだよな。
開けられた窓からは潮風が入ってきた。
しっかり身体を休ませれば亜月の傷は早目に治るだろう。特務第7班のふたりが無事なことを確認したので、ミオの任務は自動的に終わりを告げたことになる。もちろん帰るまでが任務だけれども、大半の仕事は終わったも同然だ。
回収は7日目を予定しているので、ケープタウンで過ごす時間は今日を除いて2日間も残っている。もしかしたらゆっくり過ごせるかも知れないな――という淡い期待を浮かべると、自然に胸が弾んだ。
美月が立ち上がる。
「あ、あのっ……」
「んん?」
「この度は、助けてくださってありがとうございました。本当に命拾い出来ました」
ぺこりと頭を下げる。黒いツインテールが反動で踊った。
セレンは手をひらひら振り回したのち遠慮がちに笑んで、
「気にしないでいいのよ、それよりも無事で安心したわ。あなたはみーくんのお知り合い?」
「お尻、愛?」顔が真っ赤になる。「いいえ、ぜぜぜ絶対に違いますからっ!」
「そ、そうなの? みーくんってば縁もゆかりものない女の子を助けたのねえ……すごいわ」
「ちょっと待ってくれお前たち何か重大な誤解をしているぞ、ってか何だよ表情が引き攣ってんぞセレン」思わず頭を抱える。
「私はカミナギ・ミツキって言います」ミオの苦悩を無視して美月が続けた。
「私はフレネット・セレンよ。セレンって呼んでくれると嬉しいわ。それより2人ともおなか空いてない? ちょうど何か作ろうかと思ってたんだけど――」
とまで首を傾げて言ったところで、腹の底から低い音が鳴り響いた。
音の源は2人ぶんだ。美月とミオの顔が赤くなる。
セレンは相変わらず困ったような笑みになって、
「ふふ、じゃあフレンチトーストを用意してあげようかしら。ちょっと時間が掛かるから、そのまま待っててね? それと、怪我してるコが目を覚ましたら最初に水を飲ませてあげてね。そうすれば気が楽になると思うから」
ベッドサイドに置いてあるグラスへ水を注ぐ。
役目を終えた救急箱と水の入った瓶を従えて、彼女は下の階へ降りていった。階段の途中で味付けを訊かれたので、美月はシュガー、ミオは蜂蜜を答えると、セレンは満足げな声で返答してくれる。
美月は足音が1階へ降りたのを聞いてから、
「とってもいい人ね……歳は幾つなの? 美人で羨ましいかも」
「24だったか。2年前に大学を首席で卒業して、ここに1人で暮らしてるらしい」
「しゅ、主席っ!? すごいわね……なんでこんな場所に住んでるんだろ。もしかして物好きだったりするのかなぁ」
「かも知れん。天才は変わり者だって良く言われるからな」
「ってか1人暮らし!? も、もしかして――アンタってばヘンなことさせてないでしょうね!?」
「してるわけないだろっ! 俺たちはエベレストくらい健全だ」
「どういう表現か分からないけど――ま、いいわ。とにかく状況整理といきましょ」
引き提げてきたアタッシュケースを引きずり出すと、美月は説明を始めた。
特務第7班に所属しているふたりは、2週間前からケープタウンを訪れていたらしい。数年前に廃棄された生体研究所からデータを引き揚げるのが目的だ。
しかし10日前の夜中、旧市街地で美月が「アイツ」に襲撃され、それを庇った亜月が深傷を負った。幸いにもその場は逃げ仰せたが、通信用の端末を破壊されてしまったため、連絡不能の事態に陥ったとか。それからは見ての通りだ。まともな隠れ家もなく、生体研究所の2階で息を殺したまま過ごしていたらしい。
「――なるほど。で、アイツはいったい何なんだ? ただの人間じゃないことは分かった」
「じゃあ何だと思う? アンタも襲われたんでしょ? だとしたらある程度の推測はついてるハズよね」
「人の姿をしているからな……しかし銃もナイフも効かなかった。まるで鎧みたいなものを着ていたのは確実だが、アレ自体が金属製だとすると――やはり機械か」
「そういうこと。アイツは研究所の地下で試作されていた第0世代AOFなのよ。どうやら遺伝子や生体だけじゃなく、AOFの初期開発を担当してた部門もあったみたいね」
正確に言えば第0世代AOFというのは後付けの名称で、本当はパワードフレームと呼ばれているらしい。少なくとも設計段階ではそう呼称されたという話だった。
人間の兵士が兵装として纏うパワードスーツに対抗して、すべてが金属製と機械で仕立て上げられたのがパワードフレームだ。
「なるほど。たしかにAOFの構想自体はASEEが先行していたからな。だとすればヒナ型があの研究所に置かれていたのは不思議ではないが……なぜ俺たちを襲ったんだろうな。誰だろうと構わず攻撃を仕掛けているんだったら、とっくに街の住人を襲って有名人だったろうに」
「アイツにはどうやら町の住人を守るような命令が組まれてるみたいなの。それがどういった意図かは分からないけれど、アイツは町の住人には絶対に姿を見せないし、襲うようなこともしない。この数日間ずっと尾けてたんだけど、日中は暗いところで停止、夜中になると行動を開始するわ」
ミオは腕を組んだ。
つまり日中は安全だが、夜中は襲われる可能性があるから気を付けろ――ということか。
機械がどういう認識をしているのかは分からないが、もしも住人を襲わないとしているなら、少なくともセレンは安全だろう。だが部外者であるミオ、美月、亜月は危険だ。陽が沈んだあとはなるべく単独行動を避けるべきだし、次はいつ襲われるかも分からない。
しかし気掛かりなことはもう1つあった。
統一連合の連中が、こんな僻地まで出張に来ていたことだ。大変ご苦労様なことだが、敵が近くにいるのはあまり好ましくない。
うん、と頷きとともに察した美月が、無言のままアタッシュケースを手元へ引き寄せる。中から取り出したのは銀色のデジタルカメラだ。小型の四角には黒いシャッター部があり、その裏側には小さな画面がついている。
電源をいれると、まるで息を吹き返したように液晶が灯った。
「これは?」
「一昨日の日中に撮影した写真を見てもらいたいの。旧市街地よりも20キロ向こうにある都市部で撮ったわ」
美月が操作するたび画面は次々と切り替わる。どれも基本的には任務に関連した画像データなんだが――たまにアイスやパフェの写真が混入しているあたり、オモチャとしても活躍しているらしい。
勝手に私物化すんなよとは思ったが、ミオは不思議と憎たらしく思わなかった。なんというか脱力感。
写真を進めていくと、やがて日付が最新のものになった。といっても亜月が怪我をする前日のものだったが、美月はそこでパネルの操作を止める。
「見て」
「? これは――」
映っていたのはビル群の一角だ。
長いアスファルトの道は直線の3車線で、かなり広い。両側を高層ビルにありがちな複合建材の壁で挟まれ、真ん中にはガードレールに仕切られた分離帯が、そして道路脇にあるのは街路樹と歩行者ゾーンがある。当然ながら信号機の姿も見られ、自動車の姿もある。
荒廃した旧市街地や港町とはかなり隔絶した風景だ。
同じケープタウンとは到底思えないが、地域による格差を鑑みれば不思議なことではないだろう。旧市街地と港町は「切り捨てられ」、都市部だけが発展を遂げたのだから。北米の大都市に引けを取らないほどの街並みが写真の中に広がっていた。
(……?)
ミオの焦点は写真の奥へ絞られる。
ちょうどビルの向こうだ。5階もしくは6階あたりの高さから鋭角ばった頭部が見えている。
その材質は鋼鉄。
おそらくAOFなのは間違いないが――と眉尻を立てながら睨んでいると、
「この機体、もしかして<エーラント>か?」
「そう、統一連合の主力量産機ね。バスの中から撮影できたわ。角度は良くないけど」
ふむ……とミオは目を細める。
機体の特徴には見覚えがあった。幾度となく戦い、数え切れぬほど撃破してきた敵の機体だ。簡単に忘れられるはずがない。褪せた砂漠色のカラーリングは、どうやら部隊の個別色なのだろう。
ミオは真面目な口調で、
「やはり等身大サイズから見ると迫力あるな」
「感心してる場合じゃないでしょ。敵なのよ、敵」
「だが、どうしてこんな場所にいる? さっきの兵士たちも、なんであんなタイミングでここに来てるんだ。偶然とは思えんな」
ふん、と美月は不機嫌そうに鼻を鳴らした。最初からそう訊くべきだったんでしょうが――とでも言いたいような感じで、なんだか小馬鹿にされているようだから悔しい。
一息つくと、美月は勿体ぶるように言った。人差し指をピンと立てて、
「統一連合では、いまアフリカ大陸の大規模攻略戦が行われてるのよ。かなり大掛かりな戦力が投入されているらしくてね。ASEEが先日の和平協定を蹴っパクったのを皮切りに、連合が攻勢を掛けつつあるわ。東海岸だとナイロビ、ダルエス、ハラーレ、西海岸はダカーレ、ルアンダとかのASEEが持っていた拠点はとっくに制圧されたらしいわ。もとい中立国には手を下してないみたいだけど、説得すれば連合へなびくのは当然よね」
「……だが、なぜ連合はアフリカ大陸なんかに手を出したんだ。まぁASEEの戦力を叩くならわかるが、制圧する意味が分からん」
「連合の2大基地ってドコにあるか知ってる?」
「ん? なんで急にそんなこと――」
ミオは首を傾いだ。
統一連合の2大基地といえば、その片方は言わずと知れた北米/ラングレー基地だ。昔は空軍基地のあった場所だが、今は街の半個ぶんが基地として活用されており、空陸海にわたって戦力が割かれている。
そしてもう1つは――――北極基地だ。
なかば信じがたいことに、統一連合は氷盤の上に軍の施設を作ったのである。ロシアの北方領域、アラスカ、カナダ北部やノルウェーなどから定期的に資源を調達することによって北極基地は構成され、空中戦を得意とする部隊が置かれている。
北緯68度33分のラインよりも上――つまり北極圏の領域は全て統一連合の敷地だ。
その事実を考慮すれば、
「なるほど――奴らの最終目的は南極か」
「連中は南極に第3の基地を築くつもりなんだと思うの。周囲を陸地で取り囲まれてる北極とは違って、南極にアクセスする方法はオーストラリア経由かアフリカ大陸の端を経由するかの2通りしかないわ」
「此処を足掛かりにして南極を制覇する気だな。だとしたら今は都市部にいる連中が、旧市街地や港部にも侵攻する確率は高い」
「でしょ? だから今すぐ救援を呼びましょうよ」
「残念ながらそうもいかないんだよな……」
「どういうこと?」
ミオは椅子の上に転がっていた携帯端末を美月に投げてやった。
彼女は慌てふためきながらキャッチすると、まじまじと眺めてから電源を長押し――――あれ? と首を横に傾げ、もう一度だけ確かめるように長押しした。
画面は真っ暗なままだった。
「そいつは俺が持ってきた端末なんだが、アイツに襲われたときに壊れてしまって。だから救援は呼べない」
「はぁ!? それじゃあ援軍も呼べないの?」
「回収は明後日1900に港部、崖の下だ。それまでは此処で待機」
あぁ――と美月は思わず脱力し、ヨガのポーズみたいな格好で床に崩れた。ずいぶん器用だなという感想は持っても口にしないでおこう。あの強靭な脚力で吹っ飛ばされるのはゴメンだし。
彼女はぶーぶーふてくされていた(というか小言を垂れていた)が、そんなことを言われたってどうしようもない。「早く帰投して美味しいパフェが食べたかったのに…」とか知らないし、「本ッ当に使えないゴミクズみたいな救援ね…」とか言われると割りと傷付くからやめてくれ。俺だって悪気はなかったんだから。な?
だが、とミオは首から掛かるペンダントへ視線を落とした。
「……」
このアクセサリを砕けば、非常事態を知らせる信号がレゼアへ直通されるはずだ。そうすれば、彼女はそれと同時に最高の救援を送ってくれるだろう。おそらく改修を終えた<オルウェントクランツ>が飛翔し、光よりも疾い速度で駆け付けてくれるハズだ。
(だけど……コレを使って救援を呼べば、俺とセレンは一生ずっと会えなくなる。互いに生きている世界が違うから。訣別せざるを得なくなる)
また元に戻らなくてはいけなくなる。
ミオはASEEの人間。非日常の世界で生きてゆく人殺しの存在。
だけどセレンは違う――彼女は輝かしい日常の中を進んでいく存在だ。その純潔を血の色で汚してはならない。
自分と彼女は進んでいる方向が違う。いわば交点のない "ねじれ" の位置に存在しているのだ。
(でも俺は…もう少しだけセレンと一緒に居たい、よな……)
ウソをついてでも、である。
セレンの前では俺は人殺しなんかじゃない。銃も撃たないし誰も傷つけたりしない。真実を打ち明けるのは全てが終わったあとでいい。
――俺は平気で人を殺してきた。だからセレンとは違う世界に居る。
その事実が明るくなってしまえば、自分と彼女は二度と一緒に居られない。だからこのペンダントを使うのは最後の最後だ。
はぁ、と2人で絶望(?)みたいなことをしていると、下の階からセレンの呼ぶ声が掛かった。
「みーくん、みつきちゃん? フレンチトーストが出来たから降りてらっしゃいなー」
甘い匂いが漂ってくる。
美月は途端に表情を変えると、ダダダッと階段を駆け降りていった。そんなに甘いもの好きだったのか。
ミオは背中に向かって「転ぶなよ」と投げやりな声を掛けたが、たぶん間に合わなかった。
さて……俺も行くか。
立ち上がるとき、ベッドで亜月が小声で呻いたような気がした。
いくら手当てしてもらったとはいえ、やはり完治するまでには時間が掛かりそうだ。
(……)
ふくらはぎを深く切られたのだ。腱や骨に届かなかったのは幸運としても、やはりダメージは大きい。
――仕方ないな。
無言のまま布団を掛け直してやると、ミオも続いて階段を降りた。




