第19話 part-b
ミオがケープタウンに潜入を始めてから4日目。
謎の男に襲撃され、港町に1人で住む女性・セレンによって命を救われたミオは、彼女に対してわだかまりのある感情を抱いていた。
(自分は彼女に嘘をつかなければならない)
潜入任務には7日間という制限があるため、今日を除けばあと3日しか残っていない。その間に、ASEE特務第七班――通称G班のメンバーへ接触しなければならない。
ミオが表通りへ出ると、波打ち際の洞窟あたりで人影が蠢く。
洞窟を進んで行くと奥には教会があった。足音は背後。
「な――、お前はっ……!」
その黒い姿は、ミオがケープタウンに上陸した直後、後頭部をバールで殴って気絶させた男だった。
ヤバい、と全身の神経が告げる。逃げろ、とも叫ぶ。
金属男は鮮血色の絨毯の上を一歩だけ進んだ。互いの距離が詰まる。
ミオは相手に銃口を向けたまま同じ距離を後退した。
唾をゴクリと飲み下す。
(ど……どうする?)
男は一歩ずつゆっくりと近づいてくる。
逃げ道はない。いや、あるのかも知れないが、少なくとも脱出路がどこにあるのかをミオは知らない。せいぜい元来た道を猛ダッシュで逃げるとか、そんなことしか頭に浮かばなかった。
でも――気がかりなことが1つだけある。
初日に気絶させられたとき、ミオは自動拳銃とナイフを失ったのだ。
最初はセレンが没収したのかと疑ったが、おそらく彼女は違うだろう。ずっと知らない様子だったし、それにあの性格なら、シャツの中から銃やナイフが出てきたら貧血でも起こして卒倒していたハズだ。
だとしたらコイツが俺の武器を奪ったっていうのか……?
「答えろ。お前は何者だ」
ミオの声は洞窟内を反響した。
男は答えない。
動くたびに、ギーッ、という機械のような軋み音がするだけだ。
「お前……人間じゃないのか? だとしたら何だ。それ以上近づくと発砲するぞ」
拳銃の口を向ける。男はそれに構わず、また一歩を踏んだ。
ミオは引き金を引く。乾いた銃声とともに放たれた弾丸が男の胸を直撃した――が、返ってきたのは予想外な金属音だ。
「効いてないのか…… くそっ、どうなってやがる……!」
ミオは容赦なく引き金を引いた。2発、3発と立て続けに男の心臓部を狙う。
だが洞窟内に反響するのは全て金属音だ。まるで鋼の壁を撃ったような感触である。
男は歩行をやめない。怯むことなく歩みを続け、とうとうミオを壁際まで追い詰めた。
レインコートの裾からL字の金属工具を引き抜く。長さは30センチ程度だろう――両極が赤と青色に塗り潰されたそれは、久々に見るバールだった。
「おいおい……またかよ。さすがに2度目は御免こうむりたいぞ」
ミオは視線を這わせることで逃げ場を探した。
見た方向は教会の奥だ。壁際にはドアが設置されているが、鍵が掛かっているだろう。あそこまで逃げ仰せても詰みが待っている。
やっぱり元来た道を戻るしか手はないか――と思ったところで、男は工具を振り上げた。
ミオは姿勢を低く、膝を屈することでしゃがむ。
バールの先端、爪のように割れた部分が壁を直撃し、カン高い音が鳴り響いた。石で造られた壁が大きく砕け、工具の振動音が教会じゅうに反響する。
今の隙に――と動き出したミオを男が捉えた。
もう一度バールを振り上げる動作は、少年が思っていたものよりも圧倒的に疾い動きだった。
――え?
少年の思考が停止する。男は今までの動きが手加減だったかのような速度で金属を振り上げる。
ミオは、あの雨の中で気絶させられたのだ。
それからセレンと出会い、まだ真実を打ち明けないまま――彼女に嘘をついたまま――
(――俺は死ぬのか? こんな場所で?)
ウソだろ、と小さく呟く。
工具が振り下ろされる。途端、声は上がった。
「――伏せてッ!!」
次に発生した音は複数だ。
まず1つ目――銃声とともにL字金属が弾かれるカン高い音。
男の動きが一瞬だけ止まった。弾き落とされたバールが吹っ飛び、石床を叩くような快音を立てて転がる。
と、ミオが次に耳にしたのは早いリズムの靴音だ。
音が走り、加速とともに跳躍。飛び上がったのは小柄な体躯。
それは床へ伏せたミオの身体を軽々と越え、レインコートへ足裏の蹴りを浴びせる。
予想外の方向から一撃を喰らった鋼鉄男は、バランスを崩して転倒した。
「なっ……」
「きみ! ついてきて、早く!」
差し伸べられた手を反射的に掴むと、少女はミオの手をぐいと引っ張った。
整えられたセミロングの黒髪はウェーブが掛かったツインテール。愛嬌のある顔立ちが今は苛立ったように歪んでいた。おそらく死に物狂いなのだろう、とは簡単に想像がつく。
吊り目は一瞬だけミオを見たあと、すぐにレインコートの男を睨む。ミオもそれに倣った。
男はゆっくりとした動きで立ち上がろうとしている。今のうちに、という小さな声が呼気とともに聞こえた。
少女はミオの手を引いて起こすと、壁際にある扉へ向かった。体重ごとぶつかるようにしてドアをブチ破り、彼女は軽やかな仕草で奥の部屋に着地。一方のミオは思いっきり床へ投げ出され、小部屋の中で二転三転した。
ミオの身体は壁にぶつかって停止する。
「ぐぁっ、痛てて……」
「何やってんの! それでも特務っ!?」
「特務――って、え?」
「急いで! じゃないとアイツに殺されるわよ!」
少女は怒鳴った。
見れば、もう後ろのドアから男が姿を現している。
フードの隙間からのぞいた目のような部分が――それは隠れていて見えなかったが、2人の姿をしっかりと捉えていた。
少女は素早く体勢を整えて、脇目もふらず部屋のさらに奥へ向かう。ドアを猛烈な勢いで蹴り上げると、
「こっち!」
「――って、おい! どうなってるんだ!」
「分からないなら早くして! このウスノロ!」
「う、ウスノ――このや」ろッ……
とまで言葉が出掛って、途中を高い音が阻んだ。
バールだ。戸口から投げられた工具が、ミオの頭上――男が投げたL字金属が、頭上5センチの位置に突き刺さる。
ミオは小さく息を呑んで素早く立ち上がった。部屋の奥へ猛然とダッシュを踏む。裏の出口から続いていたのは坑道である。
鉄製の扉を抜けると少女は裏側から閂を捻じ込んだ。ドアが1本の直線で固定される。
「ダメだ、こんなんじゃすぐに壊されちゃう。でも時間稼ぎにはなるよね……」
「どうしたんだよ! 特務って!? もしかしてお前が――」
訊こうとした途端、扉は大きな音を立てて歪んだ。
少女がビクッと身をすくめる。早くもバールの2撃目が撃ち込まれた。
鋼鉄の歪曲が大きくなるたび、金属音は引っ掻かれるような音に変わっていく。このままでは閂によるロックも長くは保たないだろう――ドアの向こう側からは殴打が続いた。
響くのは重い音だ。
「とりあえず逃げるよ。事情はあとで話すわ」
扉の向こう側には直線状の坑道が続いていた。




