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黎撃のインフィニティ  作者: いーちゃん
39/95

第17話 part-c

[part-c:ミオ]


 毛布にくるまってから一時間後、少年は再び目を覚ました。

「寒っ……」

 ブルブルと身体を震わせる。

 布団から出ていた肩が冷たくなっていた。慌てて身体を丸め、毛布を被り直してみたものの――それさえも見事に冷えきっていて、余計に体温が奪われていく気がした。

 ……うぅぅ。寒い。

 ミオは小さな声で呻いた。

 日中との温度差が激しすぎるのだ。

 太陽が出ていた頃は真夏みたいな温度だったのに、夜中になると真冬並みの寒さになる。付近に温度変化を和らげる緩衝因子(バッファー)が無いためだろう。普通ならば海の潮流や木々がそういった緩衝の役割を果たすのだが、ここケープタウンにおいては南極で冷やされた海流が非常に強く、昼頃に暖まった水が急速に押し出されてしまう。そのため、夜になると急激に気温が下がる。

 ――水でも飲みに行くか。

 2度目の呻きのあと、ミオは静かに身を起こした。

 なるべく衣擦れ音をさせないよう慎重に立ち上がり、ドアノブへ手を掛けた瞬間だ。

 声はベッドから投げられた。

「みーくん?」

 思わず縮こまって飛び上がる。

 ビックリした――という反応で振り返ると、ベッドで横になった姿勢のままセレンがこちらを見ていた。

「な、何だ……起きてたのか」

「あんまり寝つけなかったの。どこか行く?」

「寒かったから目が覚めてしまってな。ついでに水でも飲みに行こうかと思ったんだけど、やっぱりいいや」

「そう。やっぱり寒いなら場所交代しようか? わたしの方が寒いのには慣れてるもの」

 いや、いいよ――と首を横に振ってミオは断った。

 居候になっているのは自分の方だ。これ以上の迷惑を掛けるわけにはいかないし、もしも彼女が風邪を引いてしまったら取りつく島もない。

 再び毛布に包まれようとすると、セレンはベッドの中でモゾモゾと動き始める。シーツの端っこまで身を寄せると彼女は身体の向きを変え、ほら、と掛け布団を摘まみ上げてみせた。

「隣に入っても大丈夫だから。おいで、みーくん」

 は――? と少年は唖然として行動を失う。

 ようやくその意味を解したミオは顔を真っ赤にしながら、

「ちょ、ちょっと待てくれ……それは色々とヤバいだろ! だ、だって俺たち……」

「そんなこと分かってるわ。だけど寒いでしょ?」

「それはそうなんだけど――でも流石にこれはマズい気が」

「んもぅ。お姉さん2で割り切れない男の子は嫌いよ?」

 ぐぃっ、と腕を強引に引っ張られる。

 反抗する間もなく、ミオの身体は掛け布団の下に引き込まれた。

 顔を真っ赤にした少年は細身を強張らせつつ、隣で横になるセレンと背中合わせの向きで並ぶ。

 彼女は軽く笑うと、

「みーくん、こっち向いてくれるかなー」

「……」

「いいともー、なんてね。ふふっ」

 からかうような口調で、彼女は少年の肩へ腕を伸ばした。

 ミオの身体はまるで熱いものに触れたように跳ね、やがて真っ赤になった表情が俯き加減にセレンを向く。

 彼女は口元で笑み、

「みーくんったらウブで可愛い。目が潤んでる」

「からかうなよ……ってか、その『みーくん』って呼び方」

「やめて欲しいのね、みーくん?」

 ミオは不機嫌そうな仕草で前髪を掻いたが、その表情はまだ真っ赤だった。

 沈黙。

 喋るのを止めると、部屋は相変わらずの静寂だった。

 深い青と黒を足して半分にしたような闇色の中に、壁掛け時計の音だけが正しい間隔を刻んでゆく。窓の外から射し込んでくる光は、しかし変わらず冷たい銀の色。

 お姉ちゃんっぽい匂いだな、とミオは感じた。

 シャンプーの芳香が鼻孔をくすぐってくる。優しく包み込んでくれるような、近くにいると安心して居られるような柔らかい匂い。すぅ、と息を吸って肺に息を送り込むと、そのままコテンと眠ってしまいそうになる。

「みーくんは、どうしてこんな場所に来たのかしら」

 セレンは唐突に問うた。

「え…?」

「此処には何も無いわ。何も無いの。そんな場所に、どうしてみーくんは来たのかなって。そしていつになったら居なくなっちゃうのかなって思ったの。起きたら隣からみーくんの姿が無くなっていたりして。もしかしたら最初から全部が長い夢で、起きたらいつも通り1人の生活が待っているのかな」

「……」

「――なんてね。思ってたら寝れなくなってしまったの」

 ぽつり、と呟くような声でセレンは言った。

 ミオは思わず視線を逸らした。

 否、逸らさずにはいられなかった。

 漠然と思う。セレンはまだ知らないのだ。


 ――昨夜は誰に襲われて、

 ――どうして自分は此処に居るのか、

 ――そして自分は何者なのか、

 ――いつになったら去ってしまうのか、


 訊きたいことは山ほどあっただろう。たしかに彼女は少しだけ『抜けてる』部分もあるけれど、セレンは敢えて問い詰めることもなく、強く問い質すこともなく、ただ普通に接してくれたのである。それはミオにとってはとてもありがたいことだった。

 だけど、だからこそ心が痛くなる。

 こんなにも優しく接してくれる彼女に対し、自分は嘘をつくことでしか報いきれないことに苛立ちを覚える。

「お、俺は……」

 ミオは迷った。

 選択肢は2つだ。

 ひとつは、嘘をついてしばらく此処に居続けること。

 ふたつは、真実を伝えて今すぐにでも立ち去ること。

 きっと、自分たちが住んでいる世界は違う物なのだから。平和と日常の中で生きているセレンと、非日常と戦争の中で生きているミオでは油と水の関係だろう。どれだけ努力しても、きっと一緒になることはない。

 時計の音が経過を刻んでいく。ぴったり10秒の沈黙が流れたあと、セレンは溜め息のような口調で言った。

「もしも言いにくいことなら、今すぐじゃなくても平気なのよ? みーくんが嫌な気持ちになるのは、わたしだってつらいもの」

 おっとりした笑み。思わず姉と誤解しそうになる。

 再び胸がチクリと痛んだ。痛覚の正体は分からない。それなのにどうしようもない痛みだけが針のように残っている。

 だけど――と続きの言葉は逆接を含んだあと、

「此処を出ていくときは必ず前もって教えてね。突然いなくなることだけは、絶対にやめて欲しいの。いい?」

「あぁ、わかったよ。約束する」

「なら安心したわ。じゃあ、指きりね」

 差し出された小指に右手の小指を絡めてやると、彼女は安堵のような、満足感のような笑みをもって応えた。

 ――途端。

 ぎゅ、と右の手が温かい肌に包まれる。それは手だ。

 おやすみ、と小さな声で呟くと彼女は静かに瞳を閉じた。

 ミオは苦笑しつつ掛布団の中に顔の半分をうずめ、やがて温かい重力に引かれていった。

 やわらかく握られた右手を、セレンは朝まで離してくれそうになかった。


 喜望峰・ケープタウンに潜入したミオは、ゴーストタウンに1人で暮らす女性、セレンに保護され、のんびりとした時間を過ごしていた。

 いつまでもこの時間を味わいたいと思うミオ。だがそんなことは許されないのだ――少なくとも自分には。

 ベッドに潜ったのち、セレンはミオに言う。

「此処を出ていくときは必ず前もって教えてね。突然いなくなることだけは、絶対にやめて欲しいの。いい?」

 逡巡するミオ。

 自分を助けてくれた女性をだまし続けて此処に留まることは、果たして正しいことなのだろうか――?

 迷った挙句、ミオは言葉を返す。

「あぁ、わかったよ。約束する」

 

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