第16話 part-c
「そういえば、みーくんが持ってた物が下の階に置いてあるわ。ちょっと物珍しかったから勝手に眺めてたの。ごめんなさいね」
セレンの発言に、ミオは思わず動揺する。その原因は自動拳銃とナイフだ。
(まさか、見られたのか…?)
危惧するミオに対し、セレンは言葉を続ける。
「あまりに綺麗だったから勝手に借りて眺めてたのよ、あのペンダント。青いガラス細工のやつ」
どうやらミオを殴った男は、ミオを気絶させたあと自動拳銃やナイフ等を奪っていったようだ。
失態に表情を陰らせると、セレンは昨日の夜の話をした。
「怖かったか」
冷静を装ったミオは静かな言葉を放った。
「……うん。でも、女の人って血を見るのは割と慣れてるから」
「そうなのか?」
ミオが疑問顔をすると、セレンは気まずそうな表情で「え? あー」と視線を逸らした。なにが言いたかったのか分からず、ミオは不思議そうに首を傾ぐ。
と、何の前触れもなく腹が鳴った。
ぐぅぅ、としぼむような音がして、セレンがクスクスと笑う。
「わ、笑うなよ……」ミオは頬を赤に染めながら言った。
「おなかの音が可愛くて笑っちゃったのよ。何も食べてないだろうし仕方ないわ。何か作るけど希望はある?」
「いや、食べられればなんでもいい」
「分かったわ。ベッド自由に使ってていいから、みーくんはゆっくり休んでてね」
セレンはトレーを携えて下の階へ降りて行った。また取り残される。
バルコニーから外を眺めると、太陽は既にオレンジ色が掛かっていた。
夕焼けである。
腕時計のデジタル表示を見ると、時刻は夕方の4時を半分ほど過ぎていた。もうこんな時間か、と思ってベッドサイドにある端末を掴み、ミオは試しに電源をいれてみた。が、反応は無い。どうやら完全に壊れてしまったようだ。
(困ったな。これじゃレゼアに連絡も取れない)
絶体絶命か、と焦りが脳の裏側を疾走した。
かといって今からアタッシュケースを取りに行くわけにもいかないだろう。林道まで歩けば結構な時間が掛かるはずだし、この状態では走るわけにもいかない。頭に衝撃があると傷口がズキズキ痛むのだ。
それにセレンから「中身は何?」なんてことが訊かれたら、立場が悪化してしまう。
それよりも――と腕を組む。
胸ポケットに入っていた自動拳銃とナイフが消えたのはなぜだ? やはりレインコートの男が奪っていったのか? そう考えるのが最も妥当なのだろう。だがアイツは一体何者で、何が目的でミオを襲ったのかが分からない。見当もつかない。
(くそっ、状況が分からん……)
頭を掻きむしって思考をストップ。
ミオは立ち上がり、ゆっくりとした歩調で部屋を出た。木戸を閉めると短い廊下があり、階段は左手だ。
この家は全てが木で出来ているらしい――壁も階段も、そして天井さえも木の材質から成っている。そのせいか独特の温かみがあり、不思議と気分を落ち着かせてくれるのだ。
途中でL字に折れた階段を降りると、セレンは小さなキッチンで作業していた。香ばしい匂いが漂ってくる。
鼻歌混じりの様子は上機嫌の証だろうか――と思いながら見ていると、彼女はミオの姿を見つけて驚いた表情。
が、それもすぐに穏やかな笑顔になる。
「みーくん動いても大丈夫なの? 傷痕が痛まない?」
「ちょっとだけなら平気だよ、ありがとう。寝てるだけだと身体が重い気がして」
下の階はこうなってたのか――と、ミオは部屋を見回した。
1階はキッチンとダイニングが一体となったスペースで、戸によってセパレートされた部屋は奥に1つだけ。おそらく手洗い場があるのだろう。
ダイニングにはテーブルが置いてあったが椅子はひとつしかなく、食事のときは不便になりそうだと思った。ガスのランタンが天井から吊るされていて、蛍光灯や白熱灯の姿は無い。
壁際にはまた本棚が立っていた。
今度は大きなサイズの棚で、両開きのガラス戸の中には数百冊の本が収納されている。
「ほう……セレンは読書家なんだな」ミオは思わず嘆息した。
「ええ。時間のあるときはずっと本を読んで過ごしてるわ」
「そんなに本ばっかり読んでて、頭が痛くならないか俺には不思議だよ」
ふふ、と彼女は笑った。
器用にフライパンを返す。ジュージューと音を立てている黄色の塊はスクランブルエッグだ。
胡椒の匂いを嗅ぐと、空腹感が増長する。
おなか空いたな――と思いながら部屋を歩きまわり、ミオは入り口の戸前に立った。セキュリティとは無縁の扉は換気のために開放されており、道路を挟んだ向こうにはオレンジ色を煌めかせた海が見える。
セレンがキッチンから声を投げた。
「みーくん、もしかして外に出たい?」
「その『みーくん』って呼び方、少し恥ずかしいからやめてくれ」
「じゃあ何て呼べばいいのかしら、みーくん? ふふっ」
……どうやらその呼び名がお気に召したようだ。
ムッと唇を尖らせるミオとは対照的に、セレンは口元を隠して笑う。
少年はちょっとふくれた表情で、
「さっき眺めたら外の景色が綺麗だったし、少しだけ見てみたいと思ったんだ」
「だったらわたしも行くわ。でも遠くまでは駄目よ? 本来なら安静にしているべきなんだから」
「分かってるよ。すぐそこだから」
料理を皿に移し、フライパンを水に沈めたセレンがパタパタと駆け寄ってくる。彼女は途中でガスランタンに点火するのを忘れない。
ん? と彼女の行動を疑問したミオへ軽く笑いかけると、彼女は玄関口へ。
家の外に出ると、オレンジ色の光が2人を包み込んだ。
は、と思わず息を呑む光景だ。
光の源は太陽。円はちょうど水平線の上に置かれたようになっており、その姿はほんの10分もあれば消えてしまう。
「いい眺めでしょ?」
「……そうだな。こんな綺麗な景色、見たことない」
「ちょっと海岸まで行きましょうか。ね?」
満面の笑顔で言われ、ミオはおもわずたじろぐ。
数コンマ秒してからガクガク頷くと、彼女は再びにこやかな笑みを向けてくれた。
ゆっくりとした速度で歩きはじめる。ミオの隣にセレンが付き、転ばないようにと手をとってくれた。
単車線の道路を横切ると、左右の二手に分かれた階段がある。そこを降りれば砂浜だ。
段差の脇には木で出来た柵がたる。胸くらいの高さしかなく、それは肘を置くことでちょうど良い高さになる。
セレンが柵の前に立って夕焼けを眺め、ミオがその隣に肘を立てた。
夕陽はじわじわと水平線へ呑まれてゆく。
「この町――ね、昔は人が多かったんだ。いっぱい住んでる人が居たの。みんな顏馴染みで仲が良くて、楽しかったわ。わたしが子供の頃の話だけれど」
セレンは感傷的とも思える口調で切り出した。
太陽は一定速度をもって沈み続ける。
風が吹くと、セレンのブロンドヘアは膨れ上がった。
横に立っているだけで良い匂いが鼻孔をくすぐる。
だけどミオが見た彼女の横顔は――どこか寂しそうにも見えた。
「ほんの数年前まで、ここには100人くらいの人が住んでた。その前はもっと多くの人が居たわ。でも人口の減少に歯止めが利かなくなって、送電対象地区から外されたの」
「電気が送られてこないってことか」
「町に住んでいた人の大半が、旧市街地ではなく都市部へ移住したわ。向こうには仕事もあるし、経済的にも困らないから。この町から人は居なくなったの」
あぁ――と、彼女が部屋を出るときにガスランタンを点けていた理由が分かった。
暗くなってしまったら、この町からは明かりが完全に消えるのだ。
そういえば昨日も町が真っ暗だったなと思い返して、ミオは言葉を継いだ。
「セレンはどうして残ったんだ? 誰もいないこんな場所、去った方が良かったんじゃないか」
「わたしも移住しようか迷ったわ。だけど誰も居なくなったら、この町が寂しがるんじゃないかって思ったの。だから1人だけ残ったわ。みんなには変人扱いされちゃったけどね」
「人口が1人だけの町か。後悔してるんじゃないか?」
彼女は首を横に振ったが、表情はまだ寂しそうな痛みを抱えている。
切なげなシルエットを見るたびに、ミオの胸はきゅ、と痛んだ。
凍った針の尖端で突つかれたような感覚である。
「あんまり後悔はしてないわ。読書に耽っているのは楽しいし、気付けば1日が終わってることもあるからね。でも、たまに思うの。『自分はこのまま誰にも気づかれずに、孤独のまま滅んでいくんじゃないか』って。それは少しだけ怖かったかな」
「……」
港町の人口はセレンを除けばゼロだ。
彼女が倒れてしまったらセレンを助けてくれる人間など1人も居ない。
自分で選択したことだ、と切り捨てるのは容易いだろう。自己責任という四字熟語は便利だ。
しかし――とまで考えて、
「やっぱり君も都市部へ行けば良かったんじゃないか。なんか下手くそな生き方してそうに見える」
「そう? でも、都市部へ行っても同じ結果だったと思うわ。わたしには頼れる人もいないし、昔の知り合いは皆どこかへ行ってしまったもの。もちろん仕事の仲間はいたけどね、やっぱり自分の内側まで踏み込んでくれる人は居なくて。在るのは外面と体裁だけ。あのとき一緒に移住していれば――って、ちょっと心残りかな」
ミオは沈黙した。なんだよ、と思う。
人口が1人だけの寂しい町。
世界に1人きりの寂しい町。
たかだかミオと変わらぬ年齢の人間がこんな場所で世間と切り離され、隠遁生活を送っているなんて、考えてみれば普通のことではない。世の中との繋がりとか縁を切っているなど、こんなに若い人間がやるべきことじゃない。
「でも、もちろん後悔してない部分もあるわ」
「……?」
「だって、こうしてみーくんにまた会うことが出来たんだもの。後悔するわけないわ」
「また……?」
「ん? 何か言い間違えちゃったかしら」
首を傾いで少年の黒い瞳を見つめる。
太陽が沈んだ。まるで電気の明かりを消したように周囲が暗闇に呑まれ、木々が風に吹かれてざわめき始める。
夜が一気に光を押し出したのだ。
明るさが消えゆく寸前、ミオは彼女の笑顔に茫然と見とれていた。
綺麗だな――と思った瞬間、その表情は黒に飲み込まれる。視界が死に、目が慣れるまで何も見えなくなった。
「さて、日も沈んだし晩ごはんにしましょうか。おなか空いたでしょ?」
「あ、あぁ――そうだな。せっかく作ってもらったのに置き去りにして申し訳ない」
「いいのよ、気にしなくて」
ふふ、と軽い微笑とともにセレンは少年の腕をぐいと掴んだ。
暗い道を1歩ずつ確かめるように歩いていく。
真っ暗な闇の先には、玄関口にあるランタンの火が小さく灯っていた。
どこかで見たことある光景だろうか、とミオはぼんやりと思った。
怪我をしたミオを気遣って、スクランブルエッグを焼いてくれたセレン。
目の前の状況に戸惑いながらも、現実に馴染みつつあるミオ。自分のことを優しい口調で「みーくん」と呼ぶ彼女に面喰う。
「さっき眺めたら外の景色が綺麗だったし、少しだけ見てみたいと思ったんだ」
「だったらわたしも行くわ。でも遠くまでは駄目よ? 本来なら安静にしているべきなんだから」
砂浜に出た2人は、夕焼けのオレンジに包まれる。
この町――かつて人が住んでいたはずの町は、だれもいなくなって滅びた。電気さえ送られてこなくなったこの町で、世界地図の隅っこに描かれる街で、セレンだけを残して。
「だって、こうしてみーくんにまた会うことが出来たんだもの。後悔するわけないわ」
「また……?」
セレンの意味深な言葉とともに陽が暮れた。
「さて、日も沈んだし晩ごはんにしましょうか。おなか空いたでしょ?」




