第15話 Prologue 喜望峰編
[part-A]プロローグ
夜の砂浜は格別に静かだった。
水平線の見える波打ち際を、ひとりの少女が歩いている。
背は高い。少女というよりも「女性」といった方が適切だろう――右手にしているのは細身の靴で、真ん中で繋いだ2足の紐、その中間を摘まむように携えている。
真昼なら白く見えるはずの砂を踏むと、足跡はすぐさま波に掻き消されていった。細かい砂が素足に付くが、彼女はそれを気に留めない。いちいち払い落としていたらキリがないし、それに足裏のザラザラした感触はどこか特別な気持ちよさを感じることが出来るからだ。
海へ目を向ければ、青白い色をした月がふたつある。
片方は空に在るもの、そしてもう1つは水面に映るものだった。
反対側へ目を向ければ、そこには建物の群れがある。規模は大きくなく、田舎の港町といった趣があった。
寂しげな市街地である。足りないのは光だ。
その街には灯りが1つもなかった。街灯を含め、住宅の窓から漏れるはずの光明は欠片もない。
音さえ起こらぬ無人の街。
足の裏に砂の感覚を憶えながら歩みを進めると、くるぶしの高さを波が洗い流してくれる。
瞼を閉じると、定期的に打ち寄せる波の音は自然が生み出すBGMとなった。金色のブロンドヘアが風になびく。
す、と彼女は胸いっぱいに息を吸い込んだ。
頭上には白銀の真円がある。寒そうなほど蒼白いそれは黒の中へ漂うように浮かんでいる。
満月だ。
彼女は真っ暗闇に浮かぶ白磁を見上げた。
「いつも、お月さまと一緒に居るんだね――」
優しい歌のような声の響きは、しかし波の音に洗われた。
雲の切れ間にはもう1つの姿がある。
純白色の機影だ。近くで見れば人型をしているはずのそれは、ここからだと距離が遠すぎて星の1つにしか見えない。
しかし、鋼鉄の人型は光の尾をもっている。
それはまるで流れ星のような軌跡で、月の周りをゆっくりと飛翔していた――。
もはや無人街となった港町に、ただ1人だけ居を構える女性がいた。
南アフリカの最南端、ケープタウン。月を見上げる彼女の名はセレン。
舞台は喜望峰へと移る。
それでは『マイナスゼロのある世界』から分化した世界を、お楽しみに。




