第14話 Epilogue:part-c
ASEEに奪取された新型機<オルウェントクランツ>を倒したレナ。
しかし歓喜の思いが湧き上がることはなく、眠れない夜を過ごしていた。
[part-C]レナ
その晩、レナは眠りにつくことが出来なかった。
ベッドに入ってからも目がギンギンに冴えてしまい、1時間経っても、さらに30分が経っても深い眠りに落ちなかったのだ。
時刻は深夜の2時を過ぎた頃。艦内には当直のメンバーしか起きていないだろう。
先刻までヒソヒソ声が聞こえていた隣の部屋は、今はもう無音だった。たしか仲の良い3人組が生活している大部屋で、たまにレナもお邪魔する機会があったのだ。一緒に食事したり、ちょっと艦内を散歩したり、とか。その程度の付き合いだったが、ときどき「羨ましい」とも感じてしまう。
レナは起き上がると、スリッパをつっかけたまま廊下へ出る。
喉が渇いた。部屋に置いてある飲み物は、先ほど空っぽになったジンジャエールで最後だった。
たしか居住区を抜けた近くには自動販売機のコーナーがあったハズ。
「誰もいないよね……」
部屋を出ると左右を確認。
廊下の蛍光灯はすでに消されていて、まるでホラー映画に出てくるような深夜の病棟を思い浮かばせた。
非常用の緑色をしたランプだけが10メートル間隔で並んでいて、なおさら気味が悪く感じられる。
ゴクリ、と喉を鳴らす。もしもホラー映画だったら、夜中に1人で出歩いているような登場人物が真っ先に殺されるハズで、それはまさに今の自分だった。
気づいたときには白くてヤバい奴が後ろに立っていて――とまで想像したところで、レナはバッと後ろを振り返る。
胸を撫で下ろした。運の良いことに「白くてヤバい奴」は背後には居なかった。
安堵して、レナは部屋の入り口脇に引っ掛かっていた非常用ライトを掴む。壁から引き抜くと電池が繋がる仕組みになっていて、その先端からは強めの光が射した。
「よし。自販機まで行くわよ」
ペン型のライトに向かって話しかけた。もちろん返答なし。
そろり、そろり――と音を立てないように歩いていき、女子用居住区の扉まで辿り着いた。鉄の格子で出来た扉はロックが掛けられており、外側からは壁に設置されたカードスキャナーに専用の鍵を通さなければ開かないようになっている。
手元にカードキーがあるのを確認すると、レナは静かに内鍵を開けた。
カチャン、と音がなっただけで汗が噴きだしそうになる。
扉を閉めて、女子専用の居住区から一歩を踏み出した。
数メートル歩いたところで廊下に走ったのは――何かが勢いよく潰れる金属音。
「ひっ!?」
反射的に縮こまってジャンプ、とは我ながら器用だと思う。
慌てて後ろを振り返るが、そこには何も居なかった。真っ暗な闇の向こうには、緑色の光が照っているだけである。
レナは「あわ……あわ……」と震えながら廊下を見渡した。こう見えてもホラーは苦手中の苦手で、自ら積極的に体験しようとは思わなかった。たまに同僚のフェルミが愉快気に楽しんでいた気もするが――――あれは自分の反応を面白がっていただけではないだろうか。
カン高い音はもう一度だけ響いた。
(こうなったら――)
行くしかない、と腹を括って歩を進める。
廊下をしばらく行くと――直線状の廊下を凸の字に膨らんだ場所があった。天井には「休憩所」という小さな看板がぶら下がっており、3人掛けのソファが4つ並んでいる。
よく寝る前の時間に女子たちが談笑している場所だ。夜中の時間帯でも蛍光灯は明るく、自販機にも「いらっしゃいませ!冷たいお飲み物はいかがですか?」の文字がぐるぐる回っている。
そこには先客が居た。
「イアル……?」
廊下の端から呼び掛けると、先客はピクリと動きを止め、咄嗟に左手へ何かを隠した――ように見えたが、おそらく気のせいだろう。
レナが歩み寄っていくと、白短髪の少年は振り返って言う。
「おっす。こんな時間に何やってんだ」
「ちょっと寝つけなくてね。ジュース買いに来たの。イアルは?」
「俺か? まぁ……ちょっくら考え事してたら寝れなくなった」
「どーせエロいことでも考えてたんじゃないのー? クスクス」レナがいたずらっぽく笑う。
イアルは「おいテメーまだ昼間のこと根に持ってんのか」とかぶつぶつ言いながら苦笑して、手元の缶ビールを飲み干した。
対するレナはポケットから硬貨を取り出して数え、自販機の投入口へ。ジンジャエールの缶がバタンゴトンと落ちてきて、ルーレットが回り始める。画面に出たのは「アタリ」の3文字。軽快な効果音とともに、もう1本だけ缶がバタンゴトンと落ちてきた。
「お。あたしってばラッキーじゃない? 2本ゲットしちゃった」
「その自販機、98パーの確率で当たるぞ。マジで」
「ウチの利益構造はどうなってんのよ……」
「なんでも『労働者への還元』が目的らしくてな。ちょっくら試してみるか」
ソファから立ち上がり、イアルは硬貨を取り出して投入。落ちてきたのは缶ビールだ。ルーレットが回り始める。
自販機は『ざんねん!ざんねん!』とか言いながらハズレの文字。(余談だが、このあとレナが試したところ2回連続でアタリが出た)
「……アンタってよっぽどクジ運ないのね」
「いいんだよ、オレは必要なところで運を使う男だ」
「ってか、アンタお酒飲めるの?」
んあ? とイアルは飲料取り出し口へ手を突っ込み、何本目かになるかは分からない缶ビールをあけた。カシュ、と小気味の良い快音。
「そりゃ飲めるぞ。ちなみにフィエリアも飲める」
「も、もしかしてアンタ達ってあたしより年上でいらっしゃるんです……?」
「前半タメ口で後半敬語だけどいいのかそれ」
イアルはもう一度だけ苦笑してビールを煽った。
それを見たレナは「うえー」と表情をしかめる。
昔、何だったかの祝賀会で飲まされた記憶があったなー、とレナは思い返した。たしかジンジャエールと間違えて飲んでしまい、酔っぱらった上官にそれはもうグイグイ飲まされて、たぶん一生飲まないなあのクソ黄金炭酸水、と心に決めた思い出がある。
「……それ美味しいの?」
「マズい」
「じゃあ何で飲んでんだアンタはー! ってか、フィエリアもお酒飲めるんだね。知らなかったというか意外」
「でもアイツめちゃくちゃ弱いぞ。さっきまで一緒に呑んでたんだが、トイレ行ってくる、とか言ったあと長らく戻ってこない。たぶん便器にアタマ突っ込んで寝てんじゃねえか?」
「女性に向かってなんて酷いこと言ってんの……」
「いや、でも過去にあったんだぜ。半年前くらいにな。今日みたく一緒に酒飲んでたら戻って来なくて、そんで女子トイレまで確認しに行ったらスゲーことになってた。新手のオブジェみたいだった」
「オーケイ、まずアンタが女子トイレに踏み入った事実から積極的にツッコミいれたいわ」
ふたりは同時に苦笑。辺りは静寂で、聞こえるのは冷却機が出す唸り音だけ。レナは缶ジュースのプルタブを開けて快音を聴くと、2口、3口と飲み下した。
その様子を見ていたイアルが、
「いい飲みっぷりじゃねえか。ついでにアルコールも試して痛――――ッ!!」
「あたしはお酒なんか一生を通じて飲みませんから」
「いま何やった!? 今の動き光速すぎて見えなかったんだが後頭部がメチャクチャ痛いのはなんでだろうなぁ!?」
フン、と顔を背けて朱唇にしたのはジンジャエールだ。やっぱり美味しい。
イアルは頭の後ろを掻きながら、
「まぁ……寝つけないモンどうし語り明かす夜としようぜ」
「いいわね。何の話?」
「先ずは下ネタからいこうと思うんだ」
握り拳が顔面にめり込んだ。
腫れ上がった顔で「ごめん、ごめんな……今の確実に本気だったよな…ごめんな……」とか言いながら、イアルはソファの上でジャンピング土下座。ホントに反省してんのかコイツ、と思いながらレナはジト目で少年を睨んだ。
ひととおり反省タイムを終えてから、
「で。昼間に聞けなかったこと、ちょっくら聞いてもいいか」
「どうしちゃったのよ急に真面目になって。もしかして頭でも打った? 大丈夫?」
「大丈夫じゃねーけど? ってか昼間に大海原に投げ飛ばされたが良く生きてたなオレ……あのとき海の下のほうで黒い物体が動き回っててな。それが背ビレを見せたときに船上からロープを投げてもらえなかったら今頃オレは奴の胃の中で消化されてた」
とかいう与太話は置いといて――と、イアルはビールをぐいと煽って、正面からレナを見据えた。
「今日ずっと考え込んでただろ。最後うやむやになっちまったが、結局どうなんだ?」
レナは視線を落とした。
ナイロビ市街地での戦闘を終えてからずっと考えていたことだ。
最強と言われる機体<オルウェントクランツ>を追い詰めたというのに、自分が満足していない理由を。
賞を受け、色々な人から認められるようになったのにちっとも嬉しくなれない理由を。
きゅ、とソファの上で身体を丸めて小さくする。
両手で握った缶が歪み、軽快な音を立てた。
「あたしさ――どうしてもアイツが憎くて、今までずっと戦ってきたんだよね」
「<オルウェントクランツ>の操縦主か。レナはどうしてそいつが嫌いなんだ?」
「アイツは容赦しないもの。命令さえあれば、味方にだって簡単に手を掛ける奴なの。それに、アイツのせいでボロボロになった人とか、傷ついた人がいっぱい居るから。だからあたしはアイツを討ちたい」
でも――とレナは口を噤んだ。
それが分からなくなったのだ。
戦闘後、目が覚めて霧がかった意識の中で、レナは漠然と思ったのである。
アイツを討ったあと、自分は何と戦えばよいのか――と。
もしかしたら、自分は戦う必要なんて無くなってしまうのではないか――と。
統一連合の戦力はASEEと比べて圧倒的だ。<エーラント>は単体の強さでもASEEの<ヴィーア>に勝り、その数も統一連合の方が多い。そうすれば、<アクトラントクランツ>が前線に出る必要は無くなってしまうだろう。
戦う必要がないというのは良い響きなのかも知れない。
だが、幼少の頃にテロで両親を失い、それから身寄りもなく過ごしてきたレナは何処へ行けばいいのだろう。
もしも戦争が終わって統一連合から抜けてしまえば、自分の居場所はどこにもない。
「気づいちゃったんだ。あたしの居場所は統一連合にしか無いんだって。戦うことが出来なくなったら、あたしは必要なくなるんだって」
「レナ……」
「家族も誰も居なくて、戦うことしか能が無いバカ女なんてきっと必要無いんだわ。昔、アイツに言われたことがあるんだ。『俺たちは戦って戦って、そして全部が終わったら用済みなんだ』――って」
その続きはこうだ。
――誰も、自らを犠牲にしてまで戦った連中のことなんて知らないさ。地面へ埋めた瓦礫の上に新しい世界を築いて、汚い部分を隠して、きっと笑うんだ。それなのに……。
あの瞬間からレナは惹かれていたのだ。
あの寂しそうな、そして悔しそうな敵パイロットの少年に。
憎い。だけど心の奥底では惹かれている――そういう敵なのだ。
「……で。今回レナは、そいつを討ったワケだ」
「ううん。コアの部分には直撃しなかった。たぶんアイツとはまた戦うことになると思うわ」
「そうか」
消沈。
互いにAOFに乗っている限り、敵の姿は見ることができない。コクピットブロックが剥がれれば相手の顔が見える可能性はあるが――残念ながらその状態では、パイロットは高い確率で死んでいるだろう。
コアの部分さえ無事ならば、アーマード・フレームという人型機動兵器は何度でも甦ることが可能だ。改修や修理、整備を終えれば、また戦闘になる可能性は充分に残っている。
イアルはキッカリ3秒間の沈黙を経て、低い声で言った。
「レナは……どうして軍に入ろうと思ったんだ?」
「え?」
「此処に居るヤツは、きっと何かしらの理由があって戦うことを選んでる。というか選んだんだ。お前は?」
「あ、あたしは…みんなを守りたいと思って……」
「それは違う気がするぜ」
ピシャリ、と平手打ちのような声がレナを打った。
これまでのどんな視線より真っ直ぐに、そして強く、イアルは瞳を見据えてくる。
まるで睨みつけるように強い目だった。
「軍に入ろうと思ったときから『みんなを守りたい』なんて、それは正しい理由じゃない。後付けの理由、つまり言い訳と同じだ。おまえが軍に入ったとき、誰かを守れるほどの力を持ってたのか?」
それは――と回答が遅れる。
イアルは迅速に、しかし次の言葉で確実に斬りつける。
「要は力が欲しかったんだろ。誰かを守るっていうのは大義名分で、本当のところは自分の無力さが悔しかったんじゃねーのか」
認めざるを得ない。
静かに俯いたまま、レナはアルミ製の缶を両手で抱えた。まるで縋るようにして。
ぎゅ、と両手に圧を込めると、缶はおもしろいほど簡単な力で歪んでくれる。
レナは力が欲しかった。きっと他の誰よりも圧倒的な力が欲しかった。
だからレナはひたすら努力して、耐えて、士官学校も主席で卒業し、そして「連合二強」とも呼ばれるほどのエースパイロットへ成長を遂げた。
もう誰にも自分の邪魔をさせないために。
ただ無我夢中に力を追い求めた。
――しかし。力を振るう機会がなくなれば、最早その力は意味を為さなくなる。
だとしたら自分はどうすればいいんだろう。
涙が溢れ出てきそうになった。
それを見たイアルが「おいおい泣くなよ」と髪の毛をわしゃわしゃしてくると、なおのこと泣き出しそうになる。
「戦う理由が見つからないなら、その理由を見つけるために戦えばいいだろ。じゃあ最後の最後に、オレが戦ってる理由ってのをとっておきに教えてやるよ。いいか? 1回しか言わねーから耳の穴かっぽじって良く聞きやがれ」
いつもの調子で言うと、彼は立ち上がり――ビールの缶を高く掲げてみせた。
「――カネだ」
「は?」
唖然とする。
まさか冗談で言っているのか――と思ったのも束の間。イアルは真顔だった。
「まず、統一連合の給与は悪くねえ。それに、何かしらの賞を取ればそれだけで大金が支給されるしメシ代は大して掛からない」
「……それ本気で言ってんの?」
自分に対して高みから説いていた人間が――まさか。
レナは続ける。
「まさかアンタ、お金なんかのために命を賭けてるワケ?」
「おいおいお金なんかに、とか言うなよ。お金ってのは重要だぜ? まず、持ってても腐らない」
「当たり前でしょーが……」
「次に、持っていて損することはない!」
「まあ正しいけど……」
「その次は――――思いつかなかった!!」
大きく右腕を振りかぶって、イアルは空き缶を投げた。
軽くなったアルミ缶はカコン、という音を立ててゴミ箱にシュート。「イェース!! さっすが百発百中のイアル様ー! メジャーリーガーも夢じゃねえぜー! ヒャッハー!!」とソファの上でバウンドしながら騒ぎまくるイアルを蹴っ飛ばして、レナは「静かにしろ」と小声で罵声した。
床でスライディングしたイアルは腰のあたりを押さえつつ、
「ま、戦う理由なんて人によって色々あるからな。あんまり深く考えすぎないこった。じゃあ俺は寝るから。それと」
最後に振り返る。レナの来ている薄手のパジャマを指さしながら、
「そのパジャマ、布地が薄いせいかブラが透けて見えるんですけど普通はブラウスとかそういうの痛――――――――ッ!!」
レナは後ろからジンジャエールの缶を投げつけた。
夜、居住区にある自販機までジュースを買いに行くと、同僚・イアルが1人で飲んでいた。
眠れない者同士語り明かすとするか――と提案したイアルの向かいに座り、ジンジャエールを片手にポツリポツリと話し始めるレナ。
漆黒の機体を討ったあと、自分は何と戦えばよいのか――分からなくなった。
幼少の頃に親を失い、居場所を失った自分は戦うことによって居場所を得た。だが、それが無くなったら自分はどうなるのか、と。
――誰も、自らを犠牲にしてまで戦った連中のことなんて知らないさ。地面へ埋めた瓦礫の上に新しい世界を築いて、汚い部分を隠して、きっと笑うんだ。それなのに……。
かつて敵である少年は言っていた。
敵である以前に、あの瞬間から彼に惹かれていたのだ。
「要は力が欲しかったんだろ。誰かを守るっていうのは大義名分で、本当のところは自分の無力さが悔しかったんじゃねーのか」
容赦なく叩きつけるイアル。
戦う機会がなくなれば、最早その力は意味をなさなくなるのでは?




