第14話 Epilogue:part-a,b
[part-A]レナ
甲板の上、レナは左舷の縁へ手をかけて立っていた。
海風が吹きつけると、背中まで届くロングヘアはふわりと空気をはらむ。
大きく膨らんだ紅髪をたくし上げるような動作で押さえて、レナは海原の向こうへ視線を送った。
その先にあるのは陸地だ。
アフリカ大陸の東海岸は、だんだんと遠ざかりつつあった。
<オルウェントクランツ>を倒したあと、レナは再び意識を失ってしまった。<アクト>の第二形態を使えるようになったとはいえ、しかし「使いこなす」までには達していないようだ。
目が覚めたのは15分くらい前である。部屋で着替えを済ませたあと、レナは甲板まで歩いてやってきた。
少しだけ感傷的な気分だ。
艦内からデッキへ続く重金属扉が開いた。姿を現したのはイアルとフィエリアの2人で、彼らはレナの姿を認めると、ゆったりとした歩行速度で近づいてきた。
「よーぉエースパイロット。こんなところで何やってんだ」
「まぁ……ちょっとね」
「キョウノミヤから聞いたぜ。今回の活躍でオートレッド徽章らしいな。おめでとさん」
レナは視線を艦の外縁、灰白色に塗られた金属部へ目をやった。
そこに何があるわけでもないが――ふと人差し指でなぞると、表面の塗装が、ペリ、と剥げて砕けた。白く乾いた皮は風に煽られて飛んでいき、どこへ行ったのか分からなくなる。まるで雪みたいだ、とレナは思った。
やがて口を開いたのはフィエリアだ。
「嬉しくないのですか?」
「あんまり、ね……」
「たしかにオートレッド徽章は、年間に十数人も受けられる下位褒章ですからね。でも、素直に喜んでいいと思いますよ」
「そうなんだけど、そういう感じじゃない気がするんだ。ごめんね。ちょっと今テンション低くて」
「そうですか……まぁ、先ほど医務室から戻ったばかりですから、きっと心の浮き沈みが激しいのかも知れません。あまり無理はなさらない方が」
彼女はかぶりを振りながら言った。
無口で生真面目――というのがフィエリアの印象だった。触れれば切れる抜き身の刀のような佇まいがあり、普段は凛然としている黒髪の少女だ。AOFの操縦主としても優秀だし、彼女のことは嫌いではない。
レナは髪をクシャクシャにして、
「あーもう! 難しいこと考えすぎてるのかなぁ、あたしは」
「どんなことです? 少し知っておきたいです。あなたのこと」
追い討ちのように問われて、レナは思わず口を噤んだ。
ナイロビ市街での戦闘後から、気持ちがモヤモヤしているような感じがする。
敵である<オルウェントクランツ>を自分の実力で追い詰め、見事に討ち取ったというのに――心のどこかで引っ掛かりを憶えるのだ。敵を倒したという現実は目の前にある。けれど自分が倒したという実感だけがどうしても湧かず、苦い汁のようなものが胸の中に広がって、それを忘れようとするだけの努力も虚しかった。
(たしかに、あの機体を――今度こそアイツを倒した。自分の力で、自分の実力で。だけど満足してないような……この気持ちは何?)
内心に問う。だがその答えは出てこなかった。
腑に落ちない苛立ちを得たところで、神妙な面持ちのイアルが半歩だけ前に出る。顎の先に指を当てたまま、彼は真剣な表情で言った。
「状況を整理しよう」
「なあに? 急に出てきてどうしたのよ」
「クク……実はオレ、問題解決能力はズバ抜けていてな。学生の頃は良く『|偉大なる哲学者の生まれ変わり(メガ・ソフィスト)』と呼ばれたものだ」
「その他の能力はゼロなんでしょ、はっきりわかんだね」
レナが半目で言ったところでイアルは「ん?」と首を傾げる。レナはすぐさま顔も真っ赤にして俯いたが、彼はその様子を意に介さず、口元へ含み笑いを浮かべたまま悠然と言った。
「貴様にはソクラテス式問答法で、オレ様の素晴らしき問題解決能力を見せてやろう」
「自分に様つけてるヤツ初めて見たわ……」
「無視するぞ。まず最初に、レナは考え事をしている。そうだな?」
「あー、はい」
レナは一瞬だけ『コイツを海に放り出しても良いものだろうか』と思案した挙句、気づいたときには問いを肯定していた。
イアルは「結構、結構」と頷きながら、レナのまわりを円周上に歩き回る。
「そして、その考え事は口に出せない。そうだな?」
「……そうね」
めんどくさいことに巻き込まれたな――とレナは視線でフィエリアへ支援を乞うたが、彼女も同様に半目をしていた。
イアルは「分かった、分かったぞ」とあくまでも得意げな表情だ。ぶっ殺してやりたい。
「結論が出たぜ。考え事をしていても口には出せない、つまりレナが考えていたのは――――――――――――――エロいことだ」
「はぁ!?」
「大丈夫だ、オレが最善の解決策を提示してやる。それも名づけてリアルタイム乳揉み痛だ―――――――ッ!?」
馬鹿、と一言。
レナはイアルの襟元を掴み上げると、大海原に向かってその身体をブン投げた。
[part-B]レゼア
レゼア・レクラムは艦内の医務室に居た。
立っているのはベッドの脇。
白いシーツと毛布にくるまれた状態で、少年は静かに眠っていた。
「……」
亀のように丸くなった姿は、年齢とは不釣り合いなほど幼く感じられる。その寝顔は無邪気な子供を見ているようだ。
すぅ、という寝息は周期的に音を繰り返し、そのたびに布団は小さく膨らんだり、しぼんだりしている。
目元に浮かんだ雫を指で拭ってやると、少年の身体は小さく跳ねた。
起こしてしまったか――と身を強張らせて観察すると、静穏な呼吸の音は再び続く。安堵した彼女は胸を撫で下ろすと、再び寝顔に魅入った。
小一時間前までAOFを駆り、激戦を繰り広げていたとは思えないほど穏やかな寝顔に、こころなしか安心を覚えてしまう。
だが――とレゼアは不意に眉を立てた。
戦闘が終了したあと、ミオの身体と精神は「禁断症状」を起こした。
<オルウェントクランツ>は同型の最新鋭機<アクトラントクランツ>に敗北したのだ。それが引き金となって、ミオは自我を維持できなくなってしまったのである――格納庫へ戻った頃には、彼は呼吸もままならなくなっていた。
おかしい、とは思う。
だが自然な反応だ、とレゼアは思う。
少なくとも彼にとってはこれが自然なのだ。
(理解したつもりになっていた。だが甘かった……)
思案する。
ミオは性格が悪いワケではない。いつも無愛想で、無口で、冷たいように見えるが、それはおそらく数多くの恐怖から自分を守るための手段なのだ。喩えるならばヤマアラシが強烈な棘で身を守るような。
幼い頃から「特殊な」戦闘訓練を受けていたミオは、未成熟のまま心を閉ざしてしまった。無感情になり、何事にも動じず、ただ単に「言われるがまま」となり、心と感情を代償として彼は「生きる」ことを選択したのだ。そうしなければ彼は生きていけなかった。
しかし、その結果がこれだ。
彼は生きていくうえでダメージを負いすぎた。
「なにが『|運命づけられた子供たち(フェイテッド・チルドレン)』だ……なにが最強の操縦主だ」
吐き捨てる。
ぐ、と握られた拳は今にも壁を殴りそうだった。
ASEEは悪魔を生み出したのだ。薬物投与と限界までの身体強化によって、たしかに最強の兵器を作ったのである。
だがその結果は非常に脆いものだった。肉体は強固な存在になっても、その心までを強化することは出来なかったのだ。
ミオ・ヒスィという不安定な少年は、ASEEから見れば失敗作だったろう。だとしたらこの子の居場所はどこにあるのだろう――身寄りもなく、頼れるべき相手もなく、いったん戦う価値を失えば、トカゲのシッポのように切り捨てられてしまう少年の居場所は。
安眠している少年の寝顔を少しだけ見守ったあと、彼女は医務室をあとにした。
レゼアが向かったのは格納庫だ。
高さ50メートル、平方70メートルの横長に広がった空間には、2機のAOFの姿があった。片方はレゼアの愛機、特機仕様の<ヴィーア>だ。
こちらは改修作業中の様子で、十数名の整備兵たちが作業に取り組んでいる。
レゼアが向けたのはその横にある、いまだ手つかずになっている機体だ。
上半身が半壊している漆黒の機体<オルウェントクランツ>は、もはや鉄クズと同然の扱いだった。
コクピットブロックの斜め上――ちょうど左肩と左腕を失った状態で、装甲についた傷も深く険しい。深刻なダメージのなか、コアだけ無事だったのは不幸中の幸いだろう。
内部核さえ残っていれば、AOFは改修することが可能である。新しいパーツを組み込み、機体の全システムを統括しているOSSと同期することが出来れば、<オルウェントクランツ>は復活を遂げることが出来る。
「修復は可能か……でも、それが最善の答えなんだろうか」
ふと呟く。表情が暗く沈んだ。
機体の修理が終わってしまえば、ミオは再び戦場へ戻らなければならない。そう考えると、<オルウェントクランツ>はこのまま処分されてしまえばいいとも思えた。だけど少年は一体どんな顔をするだろう。
戦うことが出来なくなったとき――それはミオが死ぬ時だ。
彼を戦わせたくない。でも戦わなければならない。
まるで地獄のような選択だな、とレゼアは皮肉った。
ミオには選択肢など最初から無いのだ。「戦って生き延びる」か「戦って死ぬ」か――という2つの項目しか選べる未来は存在しない。
彼が死なずに済むには、目の前の敵を倒し続けるしかないのだ。
レゼアは手元の端末を操った。液晶のパネルが輝く。
彼女は迷わずに指をスライドさせると、最後に辿り着いたのは兵装の項だ。
そのうち片方をタップすると、描写されたのは<オルウェントクランツ>の設計図ともいえる縮小画像である。
レゼアは親指と人さし指で画像をピンチアウトさせると、次々とタップを繰り返した。
2指を広げることで設計図を拡大させ、綺麗な人さし指で必要な部分だけをタップしてゆく――幾つかの項目が現れると、それも迷わずにちょんと叩き、また2指を使って画像を縮小、今度は機体の画像をぐるりと横に半回転させ、また拡大する。その運指はまるで風景画の素描のようにも思えるほど慣れた手つきで、ほんの数分後には<オルウェントクランツ>がダメージを負った箇所が全て描きこまれていた。
「このくらいか。残り耐久値は13%前後だが……損壊箇所はかなり酷い」
たとえば脚部などのパーツは既に摩耗していて、それなりに機械に精通した者ならば、外から見るだけで状況が把握できた。
しかし戦闘の記録によれば――とレゼアは端末の情報を参照した。
長いログファイルには、機体が受けたダメージや使用した武装、通信、そして時刻などが秒単位で記されている。それを上から下へスライドさせることで斜め読み。最後はパネルを操作し、今度は検索を掛けてみる。
返ってきた反応はエラーの通告だ。
「右腕部には直接ダメージを受けていないのか。なのに傷だらけだとしたらこれは――」
「パイロットの下手な操縦による摩耗ではないのかね?」
低く、野太い声は格納庫のエントランス部から反響した。
振り返ると、そこには1人の男が立っている。
身長180を超える大柄な図体と、ロシア系のいかつい顔立ちが特徴的だ。威厳とプライドの高さを思わせる、圧倒的な存在感――カーキ色の将校服をまとった男は、ゆったりとした歩幅で近づいてくる。
レゼアは口をひらいた。
「オーレグ・レベジンスキー……特務班を束ねる男が何故ここに?」
「居ては悪いかね。様子を見に来ただけだが歓迎の言葉も出ないとは。よほど嬉しいと見えるね?」
口端に薄っぺらい笑みを浮かべたまま、男は悪びれない口調で言った。
レゼアは思わず視線を逸らす。
彼の頬には醜い稲妻型の傷跡が残っていた。かつて、まだ戦場でAOFが台頭する前に受けた銃創だという話を、いつだったか耳にした経験がある。
レゼアはこの男が嫌いだった。
無論、階級で見れば相手の方が上の存在である。が、どうしても敬語を使う気になれないのと、乱暴に応答しても意に介さない彼の冷然としたスタイルから、レゼアは憮然とした態度で接することを決めていた。
オーレグは大破した機体の前で立ち止まると、感嘆の声を洩らす。
「ほう、これはこれは中々の大ダメージではないか。操縦主は死んだかね?」
「残念だが生きてるぞ。まだ医務室で眠ってる。そっとしておいてやってくれ、ってか何で来たんだ。用が無いならさっさと帰ればいい」
「ううむ。その不躾な態度は相変わらず不問に処すとして、特務第5班の2人には伝えておかねばならぬことがあってな」
……伝えておくこと?
レゼアは首を傾ぐ。
それよりも前に、「特務」というのはAからGという7つの班で構成されていた。それぞれ2人のペアが班のメンバーとして選出され、通常の指揮系統から外れた任務に携わっている。レゼアとミオが所属しているのは「0E」とも呼ばれる第5班のペアで、その他の班については、メンバーの素性を含めて大半の情報を知らなかった。つい最近、新たに第8班が追加される可能性があるという話を入手しただけで、細かいことは知らされていなかった。
そして、それら「特務」を束ね、頂点に立っているのがオーレグという男である。
男は相変わらずの口調で言った。
「新しい任務だ。期限は明後日00:00からの1週間だが、詳細はのちに通達する内容に従え。その間に<オルウェントクランツ>を接収、本部にて改修を行う予定だ」
「また、お前たちはミオを戦いの道具にする気か……!」
「<オルウェントクランツ>は改修後、再び新たな任務へ就いてもらう。別命あるまで本部で預かる」
男の声は容赦なかった。
ここでプラスチック爆薬でも仕掛けて機体をぶっ壊し、修復不可なほど木端微塵にしてやろうか――と思ったが、常識的にそんなこと出来るワケがなかった。レゼアは内心で首を横に振る。
オーレグは続けた。
「なお、本部でおこなわれる改修作業にはレゼア・レクラムも同行してもらう」
「1週間あの子を1人にする気か。彼は不完全すぎるんだぞ」
「嫌なのかね? あの機体を改修するには、間近で戦闘を見ていた者の声も必要だ。それに、君には工学的・技術的な知識が備わっている。最高の人材だと思っていたのだが……そうでもないのかね? たかだが7日間だ。そう気にすることもあるまい」
「改修作業が終われば、私たちを元通りにしてくれるんだろうな?」
「というと?」
「つまり……私とミオを特務0E班として元通りにすると約束、もしくは保証できるな?」
「そんなことは当然だと思うのだがね」
レゼアの不安要素は1つだった。
改修作業に同行させられたきり、2人の間が完全に分断されてしまうのではないか――と危惧したのだ。
(考えすぎだ……少し疑心暗鬼になっているのかも知れんな)
ほぅ、と溜息していると、オーレグは初めて苦笑の表情を見せた。その笑みさえもやや歪んで見える。
「よほどミオが気に入ったようではないかね? んん?」
「からかうのはやめろ気持ち悪い」
軽く手を振ってシッシッ、と追い払うような素振りを見せると、オーレグは背を向けて元来た方向、エントランスへ向かった。
ふと立ち止まって、男は肩越しに言う。
「これは私からのアドバイスだが――あまりあの少年に肩入れしすぎるなよ。彼の代わりなど幾らでも……」
「それは言うな」
レゼアの口からは、本人が思っていた以上に冷徹な声が出ていた。オーレグが思わずムッとする表情を作ったほどだ。
格納庫が静かになる。
彼女の愛機を修理していた作業員たちはすでに仕事を終え、庫内から居なくなっていた。
低く、重たい声で続ける。
「それ以上を言うと、今度は本当の意味で引き返せなくなる。ミオは本当に『元へ戻れなく』なってしまう……今ならまだ後戻りすることが出来る。どれだけの痛みを背負っても、どれだけ挫けても、倒れても、転んでも、今のミオならまだ引き返すことが出来る」
「……ほう。私には信じられんがな」
「彼には真実を知らせない方がいい。その方がずっと幸せで居られる」
カツ、カツ――と靴音が遠ざかっていく。
4年前。
それが大人たちのやることか――と啖呵を切り、少年の見ている世界を変えようと決心した自分。
右の掌に受けた痛みなど気にならないと、彼の受けてきた痛みの方が重いのだと、かつての自分はそう言った。
特務に入って、長い時間を掛ければ少年の運命を変えられると思っていた。
だけど自分にはそれが出来なかった。
気づかないうちにレゼアも「大人」の側についてしまったのだ。
本当に情けないと思う。
もしも自分がレゼア・レクラムでなかったなら、きっと彼女を冷笑し、無能さを指さして嗤うだろう。
「私は本当に大馬鹿者だ」
小さな呟きは、やけに遠くから聞こえるようだった。
ケニア・ナイロビでの戦闘が終わったあと、レナ・アーウィンは<フィリテ・リエア>甲板上で風を感じていた。
遠ざかりつつあるアフリカ大陸の東海岸を見て、レナは遠くを見つめる。
漆黒の機体<オルウェントクランツ>を倒したことによってオートレッド徽章を授かることが確定しても、レナの心は晴れない。
一方、レゼア・レクラムは母艦<オーガスタス>の医務室に居た。
丸くなった少年は眠りについているが、その眼には雫が浮かんでいる。
「敗北」によってミオの自我は揺らぎ、彼は禁断症状を起こした。
『|運命づけられた子供たち(フェイテッド・チルドレン)』と呼ばれる悪魔は、身体を強化できても心まで強化されることは無かった。
格納庫に戻ると、今度は特務班を束ねるオーレグと出会う。
新しい任務によって引き裂かれるレゼアとミオ。
「私は本当に大馬鹿者だ」
小さな呟きは、やけに遠くから聞こえるようだった。




