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黎撃のインフィニティ  作者: いーちゃん
21/95

第12話 part-a ケニア・ナイロビ編

[part-A]レナ


 レナは<フィリテ・リエラ>艦内にあるコンビニエンスストアに居た。

「ん~……」

 迷う。

 彼女が立っているのは弁当コーナーだ。目の前の棚には、プラスチック製の容器に詰められた弁当が並んでいる。見ているだけで空腹がどうにかなってしまいそうだったが、彼女が見ているのは上の段。

 おにぎりだった。

「うーん…」

 レナ・アーウィンは、間違いなく「浮いている」存在だった。店内の一角では、彼女の様子を見て小声で囁いている者や、雑誌のコーナーには、指を向けて噂している男たちの姿もある。

 燃えるような赤色のロングヘア、細身でスタイル良好、目鼻立ちも整う美少女が――弁当コーナーで頭を抱えている。

 いささか滑稽な姿ではあった。

 彼女は朱のさした唇に人さし指を充て、恨めしげに棚を睨む。

 値段はどれも大差ない。が、どうしてか迷ってしまうのだ。

(どうせ食べるなら美味しいものを選びたいわよね)

(だけど同じものばっかりは流石に厭きるからなぁ…)

 でも値段が――味が――やっぱり値段が――どうしようかな――と目移りしていると、しびれを切らした店員が引き攣った笑みとともに問い掛けた。

「あ、あのー、……お客様? さきほどから小一時間ほど迷われていますが何かお困り」

「黙ってて。いま真剣だから」

 目もくれずに言うと、店員は泣きそうな顔でカウンターへ戻っていった。一部始終を見ていた別の店員が慰めるが、レナは全く見向きもしない。

 抱えたバスケットにあるのは、サラダとペットボトルのお茶、そして小袋に入ったドレッシングである。これが朝食だ。

 ああ、もう――唸って髪を掻くと、レナは最前列に並んでいた商品を取ってレジへ向かった。

 <フィリテ・リエラ>は新造艦の中でもかなり大きく、乗組員(クルー)数、積込物資量、搭載機体数においていずれも統一連合の最大クラスを誇る。しかし、洋上においてそれが意味することは、必ずしも良いことばかりではなかった。安定した補給ラインを確保できない外洋上では、物資が足りなくなることも珍しくはない。乗組員の数が多ければ尚更だ。

 そのため、<フィリテ・リエラ>は定期的に補給艦から物資の提供を受けていた。伴走する2隻の艦からコンテナごと運び込まれる物資には、少なくとも今後1週間は潤っていられるほどの量がある。

 背後に「ありがとうございましたー」の声を聞いた彼女は、ほくほく顔で店をあとにした。

 入り口を出たところで、廊下を歩いていたのは男女のカップルだった。レナは後ろから呼び掛ける。

「あれ、ニーナとテンペンじゃん。どったのー?」

「おはよー。朝から買い物か?」

「おはよ…」

 戻ってきたのは2者2通りの返事である。レナは廊下を小走りすることで2人に追いついた。

 テンペニーという名のハンサムな青年は気さくに答え、小柄な少女ニーナはその影に隠れるようにして会釈した。

 レナは茶色い紙袋を掲げてみせ、

「朝ごはんよ朝ごはん。まだ食べてないの」

 言うと、ふぁ……とあくびが襲ってきた。目の端に浮かんだ涙をこすると、青年が快笑。

「どうせ遅くまであの機体のこと色々調べてたんだろ? <アクトラントクランツ>だっけ。色々と大変らしいなぁ」

「そーそ。あたしも未だに制御できなくてさ。困ってるのよね」

「こないだは暴走させた挙げ句、エネルギー残量ゼロで戻ってこれなかったんだって?」

「結果的に戻って来れたからいいの! 結果オーライよ」レナは拗ねる。青年は浅く苦笑して、

「はいはい、そういうことにしときますよ。俺はミーティングあるから。またな」

 廊下が二手に別れる。左には廊下が続き、右は階段だ。

 上の階にあるブリーフィングルームは早くも人が集まりはじめているようで、話し声や物音でざわめいていた。おそらく<エーラント>一般部隊のメンバーは召集が掛けられていたのだろう。

 軽く手を振って分かれ、レナとニーナは左の道を取った。

 紙袋を抱えて歩く。

「いいなー、カレシかあ……」

 うっとりした声で言うと、ニーナはぎょっとした表情でレナを見た。レナはニンマリ笑って、

「いいなー。テンペニーみたいなハンサムな彼氏、あたしも欲しーなー」

 わざとらしく言ってやると、ニーナは瞳に涙を浮かべて喉をふるふると震わせた。それが可愛くてたまらず、レナはエスカレートする。

「あたしも欲しいなぁ~」

「だ、だめ…絶対だめっ……!」

「わはは、冗談に決まってんでしょ。ったく可愛いなぁもう!」

 わしゃわしゃとニーナの髪をくし上げると、彼女は困惑顔のまま頬を膨らませる。どうやら少しだけ怒らせてしまったようで、その顔がなんとも言いようのない可愛さだ。

 じっさい、彼のような金髪優男はレナの好みから外れていた。たしかにカッコよくて、それなりにモテる青年だとは思うが――と思いながらニヤニヤしたところで、レナは歩きながら人差し指をピンと立てた。

「で、2人はなんで付き合ったのよ? ってか先に告ったのどっち?」

 ニーナの足が止まった。

 わなわなと肩を震わせ、いよいよ顔が真っ赤に染まる――のを見ると、どうやら前々から予測していた答えは的中したらしい。

「はっはーん、意外と勇気あるんだね~。ん~~~??」

「い、言わないで…言わないで……」

 軽く笑ってニーナの肩を叩き、レナは楽しげに言う。

 だが、それも一瞬のことだ。次の瞬間には、レナの表情には影が差していた。

「でもね、たまに羨ましいなって感じることもあるよ。あたし、そういう経験ほとんど無いからね」

「レナ……」

「誰かを好きになるっていうか…そういう気持ちみたいなものが見つからなくて。あんまり余裕ないのかもね、あたし。あ! 嫌味で言ってるワケじゃないからね? そこは誤解しないで欲しいな、なんて」

 慌てて取り繕ったが、ニーナの気持ちは重く沈んでいるようだった。

 また余計なことを言ってしまった――と自責の念が胸の内に湧きあがる。ニーナやテンペニーには余裕がある、と揶揄したワケではないが、言葉の上ではそうなってしまったのだ。勿論そんなつもりは毛頭もないけれど。

 ごめんね、とレナが謝るよりも早くニーナが口を開く。少女は今にも消え入りそうな声で、

「でも……レナにはいつか、いい人が見つかると思うよ。だって、強くて、優しいもの」

「そうかな。だといいんだけど」

「そうだよ。だから、あんまり寂しいこと言わないで」

「はは、サンキュ」

「うん……」

 そこで初めて少女は小さく誇示するように胸を張ってみせた。

 なんとなく可笑しくなって、レナは思わず苦笑する。

 普段は億劫で引っ込み思案な少女の一言に、こんなにも気持ちが動かされるとは――と、晴々とした思いの矢先、廊下に声が反響する。

「レナ!」

 声がしたのは後方だ。振り返ると、黒髪の少女が息を切らしながら駆けてくるところだった。

 レナは驚いて、

「フィエリアじゃん。どうしたの?」

「どうもこうもないですよ! 集合時間――忘れたんですかっ!?」

「え?」慌てて胸ポケットをまさぐり、レナは端末の画面を見て愕然とした。「えぇぇ――っ!?」素っ頓狂な声で叫ぶ。

 端末の表示には、幾つか着信のあとが残っていた。艦内は常に、どの場所においても無線ネットワーク接続が確立されているから、どんな状況下でも連絡は届くはずだ。急いで時刻をチェックすると、連絡はどうやら今日の朝に届いていたらしい。そういえば枕元で端末が鳴っていたような気が――と思い返して青ざめ、レナは色を失った。

 ハッと息を呑んで、

「でも! 気づかなかったら艦内放送でも呼び出してくれたら良かったじゃない! あたし知らないわよこんなの!」

「私に言われても。なんでも偉い人が来てるらしくて…」

「階級は?」

「ちゅ、中将とか…」

「……マジで?」

 レナは脳震盪を起こして後ろ向きにブッ倒れそうになった。

 統一連合において、階級制度は重要なものから遠ざかりつつある。なぜなら戦闘における現場の判断を最優先しているからだ。かといって階級が不必要になったかと言えば、答えはそうではない。人の立場を示す指標として、形骸化しつつも伝統はしっかり根付いている。

「とにかく……先に行きますからね! 急いで来てください!」

「待って! 私も行くわよ!」

 フィエリアが駆け出す。廊下を走っていく同僚に面食らって、レナは反応が遅れた。

 紙袋をニーナに押し付け、

「ごめん! コレちょっとだけ持ってて。すぐに戻るから! 絶対に食べないでよねー!」

 レナの朝食が入った紙袋を抱えて、ニーナは廊下でおどおどしていた。



「失礼します」

 艦橋(ブリッジ)に足を踏み入れると、レナはすぐさま敬礼の姿勢を取った。

 部屋の中に居たのは総勢8名だ。艦長であるキョウノミヤ、同僚のイアルと、先ほど息せき切っていたフィエリアの姿は分かる。その後ろには3名の護衛が控えており、その表情は大きなゴーグルに覆われて見えない。

 残りの2名がレナを振り返った。

 1人はあずき色のスーツを身にまとっている男だ。ヒゲがキッチリと剃られているところを見ると、ビジネスマン気質なのかも知れない。少し膨らんだ体型のためか、レナは丸っこいイメージを得る。彼はレナの姿を認めると、後頭部を掻いて照れくさそうに会釈した。

 その隣に立つ男――こちらはクリームイエローの将校服に身を包んでいる。長身で痩躯、口はへの字に結ばれていた。年齢は60かそのくらいだろう。険しい顔立ちが、180センチを超える高さからレナを見下ろしている。

 彼は靴音と共に少女へ歩み寄ると、ゆっくりとした動作で右手を差し伸べた。

「……ルーセントハート中将だ。以後よろしく頼む」低く、深い声音で彼は言った。

「レナ・アーウィン中尉であります。お会いできて光栄です」レナは強く頷くと、男の右手を握り返した。皺だらけの手は氷のように冷たかった。

「きみの戦績は耳にしている。素晴らしい活躍だそうじゃないか」

「いえっ、決してそんなことは」

「今後も頑張りたまえ。では、本題だが――」

 くるりと背を向けると、中将は部屋の央にあるデスクへ向かった。

 自分の見の上話が軽くあしらわれたように感じてレナはムッとするが、その後ろでフィエリアが表情を硬くしたのを見て思いとどまった。

 中央にあるのは長机6卓ぶんの大きさを持つ台だった。ちょうど2×3ほどの大きさだろうが、ただのテーブルではなかった。上には海図を3Dにしたマップが表示されており、高低差や風の向きのデータ、気温、湿度――さまざまなパラメータが浮いて表示されている。中央にある青色の表示は高速機動艦<フィリテ・リエラ>だ。

 中将が先に口を開いた。

「現在、我々が居るのはココだ。東経プラス52度、北緯マイナス3度という赤道直下」

 3Dのマップに触れると、詳しいパラメータが青白い空間へ次々に浮上した。イアルが思わず「おおっ」と感嘆の声を上げてしまい、隣に居たフィエリアに小突かれる。

 東経52.46 南緯3.6。アフリカ大陸の東海岸、ちょうど凹んだ部分に近いエリアである。

 中将は声の調子を変えずに続けた。

「そして今回、我々が目指すべき場所はここだ。旧ケニア、首都ナイロビの都市部」

 マップを西の方向へ動かすと、男は指先で次々と3Dの空間を操っていった。

 海図はケニアの首都を中心に映し出されたあと、親指と人差し指で地図をピンチアウトさせて拡大表示に。高層ビルに囲まれた都市部が瞬時に描画されると、彼は人差し指でくるりとマップに触れた――かと思えば、1本の高層ビルを中心にして見やすい角度になる。

 おぉ、と2人して感嘆しているレナとイアルを、今度はフィエリアが両肘で小突く。キョウノミヤは苦笑をこらえたが、すぐに真顔に戻った。

 中将はさらに続ける。

「これから説明をおこなうにあたって、まずは背景から話さねばなるまい。先日――といっても昨夜だが、ASEEから停戦の申し出があった」

「停戦……で、ありますか?」

 レナが疑問形で訊ねる。

 キョウノミヤはすでに話が通っているようで、眉ひとつ動かさない。

 が、詳細を聞かされていないレナ、イアル、フィエリアにとって、それは懐疑の念を呼び寄せるものに過ぎなかった。自ら宣戦布告しておいて、今さら停戦申告とは。

 あずき色のスーツを着た丸っこい男が口をはさむ。

「元々このあたりは難民の数が多くてね。アフリカ大陸は全体の4割以上が統一連合に属していて、残りの4割が中立域、そして2割がASEEの統括域なんだ。そして東海岸にはASEEの領地が多いんだけど、資源が枯渇した地域でもあって……ASEEにせよ中立域にせよ、難民の数が非常に多くなっているんだよ。だからASEEは状況を鑑み、アフリカ東海岸における戦闘行動の停止を申し出た」

「ん? 待ってくれ。俺たちは難民を攻撃するつもりは無いんだぜ? だったらわざわざ停戦なんて申し出なくてもいいんじゃないのか?」

「いや、それは違うわ。イアル」

 同僚の言葉をたしなめて、レナが続ける。

「たしかに今の統一連合が勢力を上げて進攻すれば、このあたりのASEEの領地は簡単に奪い取れるハズ。それが分かっているからこそ、彼らは停戦要求を突き出したのよ。降伏ではなく、停戦を。難民という理由にかこつけてね」

 イアルはしばらく頭の上に疑問符を浮かべていたが、すぐに納得した。あぁ、と頷く。

 統一連合とASEEの彼我戦力差は大きい。おそらく戦力だけを考えるのなら10対1程度になるだろう。この状況においてASEEが「領地を奪われたくない」と考えているならば、彼らが取る選択は必然的に絞られる。

 それはおそらく2つだろう、とレナは推測していた。

 まず1つ目は、降伏を覚悟で部隊をかき集め、統一連合に包囲されつつも長期の徹底抗戦を演じることだ。そして2つ目は――エリア限定の停戦条約を締結してしまい、戦闘を未然に防ぐことである。2番目のプランは統一連合にとっては歯痒いものの、少なくともデメリットはない。むしろ互いにダメージを負うことが無く、したがって両者に配分される相対的なメリットは大きいハズだ。

 それが分かっていたのか、キョウノミヤを含む上官と小太りの男は大きく頷いてくれた。

 中将が説明を続ける。

「我々はASEEの要求を受け入れる予定だ。無駄な戦闘にエネルギーを注力するつもりは無いのでね。そして停戦交渉の場にはケニア首都・ナイロビの市街地が選択された。周囲の半径5キロメートルを無人にして行われる予定だ」

「5キロも……無人にするってのか?」イアルが驚いた声で応じた。

「左様、これまでASEEは平然とテロ行為をおこなってきた連中だ。したがって実際の交渉には厳戒態勢を敷く必要性があると考えた。我々は5キロでは足りないとも考えているが、迅速な対応を心掛ける上では止むをえまい。すでに周辺地域では封鎖が始まっている。そこで、君たち<フィリテ・リエラ>のメンバーに頼みたいことがあるのだ。交渉中、この半径5キロのエリアを防衛してもらいたい」

「けっこう大きいですね。都市を丸々1個ぶん守るのと一緒です」フィエリアが細い顎に指をあてた。

 そのエリアには敵機を通過させない――というのが作戦目標だ。飛行能力があり、ある程度の機動性を持っている<エーラント>ならば不可能な作戦ではないが、流石にそれだけの広領域となれば話は別だ。ビーム兵器が充実してきた現在、交渉会場が狙撃される可能性は否定できない。

 中将が被せる。

「無論、<フィリテ・リエラ>だけに任せるつもりはない。幸いにしてアフリカには現在 "アドロック隊" 、 "ハーフバック隊" 、そして私の直接指揮下にある部隊が駐屯している。彼らと協力して任務に当たってくれ。質問はないかね」

「よろしいでしょうか」

 声を上げたのはキョウノミヤだ。視線が彼女の元へ集まる。

「万が一、戦闘が発生した場合(ケース)についてですが――これは敵の全力排除、ということでお間違いないでしょうか」

「当然だな」

「では、その場合の停戦条約は?」

「即刻破棄する。市街地領域から敵勢力を排除したのち、ASEEの領地を攻撃する予定だ。容赦するな」

 分かりました、とキョウノミヤは言って、半歩だけ後ろに下がる。

 誰からも挙手が上がらないのを見て、ブリーフィングは終わった。

 それから15分後――レナ、イアル、フィエリアの3人は廊下の中途にある休憩コーナーに居た。

 長い、窓のない廊下にあるちょっとしたスペースだ。直線構造の廊下が凸の字に膨らんでおり、そこにソファが幾つか置いてある。壁際にはジュース類の自動販売機が2台ならんでいて、誰でも自由に使うことが出来た。

 中将を含む交渉グループを乗せたヘリは、護衛とともにナイロビの市街地へ飛び立ったところである。<フィリテ・リエラ>に積載されている<エーラント>の部隊が先行出撃し、指揮系統から外れているレナたちの出撃は、そのあとに回された。出撃準備までには余裕がある。

 ソファで足を組んで、レナは空になったペットボトルをぶらぶらさせながら言う。

「でもさー。急に停戦なんて……どう思う?」

「卑怯だとは思います。ですが、互いに被害を避けられるという面では良い選択だったと考えます」

「ほんと男らしくないやり方ってか――なんつーか、あいつらオチンポ付いてねぇんじゃごばぁ!?」

「話がややこしくなるからアンタは黙ってて」

 腹部に強烈な蹴りを入れると、レナは何事も無かったようにソファへ足を組んだ。イアルが自販機に背を押しつけた姿勢で崩れ折れる。

 たしかに彼が言ったことには同感できる。ただしオチンポは余計だろ、とは思ったが。

 これまで戦闘行為を好き勝手に繰り返して、自分が不利になった途端に停戦とは都合のいい連中である。難民を盾に自分たちへの被害を防ぐとは――なんとも卑怯な連中だ。

 彼女は飲み終えたペットボトルをゴミ箱に投げ捨てると、視線をフィエリアへ。彼女は壁際の椅子に腰かけて、まだ缶のお茶を啜っていた。

 言うまでもなく、レナは戦闘がしたいワケではない。回避できるのであれば戦闘は積極的に回避すべきだと思う。ただ、今回はASEEの身勝手な都合で振り回されたといっても過言ではなく、それが無性に腹立たしく感じるのだ。

 突如、廊下の奥から陽気そうな声が上がった。

「やあやあ、きみたち!」

 3人は同時に振り返る。首からカメラを提げてやってきたのは、先ほどブリーフィングの現場にいた小太りの男性だった。額がテカテカと汗をかいているのは、艦内を歩き回っていたからだろう。彼は一眼レフのカメラを3人に向けると、何の合図も無くシャッターを切った。

 小型パネルを一瞥してから「良し」と呟くと、彼はソファの方へ近づく。

「なんです? それ」レナが憮然として訊ねた。

「気にしなくて大丈夫さ。きみの写真、前から撮ってみたかったんだよ」

 何の躊躇いも無く、今度はレナにフォーカスを合わせて2度目のシャッターを切った。

「うーん、いいね! 出会えて光栄だ」

「はぁ……どうも」強引に手を握られ、レナは仕方なく応じた。汗ばんだ右手で腕をシェイクされる。少し痛かった。

 しっとり濡れた右手を拭うと、レナは引き攣った笑みで男を見た。まるで殻を剥いたあとの茹で卵のようにツルツルな顔だ。先刻の打ち合わせ時と大きく印象が違っているのは、おそらく緊張感から解放されたせいだろう。分かりやすい性格の人だな、とレナは思った。

 ふと気になって、

「その写真、どうするつもりなんですか?」

「これかね? なんというか……私が個人で撮り溜めているものでね」

「ふぅん……。その割には表情が引き攣ってましたけど」

「いやぁ――なんでだろうねぇ。はっはっは」

「没収させてもらいます」レナは男の手から一眼レフを引ったくった。

「えぇっ! ちょっとそれは私の裏の仕事道具で――」

「ほらやっぱり。カメラを壊されるのと、データチップだけ破壊されるの、どっちが良いですかね」

 笑顔で尋ねると、男は「ど、どっちも嫌だ――!!」と泣き叫んだ。レナは表情を崩さず、抜き取ったチップを半折りに破壊。男は今にも本当に泣き出しそうになったが、ゴクリと唾を飲み下して懇願する。

 話によれば、男は機関誌のプロマイド写真を担当しているらしく、写真は雑誌に掲載するつもりだったとか。

 レナは一眼レフカメラを持ち主へ返してやった。

 男はカメラに傷がついていないか確認すると、データチップのスロットを確認して肩を落とした。

 無断で人の写真を使おうなんて、雑誌だか何だか知らないが編集者としては失格である。これを機会に良い勉強になっただろう、と思いながら、レナはうんうんと頷いた。

 男は訊ねる。

「いやぁ、先ほどは大変な失礼を働いた。写真を撮られるのは嫌いかね? 雑誌に載るともなれば、喜んでくれると思ったのだけれど」

「あんまり好きじゃないです。勝手に写真を撮るようなマネをされたら、誰だって嫌ですよ」

「ふむふむ。きみの経歴については知っているよ。統一連合最年少で撃墜王、エースパイロット称号、ネイピア徽章を立て続けに受賞し、今や "連合二強" として、同年代のフェルミと肩を並べる『最強のエースパイロット』。その名を知らぬ者は居ない。授賞式をすっぽかしたことも、その後の歓迎会やイベントを全てすっぽかしたこともインタビューに替え玉を使ったことも、有名なエピソードとして語られている」

「……うわなんでそこまで知ってんのこの人こわい」

「どうしてだね? 栄誉は積極的に受けるべきだと思うが」

「あたし、あんまり人前に出るの好きじゃないですから。むしろ放っておいてほしいというか――」

 レナは口をつぐんだ。

 腕で自分の細身を抱きしめる。

 人前に出るのは昔から苦手だ。大勢の相手を前にすると逃げ出したくなるし、頭の中が真っ白になる。レナはそれが嫌で、何か事あるごとに逃げ回ってきたのである。かつての同僚・フェルミを替え玉に使ったことは事実だが、数秒と保たずにバレたのも思い出だ。

 彼女は苦笑しそうになる。

 が、すぐに表情は影を落とした。

「それに……みんなはあたしのことを最強とか、エースとか持ち上げますけど、実際には、そんなことはないです。あたしよりも強いパイロットは居ます。敵ですけど」

「あの<オルウェントクランツ>かね? 彼はいったい何者なのだろうね」

「分かりません。名前を含め、その素性は一切オープンにされていないんです。だけど、アイツがいま世界で最も強い操縦主(パイロット)であることは確実です。冷酷非情で無敵――アイツは、自分にとって邪魔であれば味方にさえ容赦しません。それくらいケタ外れに強い相手です」

 レナはそこで言葉を切った。

「そして、きっと今回も戦うことになるでしょうね」

 フィエリアとイアルが不意に深刻な表情になった。

 ASEEとの停戦交渉がうまく運べば、戦闘は起こらないハズである。が、少なくともレナが知っているASEEは、そういう「マトモな」連中ではなかった。小組織であることを理由にしたゲリラ戦やテロを用い、それでいて自らの都合が悪くなれば停戦をヒラつかせる相手だ。とうてい信用できるワケがない。それでも国際規約に準拠する統一連合は、真正面から受け容れる道を選択した。それがどのような結果になるかは予測できない。

 おそらくこれがASEEにとってラストチャンスだろう、とレナは睨んでいた。

 現在の統一連合は、武力を行使するASEEに対して防戦一方の姿勢だ。圧倒的な戦力差をキープしている統一連合は、その気になればいつでもASEEを潰すことが出来る。そのために、あえて積極的自衛権の行使に腐心しているのだ。

 自ら攻撃を仕掛けることなく、徹底した防備で相手の戦力を奪うこと――それが今の統一連合の狙いだ。しかし、これ以上攻撃を続けられて黙っているほど、懐の大きい組織ではない。

 艦内にアラートが響く。出撃命令はレナ、イアル、フィエリアの3名に下されていた。

「では、インタビューはこれで失礼しますね。行く場所があるので」

 冷たい声で言い放つと、レナはヘルメットを掴んで立ち上がった。

クリームイエローの将校服に身を包んだ統一連合・ルーセントハート中将とミーティングを行うことになったレナたち。

 アフリカ大陸旧ケニア・その首都ナイロビでASEEと停戦会談を行うことになったらしい。難民区域であることから戦闘の中止を申し出たASEEだが、本音と建て前が異なることに気付くレナ。

 会談の場所から半径5キロを無人にする作戦を立てた中将は、レナたちに対し作戦の遂行を依頼する。

 疑念を抱くのはイアルやフィエリアも同様だった。

 艦内に鳴り響くアラート音。

 出撃命令はレナを含めた3名に下されていた。

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