第11話 part-b
夢の中で過去を思い出していたレゼア・レクラム。
隣で眠る少年の寝顔を見て、ふと口元が緩く笑む。
[part-B]レゼア
自分の方が先に目覚めると、レゼアは理由もなく嬉しくなる。
ぼんやりとした視界が開ける。目の前にあったのは少年の寝顔だ。枕の上にある罪のない寝顔は子どもの頃から変わることがない。いつもの不機嫌そうにムッとしている表情は、今はそこに無かった。
純真無垢・天真爛漫というべきか――と小さな笑みをこらえたところで、少年の手にパジャマの袖を握られていることに気付いた。
(どんだけ可愛いんだよ……お前は)
頬を人差し指で指すと、少年は小さく呻いた。
レゼアはその寝顔を見ながら、満足げに笑みを綻ばせて毛布を直してやる。
この様子だけ見ていると、まるで情事を終えたカップルのようにも捉えられる――が、事実はそうではない。
昨晩はレゼアが一方的に男子部屋まで押し掛けたのだ。ミオは嫌がりながらも彼女を部屋に入れ、そして「添い寝」となった次第である。しばらく経ったら帰ろうと思っていたレゼアだったが、どうやらそのまま寝入ってしまったようだ。
フゥっ、と穏やかな寝顔に息を吹きかけてやる。
少年はくすぐったそうに鼻をムズムズさせると、ようやく薄目をひらいた。
「おはよう。良く眠れたか?」
レゼアが問い掛けると、彼は寝ぼけ眼のままキッカリ5秒。
沈黙の末、
「う、うわあぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!!?!?」
慌てて後方へ飛び退き、ベッドから勢いよく転げ落ちて2転。騒ぎに身を起こしたレゼアが伸びをしながら「大丈夫か?」問うと、ミオは後頭部をさすりながら戻ってきた。
「だ、大丈夫だ……流石にもう慣れたからな」
「そうか。ふふ、じゃあ今後は毎晩でもいいな」
「それは困るに決まってんだろ……ってか昨日は1時間で帰る予定じゃなかったのかよ」
「そんなに私の添い寝がいやかっ!」
「大声でブチ切れることじゃねーだろ! まぁ、べつに……」
イヤじゃないけど、という声はモゴモゴとしていて、良く聞き取れなかった。ミオは呆れ口調で言う。
「俺だってもう17だ。さすがに添い寝なんて恥ずかしいに決まってんだろ…俺の気持ちも理解してくれよ」
「私が一方的にしたいだけなんだがー?」
「そういうの何て言うか教えてやろうか。『押し付けがましい』とか『鬱陶しい』とか『ウゼェ』って言うんだぞ」
「ほーう。いい勉強になるなあ」
レゼアはニヤニヤ笑いながら応じた。枕を抱っこするように持つと、少しだけすっぱい汗のにおいがした。
す、と鼻から肺へ空気を吸い込むと、ミオは「やめろ枕の匂いなんか嗅ぐな変態」と毒づく。
彼はチラとレゼアの胸元を見ると、顔を赤くして素早く目を逸らした。
「おまえな、胸元とか少しだけ気を遣った方がいいと思うぞ。なんつーか……ヤバい」
レゼアは襟首の広いシャツを1枚だけ、という格好だった。寝るときは背中のホックが外してあるから、どうしても胸元を強調するような格好になってしまうのだ。
ちなみに下半身は下着のままだったが、ミオはそれについては言及しない。もはや諦めていると言った方が正しかった。
彼女は部屋でいつも通りにシャワーを浴びると、早めに身支度を終えた。
ふと真面目な口調に戻って、レゼアは少年の名を呼んだ。
「ミオ」
「あぁ分かってる。早めに終わらせてくれ」
「うん」
相槌を打つと、彼女はポケットからキーを取り出した。
事務机の一番下にある大きな段――そこの鍵穴へにキーを突き刺して半回転させると、収納扉は開くようになった。
中から出てきたのは黄色いボックスだ。工具でも入っていそうな箱には南京錠が付けられている。
レゼアは机の引き出しから別のキーを取り出して南京錠を解くと、ボックスから出てきたのは――
見覚えのある注射器と、カプセル型の錠剤が入ったプラスチックケースだった。そして緩衝液が5mLの棒型ビンに収められ、中に数本が並んでいる。
レゼアは慣れた手つきで針を替えると、ミオの上腕へそれを向かわせた。
「最初はチクリとするかも。痛かったら言ってな」
「大丈夫。もう慣れたよ」
押し子をゆっくり引いていくと、シリンジの中には赤黒い血液が溜まっていった。レゼアは標線のライン上でそれを止め、片手で棒ビンの蓋を開けて緩衝液を吸う。注射器を振って赤い液体を充分に撹拌させると針を抜いてキャップを締め、彼女はジッパー付きの袋へそれをしまった。
「痛くなかったか?」
「大丈夫だってば」
「そうか。ならいいんだけど…」
2週間に一度の作業を終えるたびに、レゼアは後ろめたい気持ちになる。そして作業する前の晩に見る夢は、基本的に幾つかのパターンに決まっていた。
ミオはケースの中から錠剤を3個だけ取り出すとシンクへ向かった。蛇口を捻ってコップに水を満たし、錠剤をまとめて飲み下す。
吐息。
小指の爪ほどのサイズを持つ錠剤は、少年が生きていくのに必要なものだった。逆を言えば、彼はいまの薬がなければ生きていけないのである。
昔は血液接種だったのを、レゼアが方法を変えたのだ。身体へ負担の掛からない、副作用の少ない方法を模索して辿り着いたのが今の経口接種だった。4年間の月日を掛けて少しずつ量を減らし、ようやく今の量に収まっている。
「調子はどうだ」
「えっ? あぁ、なんとか」
考えごとをしていたミオは不意打ちを喰らい、一瞬だけ反応が遅れる。ガラス製のコップを置くと、彼は何事もなかったかのように向き直った。
レゼアは静かな口調で言う。
「今日さ……また過去の夢を見たんだ」
「以前から何度も似たようなことがあったな」
「うん。もしかしたら私は何かを探しているのかも知れない。だけど夢の中でも、過去の中でも見つからないんだよ」
「そっか……どんな物を?」
「いつの日か見た緑色の灯火を。私は――」
続くべき言葉を見失って、レゼアは沈黙を作った。
私は、ミオの見ている世界を変えられただろうか。4年前に胸のうちで決めた誓いを、今の自分は守れているだろうか?
ふとした時に分からなくなる。たとえば戦闘が終わった直後や、今のように薬の投与が終わったときだ。
彼を戦いから遠ざけられなかった。薬物という呪縛から解き放ってやることも出来なかった。
ミオは優しくレゼアの手を包んだ。指先が右手の裏と表をなぞり、その途中で醜い傷痕に触れる。
「レゼアが何を願っているのかは俺が一番よく知ってる。だけど、ひとりで背負いすぎるのはやめてくれ。俺の隣にレゼアがいて、レゼアの隣に俺が居る。今はこの事実だけで充分だ」
まるで悟ったような語調だ。
何を生意気なことを――と言ってやりたかったが、彼女は素直に首を頷かせた。
ミオ・ヒスィという人間は、本当は心優しい少年なのだ。
冷酷非情な最強なパイロット――だが実際には気弱で、少しシャイで、思慮が深くて億劫な性格の少年だ。
そしておそらく、このことを知っているのは世界中でもレゼア・レクラム1人しか居ないのだ。
少年の黒い瞳を見詰めた。
4年前――あのときに見えた翠色の灯火は、少しだけ大きくなっているように感じた。




