第10話 part-b
第二形態を展開した<アクトラントクランツ>は、受けた致命傷にも構わず反撃を開始する。
白の両翼を広げた姿は、まさに異形の天使とでも形容されるべきだろう。
残像と共にビームの大剣を振り下ろす<アクト>。
「コイツは――――おいおい悪魔かよ畜生ッ……!」
槍ごと叩き折り、大剣は<ヴェサリウス>の機体の右半分を削いだ。右腕と右脚部が切断される。
機転を利かせたダークグレイのAOF<リヒャルテ>は、<ヴェサリウス>を抱きかかえたまま離脱を試みる。
[part-middle:レナ]
――ここはどこだ?
目を開けると、レナの身体は暗い底に横たわっていた。
立ち上がって辺りを見回す。どこを見ても真っ暗で、音もなければ匂いもない。足元を見れば、彼女は素足のままだった。
まるで死後の世界だな、とレナは思った。上を見れば微かな光が差し込んでいるのが分かる。しかし、今レナが立っている深さまで光は充分には行き渡らない。
――無意識の海の底だ。
ここが自分の心の中なのか、と疑問を持つと吐き気がレナを襲った。真っ暗で何もなくて、ただゴツゴツした岩と砂の海底が広がっている、そんな場所。二度と来たくはないな、と彼女は思った。
呼吸すると、塩の濃い水が肺へなだれ込む。レナは思わず咳き込むが、それは果たして逆効果だった。肺から空気が抜けていく。呼吸が出来なくなる。
(だれか、助けて……!)
誰も居ない海の底で、レナは手足をバタつかせてもがいた。救けを請うが、しかし叫ぶことさえ叶わない。
再び意識が飛ぶ瞬間、暗闇の向こうには、ぼんやりと光る翠色の灯りが見えた。
[part-B:レナ]
警告音が鳴る。ピピ、という目覚まし時計のような電子音を耳にして、レナは目を覚ました。
「ぅ、んん……?」
小さく呻いた。
ようやくして五感が戻ってくる。
身体はびっしょりと汗をかいていて、衣服がしっとりと濡れていた。どうやら戦闘は既に終わっているようで、レナは少しだけ安堵した。あの強敵はもうレーダーの範囲外にいるらしく、攻撃を仕掛けてくることはないだろう。正直なところ、見知らぬ土地で、見知らぬ相手と戦闘するのには不安があった。完全な安寧を得たわけではないけれど、レナの気分は心なしか軽くなっていた。
アラートを聞いたのは、残念ながらふかふかのベッドの上ではなかった。狭苦しい空間にあるのは複雑な計器類と、四角いモニタや物理パネル、そしてスロットルやレバーだ。足元には機体を操るペダルがあり、背中には硬いシートがある。ひとりの人間がすっぽり収まる程度のスペースしかなく、人はそれを操縦席と呼ぶ。
『――レナ!!』
「は、はひっ!?」
不意に名前を呼ばれて、レナの背筋はビクンと跳ねた。
声は無線の通信だ。上官であるキョウノミヤの声は今にも泣き出しそうに上擦っている。
『い、生きてるのね? 良かったわ、何度呼び掛けても応答がなくて』
「すみません。どれくらい意識を失ってました?」
『ちょうど1分くらいよ。その間に戦狂<ヴェサリウス>と死喰<リヒャルテ>は撤退したわ。あなた、またセカンドフォルテを使えたのね』
「はい……やっぱりあたし、まだ制御できないみたいで……ごめんなさい」
第二形態――それが、操縦主たるレナを気絶に追いやったシステムの正体だ。現存するAOFの中では<アクトラントクランツ>とその兄弟機、つまり<オルウェントクランツ>にしか搭載されておらず、実際に起動したのは未だレナが駆る1機しか存在しない。
システムは搭乗者の感情に応答して起動するようになっている――というのはキョウノミヤによってアバウトな説明を受けただけだが、詳しいことはレナには分からない。だが、きっとそういうことなのだろう。
キョウノミヤは溜め息して、
『あなたは感情的になりやすいのね。悪いことではないけれど……負担はかなり大きいわ。多用は禁物よ』
言われてレナは鼻白む。
感情的になりやすいのは事実だったが、こう何度もコクピット内で意識を失っていては、笑い事で済まされないだろう。
キョウノミヤは続けた。
『それはさておき、<アクト>は早急に今の場所から離れてください。ASEEの中東管轄部隊がそちらに侵攻しています。小隊規模だけど、合わせて24機いるわ』
「えぇっ!? そんなに!」
素っ頓狂な声をあげ、レナは慌ててコンソール画面を開いた。
最新鋭機である<アクトラントクランツ>といえでも、この状況で24機を相手するのは骨が折れる。隊長格の機体もあるだろうし、相対的な戦力係数は1よりも大きく、24にその値を掛けた数が敵の戦力となる。実際には30機程度の大部隊を相手にするようなものだ。
『傭兵が撤退していったのもそれが理由よ。いますぐ貴女もその場から離れて』
「で、でも……そしたら街の人はどうなるんですか」
レナはおそるおそる訊ねた。
これからASEEの部隊が侵攻してくるということは、進路上にあるこの街にも被害が及ぶだろう。決して考えにくいことではなかった。敵がASEEであることを考慮すれば。
『住民の一部は既に避難を始めているわ。平気だとは思うけれど』
「だけど、逃げ切れない人もいるでしょう。その人たちはどうなるんですか! もしかして見捨てられるんでしょうか」
『……』
レナは食い下がった。キョウノミヤが黙り込む。
内心、呆れているんだろうな――とレナは思った。いつもこんな調子だから作戦の指揮も務まらないし、たった1日で解任される異常事態が起こるのだ。愚かだと笑われるかも知れないが、そんなことはとうに分かりきっている。だが、彼女は譲る気配を見せなかった。
「分かりました、あたしがやります。相手が何機であろうと戦ってやりますよ」
『ちょっと、レナ!』
「この機体のポテンシャルなら充分に戦えます。それに、<アクト>は核からエネルギーを供給できるハズでしょう? だったら機体を少し休ませれば――」
レナは休止状態だった機体をアクティブにする。エンジンはわずか数秒だけ駆動すると、しぼむような音を立ててストップした。メインモニタには赤文字で警告表示が表れる。
「エネルギー不足!? なんで――」
『第二形態でエネルギーを喰いすぎたのよ。ずっと高出力モードを続けていたら大量のエネルギーを消費するに決まってるわ。このままじゃ戦闘どころか母艦にも戻れない!』
「そんな……」
レナは震えた。内部核が充分なエネルギーを生成するまでには、あと5分から10分ほどの時間を要するだろう。それまでにはASEEの部隊が到着してしまうハズだ。だとすれば今の自分に逃げ場は無い。
(ど、どうする? どうすれば――)
知恵を雑巾のように絞る。
予備のエネルギーパックは持っていない。母艦である<フィリテ・リエラ>からの増援も不可能だ。到着までに掛かる時間は最低でも20分程度で、とてもではないが間に合うとは考えられない。それに、特殊装備による透明化も出来ない。消費電力が大きいからだ。かといって機体を捨てるわけにもいかない。
(どうする……?)
思考して、レナはすぐに否定した。ASEEが近づいてくることを知った傭兵たちは、一目散に町から離れていったのである。
くそっ、と物理パネルを叩いたところで、今度は強い電子音が鳴った。
敵だ。円状に示されたレーダーへ、敵を示す赤色のドットが生まれる。
『範囲内に敵よ。距離560!』
「くそっ……!」
ピシャリと頬を引っ叩かれるような思いがした。
自分の見通しは甘かった。いや、甘すぎたのだ。敵を倒せば何とかなると思っていたが、そのためのエネルギーが足りないなんて問題外にもほどがある。
こんなところで――とレナは唇を噛む。何が「力のない人を守る」だ、と吐き捨てると、途端に自分のことが情けなくなってきた。
敵の部隊から幾十ものミサイルが発射される。
「くそッ! 動いて…動いてよ、このポンコツ! さっきまであんなに強かったじゃない! どうして急に動かなくなるのよ!」
レバーを引く。フットペダルへ蹴りをいれる。しかし<アクト>は無言のままだった。
ミサイルが市街地へ着弾する。それと同じタイミングで、もう一度だけ電子音が鳴った。第二波のミサイル群である。
直撃を受けた建物が木っ端微塵に粉砕した。コンクリートの壁が倒壊し、レナはその隅に映った小さな影を捉えた。
さっきの女の子だ。どうやら逃げ遅れてしまったらしく、地面に膝をついて泣いていた。
「う、ウソでしょ……!?」
驚愕と絶望が同時にレナを襲った。
少女は孤児だったのだ。逃げる傭兵たちへ便乗できず、ただ保護してくれる人間を待ち望んでいたのだろう。気の弱そうな性格だったから、助けを請うことも出来なかったのか――
第二波のミサイルが接近する。
「やめ――」
言い終える寸前、レナは無我夢中で腕を伸ばしていた。
幼い少女の身体は盛大な爆発に飲まれていく。さらに続いて着弾が起こり、いよいよ視界が煙に閉ざされた。
「あ……、あぁ……嘘……そんなっ……………」
震えたレナの声を嘲笑うかのように、ミサイルは次々と爆発を起こした。閃光が網膜を妁く。
「なんで…、こんな………」
また守れなかったというのか。自分は。
誰かを守ってあげられるほど強くなりたい――レナはその思いだけに突き動かされ、この高みまで上り詰めたというのに。そのための力を手にしたというのに。
こんなハズじゃなかった。こんな理不尽さを味わうために自分は強くなったワケではない。
なぜ殺した! と叫びたかった。天に向かって吼えてしまいたかった。だが、それで欲しかったものは戻ってこないということを、レナは6年前から良く知っていた。天に吼えても、神様に牙をむけたとしても、大切なものは二度と戻っては来ないのだ。
受け容れがたい現実。喚いていても、否定をつづけても上書きされることのない事実だった。
崩れた瓦礫の山に、1機のAOFが立った。ASEEの量産機である<ヴィーア>だ――クリーム色の装甲に包まれた四肢とコアの部分を染める黒が対照的である。統一連合の量産機である<エーラント>と比べると丸みをもった頭部が特徴的で、現れた敵機は深紅の機体を一瞥すると、すぐに武器を向けた。
マシンガン型の実弾装備だ。
(くそっ、ここで終わるなんて――情けないわね)
レナは運が悪すぎた。第二形態でエネルギーを喰いすぎた挙げ句、傭兵を撃退したあともASEEに襲撃されるなんて不幸にもほどがある。
いよいよ諦めかけた時だ。遠方から放たれた青白い閃光が、まるで光矢のごとく<ヴィーア>の動力部を狙撃した。ビームは照準した箇所を的確に狙い打つと、2発目はコアへ命中。突き刺された敵機は瓦礫の向こう側へと転落し、見事に爆散する。
「新手っ!?」
まさか援軍が――と一瞬だけ期待したのち、その気持ちは絶望へと容赦なく叩き落とされる。
ASEE部隊が進軍してきた方向と対極に現れたのは、漆黒の機体<オルウェントクランツ>だった。護衛である特機仕様の黒い<ヴィーア>を連れている。
「えっ………、なんで! だってあれは――」
<オルウェントクランツ>はASEEによって奪取された機体だ。それが何故、同胞であるはずの<ヴィーア>を撃ったのだろう?――とレナの思考が狼狽したとき、無線からは男の低い声が飛び込んだ。
この周波数を知っているのは、レナともう1人の少年しか居ない。
『……なんだよ。こんな場所でくたばってんのか』
「! 相ッ変わらず嫌味な奴…!」
『まぁいいさ。今回の相手はお前じゃないからな、ザコは地面に這いつくばって眺めてるといい』
声は揶揄するように笑って、<オルウェントクランツ>は敵の部隊へと向き直った。
崩れた市街地から向こう側には、ゾロゾロと敵の姿が見えた。合わせて20機前後ほどだろうか――その中にはパーソナルカラーに彩られた、深青色をした隊長機の姿もあった。
「これは……一体どういうことなの……?」
第二形態の覚醒時間が終了し、意識を取り戻したレナ。
しかし、動かなくなった<アクト>に新たな敵が接近していた。
ASEEの中東管轄部隊が侵攻を開始したのだ。
砂漠の街に現れた20機ほどの<ヴィーア>は、震えたレナを嘲笑するかのように街を、人を焼いていく。
「なんで…、こんな………」
また守れなかったというのか。自分は。
なぜ殺した! と叫びたかった。天に向かって吼えてしまいたかった。
マシンガン型の装備を深紅の機体へ向ける量産機<ヴィーア>。しかしトリガーを引く前に機体は爆散する。
侵攻部隊が進軍してきた方向と対極に現れたのは、同じくASEEであるはずの漆黒の機体<オルウェントクランツ>だった――。




