働くことになりました
壁に掛かった時計は二十時を回ったところ。
どうせ春樹が冬里に誤解されて昨日のようにワイワイ騒ぐだけと思って風呂に浸かりゆったりしている間に、春樹は青葉にガチ説教されていた。なんとか誤解を解いたのだが今度は夏希がもっと女の子として、と小言をくらってしまった。
夏希に続き春樹が風呂に入り、順番を待つ冬里に夏希は水気を取っただけの濡れた髪をドライヤーで乾かしてもらった。
冬里がお風呂から上がると夜ご飯となり、昨日に引き続き鍋だった。
食後しばらくして夏希は疲れたので早めに休むと理由を付けて部屋に戻ってきていた。香月家の面々はまだリビングで過ごしている。
夏希が疲れているのは本当だが、流石に就寝にはまだ早い時間であるため眠気はなかった。
そこで眠気がやって来るまでの暇をつぶしにと自身の部屋の中を見て回っていた。
まだ夏希に友達がいた頃。友達の家に遊びに行っていたらよく机の引き出しやらを物色していた。昔のアニメグッズにテレビや雑誌で紹介された玩具、初めて見る品々を発見するのが好きだった。その中から買ってもらえなかったり、興味があったものを数年越しに遊んだりした。
いま思い返せば迷惑な行為だ。部屋の中を見るとその人の生きてきた軌跡を体験しているようで楽しかった。
しかしこの部屋には人が暮らした歴史はなく、置かれているものは新品な物しかない。久しぶりの部屋の物色にワクワクしたが、その気持ちもすぐに冷めてしまった。
青葉の説明になかった机の中を探ったり、夏希好みに配置替えしたりしていたが、それもすぐに終わり手持ち無沙汰となった。
特に趣味もない夏希は就寝までは大体テレビを見るか、ネットニュースを見たりして過ごしていたが、この部屋にはネット環境もなければテレビもない。
しんと静まった部屋の中で立ち尽くす夏希は、自分の部屋にテレビのなかった中学生時代にどう過ごしていたか思い返してみた。
勉強はしていなかった。これは断言できる。だとしたら漫画かゲームだろうか。そういえば現在であれば一度読めば満足できる漫画も、あの頃は何度も何度も読み返していた。展開が分かっていてもドキドキしたし、新刊がでる日はワクワクしていた。
ゲームもクリアできずに何度も挑戦していた。いまなら解らないクエストはスマホで検索すればすぐに答えが出てくるが、当時はそんな環境がなく友達と教え合ったりして攻略していった。攻略本を持ってるやつの家にいってかじりつくように読んだこともあった。
子供の頃はすべてが新鮮で楽しむことが出来た。それが大人になると物事への興味が薄れていった。もちろん興味が全くないわけではないが、何をやっても一歩引いた目線で見てしまい素直に楽しめなくなった。
少し考えてみたが遂にやることを見つけられなかった夏希は通学カバンから板書したノートを取り出した。復習など柄ではないがこれぐらいしか暇つぶしを思いつかなかったのだ。
「よしっ」
これでも夏希は凝り性な性格だ。解かりやすくアレンジしてやろうとペンケースから複数の色ペンと定規を取り出した。
今日受けた授業は各教科もノートには一ページ分も書き留めてないので、見やすく工夫しようにもそれほど内容がないので、それもすぐに終わってしまった。
「これって解かりやすくなってるのかな。カラフルにし過ぎて見づらくなってない?」
夏希はペンが散らばったローテーブルに広げたノートをしばらく眺めていた。自分なりに注釈を入れたりしてみたが、もともと勉強に本腰を入れたこともないなりに少ないアイディアを出して張りきってみたものの、わかりやすいノートになったかと言えば首を傾げてしまうできだった。
学生時代に夏希は基本的に黒と赤色のペンしかペンケースに入れていなかったので、色とりどりのペンが入っていたので使ってみたくなり書いていったのだが、結果的にノートはどこが重要な箇所なのかが解らなくなってしまった気がした。
「うあー。やっぱりこういう事はわたしには向いてないなー」
自身のセンスのなさにテーブルに身を投げ出してしまう。
夏希が一度目の学生時代に見かけたカラフルなノートを書いていた人たちは、どう色分けをしていたのだろうか。慣れだろうか。続けて繰り返すことで出来るようになるのか。もしかしたらいまの夏希のように色んなペンを使いたいだけだったのかもしれない。
夏希には向いてない事がわかった。返ってノートが見にくくなってしまったため、以前と同じように教師が黒板に書いた通りにノートを取ろうと決めた。
「夏希ちゃん。いるかい?」
部屋の扉がノックされ向こう側から青葉の声が聞こえてきた。
「どうしたの?」
「ほら夕方の続きを話そうかなとおもってね」
「ああ。そういえば処遇がどうとか言ってたやつか」
たしかにそんな話もしていた。言われるまで夏希はすっかり忘れていた。
青葉を部屋の中に招き入れた。
「お。授業の復習してたの? 立派立派。下に居る子たちにも見習ってほしいね」
「いや、これはやる事がなかっただけで」
ローテーブルに広げられたノートと筆記用具を見た青葉は夏希が復習をしていたものと捉え褒めた。その広げっぱなしだったカラフルにしすぎて要点がよくわからなくなってしまったノートを見られまいと夏希は隠すようにカバンに素早く片付けた。
「早速だが話に入ろうか。ふたりがテレビに夢中になってるうちに話し終えたいからね」
そう言って青葉は封筒から分厚い紙の束を取り出してテーブルにドスンと置いた。
契約書と見出が書かれた用紙を引きつった顔で夏希は手に取り確認していく。小さい文字で所狭しと並んだ小難しい文章に頭を痛める。二枚目に差し掛かったところで、これを読んだところで意味が無いのではと気付いた。もうすべての工程をすっ飛ばして夏希は薬を打たれたあとなのだ。
それに真面目に読み続けたとして朝までかかるだろう。到底春樹と冬里がテレビを観終わるまでに読み終える量ではなかった。
「青葉。これは全部読まないといけないの?」
「ん? 読まなくてもいいよ。だって今更だろう」
「おい。じゃあなんで持って来た」
あっけらかんと読まなくていいと言ってのける青葉に手に持った書類を投げつけて夏希は抗議の声をあげる。
「これを見た時どういう反応するかと気になってね」
「正直ぞっとしたよ」
「これを見た時の夏希ちゃんの顔といったら。写真に収められなかったのが残念だ」
「青葉って性格悪いよね」
夏希の不満げな顔をみて満足した青葉は、散らばった書類を拾い上げて整えると持って来た封筒に紙の束を仕舞ってしまった。
「本来であれば時間をかけて今の書類に沿って進めていくのだが、夏希ちゃんの場合は少し特殊でね」
「全部青葉のせいだけどね」
「まず守秘義務のサインをして、本当にプロジェクトに参加しても大丈夫ですかとプロジェクトの説明からはじまるわけなんだが、今更これをキミが見たところで全く意味をなさない」
夏希のつっこみは青葉にスルーされ話は続く。
「実験が始まるともう後戻りできない。けれど始まる前なら途中で拒否することもできる。まさしくその人の人生が終わるわけだからね。ゆっくりと時間をかけて説明を重ねて被験者の意思を確認していく。そしてはじめて薬の使用にたどり着き、私の出番となるはずだったんだ。それなのにプロジェクトが凍結されているにも関わらず、なんの間違えか私に被験者の決定通知メールが届いてしまい、今回の事態が発生したわけだ」
「そこはもう聞いたよ」
物語の導入のように語り出した青葉に夏希がストップをいれる。
「つれないね。まあいい。あれやこれやとあって、成人からやり直す場合は支度金やらを、未成年からなら協力者の里親を用意して手厚くサポートをするわけだったんだが。プロジェクトが凍結されたいま、それももう叶わなくなってしまった」
「それでしょうがなく青葉がわたしを引き取る事になって、香月夏希にするしかなかったのか」
「こらこら。何故そう私が嫌々引き取ったように描写するんだ」
「だって」
「私が夏希ちゃんを引き取ると決めたのはプロジェクトの凍結を知る前だ。もともと最初の子は観察もかねて私が面倒を見ると決めていたからね」
確かに青葉は東間という人物に電話をかけてからプロジェクトが凍結されていることを知った風だった。あのやり取りを見るに動揺した青葉の姿は演技ではなかったと夏希は思う。
「まあそれはいい。所長が国の上の方と話をした結果。国はこのプロジェクトから完全撤退していると回答された。まあ、夏希ちゃんの件について国は一切係らないと決めたようだ。当然支援もない。だから夏希ちゃんには働いてもらうことになった」
「うん。わかった。わたしは何をすればいいの」
「うちの研究室にお茶を入れに来てくれたまえ」
「……。は?」
「夏希ちゃんのお仕事は、毎月の健診で研究室に来てもらうついでに研究員にお茶を入れること。それで所長が国からのふんだくったお金から給料を支払い、それを支援金とするってね」
青葉は一枚の書類を取り出して夏希に渡した。
その用紙には出鱈目な仕事内容が書かれていた。先日まで働いていた夏希の職場の給料よりも、お茶くみの給料の方が多くて軽く眩暈がした。
「もとはと言えば国が自ら立ち上げたプロジェクトに情勢的に雲行きが危うくなったからって勝手に凍結して。私たちは知りませんって言い出してた上の方々に所長が切れて、あれこれいちゃもん付けてうちの研究室への資金を増額させたから資金面は問題ないみたいだよ。だから月々この額が支給されます。そしてこっちが支度金として支払われたから」
続いて支度金と言って夏希の名前が書かれた通帳を青葉が見せてくると、その記帳された額に目を見張る。まだ見ぬ所長とやらはいくら国からふんだくってきたのだろうか、夏希には想像もできなかった。
「お茶くみが仕事ってのもおかしいし、それに対してこの額を支払うのは」
「こんな美少女にお茶を入れてもらうんだ。むしろ少ないぐらいだと私は思うけどね」
あいつらにセクハラされそうになったらぶん殴っていいからと青葉は付け足した。
「そういうことで今週末は研究室に行くから夏希ちゃんもそのつもりでいて」
「う、うん。それじゃわたしは明日からも」
「もちろんここに住んでもらうよ。ちなみに夏希ちゃんに拒否権はないからね」
その言葉に夏希は思わずほっと胸を撫で下ろした。
「はい。これが夏希ちゃんの新しい携帯電話。同じのはもう売ってなかったから、同じ機種を購入したけどよかったかな? それと以前使っていたアカウントには絶対ログインしたらいけないからね」
「そっか。そうだよね」
処分した携帯電話の代わりと言って渡されたスマホの入った紙袋を青葉が差し出す。その紙袋からスマホを取り出すと、サイズは変わらないはずなのに夏希の手には大きく感じられた。
行方不明となった人物のアカウントに他人がアクセスしていることがバレたら問題になるからと青葉が念押ししてくる。そのアカウントについても買った電子書籍が勿体ないと思ったぐらいで夏希が惜しむようなことはなかった。
多額の金額が振り込まれた通帳は青葉が預かることになった。万が一にも春樹や冬里に見つからないようにとのことだ。今の状態なら亡くなった両親の遺産と言えなくもないが、これから毎月振り込まれるという支援金とやらを見られると言い訳が面倒そうなので、夏希も預けることに賛成した。
また以前に夏希が住んでいた所と違い、ここではすぐに手に入らない物が多いからと青葉は言ってキャッシュカードとクレジットカードを夏希に渡してきた。お金の使い道は夏希に任せるとのことだった。
ただしネットで注文する時は春樹たちがいない時間を設定して、事前に青葉に知らせておくように言われた。そして目につくような買い物は出来るだけ春樹や冬里に怪しまれない、あくまで学生のおこづかいの範囲での使い方をしてほしいとも言われた。
「私の話はひとまずはこれくらいかな。質問はあるかい」
「えっと、じゃあひとつ。研究室ってのはどこにあるの?」
「隣町だよ。家から車で一時間ほどの距離かな」
「そこでわたしは何をすればいいの」
「ただの健康診断だよ。薬の影響や身体の異常がないかを調べるだけさ。それとついでにお茶を入れるんだったね」
忘れるところだったと青葉がイタズラっぽく付け足した。
「質問はそれくらいかな。私も部屋に戻るよ。用事があればいつでも訪ねてくれ」
お休みと言って青葉は部屋から出て行った。
働いてもらうと青葉が口にした時に夏希は、この生活が終わる事を少し残念に思ってしまった。
ここ香月家で暮らしたたった1日も、緊張してそれどころではなかった今日の学校生活も短い時間ながら楽しかったのだ。
だからまだここに住んでいいと青葉に言われたとき夏希は嬉しかった。
短い付き合いだが青葉は冗談の様なことを言うことはあるがウソはついたことはない。
夏希はひとまずスマホを起動してセットアップを完了させる。アプリストアのアカウントを作成して、よく使っていたアプリをインストールしていく。ひと通りインストールして気付いたがアプリを起動するとまたアカウント登録を求められる。いちからだと面倒だなと画面と睨みあっていると着信が入った。
もちろん表示されたのは知らない番号。夏希は知らない番号からの着信には、怖いので絶対に出ないことにしていた。しかし突然の着信画面に焦った夏希は思わず応答をタップしてしまった。
「も、もしもし」
『あ、夏希ちゃん? 私、私。青葉だよ。』
「はぁ。なんだ青葉か。驚かさないでよ」
『ん?』
「何でもない。それでわざわざ電話で何の用なの?」
『わかっちゃいると思うけどこれが私の番号だから登録しておいて。登録名はお母さんでもママでもいいからね』
「あー、うん。はいはい」
夏希は今まで携帯の連絡先登録は家族だろうとフルネームで登録していた。なので青葉の願いは叶わない。
『それともう紙袋の中を見たかな? スマホケースと小箱が入ってると思うんだけど。小箱の方は私から夏希ちゃんへの誕生日プレゼントだよ。遅れちゃったけど誕生日おめでとう』
「……。ありがと」
今度こそお休みと言って青葉から通話が切られた。
夏希は紙袋の中を探ると青葉の言った通り薄いピンクのスマホケースと白い箱が入っていた。そのスマホケースを開封してスマホに装着する。青葉は一体どれだけ夏希の持ち物をピンク色に染め上げたいのだろうか。
ケースを装着するだけで可愛らしくなったスマホを眺めていると再び通知が入る。ショートメッセージの様でまた青葉からだった、今度は自宅の電話番号と青葉のメールアドレスが書かれていて、これも登録しておくようにとも書かれていた。
ひとまずそれらの情報を先に登録することにした。自宅は自宅と登録して、青葉は香月青葉と登録しておいた。
登録を終えると夏希はスマホをテーブルに置き、誕生日プレゼントという白い箱を取り出してリボンを解いて開封する。
その箱の中には財布が入っていた。色はもちろんピンク色だった。まったく、この謎のピンク推しは何なんだろうかと疑問に思う一方で夏希の顔は笑顔が浮かんでいた。
香月夏希としての誕生日は二日前となっている。その日が誕生日と言われるとまだ違和感しかない。しかし偽りの誕生日とはいえ、誕生日を祝ってもらったのはいつぶりだろうか。あらためて祝ってもらえる嬉しくさを感じた。
その財布を手に取りしばらく眺める。一度箱に戻して財布の写真を撮り、メールにその画像を添付してお礼の文を入力して送信した。
クレジットカード類を入れるために財布を開けると、中には千円札が五枚と一枚のメッセージカードが入っていた。
メッセージカードには誕生日おめでとうの文字と、その下にはウチのおこづかいは月々五千円。大切に使うようにと書かれていた。
夏希はそのメッセージカードを取り出すと財布の入っていた箱に丁寧に仕舞った。




