推敲
臨月に入りました。
やたら眠いのです。
娘が寝ている間しか、自分の時間はないのですが。
毎日、娘と一緒に寝てしまいたい衝動に駆られます。
もうすぐ2歳の娘、よく寝るのですけどね。
同じだけ寝る31歳、は病的であります。
エブリデイ休日でなかったら、生活ができないレベルです。
いよいよ、なろうから消える日も近いかもしれません。
まだだろうな、とは感じているのですが。
いつ産まれてもおかしくないというのは、不思議な心持ちです。
出産日は、神のみが知っております。
さて、今回のテーマは『推敲』です。
難しい問題であります。
エッセイを書くとき、夜中にバーっと勢いで書くのですが。
次の日に見返すと、まったく意味が通じておりません。
「え、何コレ」と思います。
ここでの完成度の低さは、野田が天才でないことを如実に現しているかもしれません。
「文章力がないんじゃ」とも思います。
嘆いていても始まらないので、いつも推敲をします。
しかしながら。
何度も読み返すうちに、よくわからなくなってくるのです。
だんだん読みやすくなってきたような気もするけど、途中から語尾しか直していないような気もしてきたし、むしろ自分が読み慣れてきただけではないのか、と。
やたら迷っていることがあります。
そのたびに、「完璧な文章などといったものは存在しない」という村上春樹さんの有名な一節を思い出します。
ある程度を直し終えたら、そこから先に意味はなそうだとも思うのですが。
1000文字の推敲に2時間かけていることもあります。
もっと有意義で効率的な時間のかけ方があるとも思うのですが。
これが、たぶん野田が小説を書けない理由なのです。
文章を書く体力もないのですが、推敲だけで疲れてきてしまいます。
本末転倒。
文章だけ良くなっても中身がついてこなかったら、意味がありません。
もっと読むことや書くことに時間を使いたいところです。
結論、がむしゃらに膨大な量を書くことが大事。
初めから完璧を目指して推敲などしてはいけない。
ずいぶん前から、そう感じているのですが。
推敲をやめられない性。
ごちゃごちゃ考えるのは良くないのです。
とにかく楽しく書くのが、いちばんであります。
書かなければならないという使命感や義務感もいりません。
そういうものがないと、個人的には何も書けないのですが。
世の中には文章を書くよりも楽しいことが存在するという紛れもない事実。
それが、野田の問題点なのかもしれません。




