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第三章:夕闇に映う色14

案内された扉をくぐると天井の高い大きな部屋に出た。

入り口の小ささから見ればアンバランスなほど広い空間はどこか清廉で祈りの場のような雰囲気がある。

高い位置にある窓から差し込む光の筋は何処を照らすべきなのか知っているように一体の像を照らし出す。

少女の面影を残したその像は凛とした佇まいで天を見つめていた。

一箇所だけはめ込まれた赤い色ガラスから差し込む一筋は彼女の持つ剣を照らしており、空が変化するたびに赤い光が揺らぎ、炎が踊っているかのようだ。

その剣は彼女の身長を越すほど大きい。

それなのに少女の像には今にも駆け出していきそうな躍動感があった。エイナの像とはまた違う。


「リン・オニキスですよ」


不思議そうに像を見上げていたセイラにメイヤーが告げた。


「リン……」


聞いたことのある名前だった。

彼女の話をしてくれたのは姉のユリザだっただろうか。


「初代『陽炎』の将軍……このような像があるなんて知りませんでした」


ケイトは呆然と呟いた。

おそらくマルスに次いで伝説の多い人だったが、像はあまりない。

城の中にさえ一体としてなかったのだ。本人が嫌ったからと言われているが真偽のほどは分からない。


「初代って事は国始めのころの方ですの?」


「いえ、我が軍が『陽炎』『月影』の二軍構成になったのは三百年ほど前のことです。それまでは『アカツキ』と十二将で構成されていたはずです。彼女の時代が初めてなんですよ、対の魔剣が揃ったのは」


その禍々しい伝説に、美しさに惹かれ、対の魔剣を手にしたものは多いと聞く。

そして、誰一人使いこなせたものはいないのだと。

二つを離すことでようよう扱えるようになった。

月影はカイ・サーフェイス。陽炎はリン・オニキス。この二人が後の『月影』『陽炎』の初代将軍となったのだ。


「へぇ。今、キース将軍が持っている剣だよね」


「ええ」


長身のキースが持っても大きく見える剣だ。

どれほど大柄な女性が持っても手に余る。それなのに、像の少女は華奢といっても良かった。


「彼女も戦乱で親を亡くした孤児だったようですよ。彼女の持つ剣はすべてを守るためのものです。子どもたちの守護にはよいでしょう?」


元は信仰の場所だったのであろう。生活の場が表街に移るにしたがって打ち捨てられた場所を借りているのだという。

磨り減った像の足にかつての信仰の深さが伝わってくるようだった。


「貴女がハナさんですか?」


ほうと像に見入るハナにメイヤーが声をかけた。

何故己の名前を見知らぬ場所で出会った老人が口にするのか検討もつかないハナは少々まごつきながら頷いた。


「ええ、そうですわ。……どこかでお会いしましたかしら?」


「セイラ様と一緒に居られたので、きっとそうではないかと思っていたのですがね。ハナさんのことはクロエに聞いたのですよ」


「クロエ……ああ!」


つい先日、ハナが宣戦布告をしてしまった相手のことだ。


「では……」


クロエの養い親のことは侍女仲間から多少は聞いていた。

昔は名の通った地方貴族だったことや最近では領地を追われ没落したということ。

クロエは美人の上、そつが無い。

そして、少々冷たく見える態度のせいか、彼女たちの言葉には少なからずやっかみがはいっている事を知っていたので話半分に止めていたのだが、没落したというのは嘘では無さそうだ。

洗いざらしの服は、貴族が好む絢爛豪華なものからは程遠く、節くれだち荒れた手のひらはジニスの男たちのものとよく似ていた。

何もかも貴族からは程遠く見えた。その慈愛に満ちた優しい微笑さえも。


「挨拶が遅れましたね。マーク・メイヤーと申します。クロエは私の娘になります」


目の前の老人は娘の名前を告げるとき誇らしげに微笑んだ。ハナは得心した。

これが彼女の守りたいものなのだ。

失いたくないと願っているものなのだ。

どんなに口さがない影口を叩かれても完璧な侍女を演じ続けて必死に守っているもの。

分からないなんて完全に言えなくなったしまった。

クロエがハナの気持ちが分かるといったように、ハナにも彼女の心情が手に取るように分かってしまう。

それと同時にもっと話してみればよかったという思いに駆られたのだ。あの時は、威嚇するように己の想いだけを打ちつけた。


「マーク・メイヤー様ですか。あのザクセンの」


隣に居たケイトは驚いて声を上げた。

彼が想像通りのマーク・メイヤーならばリン・オニキスと同じほど有名人ということになる。

メイヤーがザクセンの領主であり、その手腕が今でも語り草になっていることはケイトもよく知っている事だったが、彼が城に顔を出していたのはずいぶん前のことで、ほわりと笑う老人がその人だと実感は出来なかった。

なにしろメイヤーは百戦錬磨でマルスの再来とまで言われた先王に怯む事無く口答えできた数少ない一人なのだ。

もっと苛烈な人物を想像していた。

目の前にいる人物はケイトの故郷にもいる気の良い老人に似ていた。


「もう十年も前の話です」


メイヤーが微笑むと目尻には深い皺がはいる。


「まさかタナトスにお住まいだとは」


ザクセンを追われてからの行方はようとして知れなかった。

メイヤーさんを領主に戻して欲しい。

その嘆願は日々届いてきたし、領主といわないまでも知恵を借りたいという地方はいくらでもあったのだ。

こんなに近くにひっそりと暮らしていたなんて。


「目的地はたくさんありました。ジオス、タルダン、スーサ。助けを必要としているところはいくらでも。一番助けの必要な場所は哀しい事にここなのですよ」


光が強ければ闇もまた強い。

富むものは富み、貧しいものは生きるのさえ困難だ。

入り組んだ街並みの向こうに打ち捨てられた人々がどれほどいるか。


「ルーファ王は賢明です。けれど全てのものに一度に手を差し伸べることは出来ません」


タナトスには国営の孤児院が出来た。

それは画期的ではあったけれど、全てをまかなう事などできないのだ。

それを聞きつけ地方が流れ込んだ孤児たちが裏街に溢れていく。ここにいる子どもたちは孤児院にさえ居場所の無かった子どもたちだ。

場が沈んだところで子どもたちの笑い声が弾けた。


「メイヤーさん!お菓子作ろうよ!」


「早く! 早く!」


材料がそろったので子どもたちは待ちきれないらしい。

子どもたちを引き止めることが出来なかったトッドは申し訳無さそうに扉の向こうから顔をのぞかせている。


「おにーちゃんもおねーちゃんもサンディアさんも早く〜」


「お茶はお菓子が出来てからにしましょうか」


そのメイヤーの言葉を合図に子どもたちは近くにいたサンディアの手を引き、ハナとケイトを早くと追い立てていく。


「おねーちゃんたちもね」


それだけ言って子どもたちは突風のように去っていった。

ぽつんと残された三人の間にメイヤーの笑い声が響く。


「待ちきれなかったようですね」


ずっと楽しみにしていたことだ。無理もない。

笑いをおさめるとメイヤーは二人に向き合い、居住まいを正す。


「申し遅れましたね。ご結婚おめでとうございます」


「ありがとう!」


寄り添うように隣に居るのが自然な二人に眦が緩んでいくのが自分でも感じ取る事ができる。すべてうまくいっているように見えた。

ルーファ王は賢く、戦を好まない。国は安定し、形だけでもエスタニアの支援を受けることになっている。

一番懸念していたジルフォードにも寄り添うべき相手が見つかり、母親との再会もうまくいった。

一抹の不安はうまく行き過ぎているからだろうか。

安心しきったところで、大波に攫われてしまうのではないかと思っている自分にメイヤーは首を振った。今は目の前の幸せを喜ぼう。


「皆さんを導いてくれたシルトに感謝しなくてはなりませんね」


「クロエにも感謝しなくちゃ」


「クロエにですか?」


「うん。たぶんジンが外に出ようと思ったのは彼女のせいじゃないかな」


メイヤーのところまで行き着いたのはシルトのおかげに違いない。

シルトをおって裏街へ。そしてシルトをとりに来たトッドに導かれて此処に着たのだから。

けれど、直接の理由はクロエがザクセンのことを話したから。


「……先王を恨んでいますか」


ジルフォードの口から出たのは静かな声だった。

父と言わずに先王と言ったことに永遠に離れてしまった二人の間には修復される事のない溝が見えるような気がしてメイヤーはきつく瞼を閉じた。


「いいえ」


それは本心だった。

例え貴族がメイヤーを領主から引き摺り下ろそうとしても、

王が諾と言わなければ成立はしないのだ。

先王は処分理由も薄っぺらな紙切れに印を押したのだ。

怒りもあった。哀しみもあった。けれど、もう過去の事で恨むなんてことは一度たりとも無かった。


「あれは彼が出来た最善の策だったのでしょう。対外関係は落ち着いてきたといってもまだまだ不安定な時期でした。国内でも揉め事は誰もが避けたかった。街道を整備し、産業を活性化する、国を豊かにするためだと言われれば反対する理由などありません」


そして、まさしくそうなった。産業が発展し国は豊かになった。

全てが正しかったとは言えないけれど、エスタニアを交渉の席に引っ張り出すことができるまでの国力はついたのだ。


「クロエに聞きましたか?」


ジルフォードの頷きにメイヤーは小さく笑った。

自分がコレほどまでに穏やかでいることが出来るのは代わりにクロエが怒ってくれたせいもあるのだ。

小さな賛同者はいつでもメイヤーの味方だった。今でもそれは変わらない。


「ケネットという青年にザクセンの事を知りたいのならば貴方に会えと聞きました」


あまり耳馴染みの無い名前にメイヤーはふっと目を細めた。

記憶の宮殿からその名を取り出すと納得したように頷く。


「ああ、記録者にお会いになったのですね」


「……記録者?」


「ええ、表向きは保管庫の管理をしていますがね、記録者といった方がよいでしょう。この国の歴史をくまなく知っているのは彼だけでしょうね。過去。現在。全ての記録を飲み込んで、彼等は未来を垣間見るそうですよ。不思議な人物ではありませんでしたか?」


極端に人との関わりが少なかったジルフォードにはケネットが不思議なのかはいまいち分からない。

外見だけならば、あまり見かけるタイプではなさそうだった。少なくとも城には彼と同じ格好をしたものはいなかった。


「……どうだろう。けれど、名を告げると不思議なことを言っていた」


「優しい叶え人」


メイヤーはくすりと笑った。


「叶え人?」


首をかしげたセイラにメイヤーは笑みを浮かべたまま話し始めた。


「願い事を叶えてくれる“ジルフォード”のことですよ。私の知っているのは先代ですがね、彼はその話がとても好きでした。おそらく次代にも告げたのだと思いましてね」


満月の夜に現れる夢幻の話。

闇夜から現れる影のような存在はどんな願いでも叶えてくれる代わりに相応の代償を持っていく。

どこかで捩れた物語は、その存在を唯の恐ろしい魔物へと変えてしまったのだ。


「優しい叶え人。いい呼び方だね。その記憶者さん、会いたいなぁ」


「台帳の保管庫にいる」


「そこで働いてるの?」


台帳の保存庫ってどこだっけ。

城の地図を頭のなかで広げているセイラの上に重い声が降ってきた。


「記録者は、あの小さな部屋から出る事が出来ないのですよ。何代も前の王が怖れたのです。未来を読むことのできる一族を。彼等の先祖は一族の命をつなぐ代わりに、あの部屋に縛られ王家のためだけに歴史を編み、未来を読むことになったそうです。」


「ずっと? 外に出れないの?」


「ええ、記録者に選ばれてしまうと城より先には出れないと」


そんなのひどい。

あんまりだ。


「私、記録者さんに会いに行く」


頬を膨らませ宣言したセイラにメイヤーはふっと笑いかけた。


「それがいいでしょう。きっと喜びますから。」


先代の記録者は偏屈で、いつも憎まれ口をきいたけれど誰かが訪ねてくるのを心待ちにしていた。

最後に会った時、彼は己の跡継ぎを見つけたことをとても後悔していた。

それは石の部屋にその子が次代を見つけるまで閉じ込めると決めるのと同義だからだ。

ああ、そうか。

もう彼はいないのだ。

メイヤーはあっと言う間に過ぎていった10年の重みがずしりと圧し掛かってくるような気がするのと同時に、新しい時代が動くのを感じていた。















外には大きな鍋が用意されていた。

シルトと砂糖が入れられぐつぐつと音を立てており、鍋をかき回している年長の子どもたちの額には汗が浮いていた。


「ジャムを作るのですか?」


ハナに問いかけられたカーサはふわりと笑った。


「ええ、保存もききますからね。向こうではクッキーに砂糖漬けも作っているのよ。手伝ってくださるかしら」


「もちろん! さぁケイト殿も行きますわよ」


俄然やる気を出したハナは袖を捲り上げた。

菓子作りは可愛らしく見えて中々の重労働なのだ。

子どもたちのお腹を満たすほど作ろうと思えばなお更だ。

日々鍛えている腕を存分に使ってもらおうと子どもたちと一緒にケイトを追い立てる。


「そっ、そんなに押さなくても行きますよ!」


「では、早く歩いてくださいまし」


微笑ましい光景に頬を緩ませているカーサについでサンディアも微笑んだ。

目尻の赤くなっているサンディアに事の成り行きを見て取った聡いカーサは何も言わなかったが、眼差しには暖かさが満ちていた。

何処の手伝いに行こうかと思案しているサンディアの元に一人の少年が駆けてきた。


「サンディアさん」


「どうしました?」


「これね、サンディアさんに渡してって言われたの」


少年が手渡したのは一通の手紙だ。

指先に感じるのは、長らく触っていなかった最高級の紙質だった。

シミひとつないシルトのごとき真白な紙に映える赤い封蝋。

白い花に埋め尽くされた世界にぽつりと異彩を放つ赤が心の奥をざわつかせた。



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