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第二章:白き花の告げるもの4

ここ数日観察していて分かったのだが、ジルフォードという人物は恐ろしく隠れるのがうまいのだ。

ふっと気を抜いた瞬間に、たちどころに姿を見失ってしまう。

足音もしないものだから余計に探し出すのが難しい。

それが必然的に身についたのだとしたら……そこまで考えてクロエは頭を振った。

こんな余計な事を考えていては、またもや対象を見失ってしまうと、廊下の先をぐっと睨みつけながら辛抱強く待った。

いつも、この辺で見えなくなってしまうのだ。

今日こそ接触を試みておかなければ。

彼に近づける状況で、尚且つ他の娘が近づけない時期はあまり長くない。

最早見慣れた色が視界に入ってきたとき、クロエは思わず身を引いた。

姿を隠す必要など無いのに、見つかればうまく撒かれてしまうような気がしたのだ。

そっと後ろに続くのだが、声をかけるタイミングがつかめない。

向こうの足取りはゆっくりとしたものなのに、間にある距離はなかなか縮まらないのだ。

ジルフォードが角を曲がった後に、ふいに姿が見えなくなった。

また見失ったかと、大きな柱のある廊下で肩を落とす。

ふうと長いため息をつき壁に背を付くと、背後でカツンと響くものがあった。

そんなことはありえない。

後ろは正真正銘の石壁なのだから。けれど、耳を寄せてみれば微かに音がし、壁に手を這わせば、僅かばかり違和感がある。

馬鹿なと思いつつ、力を込めれば石壁の一部がすっと沈んだのだ。

恐る恐る中を覗き込めば、人一人がやっと通れるほどの薄暗い通路が続いていた。


本当にこんな場所を通っているのかと疑問が湧き出てくるのだが、前方では微かな足音がしている。

クロエはえいとばかりに通路に身を投げ入れた。

手を離すと自然と壁が閉まり、もう前方へと続くしか道はない。

恐怖心と使命感がせめぎあいながら、クロエを突き動かす。

ほんの少しの好奇心もあったのだろう。

通路が傾斜しているのが感じられ、地下にもぐっているのだと分かった。

どれほど進んだだろうか。

かなりの距離を歩いたと思うのだが、急にぽかりと開けた空間に出たのだ。

全身を冷たい空気がそっと包み込む。

薄暗さに目が慣れてくると、ぼうと白いものがたくさんあるのが見て取れる。

それが全て棺だと気づいたときに、まさしくクロエは総毛だった。

恐怖ではなく、自分の浅はかさを呪って。

その棺の数に、この場所が何なのか気づいてしまったのだ。

今や、王族しか入ることの出来ない聖地。

そんな場所にふらふらと入ってしまったことがばれると身の破滅だ。

見つかる前に引き返さなければ。

頭がその答えをはじき出す前に、足はもと来た道へと戻ろうとしたのだが、聞こえてきた声に身をびくつかせた。


「何か用?」


恐る恐る振り向けば、追いかけてきた人物が其処にいた。

ジルフォードは棺と同じように微かに暗闇に白く浮いているように思えた。

冥府の住人が問いかける。


「あの……」


感情の見えない声には疑念すら含まれていないようだった。

ジルフォードにとって見れば、後ろから追いかけてきた侍女はいつか諦めるだろうと思っていたのだ。

魔物と呼ばれる人物と不思議な通路。

引き返すには十分な材料が揃っていたのに、彼女は追いかけることを止めなかった。

何か言おうと口を開いたようだが、言葉は続かない。

用がないのならば、それもいい。


「私、クロエと申します」


どうやら相手には話す意志があるようだとみると、ジルフォードはじっと相手を見つめた。

瞳の色が変わったが、クロエは視線を逸らす事などしなかった。

むしろ、その色に魅入られたように正面から向き合った。


「クロエです」


「……クロエ」


あまりに必死な形相で名を告げるから、その名を口にしてしまった。


「どうぞ、お見知りおき下さい」


それだけ言って逃げるように去っていく侍女に首を傾ける。

彼女が自分に何の用があったのかはさっぱり分からないが、その響きはいつまでも口の中に残っていた。


「可笑しな娘に目をつけられたねぇ」


しんと静まった空間にヒョヒョと奇妙な笑い声をたてながら、小さな老人が影から抜け出るように現れた。

墓守と名乗る老人は口元をにひゃりと面白げに歪めた。


「それにしても熱烈な告白だ」


「告白?」


彼女はただ名乗っただけだ。


「あの娘っこはお前さんに名を覚えろと言ったんだ。覚えろってことは名を呼べと言う事だよ。名はね、その人間を縛るもんだ。それを呼ぶ権利を与えるってのは、なかなか強烈じゃないかい?」


墓守の笑い声は高くなる。


「名がどんな意味を持つかなんて、お前さんが一番知っているだろうさ」


ジルフォードは魔物の名前。つい最近まで、誰もが恐れ口にしなかった。

ただの名前だと言い切るには、哀しい過去がある。


「あのお姫さんとは仲良くやってるのかい?」


墓守の白濁した眼には、城の中で起こっていることはつぶさに見て取れる。

セイラが、今憔悴してグランの部屋を出た事も、ナジュールが侍女たちと談笑している事もだ。

二人の仲にさほどの変化もなく、今は会う時間も少ないことを知っての意地悪な質問だったが、ジルフォードの表情に変化はない。

そもそも仲良くの定義がよく分からないのだ。


「……つまらんのう」


四六時中幸せオーラを撒かれるのも少々うざったいが、何の変化もない関係を見ているのも面白い物ではない。

まだ、どちらかが焦っていれば見所はあるのだが、ジルフォードもセイラものほんとしているのだ。

けれど、そろそろ波風が立ちそうな気配がする。


「太陽か、ふむ中々面白い者が来たようだ」


隣国の王子はその名が示すとおりその強い光りで、こんな地下からでも何処に居るのかすぐに分かる。

太陽と夜。相反する性質を持ちながら、どちらも月を伴侶に持つと言う。


「頑張りなよ。王子様」


何も波風が立とうとしているのは、この城という小さな世界だけではない。

この大陸は今、大きなうねりの中を行こうとしているのだ。

緩んだ螺子の歪は大きくなり、歯車はずれ始めた。

あの時感じたのは嘘ではないのだ。

予見していた未来は、大きく変わりつつある。


「ほれ、もうお行き」


今ならば、ちょうど地上に出た頃に、あの娘と出会うだろう。

何かを聞きたそうなジルフォードの背を押すと、墓守は現れたときと同じように、唐突に姿を消した。









「ジン!」


嬉しげな声が足音と共に近づいてくる。

振り向けば、声が示す感情そのままの笑みを浮かべてセイラが小走りにこちらへとやってきていた。

陽光を含んだ髪さえも跳ね回り、喜びを露にしているようだ。


「そう。アリオスの王家に相応しい女性になるための授業その29だった。『よいですか、セイラ様。王族とはいかなる時でも毅然と振舞わなければなりません』」


セイラはさっと前髪を上げると眉尻をきりりとあげ、グランの低く厳しい声音を真似して言った。

かなり似ていると評判だ。

テラーナの顔を微妙に歪ますことにも成功した。あれは、笑いを堪えていたに違いない。


「疲れちゃった。カナンにお茶を入れてもらおうよ」


セイラは針金を入れたかのようにぴんとした姿勢から、くにゃりと力を失くすと書庫に行こうと手招きをする。

なにやら鼻歌を口ずさみつつ二、三歩先をゆっくりと歩く。


「セイ」


「ん? 何?」


呼んだことに意味など無かった。

いつまで経っても呼びなれない。

彼女の名はいつも、いつも己の中に不思議な余韻を残していく。

わざわざ、振り向かせてしまった事にちょっとした罪悪感が積もる。

ただ、口を突いて出てしまっただけなのだ。

特に用事があったわけではないことを悟ると、セイラはふっと口元を緩めた。


「ジーン」


それは特別な響きを持って落ちてくる。


「呼んでみただけだよ」


悪戯が成功した子どもみたいな笑みを浮かべ、くるりとスカートを翻して前に向き直るとセイラはまた鼻歌を口ずさむ。

知らないはずの旋律は、なぜか耳に馴染み暖かな日差しに似合っていた。




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