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東洲斎写楽の懊悩  作者: 橋本洋一


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碧眼

 シャーロックが江戸に来る目的となった、天草四郎の旗が絵比べの賞品となる。何の巡り合わせだろうか。もちろん、ただの偶然かもしれない。しかし、重三郎は何者かの作為を感じてしまう。それも悪辣で害意の満ちたものだ。


 それでも重三郎は三井の招待を断れなかった。お得意様の催し物のお誘いを理由もなく無碍にはできない。さらに屋形船でけっこうなもてなしを受けたという事情もあった。


 というわけで重三郎は頭を悩ませる話を持ち帰ってしまった。シャーロックには話さないといけないなと思いつつ、どう伝えるべきかと思い煩うことになった。しかしとりあえず、別宅へ向かうことにした。問題の先送りよりも打ち明けたほうが楽になる。重三郎はそう判断した。


「おっと。今日は絵を描いていないのか、シャーロック」

「オー、ジューザブロー。スコシ、ヤスンデタ」


 別宅の奥の間でシャーロックは机に向かいながら、重三郎が差し入れたみかんを食べていた。種を器用に舌で取って皮の上に置く。重三郎は「お前に話があるのだ」とさっそく切り出した。


「三井八郎右衛門殿を知っているな? お前の目的である旗を持っている方だ」

「ウン……ソノヒト、ドウシタノ?」

「絵比べという催し物を開くそうだ。そしてその賞品に――件の旗が入っている」


 シャーロックは碧眼を丸くして「ソレホント?」と思わず訊ねた。重三郎が頷くとしばらく黙ってしまう。


「……グウゼン、ナノカナ?」

「分からん。三井殿が思いついたことだとは思うのだが」

「ハナシガ、ウマイ、キガスル」


 重三郎の勘とシャーロックの推測が正しければ、何者かの意図があるはずだ。そしてその人物に二人は心当たりがある。


「例の守屋、という男か」

「アノヒトナラ、ヤルカモ」

「役人とはいえ、三井殿に吹き込められるのかは疑問だがな」


 役人、という言葉にシャーロックは「アノヒト、バクフノヒト、ジャナイ」と否定した。


「なんだと? わしは守屋が幕府の役人で、お前を監視する役目の者だと思っていたが」

「アノヒト、ローゼンクロイツァー」


 思い込みだった。黒い髪をした守屋が異国の組織の人間だとは思わなかったのだ。


「だが、守屋の――」


 髪の色は黒ではないか、という前に「あら、義父上、いらしていたんですね」とやや緊張した面持ちのお雪がふすまを開けて入ってきた。家事が終わったのだと思った重三郎は「ああ。上がっているよ」と気さくに応じる。


「義父上、落ち着いて聞いてください」


 挨拶もそこそこにお雪は二人に近づいて――小声で言う。


「あの男――守屋が来ています」

「……まことか?」

「シャーロックに会わせてほしいと言っています。いかがなさいますか?」


 重三郎はシャーロックを見た。

 お化けを怖がる子供のように、怯えていた。



◆◇◆◇



「久しぶりですね、蔦屋さん。それにシャーロックも。近々会いに行くと言っておいて、こんなに時間がかかってしまい申し訳ありませんね」


 謝りはするものの、悪気のない守屋に重三郎は「何をしに来たのですか?」と慎重に訊ねた。もちろん、単なる挨拶に留まらないのは百も承知だ。ちなみにお雪はこの場にいない。気分が悪いと別の部屋で休んでいる。


「三井八郎右衛門さんの催し物、参加しますよね? その確認に来ました」

「……ずいぶんと耳が早いですね」


 重三郎が三井から話を聞いて一刻も経っていない。

 訝しがると守屋は「ええ、それはそうでしょうよ」と口元を歪めた。


「私が催し物を開くようにと誘導しましたから」

「誘導、ですか……」

「これもそれも、あなたの手柄ですよ――シャーロック」


 名を呼ばれたシャーロックだが、守屋の言わんとすることが分からない。

 だから「ヨク、ワカラナイ……」と日の本言葉で返した。母国の言葉ではないのは、重三郎のためだ。


「あなたが三井八郎右衛門さんの心を掴んでくれたおかげです。すんなりと絵比べとかいうくだらない催し物を開いてくれました」

「守屋殿。あなたは絵比べをくだらないと思うのですか? 自分が画策したのに?」


 絵比べも芸術鑑賞の場として多少は認めているので、重三郎は侮蔑的な言葉は聞き逃せなかった。

 しかし守屋は「穏便に旗を手に入れるためです」と嘯いた。


「絵比べでなくとも、武芸大会や他の芸術でも良かったんです。けれど彼は絵が好きだった。狂おしいほどにね。だからこそ、シャーロックが選ばれたんです」

「例の……ローゼンクロイツァーに?」


 組織の名が出ると「ま、当然話しますよね」と守屋は平然と受けた。

 名を出すと少しは揺れると思っていた重三郎。拍子抜けしてしまう気分になった。


「日の本言葉に和解すれば、薔薇十字団とでも言いましょうか……とにかく、組織の目的に近づきましたね」

「……わしにはまるで分からない。理解がまったくできませんよ」


 憑きものを落とすように首を大きく振って、重三郎は前々から疑問に思っていたことを言う。


「あなたは日の本の民でありながら、どうして異国の組織の味方をするんですか? シャーロックが言うところのエゲレスのためですか? 旗を使って治安を良くしようと――」

「……ここからは二人きりで話がしたいですね」


 声を落とした守屋。

 重三郎は「……シャーロックには聞かせられない話ですか?」と意図を探る。


「ええまあ。別にシャーロックには後から会話の内容を話していいですよ。ただし、話すとしたら二人だけです」

「いいでしょう。シャーロック、奥の間に行ってくれ」

「イイノ? フタリ、ナッタラ――」

「危害を加えるつもりならとっくにしている」


 渋ったシャーロックだったが、結局は従って奥の間に下がった。

 ぱたんとふすまが閉められると「案外、度胸がありますね」と守屋は口の端を上げた。


「私はこのとおり、帯刀しているのですよ」

「わしを殺しても、意味がありません。あなたは意味の無いことはしないお方だ」

「へえ……」

「やることなすこと、計算し尽くしている……そんな印象があります。わしと二人きりで話すことも、何らかの考えがあるんでしょう?」


 守屋は頬に指を当てて「素晴らしいですね」と素直に重三郎を称賛した。


「エゲレスに生まれても、一廉の商人になれたでしょうね」

「質問に答えてもらいます。まず、どうして異国の組織の味方をするのか」


 率直な問いに守屋は「異国、とおっしゃいましたが」と前置きをした。


「私にしてみれば、母国とも言えます」

「……母国?」

「私はね、こんな身なりですけど――エゲレスの生まれなんですよ」


 信じられない――重三郎が真っ先に思ったのはそれだった。

 何故なら、シャーロックと異なり、明らかに日の本の者だったからだ。

 まじまじと黒い髪を眺めた――染めている感じはない。


「私がこれから語るのは、薔薇十字団の真の狙いです」

「し、真の狙い――」

「そもそも、おかしいとは思いませんでしたか?」


 おかしいと言えば、シャーロックが語っていたこと。

 天草四郎の旗を使って、カトリックの勢力をエゲレスから追い出す。


「そこがおかしいんですよ。どうして私たちプロテスタントの人間が異国とはいえ、天草四郎――カトリックの信者が作った旗を手に入れようとするのか」

「勢力を追い出す道具にすると、シャーロックは言っていた……」

「あれは嘘です。だってそうでしょう? 旗だけで治安が良くなったり、カトリックを追い出せたりしない」


 全ての前提がひっくり返る――

 重三郎にはシャーロックが嘘をついたとは思えない。

 だとすれば、シャーロックもまた――


「シャーロックを騙したんですか!? 真の狙いを悟られないために!」

「そうですよ。絵比べが催される前に喋られたら、流石に三井八郎右衛門さんも企画しないでしょう」

「で、では、その真の狙いとは――」


 重三郎がさらに問おうとしたとき。

 唐突に、ゆっくりと守屋は――眼鏡に手をかけた。

 煙水晶で見えなかった瞳が――


「あ、ああああ!?」

「そうですよ。私はね――」


 守屋は冷たくて凍えそうな声で言う。


「――このとおりの半端者なんですよ」


 その目は青くて青い、碧眼だった。

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