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東洲斎写楽の懊悩  作者: 橋本洋一


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20/31

露見

「大旦那様、少しよろしいでしょうか」


 店の仕事部屋で重三郎が今後の方針を考えていたとき、入ってきた勇助が神妙な顔で話しかけた。

 何やら重要な話があると感づいた重三郎は「なんだ? 何か問題でも起きたのか?」とすぐさま問い返す。


「問題……そうかもしれません。手前には判断できかねますが、大旦那様には問題になりえるでしょう」

「ううむ、よく分からぬ言い方をする。お前らしくもない」


 勇助は遠回しの言い方を好まなかった。時は金なりを心がけているので、常に報告は結論から述べつつ、内容は簡潔にまとめていた。そのような気遣いができるからこそ、番頭まで出世したとも言える。


 しかし今は勇助自身、どう言えばいいのか迷っているのが見て取れた。それは気遣いではない。戸惑いから来ているのだろう。いったい何を悩んでいるのか。重三郎は「なんでも言うがいい」と鷹揚に言う。


「言わねば問題は解決しないだろう。一人で抱え込むな」

「しかし、出る釘と鳴くキジはうたれるものです」

「洒落たことを言うが、それならば初めから言わねばいい。わしに相談したいから言い出したのだろう」


 勇助は最後まで悩んでいた。

 けれども、意を決して――悩みを打ち明けた。


「あの写楽は――何者なのですか? 普通の人ではありませんよね?」

「……何故今更、そのようなことを訊ねる? お前も納得して作品を店頭に出したはずだ」


 慎重と疑問を織り交ぜながら応じる重三郎。

 対して「作品に対する不満ではありません」と己に冷静さを強いた声の勇助。


「写楽自身の話です。その正体はなんですか? 番頭の手前にも教えられないのですか?」

「それこそ今更な問いだな。店頭に並ぶ前に訊くべきことだろう」

「遅きに逸したのは認めます。しかし、まだ遅すぎることはありません。写楽の正体を教えてください」


 勇助が必死に訊ねるものだから、重三郎は少しおかしいと思い始めた。

 写楽の絵は売れてはいるものの、爆発的な人気があるわけではない。流行に乗っているわけでもない。むしろ不人気と言えよう。


 それならば人気がないから店頭に置くのはやめようと、勇助は言うはずだ。結論を先に述べる男だから、その話が出ても疑問に思わない。


 まるで写楽の正体を知りたがっているようだった。あるいは写楽がシャーロック・カーライルという異国人だと疑っているような……いや、それは考えすぎだと重三郎は思い直した。


「写楽の正体は言えぬ。前にも申したはずだ。謎の絵師ということを利用して購買欲を高めるのは変わらない」

「それでも、手前たちまで知らされないのは異常です」

「人の口に戸は立てられぬ。さらに言えば、人は秘密を隠し切れない」

「その秘密とは――写楽の正体、ですか?」


 写楽の正体。勇助から出た言葉に重三郎は内心、動揺した。もしかすると、知っているのかもしれない。しかし、カマをかけている可能性もある。先ほどから核心に触れていないのが証拠だ。どちらにしても、下手に言うべきではない。


「写楽の正体か。それは名も無き絵師だよ。秘密を着飾らせて見栄えを良くしただけだ」

「旦那様こそ洒落た言い方をなさいますね……いいでしょう。手前も覚悟を決めました」


 勇助は有言実行、知り得た情報を言うつもりだ。それが何なのか、重三郎にはまったく見当がつかなかった。けれど嫌な予感がした。まるで仕入れた商品が値崩れするような感覚だった。


「以前、大旦那様のご養女、お雪殿がこの部屋にいらっしゃったでしょう。そのとき手前は聞いてしまったのです」

「……何を聞いた?」


 胸中に不安と怖れが交互に去来する。

 勇助は重三郎の急所となるところを突く。


「あのとき、お二方は写楽のことをこう言いました――シャーロックと。そして神社にて怪しげな男に向かっても、その名を言いました」

「……お前、つけていたのか?」

「それについては謝罪します。気になったものですから。しかし確信しましたよ」


 真実に到達した勇助だが、得意そうな顔はしなかった。

 残念に思っている――そんな顔をしていた。


「シャーロックとは写楽のこと。そして正体は――異国人なのだと。ようやく分かりました」



◆◇◆◇



 信頼する番頭に自身の隠したかった秘密を知られてしまった――しかし、重三郎はさほど衝撃を受けなかった。それは感情が追い付かなかったからだ。驚愕が駆け巡る前に、いかにして勇助を説得するかを考え始めていた。その点は沈着冷静だった。


「それを知った上で、お前はどうしたいのだ?」


 訊くべき言葉がすらすらと出たのはそうした心理からだった。

 逆に勇助は「どうしたいか、ですか……?」と戸惑うこととなる。


 彼自身、秘密を暴いた後のことを漠然としか考えていなかった。

 それに重三郎が誤魔化すと思っていた。下手な言い訳をして墓穴を掘るとばかり予想していた。

 だけど重三郎は肯定するようなことを言う――


「て、手前は……写楽をどうにかしたいです。このままですと、蔦屋そのものが潰れてしまう……」

「お前が役人に言わねば良い話だ。違うか?」

「い、いえ……こうして明らかに……」

「お前しか知らぬであろう?」


 どうして自分のほうが追い詰められているのか、勇助には判然としなかった。

 重三郎もまた、己が強気であるのを滑稽に感じていた。本来ならば勇助に話さぬよう懇願するべきだろう。それが開き直ることでしのいでいる。


「蔦屋が本当に取り潰されるとすれば、お前が役人に密告する……それは裏切りではないか?」

「う、裏切り……」

「わしはお前のことを気にかけてきた。それは伝わっているはずだ」


 重三郎は敢えて全てを明かそうと――真実を語り出す。

 勇助が逃れられぬように――


「長崎奉行様に頼まれて、写楽……シャーロックの面倒を見ている。そしてあれには才能があった。類まれなる絵の才能だ。版元として売らずにはいられなかった」

「お、大旦那様……」

「異国人を江戸に連れてきたのは重罪だ。おそらく判明すればわしは死罪になるだろう」


 ここで重三郎は「頼む。黙っておいてくれ」と頭を下げた。

 情に訴えるしかないと考えていた。


「シャーロックの素晴らしい絵を世間に広めたいのだ」

「……旦那様は古今東西の商人の中でも白眉であらせられる。手前はそう信じてきました」


 そう語る勇助の顔は次第に怒りに満ちていった。

 蔦屋重三郎という男を信じて、今まで働いてきた。それがずっと続くものだと思っていた。尊敬していたからこそ、ひたむきに奉公してきたのだ。


 だけど、絵で儲けを出したいという商売のためではなく、異国人の絵を世に出したいという私欲のために、勇助が心血どころか魂を捧げてきた蔦屋を危険に晒した重三郎が――許せない。


「どうか考え直してください。あの写楽の絵を売るのはやめ、異国人をどこぞに追放してください。手前に命じてくだされば、万事上手くいきます」

「……シャーロックを、殺すつもりなのか?」

「手前には、汚い仕事を行なう者との伝手がありますゆえ」


 今度は勇助が重三郎に願う立場になった。

 手をついて、頭を下げた。

 店に対する熱い思い――情熱を表す。


「写楽一人と百人近くいる大旦那様を慕う使用人たち。どちらが大切なのでしょうか」

「……秤にかけられぬ」

「比べてもらわねば困ります。さあ、どうか決断を。今なら役人も誤魔化せます」


 迫られた選択。

 突きつけられた択一。

 重三郎は店を盛り立ててくれる使用人と楽しそうに絵を描くシャーロックの顔が同じように浮かんだ。

 どちらかを選ばなければならない。

 だとすれば、重三郎は――

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