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ヴェンガーロッド特務騎士隊隊員ロラン・マテックとほろ苦いレモンサワー⑥

 国中を飛び回って任務に当たる性質上、ヴェンガーロッド特務騎士隊は国内に複数の活動拠点を有している。無論、最も大きな拠点は王都にある本部なのだが、その次に大きな拠点は旧王都アルベイルにあった。

 何せアルベイルはかつての王都。そしてアルベイルの拠点は遷都するまで本部として使っていた場所である、多少老朽化してはいるものの、隠密が使う場所としては随分と立派なものだ。


 ロッタ男爵一家、そして男爵家に仕える使用人たちの身柄を確保したロランたちヴェンガーロッド特務騎士隊。彼らの身柄を王国騎士団に引き渡した一行は、最寄りの拠点である旧王都に戻っていた。

 ちなみにだが、ロッタ男爵と夫人は恐らく極刑に処されることが決まっており、彼らに手を貸していた夫人の親族も別動隊により連座で捕縛されたらしい。男爵の2人の子供たちは流石に処刑されることはないだろうが、今後貴族として生きる道はなくなったのは確実である。


 任務自体は成功したのだが、しかし、ロランの心中は未だ意気消沈の極みにある。

 まあ、無理もないことだ、何せロランは、初任務だというのにあれだけの醜態を晒したのだから。

 アルベイルへの道中、ロランはずっと考えていた、俺はきっと、ヴェンガーロッドをクビになるのだろうな、と。

 覚悟なき者に隠密は務まらない。これは隠密にとって基本中の基本とも言える心得、教本で言えば1ページ目に書いてあるようなことだ。順守出来て当然、だからこその隠密。

 なのに、ロランは肝心なところで覚悟が揺らぎ、行動に移ることが出来なかった。失敗を恐れ、動きを止めてしまったのだ。恐らくだが、あのまま闇の男(ブギーマン)が来なければ、きっとロッタ男爵たちに逃げられていたことだろう。もっと悪くすると、あの時捕まったハリードだけでなく、ロラン自身すらも人質に取られていたかもしれない。そして、無事逃げ果せた後の人質の末路などは想像に難くない、まず間違いなく死体で発見されることになる。


 隠密にあるまじき失態。

 今も頭の中で闇の男の言葉がずっとぐるぐると繰り返されている。

 落ち込むあまり、ロッタ男爵領からアルベイルに移動するまでの記憶がほとんどない。

 正直、この失敗を怒られた方がまだマシだった。なじられて、怒鳴られた方がずっとマシだった。だが、他の先輩騎士たちはおろか、ハリードでさえロランのことを怒ったりはしなかったのだ。ただ淡々と事実のみを報告し、余計な会話は一切なし。

 まあ、慰めの言葉もなかった訳だが、そんなものをかけられると更に惨めになるだけなので、それは逆にありがたかったが。


「………………消えてしまいたい」


 拠点の中にあてがわれた一室の中、ベッドの上に腰かけたまま、ロランはボソリと呟いた。

 この部屋に通されてから、一体どれくらい経っただろうか。まだ数時間のような気もするし、もう何日も経っているような気もする。時間の感覚がグチャグチャだ。

 土埃が付着したままの薄汚れた隊服を着替えもせず、明かりも灯していない暗い部屋の中、ロランはずっと失態を演じた初任務を脳内で繰り返し再生し続けていた。

 あの時、ロランはどうすればよかったのか。ハリードを盾にされようと躊躇せずナイフを投げていればよかったのか、それともロッタ男爵の子供でも人質に取り、互いの人質を交換すればよかったのか。

 大昔のストレンジャー、カギなる人物が残した言葉に『穴があったら入りたい』という有名な慣用句があるが、今のロランの気持ちはまさしくそれだ。

 今更何を考えようと後の祭りでしかない。詮無いことである。が、考えずにはいられない。何しろ、今はそればかりが頭の中を占めているのだから。

 気分転換など、頭の隅にすら浮かばない。

 何も考えず眠れたらどれだけいいか。


 死んだ目で虚空を見つめるロラン。


 と、一体何時ぶりだろうか、静寂で満たされたロランの部屋の中に、ドンドンと強くドアをノックする音が響き渡った。

 ロランが緩慢な動作でドアの方に顔を向けると、次いで荒々しい男の声が。


「おい、マテック、いるか?」


 この声はハリードのものだ。

 瞬間、ロランの心臓がドキリと跳ねる。

 遂に来た、と、そう思ったのだ。

 国王陛下の隠密という立場でありながらあれだけの失態をおかしたのだ、クビを切られたとておかしくはない。というかまず間違いなくロランはクビだろうと、そう思っていた。そして、次にロランの部屋に来る者がそれを言い渡す役目なのだろうと、そうも思っていたのだ。もっとも、その役目を担う者がロランの教導を受け持った、言わば師と同等の存在であるハリードだとは考えていなかったが。 


「いるのか? 入るぞ」


 ギイィ、と軋んだ音を立て、部屋の扉が開かれる。そして、作戦行動中の装備ではない、落ち着いた私服姿のハリードが入室して来た。


「いるじゃないか。返事くらいしろ、マテック」


 ベッドに腰かけたままのロランの前で立ち止まり、呆れた様子でそう言うハリード。


「教官……」


 だが、ロランは顔を上げられなかった。というか、あんな失態を犯しておいて合わせる顔がない。彼の顔を直視する勇気が湧かなかったのだ。


 床を見つめたまま口を開いたロランに対し、ハリードは露骨に嘆息して見せる。


「酷いツラだな……。寝ていないのか?」


「はい……」


「というか、着替えてもいないな。湯も使っていない。その様子だとメシも食っていないのだろう。違うか?」


 あれからどれだけ経ったのか。先にも触れた通り時間の感覚はとっくにないが、彼の言い分から察するに、それなりの時間は経過しているのだろう。少なくとも、ひと眠りくらいはして1度か2度は食事をして然るべき時間が。


「俺は……」


 朧げに、ロランは呟く。


「何だ?」


「俺はクビですか?」


 言ってから、ロランは意を決して顔を上げた。自分のような者がもうヴェンガーロッドにいられないのは分かっているが、せめてその通告は顔を上げて聞いておきたい。そう、最後くらいは。

 そして、それを告げるハリードの顔が冷酷であろうことも分かっている。きっと、努めて感情を感じさせない冷え冷えとした顔をしている筈だ。もしかすると、本当に何の感慨も抱いていない可能性もあるが。


 だが、ロランの想像とは裏腹に、ハリードは眉間にしわを寄せて、不思議そうに首を傾げた。


「は?」


「ヴェンガーロッドはクビになるとして、王国騎士団には戻れるのですか? それとも、もっと厳しい処罰があるのですか?」


 せっかく栄転したのに出戻りなど恥ずかしいことだが、ロランは生計の道を失う訳にはいかない。何せ家を出て独立して久しい三男坊だ、職を失ったからと、今更実家に帰る訳にもいかず、さりとて騎士団に復帰出来ねば早々に路頭に迷ってしまう。


 しかしながら、ロランの問いかけを聞いたハリードは、さらに深く首を傾げて「はぁ?」と呆れ声を出した。


「何の話だ? クビ? 誰がそんなことを言った? 処罰とは何だ? お前は何のことを言っている?」


 そう言われて、今度はロランが頭上に疑問符を浮かべる。


「俺はクビになるのではないんですか?」


 どうにも話が嚙み合っていない。

 ロランは覚悟をして、悲壮な気持ちで訊いたのに、ハリードはどうにも不思議そうな、それでいて呆れたような表情を浮かべるばかり。はたして、これが自分が手ずから教導した、言わば教え子にクビを伝える者の顔だろうか。


 そんなふうにロランが疑問に思っていると、ハリードが緩慢な動作で首を横に振って見せる。


「ならんな。クビなど議題にも上がっていない」


 ハリードはそう言うものの、ロランはその言葉を素直に信じられなかった。何せ世の影で暗躍する隠密なのだ、ひとつのミスが命取りになりかねない。そして、そんなミスをした者を寛容にも使い続けるとは思えなかった。王国騎士団ですらミスをすれば何かしらの処罰があるのだから、もっと厳しい隠密の世界ならば当然クビしかなかろうと。


「あんな無様なミスをしたんですよ? それでもクビにならないんですか?」


 念押しするようにロランが訊いても、ハリードはやはり首を横に振る。


「だから、ならん。対象を取り逃がしたのならまだしも、ロッタ男爵一家、及び家来たちも残らず捕縛出来た。過程はどうあれ任務自体は成功したのだから処罰の対象になるわけがない」


 確かに結果論で言えばそうなのだが、しかしそれでロランのミスが帳消しになるとは思えない。


「でも、それは闇の男(ブギーマン)がいたからで……」


 最後の最後、にっちもさっちもいかなくなった最悪の場面で闇の男(ブギーマン)が来てくれなければ、この任務は恐らく失敗していただろう。存在すら知らされていなかった後詰めに救われたというのは、功績とは呼べないだろう。


 ハリードもそれについては異論がないようで、同意を示すよう頷く。


「そうだな、バックアップがいたからだ。我々ヴェンガーロッドが合同作戦を取る場合には基本的にバックアップ役が付くことになっている。そしてバックアップを含めてのチームだ。今回はチームで作戦を成功させた。分かるか?」


「だから実質は闇の男(ブギーマン)の功績でも、チーム全体の功績になるのだと?」


 理屈の上ではそうなのだろうが、それではミスをした者、今回の場合はロランが彼の功績にタダ乗りした形になってしまう。そのような形になることが健全だとは思えない。


 が、それでもハリードは「そうだ」と頷く。


「逆に失敗すればそれはチーム全体の失敗だ。誰か1人に責任を押し付けるものではないし、誰か1人だけが栄誉を独り占めするものでもない」


「でも……」


 自分を処罰しない、と言ってくれる者に対して反論するのもおかしなことだが、しかし、ロランの中に残った最後の矜持として、それを飲み込むことは出来なかった。


 だが、その先の言葉を口にする前に、ハリードが先んじて口を開く。


「それにな、新米が失敗することなど、こちらは織り込み済みだ。隠密であろうと、最初からそつなく完璧に任務を成功させられるような者はそうそういない。だから今回は大規模なチームでの任務になったんだ。新米の初陣以外で、こんな大規模なチームが組まれることは滅多にないんだぞ?」


 言ってから、ハリードは「ま、今回は私も少し危うかったがな」とカラカラ笑った。


 その言葉を聞いたロランは唖然とする。

 つまりだ、今回の任務ではロラン1人の為にチームが組まれ大勢が動員されたようなもので、しかもミスをやらかすことが前提条件として存在していたということだ。

 ということは、今回の任務、ロランは真の意味では働きを期待されていなかったということに他ならない。むしろ、あえて失敗を経験させようとする意図すら感じられる。これを戒めとし、以降の任務は一層気を引き締めて臨むべし、と。

 正直、ショックだった。

 自分がまだ真の意味で一人前ではないという自覚はある。現場に出たばかりのペーペーだ、同僚ではあるが先輩たちもそこまで自分のことを頼りにはしていないだろうと。何せ実力も未知数で信頼関係も築けていない新米だ、最初から長年組んで仕事をしてきたベテランのように阿吽の呼吸で動ける訳がないのだから。

 だが、それでもロランはロランなりに懸命に任務に臨んでいたのだ。失敗などせず、滞りなく任務を遂行出来るようにと。その為の準備も心構えも整えて来た。

 が、ロランは先輩たちの予想通り失敗してしまった、それも最悪の形での失敗を。失敗するにしても、もう少し恰好というものがあろうという無様な失敗だ。


 もう、情緒がグチャグチャである。

 最悪の失敗をして、叱責を受けてクビになるのかと思えばクビにはならず、失敗は不問。それどころかロランが失敗すること自体が任務の中に組み込まれていた。

 だが、失敗は失敗、これを悔やむ気持ちが消える訳ではない。


 心と頭がどうにかなってしまいそうで、ロランがガシガシと頭を掻いていると、ハリードはその様子をしばし無言で見つめてから、おもむろに口を開いた。


「確かにお前は今回無様を晒したが、新米の初陣などあんなものだ。私とて初陣ではミスをしたしな」


「教官が、ですか?」


 信じられない、という思いで顔を上げるロラン。

 ロランの知るハリードは、些細なミスも許さぬ鬼教官だ。そして彼自身も些細な部分にすら気を配り動き、教導を受ける新米たちの前では決してミスを犯さない。そのことについて彼は「教える立場なのだから当然だ」とまで言っていた。

 そんなハリードでも、初陣ではミスをしたというのか。本人がそう肯定しているというのに、ロランにはどうにもそれが信じれない。


 だが、ロランの考えに対し、ハリードはそれを否定するよう言葉を続けた。


「ほぼ誰でもそうだ。これまで一度もミスをしていない者などいないのではないか? あのババヤガでさえ、今年初頭の任務では随分な、それこそ処置が遅れていれば命を失いかねないほどの重傷を負ったのだからな」


闇の男(ブギーマン)が!?」


 先ほどよりも更に大きな声で驚くロラン。

 あの闇の男(ブギーマン)が、ヴェンガーロッドの頂点、ロランにとっては雲の上の存在が、そんな大きなミスを犯したというのか。それも新米の頃ではなく、ごく最近、まだ1年も経っていない今年のうちに。


 ロランはロッタ男爵家の逃走経路内で出会った闇の男(ブギーマン)のことを思い出す。

 足音をさせず、息遣いを感じさせず、動きに物音を伴わず、目の前にいるというのに気配をさせず。ロランの見る限り、完璧に闇と同化していた。


 そんな隠密の申し子のような男が、死ぬほどの怪我を負うようなドジを踏んだと、ハリードはそう言うのだ。はっきり言って闇の男のそのような姿を想像することが出来ない。

 ハリードが嘘をつくとは思わないが、しかし俄かに信じられるものではなかった。


 目を剥いて驚くロランに対し、ハリードは「そうだ」と頷いて見せる。


「彼もバックアップ人員に助けられて最悪の窮地は切り抜けたらしいが、正直、それがなければ絶体絶命だったと言っていた」


「………………」


 思わず、ロランは絶句してしまった。

 他人が噂話としてそう言うのならまだしも、本人がそう口にしたのであれば、嘘ではないということなのだろう。

 あの闇の男(ブギーマン)でも大きなミスをし、仲間に助けられることがある。大袈裟かもしれないが、ロランにとっては青天の霹靂にも等しき出来事だ。


 未だ絶句して声の出ないロランに対し、ハリードは諭すような声色で言葉を続ける。


「我々は隠密だ、単独で動くことも多々ある。だが、隠密ではあるが、同時に騎士団でもあるのだ。当然、仲間たちとチームを組んで動くこともある。つまりだ、隠密にも助け合いの精神はあるのだよ、ロラン・マテック。自己嫌悪に陥る気持ちはよく分かる。反省というなら大いにしろ。ダメ出しが欲しいならいくらでも言ってやる。だがな、いつまでも落ち込んでいるな。その深く暗く沈んだメンタルは如実に仕事に悪影響を与えるぞ?」


 動揺は努めて表に出さず、心は冷静に保ち、冷えて冴え渡った頭で思考し行動する。これもまた訓練中に受けたハリードからの薫陶、隠密の心構えだ。隠密は何時如何なる時も心を乱してはならない、と。その冷静な心が乱れるところから隠密は崩れていき、失敗へと繋がるのだとも。

 今、ロランの心は千々に乱れ乱れている。とても次の任務になど行ける状態にはない。というか、もうクビになるものだと思い込んでいたので、次の任務があるということすら考えていなかった。


「そう……言われましても…………」


 このグチャグチャの心に平静を取り戻す術などあるのだろうか。心情としては、もう一生、暗く沈んで顔を俯けた人生しか歩めないのではないかと、そのようにすら思えるくらいだ。

 今すぐ元のフラットな心持ちになれと言われたところで、出来よう筈もない。


 そういう内心が透けて見えたのだろう、ハリードは嘆息しながら口を開いた。


「気持ちを切り替えるんだよ。騎士だけと言わず、どんな仕事でも気持ちの切り替えは必要だ。失敗は失敗として、落ち込んだ気持ちは次の仕事には持ち込むな。それはパフォーマンスを落とすだけだ」


 気持ちの切り替え。言葉としてはよく聞くが、実際そんな魔導具のスイッチを切り替えるように心の在り方がパッと切り替わる訳もない。自分の中に切り替え可能な、フラットな心が複数ある訳ではないのだから。


「でも、そんな都合よく気持ちを切り替えるなんて出来ませんよ」


 ロランが未熟だというのならばその通りなのだが、ともかく気持ちの切り替えなど、言葉で口にするほど容易ではない。


 弱音を吐くロランに対して、ハリードは「よし!」と言って肩を叩いた。


「ならば俺が気持ちの切り替え方を教授してやろうじゃないか。立て。付いて来い、ロラン・マテック」


本日(12月19日)は本来であればコミカライズ版『名代辻そば異世界店』の更新日なのですが、1月5日発売のコミックス作業中につきまして休載となっております。

次の更新は年明け1月4日、コミックス4巻発売の前日となっておりますので、読者の皆様におかれましては今しばらくお待ちくださいますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。


今年も年越しそばとして12月31日にもこの続きを更新いたしますので、そちらの方も何卒よろしくお願い致します。

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