まかないのカレーパンそばを食べながら友を想う
文哉の名代辻そばでは、従業員たちに対し、毎日3食のまかないを出しており、朝は開店前に従業員皆で食卓を囲むのだが、昼と夜のまかないは違う。
昼と夜は開店中なので仕事が忙しく、文哉も含めて従業員たちが1人1人交代でまかないを食べることになっている。そして、暗黙の了解とでも言おうか、いつも最後にまかないを食べるのは文哉であった。
基本的に、まかないは店のメニューに囚われず、厨房にある食材で自由に作ってよいことになっているのだが、文哉の場合は、たまにメニューと同じものを作る場合もある。
今日の昼のまかない、メニューは最近追加されたカレーパンそばだ。
かけそばの上に揚げ立てのカレーパンをドンと載せた、何ともインパクトのある1品。これは所謂、珍そばと呼ばれるカテゴリーのそばだ。
見た目が珍妙でインパクト大のそば。だが、ただ見た目が奇抜なだけではなく、しっかり美味い。それが珍そば。
この珍そばというものには、文哉も少なからず思うところがある。
まだ日本で生きていた頃、文哉には無二の友、しかして悪友と呼ぶべき男がいた。
その名も堂本修司。
彼とは進学先の大学で同じ新1年生として出会い、親交を深めたのだが、その親交の中で幾度も熱弁されたのが、名代辻そばの一部店舗で提供されている、珍そばなるメニューの素晴らしさであった。
今でこそ名代辻そばを深く愛する文哉ではあるが、正直、大学時代はあまり興味をそそられることはなかった。
あの当時、そもそもからしてそばというものに対して興味がなく、外食と言えばハンバーガーや牛丼、ラーメンばかり。コンビニ弁当ということも多かったし、自炊するにしても大抵はインスタントラーメンばかりで、たまに玉子を焼いたりウインナーを炒めるくらいで、凝った料理などは作ることもなく。年越しそばですらもカップ麺で済ませたものだ。
ちゃんと料理を作るようになったのは、名代辻そばで働くようになってからのことである。
まあ、文哉が料理をするようになった経緯は置いておいて、堂本修司のことだ。
大学の4年間、修司は折に触れて珍そばのことを熱弁してきたのだが、文哉はそれに対しては終ぞ興味を持つことなく大学を卒業し、社会人となったことで彼との親交も途絶えてしまった。
そして迎える暗黒の社畜時代。
あの辛い時代をどうにか生きて乗り切れたのが、他ならぬ名代辻そばのおかげである。
大学時代はあれだけ興味を持てなかったというのに、深夜営業の飲食店を探してたまさか訪れた名代辻そば。あの温かいそばが、あの当時の心身共に擦り切れそうになっていた文哉をどれだけ優しく包んでくれたことか。
そんな名代辻そばに恩返しがしたくて、自分のように擦り切れそうになっている大人たちの癒しになりたくて、文哉は名代辻そばでアルバイトを始め、真面目に働いて正社員にまで上り詰めた。
正社員になった文哉は本社勤務を命じられ、そこで件の友人、堂本修司と大学卒業以来の再会をすることとなる。
文哉とは違い、修司は最初から名代辻そばを運営するタイダンフーズ1本に絞り就活をし、見事採用を勝ち取った。
修司には大学生時代から野望があったのだ。名代辻そばで自分の考えた珍そばをメニューに採用し、それをグランドメニューとして定着させるという、ちょっと狂った野望が。
文哉は修司たっての頼みを受け、本社の商品開発室で彼の珍そば開発を手伝っていたのだが、その時に修司が作り出したのが、何を隠そうカレーパンそばである。
このカレーパンそば、室長からの後押しを受けられず、それでもどうにか八王子店1店舗のみでひっそりと販売されたのだが、売り上げについては爆死も爆死、大爆死であった。何せ1週間の販売期間で僅か3杯しか出なかったというのだから。
食べれば美味いのは文哉も保障するが、見た目に秩序がなさ過ぎる、つまりアナーキーそば過ぎたのだ。巨大なコロッケが載ったそばや、そば屋の本道からは外れたラーメン。こういったものに比べ、カレーパンそばは料理として美味しいだろうという安心感がなさ過ぎた。
文哉は彼がかけそばにカレーパンを浮かべている横で、カレーパンを出汁と玉子で綴じたカレーパン丼を作ったのだが、そっちの方がまだ売れたくらいだ。
だがまあ、それもさもありなん、と文哉は思う。まっとうな神経の持ち主なら、ただ単にかけそばにカレーパンを載せたものを見ても、名代辻そば側の悪ふざけだとしか思わないだろうし、そうとしか思えないだろう。
今現在、厨房の奥でまかないのカレーパンそばと対峙している文哉でさえそう思うのだから、事情など知らない者たちならば誰もがそう思う筈なのだ。
しかしながら作った方は大真面目。何せ、コロッケそばと並び立つ揚げ物系そばを作る、という志のもとに開発が始まったのだから。
ふざけた見た目ではあるが、決してふざけて作った訳ではない、友の熱意が込められたカレーパンそば。
そんなカレーパンそばの器を持ち上げ、まずはそばつゆを啜る。
ずずず、と音を立てながら、熱いそばつゆが舌の上を滑り、喉の奥へと流れ落ちてゆく。
いつものそばとは少しだけ違う、カレーパンの油のコクが溶け出したそばつゆは美味いものだ。揚げ油はコロッケそばと同じものを使っているだけに、そばつゆの味わいも今の段階ではコロッケそばとほぼほぼ同じ。
次いでそばも啜るのだが、これもやはりコロッケそばと同じ。いつも通りの美味しさだ。
が、カレーパンそばの真骨頂はここからである。
つゆを飲み、麺を啜り、となれば次はいよいよ本丸、カレーパンに手を付けねばなるまい。
まだそばつゆが本格的に滲み込む前だというのに、箸で持ち上げたカレーパンはずっしりと重い。それもその筈で、名代辻そばのカレーパンは中に仕込むカレーをケチッておらず、食べ応えを重視してたっぷりと詰め込んである。ちなみにカレーライス用のカレーではなく、カレーパン用に作られたキーマカレーだ。
そんなカレーパンにがぶりと齧り付く文哉。
ザクザクとした表面の歯応えと柔らかなパンの甘味の中から、キーマカレーのスパイシーな味わいが顔を出す。
美味い。正しく王道のカレーパンだ。
そのまま2口、3口とカレーパンを堪能してから、口内のものをそばつゆで飲み下す。
すると、濃厚なカレーとそばつゆが混ざり合い、口内でカレー南蛮のような味わいが完成しながら嚥下されるのだ。
「美味いんだよなあ……」
齧られたことで三日月のような形になったカレーパンを睨みながら、文哉はボソリと呟いた。
まるで小学生がノリで作ったような料理なのに、食べてみると考えられた作りだということに気付かされる。
揚げ物はそばつゆと合うし、パンも何故だかそばつゆと合う。カレーについては言わずもがなだろう。
そば、つゆ、カレー、パン。
これらが口内で混然一体となり、最後にはカレー南蛮のような味わいに変化して胃に収まるのだ。
バカみたいな見た目なのに、その裏には綿密な計算が働いているカレーパンそば。
これぞ珍そばの真骨頂と、このカレーパンそばを通して、地球にいる筈の友がそう言っているようだ。
悪友が、まるでいたずらが成功した子供のような笑顔を見せる場面が脳裏に浮かび、思わず苦笑してしまう。
堂本修司。彼は確かに悪友であったが、しかし無二の親友でもあり、同じ名代辻そばを愛する同胞でもあった。
彼は今、どうしているだろうか。文哉がいなくなった地球で、日本で、タイダンフーズで、今も珍そば作りに熱意を注いでいるのだろうか。
「これからも面白いそば作れよ、堂本」
言いながら、その言葉と共にそばを啜って飲み込む文哉。
彼がこれからも珍そばを作り続けるのなら、いずれまたギフトがレベルアップした時、その片鱗と巡り合うこともあるだろう。
ギフトのレベルアップにより追加されるものが珍そばであるのならば、それは世界を超えた友からの便り。今も変わらず、熱意を持って新たなそばを作り続けているというメッセージに他ならない。
今も地球で珍そば作りに情熱を燃やす友の姿を思いながら、文哉は残ったそばを啜り始めた。
今回はちょっと短くてすみません。




