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正直もう限界だった茨森のテッサリアと渇望を満たす紅生姜天そば④

「お待たせいたしました。こちら、ベニショウガテンソバと、コロッケソバになります」


 またしてもテッサリアの知らない、店長フミヤ・ナツカワよりも少し年上と見える男性給仕が、盆に載ったソバをそれぞれテッサリアとテオの前に置いた。


「ごゆっくりどうぞ」


 そう言い、最後にニコリと微笑んでから厨房に戻る男性給仕。何とも流麗な仕草だ。きっと、ナダイツジソバで働く前は別の料理店、それも大衆食堂の類ではなく、貴族も足を運ぶレストランあたりで働いていたのだろうと見受けられる。

 先ほどの赤髪の女性同様、この男性のことも気になるが、今はそれより、目の前の料理のことだ。


「ほわああぁ……」


 どんぶりからもうもうと立ち昇る湯気を顔に浴びながら、テッサリアは何とも締まりのない顔で口を開いた。


 一体どんな食材を使っているというのか、何とも鮮やかな紅を湛えた異形のテンプラ。そして、その異形のテンプラを頂くいつものカケソバ。

 ソバという料理は、基本的には見た目に派手さや奇をてらったところのない、落ち着いたものだ。麺は灰色、スープは茶色。具材にも毒々しい色やケバケバしい色を帯びたものは使われてない。本来はその筈なのだ。

 だが、このベニショウガテンソバはどうか。

 この、いっそ毒々しいまでの紅を湛えたテンプラ。

 見たところ、この国のヒューマンがエビと呼ぶ、プローンの身も入っておらず、使われているのはペコロスと謎の真っ赤な野菜だけ。だが、テッサリアの知る限り、こんなに鮮やかな赤さを宿す野菜というのは存在しない。果物の中には真っ赤な果肉を持つものも存在するが、流石に甘い果物をテンプラに使ったりはしないだろう。湯気と共に鼻腔に届く匂いにも、果物の甘やかさはなく、ほんのりと酸っぱさを感じる。恐らくは味も酸味が強いのだろう。

 この真っ赤な野菜、テッサリアの考えるに、地球なる異世界にしかないものではなかろうか。いや、きっとそうに違いない。それでなければ、あえて何らかの野菜を紅く染め上げているか、だ。まあ、何の意味があるのかは計りかねるが。

 カケソバの牧歌的な味に、この見た目からして派手な紅いテンプラの味は調和するのだろうか。如何にも刺激が強そうで、自己主張も強そうなこのテンプラが。


「うむ、美味い。やはりコロッケソバは良いな。変わらん味にほっとする」


 熱心にベニショウガテンソバを観察するその隣で、すでにコロッケソバを食べ始めたテオが、幸せそうな顔でそのようなことを言っている。

 そして横目でテッサリアがまだベニショウガテンソバに手を付けていないことを確認すると、不思議そうな表情を浮かべて顔を向けてきた。


「何だ、食わんのか? あれだけ渇望していたナダイツジソバの料理だというのに」


 言いながら、サクリと小気味よい音を立ててコロッケを齧るテオ。

 何と美味そうな音を立てるのか。思わずテッサリアの口内にも唾液が溢れてしまう。


「勿論、食べますとも!」


 ベニショウガテンソバの派手な見た目に度肝を抜かれていたテッサリアではあるが、いつまでも怯んではいられない。

 今日は心行くまでナダイツジソバの料理を堪能すると決めたのだから。


「なら、早くした方がいいんじゃないか? その真っ赤なやつ、お前が言っていた、揚げる、という調理法で作られたものだろ? このコロッケと同じ。あんまり時間を置くと、せっかくの揚げた料理がスープを吸ってシナシナになるぞ?」


 コロッケを咀嚼し、それをスープで流し込みながら、テオがそう言う。

 そして彼は幸せそうに「ぷはぁッ」と息を吐いた。

 

 こんな様子ばかり見せられていたのでは目に毒だ。


「ええ、そうですね……」


 ゴクリと喉を鳴らしながら、テッサリアも覚悟を持って真っ赤なテンプラをハシで持ち上げる。

 赤い、いや、紅い。紅玉の如き赤。まるで食べられる宝石だ。食べ物として見れば毒々しい色なのだろうが、しかし芸術品のようなこの鮮やかさ。口に運ぶのが戸惑われる程だ。

 が、女は度胸。先ほども思ったことだが、やはり食べねば始まらないのだ。


「………………ッ」


 あんぐりと口を開け、勢いよく、がぶりとベニショウガテンプラに齧り付き、咀嚼する。

 すると、ザクザクとしたテンプラの食感に加え、ジャクジャクとした野菜の強い歯応えが返ってきた。明らかにペコロスではない。これはあの紅い野菜のものだ。


「!?」


 やはり酸味が強いが、同じだけ辛味がある。だが、どちらもどぎついものではない、むしろ爽やかなものだ。

 この酸味、そしてこの辛味にも、テッサリアは憶えがあった。

 まず、酸味の方。これはプラムの実だ。茨森にも生えていた、プラムの樹。プラムの実を保存用に塩漬けすると、その過程で酸っぱいプラムの酢が出て来るのだが、これはそんなプラム酢の風味に酷似している。

 そして辛味と歯応え。これは間違いなく生姜のものだ。それも新生姜ではなく、土の中で寝かせた根生姜だろう。

 ということは、この真っ赤な野菜、これの正体はプラム酢に漬けた根生姜ということになる。

 真っ赤な色の理由は今もって不明だが、しかし使われている野菜がただ単に刻んだものではなく、ひと手間加えたものだと知れたのは大きい。もしかすると、ルテリアあたりに質問すれば、案外すぐ答えてくれるかもしれない。


「んん~、美味しい!」


 かつて、初めてテンプラソバを食べた時と寸分違わず同じ言葉を口にするテッサリア。

 あの時もザクザクとしたテンプラの食感と、プローンや歯応えや野菜の甘さに感動したものだが、今回もそれに勝るとも劣らない感動がある。

 酸っぱ辛く主張の強い生姜の味を、甘く柔らかなペコロスの味が受け止め、それら2種の野菜を小麦粉がひとつに纏め、奇跡的な味の調和が成り立っている。

 そして、口の中で混ざり合った甘酸っぱいものをスープで流し込む。


 と、その瞬間であった。


「んん!?」


 強い甘味を感じ、思わず驚きの声を上げるテッサリア。

 甘い。テンプラでもソバの麺でもなく、スープがとても甘く感じる。半年前、いつも口にしていたソバのスープよりもずっと甘い。これは一体何だ。まさかこの半年でスープの味付けを変えたとでもいうのか。

 その真偽を確かめるよう、テッサリアはまず、冷たい水で舌の状態をリセットしてから、再び、ずずず、とスープを啜った。

 美味い。が、先ほどのような強い甘さは感じない、いつも通りのスープの味だ。程よい塩味に魚と海藻の丸い旨味と香気。甘味もあるにはあるのだが、このスープの中では決して主張の強い要素ではない。

 どうしてあんなに強い甘味を感じたのか。考えられる要因は、やはりこの真っ赤なテンプラしかないだろう。


 テンプラをもうひと口齧って咀嚼してから、またスープを飲む。

 やはり甘い。甘味が強く主張してくる。


 何ということだろう、この酸っぱ辛いテンプラを食べた直後だと、どうやらスープの味を甘く感じるようだ。生姜の効果とは思えないが、プラム酢にもまた、そんな効果があるという話は聞いたことがない。

 何たる不思議であろうか。これもまた、ソバという料理が生み出す調和の一種ということなのか。

 慣れた手付きでずるずるとソバの麺を啜りながら、テッサリアは思う。やはり異世界の料理は、ソバというものは奥が深い、まだまだ底が見えない、と。

 しかもこのベニショウガテンソバ、テッサリアの見立てが正しければ、この後まだ変化を見せてくれる筈なのだ。

 通常のテンプラソバは時間が経つことでテンプラがスープを吸って柔らかくなり崩れていき、段々とスープに溶け、渾然一体となっていくものであった。

 ならば、このベニショウガテンソバもそうなる筈。特にこのプラム酢を濃厚に含んだ油がスープに混ざり合えばどうなることか。テッサリアにすら想像がつかない。


「ひと口食べる度にコロコロと表情を変えて、忙しい奴だな」


 横で一心不乱にコロッケソバを食べていた筈のテオが、いつの間にか手を止めてこちらを注視し、苦笑していた。

 どうやら食べながらあれこれ考察している間中、考えが顔に出ていたらしい。


「もう……真剣に食べてるんだから茶化さないでください!」


 指摘されるとどうにも気恥ずかしくて、思わず頬を赤らめて抗議するテッサリア。だが、赤面しつつもソバを啜ること自体は止めないのだから筋金入りである。

 テッサリアはそのままベニショウガテンソバを食べ進め、同時に食べ始めたテオよりも早く、あっという間にソバ1杯をたいらげてしまった。

 ちなみに最後はテンプラが崩れるほどスープを吸い、全てが渾然一体となって混沌とした美味さを醸し出していた。通常のテンプラソバよりも更に混沌具合に拍車がかかっていたことは自身のギフトを駆使してしっかりと記憶しておく。


「……早食いだなあ、お前」


 まだ半分ほど残っているコロッケソバにシチミトウガラシを振りかけながら、呆れ半分にそう言うテオ。もしかすると、結婚後の夫婦の食卓のことを考え、何か思うところがあるのかもしれない。

 ちなみにだが、テッサリアも一応は食べられる程度の料理は出来る。何せ前職はダンジョン探索者だ。仲間内で持ち回りで食事当番をしていたから調理スキルは必須だった。

 また、ダンジョン内で野営をする場合、のんびり食事などしていては魔物に襲撃された時に迅速に対応出来ないから。だから早く食べる。食べられる時に食べられるだけ食べる。調理スキル同様、これらはダンジョン探索者にとってやはり必須スキルなのである。

 これらダンジョン探索者時代に身に付けた必須スキルは、今や癖となってテッサリアの身体に染み付いていた。


「お望みのナダイツジソバの料理、どうだ、満足したか?」


 テッサリアが泣くほどナダイツジソバの料理を渇望していたことはテオも周知のこと。

 今回の新たな料理、ベニショウガテンソバは確かにテッサリアの渇き、飢えていた心を満たすように沁み込んできたが、しかしこれで新たな渇望が生まれてしまった。


「いいえ、まだまだ」


 テッサリアが首を横に振ると、テオは嘘だろ、とでも言うように目を見開く。


「いやいやいや、お前……」


「勿論、味には大満足ですよ? そこは誤解しないでください」


 言ってから「でもね」と付け加えて、テッサリアは言葉を続ける。


「量的にはまだまだ満足していません。今日は今まで食べられなかった分、たっくさん食べるつもりで来ましたから、まだまだ食べますよ! すみません、追加注文いいですか!!」


 賑わっている店内でも届くよう、大きな声で給仕を呼ぶテッサリア。

 そしてテッサリアを横目に見ながら、テオは思わずといった感じで苦笑している。


「我々エルフは太りにくい体質だが、それでも食い過ぎれば贅肉は付く。いつもなら注意するところだが、ま、今日くらいは好きに食うといいさ」


 苦笑を口の端に残しながら、ずずず、とソバを啜るテオ。

 そんなテオの横で、テッサリアは駆け付けた赤髪の給仕に追加でカツドンセットを注文し始めた。


 この日を皮切りに、テッサリアはテオに頼み込み、王都で仕事をしながらも半月に1度はナダイツジソバに通うようになる。それで仕事の効率も上がるようになったので、仕方なしではあるが、カンタス所長も許可を出すようになったのだ。

 ちなみにこの後、王都にいる筈のテッサリアがナダイツジソバで食事をしているところに遭遇し、彼女の交代要員としてアルベイルに来た職員が自分を連れ戻してまた自分がここに居座るつもりなのかと驚くことになるのだが、それは本当に、ほんのちょっとだけ先の話である。

作者は紅生姜天そばを食べると、何故かそばつゆがいつもより甘く感じるのでこのように表現させていただきました^_^

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