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正直もう限界だった茨森のテッサリアと渇望を満たす紅生姜天そば③

 大通りを旧王城の方へ進み、城の正門が見えてきた頃に城壁を右に沿って進む。

 半年前はいつも通った道程だ。

 隣にテオを伴い、まるで過去をなぞるようにナダイツジソバへの道を行くテッサリア。

 こうしてただ道を歩いているだけでも、在りし日の情景が思い起こされる。

 初めてこの道を辿った日にありついた、カケソバとの出会い。雨の日の朝に食べたカレーライスの衝撃。満点の星空広がる熱い夏の夜に飲んだキンキンに冷えたビール。久々に再会したテオと一緒に食べたコロッケソバ。

 どれも良き思い出であり、ギフト『完全記憶』によって大切に脳内に保存されている。

 そして今日、テッサリアはきっと、新たな思い出を脳内に刻み付けるのだろう。感動の再会という美しい思い出を。


「えへへ……」


 半年ぶりのナダイツジソバに思いを馳せ、思わず頬が緩んでしまうテッサリア。今日は何を食べようか。久々の再会なのだから、やはり基本のカケソバかモリソバで馴らしていくべきか、それともいきなりテンプラソバで贅沢にいくべきか、そこにカレーライスなど付けるのもいいかもしれない。まだ朝だが1杯くらいならビールを飲んでもバチは当たらないだろう。まあ、結局のところ何を頼んでも外れはない。何せ、ナダイツジソバで供されるものは全てが美味なのだから。

 何と幸せな想像なのだろうか。ただ単にどの料理を食べようかと考えているだけなのに、思わず顔がにやけてしまう。


「何故いきなり笑い出す? しかも口の端に涎を溜めて。薄気味の悪い……」


 隣を歩くテオが、テッサリアの様子を見咎めるように言った。何だか怪しい奴を見るような、若干引いた表情だ。


 言われて、ハッと我に返ったテッサリア。

 顔がにやけている自覚はあったのだが、まさか涎まで垂らしそうになっていたとは。淑女にあるまじき失態である。

 慌ててズビビ、と服の袖で涎を拭ってから、テッサリアは若干赤面した様子で口を開いた。


「じ……自分の婚約者に向かって、薄気味悪いとは何ですか!」


「いや、いきなりだらしない顔で笑い出すものだからな……」


「だらしなくないですぅ! 私はいつもキリッと……」


 と、テッサリアの言葉の途中で、テオが脈絡なく「お!」と声を上げる。


「見えてきたんじゃないか? あれ、そうだろう?」


 そう言って、いつの間にか遠くに見えてきた行列を指差すテオ。

 一見すると何もない城壁に人が並んでいるようにしか思えないのだが、あれは間違いない。半年前には毎日のように見た光景だ。


「あ! あの行列は……!」


 城壁の一角に店を出す、ナダイツジソバに並ぶ客の行列。半年前と変わらず、いや、半年前よりも人数を増やして行列を作っているのではなかろうか。


「ナダイツジソバ!!」


 テッサリアが泣く泣く旧王都を去ってから半年だが、ナダイツジソバは健在なようだ。別に疑ってなどいなかったのだが、しばらく会っていなかった友人に再会し、変わらない様子を見られたようで、テッサリアは何だかほっとしたような心持ちになった。


「行きましょう、テオ! ナダイツジソバが私を待っています!!」


 居ても立ってもいられず、テッサリアは逸る気持ちに背中を押されるよう、ナダイツジソバに向かって走り出す。

 ナダイツジソバは半年間、代わらずにテッサリアのことを同じ場所で待ってくれていたのだ。ならばテッサリアも急いで向かうのが筋というもの。


「ガキかお前は……」


 呆れ顔ではあるが、それでもテッサリアに付き合って一緒に走ってくれるのだからテオも大概律儀である。


 そのまま2人一緒に、駆け足で列の最後尾まで行き、並ぶ。前には30人も並んでいるだろうか。しばらくは待つことになるだろうが、まあ、盛況なのは良いことである。それにこの店は回転が速いし、待っている間に何を食べるか、どんな組み合わせで料理を頼むかを考えるのもまた一興、楽しい時間なのだ。

 コロッケソバにカレーライスを付けるのもいいし、温かいソバと冷たいソバを頼んで対比を楽しむのもいいだろう。色々と頼んでテオと分け合うのもいいかもしれない。いや、その案はむしろかなり良い。

 色々と想像を膨らませながら待っていると、30分もせずにテッサリアたちの順番が回って来た。


「次のお客様、どうぞ」


 そう言って店の自動扉から顔を出したのは、しかしテッサリアの知らぬ女性給仕であった。世代を重ねて血が薄まっているのだろうが、恐らくは牛のビーストとの混血であろう赤毛の若い女性である。


「…………ッ!?」


 何せ半年ぶりに店を訪れるのだ、その間に新しい従業員を雇ったところで何ら不思議はない。が、テッサリアにとってはそれが衝撃だった。それが良いことなのか、はたまた悪いことなのか、自分が好きだった店に何らかの変化が起きた、ということが。

 思いがけず言葉を失った様子のテッサリアに代わる形で、テオが応対する。


「2名なのだが、並んで座れるだろうか?」


 テオが訊くと、彼女は問題ないと頷いた。


「大丈夫ですよ。丁度、並びで2席空きましたから。あちらへどうぞ」


 そう言って、給仕の女性がU字テーブルの中央あたりを指したので、2人並んでそこに座る。

 すると、着席してすぐ、テオが話しかけてきた。


「……お前、一瞬驚いたような顔をしていたが、どうした?」


「いえ、新しい店員さんがいたものですから、ちょっとびっくりしてしまって……」


「これだけ繁盛しているんだ、新しい給仕くらい雇っても別におかしくはないだろ?」


 それはそうなのだが、テッサリアは、ふ、と苦笑しながら口を開く。


「いえね、何だか、私の知らない間に変わっちゃったのかな、ってね……」


 何だか物憂げに言うテッサリアに対し、今度はテオが苦笑を浮かべる。


「そんな、久しぶりに会った人間みたいに……。店の在り様自体は変わらんだろう? 悪いように変わっていたら、こんなに盛況ではない筈だ」


 そう、テオの言う通り、ナダイツジソバは半年前と変わらず、いや、あの時よりもっと繁盛している様子。ならば、やはりその在り様、美味い料理を安く早く出す、という根本のところはブレずに健在な筈なのだ。それはテッサリアも分かっている。


「それはそうなんでしょうけどね、知らぬ間の変化というものは驚くものなんですよ」


 半年ぶりに訪れて実感する変化。実際にはそんなことはないのだが、何だかテッサリアだけが半年前に置き去りにされてしまったような、そんな一抹の寂しさを覚えるものだった。言わば感傷の類である。

 まあ、置いて行かれたのであれば、頑張って追い付けばいい。

 テッサリアは卓上のメニューを手に取ると、何を頼もうかとそれに目を通し始める。

 まずはやはり温かいソバからだろう。シンプルにカケソバか、それともテオと同じようにコロッケソバか、とメニューを追っていたテッサリアの目が、ある1点でピタリと止まった。


「えッ!? ベ……ベニショウガ…………テンソバ………………? え、え?」


 まるで血のように鮮やかな紅に染まったテンプラが載った異形のテンプラソバ。一体これは何なのか。半年前にこんなものはなかった筈だ。


「お、おい、どうした、テッサリア?」


 食い入るようにメニューを凝視するテッサリアに、隣のテオが心配そうに声をかけてくるのだが、しかし今の彼女の耳には彼の声ですら入ってこない。単純に、それどころではないからだ。


「カツドン!? カレーカツドン!? ハイボール!? え、え、え!? 新メニュー!? こんなに!?」


 卵で閉じたコロッケのようなものが載ったコメの料理に、カレーライスにコロッケの卵閉じのようなものが載った料理、それにビールではない謎の酒、ハイボール。

 どれもこれも、テッサリアが見たことも聞いたこともないものばかり。僅か半年の間に、こんなにも新メニューが増えたというのか。

 ナダイツジソバ、やはりこの店からは目が離せない。

 たった半年でこの変わり様だとすれば、仮に1年置いたらどうなっていたことか。

 長寿のエルフに比べると、ヒューマンやドワーフといった人種の寿命は短い。ビーストなどはもっと短い。エルフの感覚だと、つい少し前に会ったばかりのヒューマンの子供が、ある程度時間を置いてから再会すると青年を通り越して中高年になっていたりする。

 ナダイツジソバもそれと同じで、たった半年のうちに思いがけぬ成長をしていた。

 油断していたと、テッサリアは胸中で息を呑む。

 前のように毎日とはいかないが、これはどうにかして、週に1度、いや、月に1度でもいいから、マメにナダイツジソバへ通わなければならないだろう。そうしなければ今度こそ、この店の成長に置いて行かれてしまう。


 わなわなと小刻みに肩を震わせながらメニューとにらめっこをするテッサリアと、その様子を心配そうに見つめるテオ。

 そんなテッサリアたちのもとに、盆に水の入ったグラスを載せて、給仕の女性がやって来た。今度は新顔ではない、テッサリアにとっても馴染みの従業員、ルテリアだ。


「お待たせしました、こちら、お水でござ……って、あら、テッサリアさん? お久しぶりですね? しばらくお見かけしませんでしたけど、お元気でし……」


 と、久々の再会を喜ぶ彼女の言葉を遮るように、テッサリアはガバッと顔を上げて、キッと眼差し鋭くルテリアを見据えた。


「ルテリアさん!!」


「は、はい!?」


 テッサリアの剣幕に戸惑う様子で、ぎこちなく頷くルテリア。

 そんな彼女に対し、テッサリアは手に持ったメニューを見せながら、ある一点を指差した。


「これ!」


「え?」


「ベニショウガテンソバ! これください、これ!!」


 確かに、ルテリアとの再会も半年ぶりなのだが、今はそれを喜ぶ時ではない。ともかく、一刻も早く新メニューを食べなければ。そうしなければ己の心に収まりがつかない。


「テオはコロッケソバでいいんですよね!?」


 そう言ってテオに顔を向けると、彼もやはり、ぎこちなく頷く。


「え? あ、ああ……」


「ルテリアさん、ベニショウガテンソバとコロッケソバ、お願いします!!」


「は……はい、かしこまりました」


 テッサリアに気圧されたように頷きながら、メモ書きに注文を写すルテリア。


「店長! ベニテン1、コロッケ1です!!」


「あいよ!!」


 ルテリアの声に合わせて、厨房からフミヤ・ナツカワの声が返って来る。

 それは半年前と何ら変わらぬ、威勢の良い声だった。


 カツドンとカレーカツドン、それにハイボールという、まだ見ぬ新顔たちも気になるが、まずは一番目立つベニショウガテンソバから攻めていく。

 カツドンは昼に、そして夜はカレーカツドンとハイボールだ。

 今日は1日、ナダイツジソバの日とする。

 テッサリアはそう意気込み、掲載されている絵から少しでも新たな情報を得ようと、目を皿のようにしてメニューを検め始めた。


 名代辻そば異世界店、いよいよ本日からコミックヒュー様にてコミカライズ開始となります。

 ブックウォーカー様、並びにニコニコ静画様で読めます。

 林ふみの先生による漫画版名代辻そば異世界店、なろう版とも書籍版ともまた一味違う作品となっておりますので、皆様、何卒ご一読をお願い致します。


 次回の更新はいつも通り日曜日、11月12日となります。


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