第九話 自動車?
アールクヴィスト大公家に仕える筆頭鍛冶職人ダミアンは、第二次ベトゥミア戦争終結の後、それまでの幾多の功績を認められ、主君ノエイン・アールクヴィスト大公より士爵位を賜った。大公国貴族となった現在、彼はクレベスク士爵を名乗っている。
そんなダミアンには、自己の裁量で使える研究開発費が大公家より与えられている。これまでいくつかの発明を成してきた彼は、この予算を用いて思うがままに己の発想を試している。
そうした挑戦のひとつが、一応の形を成した。ノエインがそのように報告を受けたのは、公暦十年の春のことだった。
「これが報告にあった試作品?」
「はい! 試作魔導自動車、第二号です!」
大公家直営の鍛冶工房に併設された、製品の試験場。そこに置かれた大きな車体を指してノエインが尋ねると、ダミアンはいつも通り元気いっぱいに答える。
「第二号か……ちなみに第一号は?」
「車体が小さいために、魔力回路の複雑さに対して回路そのものの大きさが足りなかったようで、お見せするに値しない完成度だったため、没になりました。この第二号は改良型です」
ダミアンの横で冷静に語ったのは、彼の妻であるクリスティ・クレベスク士爵夫人だった。
今回ダミアンが作ったのは、馬を必要とせず、魔力のみで車輪を回し前進する馬車。馬がいない以上もはや「馬車」とは呼べないので、魔力によって自ら動く車、すなわち「魔導自動車」という名称をダミアン自身が考案した。
その車体は、馬車であれば四頭立てに匹敵する大きさがある。
「とはいえ、これもあくまで試作品の範疇で、とても実用化には程遠い完成度ですが……」
「それでも、すごく興味深いよ。馬なしで馬車を動かせるようになれば、人や物の輸送で革命を起こせるからね……あとは、単純に馬車の車体だけが動く様は面白そうだから、好奇心をくすぐられるよ。楽しみだね」
「はい、ノエイン様」
「馬に牽かれず自由に動く馬車なんて、まるでお伽噺に出てくる魔道具みたいでとても面白そうです」
従者としてノエインの傍らに控えるマチルダは、主の言葉にいつも通り冷静な態度で頷いて同意を示しながら、魔導自動車に注目している。
そしてノエインと共に視察に訪れているクラーラは、夫の言葉に頷きながら、やはり魔導自動車に興味津々といった表情。
「では早速、動かしてみますねー!」
そう言いながら、ダミアンは魔導自動車の御者台――彼曰く「運転席」という最前面の座席につく。そして、左手側にある大きな魔石の取りつけられた何らかの機構をぐっと前に押し込み、足元にある板を踏み込む。
と、次の瞬間。
長く複雑な魔力回路の刻まれた魔導自動車の車軸が魔力によって光り、車輪が回り出した。
がたごとと派手に振動する様はどう見ても乗り心地が悪そうで、前進の速度はひどくゆっくりだが、魔導自動車は確かに馬に牽かれることなく自走していた。
「これは……凄いね」
「はい、衝撃的です」
「言葉で聞いて想像していたよりも、さらに強烈な光景ですね……」
ノエインは両隣に並ぶ二人の愛する女性と共に、半ば唖然としながら魔導自動車の動く様を眺める。
「ダフネ、よくこれほどの魔力回路を作れたね……さすがだよ」
「恐縮です。ひとつひとつの魔力回路はそう複雑なものではないんですが、ひとつの機構として働くよう組み合わせることにはそれなりの苦労がありましたね」
魔導自動車の共同開発者としてこの場に立ち会っている魔道具職人ダフネ・アレッサンドリは、主君の言葉に微苦笑で答える。
ノエインたちが話している間にも、魔導自動車は動き続ける。ダミアンが運転席の正面にある、船の舵輪のような部分を回すと、その操作に従って前輪が動き、魔導自動車はゆっくりと旋回する。
そして間もなく、停止する。どうやら魔石の魔力が尽きたらしかった。
「ノエイン様、いかがでしたかー!?」
「掛け値なしに素晴らしい発明だよ! ダミアンもダフネも、また偉業を成し遂げてくれたね!」
ノエインが手放しに褒めると、運転席のダミアンは誇らしげに笑う。一方のダフネは主君の称賛に一礼し、また口を開く。
「発明自体には、私たちとしても自信を持っています。ただ、問題は完成度の方で……先ほどクリスティさんが言ったように、実用化には程遠い状況です。この魔導自動車の性能に対して、魔力の消費効率が悪すぎるんです」
「効率か……そんなに悪いの?」
「はい。今ご覧いただいた試運転で、五千レブロ分の魔石を消費しました」
ダフネの言葉を聞いたノエインは、目を丸くする。
「五千レブロ……」
魔導自動車が進んだのは二十メートルほど。それも、小柄なノエインでも歩いて追い抜けそうなほどの速度。それで燃料として必要な魔石が五千レブロというのは、あまりにも効率が悪い。
魔力の多いノエインが手ずから魔力を流し続けたとしても、どれほど走れるか。そんなことをするくらいなら、ゴーレムに荷車を牽かせた方が遥かに効率がいい。
「確かにそれは、実用化まで長くかかりそうだね……性能向上の手段はあるの?」
「理論上は、あります。魔力効率が悪い最大の要因は、魔法塗料の性能です。車軸に漆黒鋼を用いてもこの効率なので、後は魔法塗料の性能を大幅に向上させることが必要になります」
性能としては、おそらくベトゥミア共和国の政府が製法などを保持する軍用魔法塗料をもってしても足りない。魔法塗料については自身も一魔道具職人として時々研究をしているが、ロードベルク王国の王立研究機関などには敵わない。そして、車軸や魔力回路の方を改良して性能を向上させようにも限界がある。
結論として、魔法塗料の飛躍的な性能向上なくして魔導自動車の実用化は極めて難しい。いずれ技術革新が起こり、今より遥かに効率よく魔力を通す魔法塗料が開発されるのを待つしかない。ダフネはそのように語った。
「今回この試作品をお見せしたのは、一応の成果としてお知らせしておきたかったことと、後は……ノエイン様に自慢したいというダミアンさんの強い要望があったからです」
「あはは、ダミアンらしいね。でも、見せてもらえてよかったよ。夢が膨らむ発明だった……生きてるうちに実用化される様を見られたら僥倖、そう思いながら進展を待つことにするよ」
ノエインは笑顔でそのように語り、魔導自動車について引き続き可能な範囲で開発を続けるよう二人に頼んだ。主君より開発続行の許可を得た二人、特にダミアンは大いに喜んだ。
・・・・・
それからしばらく先の未来。魔導自動車はアールクヴィスト大公国で実用化されることになる。
ベトゥミア共和国の高性能な魔法塗料の製法が、ロードベルク王家のお抱え魔道具職人たちの手によって解明され、その後に革命的な発見がなされてさらに飛躍的に性能が向上し、それがアールクヴィスト大公国にまで伝わったことで技術的な課題が解決。初期の試作品と比べれば車軸も魔力回路も大幅に改良されていた魔導自動車は、最新の魔法塗料を用いることで、ついに実用に足る性能を獲得する。
ダミアンとクリスティの息子、そしてダフネの弟子の手で完成した魔導自動車の試運転を、晩年のノエインは自身の目で見る。
実用化された魔導自動車は、それからさらに数十年をかけて、富裕層向けの移動手段として徐々に普及。開発国であるアールクヴィスト大公国内では、他の国に先駆けて日常的に魔導自動車が走る様が見られるようになる。




