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竜の召使い(3)


「サラくん、ちょっといいかな」


 初日の仕事も終わりかけた頃、片づけをしていたサラは偏也に声をかけられた。


「あ、はい。どうしたんですか?」


 手招く偏也のところまで行き、サラは自分の雇い主を見上げる。

 気を持っている相手の、しかし少し思案気な表情を見て、サラは小さく首を傾げた。


「いや、多少迷ったんだが……サラくんにも話しておいたほうがいいと思ってね」


 そう言いつつ話を切りだした偏也に、サラはピンと来た。これは多分、昼間のミアの変な態度に関わることだろう。

 要は雇い雇われの関係でなければ明かされない秘密があるということだ。仕事のことか偏也自身のことかは知らないが、新参の自分にもそれを話してくれることにサラは素直に喜んだ。


 実はあくどい商売でもしているのだろうか。それでもいいやと顔を上げたサラの耳に飛び込んで来たのは、想像だにしない言葉だった。


「実は僕は異世界人なんだ」

「は?」


 偉く神妙な顔で呟く偏也に、思わずサラは眉を寄せてしまうのだった。



 ◆  ◆  ◆



「……え?」


 ちょっと信じられなかった。

 鏡を越えた先の空間に、サラは呆然と辺りを見回す。


「ここが一応、本来の自室だ。サラくんも自由に使ってくれていい」


 コートを脱ぎながら偏也は淡々と説明していく。ばさりと椅子にコートをかけて、偏也は整頓された自室を見やった。

 ミアが来てからというもの、生活空間としては見違えた。少し綺麗すぎて落ち着かないくらいだ。せめてもの抵抗でコートや上着を脱ぎ散らかすが、明日には洗濯されてきちんと折り畳まれている。


「えと……鏡、その……壁の向こうですか?」


 ようやく声を絞りだしたサラをおやと偏也は見つめた。どうも頭が追いついていないようだ。この辺り、ミアよりもサラのほうが現実的なのかもしれない。

 とはいえ、ミアも完全に理解したのはマンションの外を見てからだ。偏也はサラを手招いてにこりと笑う。


 おずおずと窓際の偏也に近づいてくるサラの角と尻尾を見て、偏也は思わず微笑んだ。

 ミアのネコ耳もそうだが、ただ竜の尻尾はインパクトがでかい。数奇な運命を噛みしめながら、偏也はベランダに続く戸を引いた。


「ほら、おいで。見たほうが早い」


 言われ、サラの身体が一瞬止まる。少し速くなる鼓動を意識しながら、サラは招かれるままにベランダに一歩踏み出した。


「……うわ」


 思わず出てしまった声。

 目の前に広がる夜景にサラの言葉がそれで止まる。


「どうかな? だいたい理解してくれるといいんだけど」


 偏也も呆然と夜景を見つめるサラに微笑んだ。

 百万ドルの夜景とは言わないが、それでも17階。それなりに人々の営みがイルミネーションとして機能する。


 初めて見る電灯の輝きを、しかしサラもなんとなくだが人の生活の証だと理解した。


「えと、その……凄いです」


 正直、なにに驚いたらいいのかわからない。

 まずこれほどの高層建築など見たこともないし、よくよく見れば似たような階層のビル群が夜景の中にまばらにポツポツと建っていた。


 異世界。少しだけど、腑に落ちた。


「別に秘密というわけではないが、向こうの世界の人には黙っていてもらえるとありがたい」

「も、もちろんですっ」


 偏也に言われ、慌ててサラが返答する。こんな秘密、自分に話す必要など何処にもない。ミアはともかく、自分は新参で、ともすれば一生話してもらえなくても仕方がない身だ。


「あ、あの……なんでアタシにまで?」


 その気持ちを、サラは素直にぶつけた。こちらの世界で変な仕事をさせられるのだろうか。そんなことも考えたが、偏也は至極当然のように口を開く。


「んー、風呂がね。屋敷のほうにはなくて」

「は?」


 サラの口が開いた。予想外すぎる言葉に、サラは目を丸く広げる。


「きみもお風呂入らないとだめだろう?」

「い、いえ……別に身体は拭くだけでも」


 偏也の質問にサラはぶんぶんと首を振った。銭湯なんて、週に一度行ければいいほうだ。身体を拭くお湯も、水であっても文句は言わない。

 しかし、至極当然のサラの常識に対して、偏也は腕を組んで眉を寄せた。


「しかしだね。……やはり、女の子が風呂に入れないのもどうかと思うし」

(そんなに臭うのアタシッ!?)


 あまりに偏也が頑固なのでサラは急いで自分の体臭をチェックした。一般的な女のリザードマンの体臭だ。と、信じたい。


「ミアくんなんかは毎日入っているよ」

「ま、マジですか」


 そういえば、言われてみれば最近のあの子はいい匂いがする気がする。そんなことをサラは思い出す。なんというかこう、ふわっと香るのだ。

 それは言ってしまえばシャンプーの香りなのだが、異世界人の少女は友人の女子力の秘密を聞かされてあんぐりと口を開ける。


 毎日風呂に入るなんて、それこそ貴族でも難しいことだ。


「まぁ、お風呂の掃除は君たちにやってもらうけどね」

「そ、それくらいは! はいっ!」


 ぶんぶんと首を縦に振る。偏也に促され部屋に戻ったサラは、改めて部屋の中を見回した。

 今更だが、色々とおかしい。


 こんな煌々と明るい白い明かりなんか知らないし、部屋の中は見たこともない素材でできたもので溢れている。

 世界が違うというよりは、なんというか生きている時代が違うような、そんな感じだ。


「あの、偏也さんは本物の魔法使いなんですか?」


 出てきた単語に偏也はぷっと笑ってしまった。そういえば、そんなことも言われていたなと思い出す。


「いや、僕自身は普通の人間だよ。僕が魔法使いだの呼ばれているのは、進んだこちらの世界の理屈で金儲けをしてるからに過ぎない」


 異世界での成功はこちらの世界でのものに比べれば簡単だった。なにせ啓発本に乗っているレベルの商法ですら向こうの世界では斬新で、ともすればこちらでは法の規制を受けているような手法が存在すらしていない。


 なにか得られるものはありましたかと問われれば、金だけだった。


「ただ、あの鏡は正真正銘の魔法でね。僕が手に入れたのも偶然だ。おそらく、向こうの世界と行き来しているのは僕だけだろう」


 いつかにもネコ耳の少女にした説明。あのときの彼女と同じ様に、サラもどう答えたらいいものかと唇を結ぶ。

 しかし、話は簡単だ。別に、特別なことを求めているわけではない。メイドとして雇った彼女に、もう一室ありますよと、そう伝えるだけのことだ。


「こちらの世界のことはミアくんに色々と聞いてくれたまえ。外に出るのは、最初のうちはミアくんと……って」


 そこまで言って、偏也はサラの格好に目を落とした。

 きょとんと見上げてくるサラは、顔自体は可愛らしい三白眼の女の子だが……。


「……サラくん、君の角と尻尾って取れないよね?」


 偏也のひとことに、びくりとサラは自分の尻尾を抱き抱えるのだった。



 ◆  ◆  ◆



「結局サラにも教えたんですねー」


 やや残念そうなメイド長の声が部屋に響いた。

 ミルクを飲みながら、ミアは呆れた顔の偏也に白い髭のついた顔を向ける。


「当然だろう。君に教えてサラくんに教えないのは、ちょっとどうかと思うぞ」

「そうなんですけどぉ、私の特権がぁー」


 不満を言うミアだが、当然ながら反対しているわけではない。なんならサラと一緒にお出かけするのが今から楽しみなミアである。

 ただ、二人だけの秘密が壊れたようで、それがほんの少しだけ、ちょっぴり寂しい。


「でも、凄いですよね。お風呂が簡単に沸かせるなんて」


 サラがちょこんと椅子に座りながら口を開く。その発言に偏也とミアは顔を見合わせて、にやりとミアが笑みを浮かべた。

 よからぬことを考えているなと思うが、面白そうだから偏也も黙る。


「サラ、あそこの箱を見ててください!」

「え、あそこ?」


 指さされ、サラはリビングの隅に鎮座している黒い物体を見やった。箱というには薄いそれを、不思議そうにサラは見つめる。

 60インチの液晶テレビに向かって、ミアは「ていや!」とリモコンを振りかざした。

 途端、芸人の楽しそうな笑い声が部屋に響き、サラがびくりと身を竦ませる。


「え? な、なにっ? 誰あれっ?」


 びくびくとしているサラの耳元で、ミアが笑いを堪えながら囁いた。


「ふふふ、あれはですねぇ。ヘンヤさんに魔法で閉じこめられた人のなれの果てですよ」

「ひぃっ!?」


 がたりと椅子が動き、サラが恐怖の目で偏也を見つめた。言っていることがさっきと違うという視線に、偏也もわざとらしく息を吐く。


「まったく。……バレたからには仕方がない。いかにも、箱に詰めた人間は高く売れるんでねぇ」

「ひぃいっ!?」


 慌てるサラが椅子から落ちる。逃げねばと腰を動かそうと頑張っているサラを、偏也とミアの意地の悪い二人組はニヤニヤと笑いながら見つめていた。



 ◆  ◆  ◆



「いや、すまなかったサラくん。怖がらせてしまって」

「大丈夫ですよサラ、ヘンヤさんいい人ですから」


 一時間後、パニックになるサラをなんとか宥めた二人は大いに反省していた。


「うう……えぐっ」


 怖がって泣き出してしまったサラは、誤解が解けた今も恥ずかしいやらなんやら、体育座りでフローリングの床の上でうずくまっている。

 なにがムカつくって、ヘンヤに怖がって逃げようとした自分自身だ。ただ、さすがに人身売買の極悪魔導師は許容できないとサラは思った。


「ほんとに大丈夫? 売ったりしない?」

「売らない売らない」


 涙目のサラにミアがニコニコと首を振る。やはり意地悪はいけないことだ。困りましたねとミアは偏也を見つめた。


「うむ、こうなればだ。サラくんにもこの世界をある程度体験してもらうのが手っ取り早い」

「なるほど」


 要はテレビなんてありふれたものだと安心させればいいのだ。外に連れ出せば、嫌でもテレビどころではなくなるだろう。


「腹も減ったし、ここは飯でも食いに行くか?」

「やったですぅー!」


 諸手を上げてミアが喜ぶ。やったぜと目を細めているミアを、サラは不安そうな様子で見やった。


「タクシー呼びますか?」

「いや、歩いて行こう。近所にちょうどいい店が……って、そうだ」


 そこまで言って、さきほど気にかけたことを偏也は思い出した。

 サラを見やり、その目立つ見た目に腕を組む。


「え、えと」


 偏也に顔と身体を見つめられ、サラの頬が赤く染まる。

 染まった顔はいいとして、問題は角に尻尾だ。とにかく大きい。


「……まぁ、なんとかなるか」


 どうにでもなれ。日本人の事なかれ主義に期待しつつ、偏也はサラの尻尾を眺めるのだった。


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