第五十九話 リジイラに戻るんだよ!
「では貴女。公都までの道中、シャルロッテ様のお世話をしてください」
カレンの眼の前に立つガスパロが無造作に告げてくる。
――道中? お世話?
予想しない単語がカレンの目を瞬かせた。
「か、勝手に決めないでください!」
激昂したエリナが声を張り上げ抗議する。笑みをたたえたガスパロが顔だけをエリナに向けた。
「ご自身の立場を、よぉくお考えになった方が賢明ですよ?」
「な、なにをですか!」
あざけるような口調のガスパロにエリナがくってかかるが、ヴィンセントによってその肩を強く抑えられた。
「さすが、グリード侯爵の御子息様にはお分かりいただけているようですね」
ガスパロの言葉にヴィンセントの眼つきが険しくなる。エリナは意味が分らないのか肩を抱いているヴィンセントを見つめた。
「ここにいるロッテちゃんがシャルロッテ様だとすると、攫ってきたと取られても言い訳できない」
「ふふ、その通りです。現在ファコム辺境伯様には隠匿と反逆の嫌疑が掛けられております」
口惜しそうに唇をかむヴィンセントの後にガスパロが続けた。
「何を隠匿して、どんな反逆なんですか! 私は大公閣下の命通り、リクさんをリジイラに迎え入れています!」
エリナが血相を変えて言い募る。
そんな自分の主であるエリナの様子を茫然と見ていたカレンは抱き上げているロッテに視線を移した。部屋の中で大声を張り上げているからかロッテはカレンの首にぎゅっと抱きついたまま顔を見せない。
――不安だし怖いよね。
事前にリクと一緒に聞いていたからカレンはまだ冷静でいられる。そしてこの状況の結果、やはり自分が抱き上げているロッテと一緒に行かなければならない事も。
まだ五歳でしかない女の子を、何を考えているのか腹の底が見えない男に預けることはできない。カレンは屋敷で同じくらいの子供たちを教え子としているのだ。尚の事、それを許すことはできない。
それにエリナに何らかの罰を与えられてしまうのも、カレンは嫌だった。何も悪いことなどしていない。むしろ自己を犠牲にして無情な命令を聞いていたのだ。
今でさえ頑張っている子供の身のエリナに、これ以上の重荷をかけるわけにはいかないと判断したカレンは口を開く。
「お嬢様。あたし、公都に行きます」
腕の中のロッテを抱く力を強め、ガスパロを睨んだ。不安が押し寄せるが抱いている女の子はもっと不安で怖いのだ。大公の孫といえまだ五歳。心に傷を負わせるなどできないと判断したカレンは、覚悟を決めた。
「殊勝な事です」
憤慨の中で見たガスパロの笑みは、カレンが今までで見た笑みの中でも一番の外道だった
「カレン、ごめんなさい」
しゅんと項垂れたエリナがぽつりと零した。
カレンはエリナとマーシャと一緒に自分の部屋で、公都まで行かなければいけない旅支度をしていた。ロッテはヴィンセントとユーパンドラが傍で宥めている事になっている。
「ロッテちゃんを放っておけないですから。お母さん、あたしがいない間、子供たちの先生をお願いね」
最低限も持ち物にするべく格闘するカレンは声だけを返した。どうしようもなく湧き上がる不安の心を、着替えを詰め込むことで誤魔化していた。
――リクがいれば……
リクがいればガスパロが突然押し寄せても対処できただろう。今日に限ってオーツと出かけてしまたのは僥倖なのか不幸なのか。
――守ってくれるって言ったのに。なのよあのバカ! ウソツキ!
昨晩を思い出し、ぷりぷりと怒りがこみ上げてくる。が、脳裏にリクの顔が浮かぶと、とたんに寂しくなった。
――あたし、帰ってこれるのかなぁ……
本心では公都になど行きたくない。だがロッテが公都に行かなければ、何かしらの罰が与えられるだろうということは、先程の会話から分った。ガスパロの言葉は本当だろう。
辺境貴族など公国内での影響力などないし、いつ消えても問題は無い。それは公都についていくカレンにもいえた。
いつ消えても誰も困らない。せいぜいリジイラの領民が嘆く程度だ。ヘタすればリジイラの領民すらも消されかねない。
彼らの躊躇しない態度を見たカレンは、そこまで考えてしまった。
――せめて最後に話くらいしたかったなぁ。
陰鬱な思考に沈んでいたカレンがハッと顔をあげた。
「チューリップ!」
昨晩放り投げたチューリップを思い出したのだ。あのチューリップはリクが死ぬまで咲き続ける、リク同然の存在。
「カレン、どうしたの?」
「お母さん、あたしの部屋にあったピンクのチューリップ、知らない?」
急に叫んだカレンを、マーシャは訝しむ。
「どこって、この部屋の窓枠に……あら、無いわね」
マーシャがいつもなら窓枠にのせてあったチューリップが無い事に気がつき、カレンに向いてきた。
「ないじゃないの」
「……昨晩、窓から投げちゃった」
「はぁ? あんた何やってんのさ。大事な花なんじゃないの?」
「だってリクが!」
あたしは悪くない、というカレンの訴えを聞いたマーシャが呆れた顔になる。
「まったく。痴話喧嘩は犬も食わないんだよ?」
「そんなんじゃないってば!」
そう言いつつマーシャは腰を上げた。
「そーいえば、パンドラ先生がリクさんの部屋に花があったって言ってた!」
親娘の言い合いを黙って聞いていたエリナが声をあげた。その言葉にカレンはほっと胸を撫で下ろす。
――よかった、捨てられてない。
それは花の事なのか自分の事なのか、カレン自身は分っていないがぎゅっと口を結んだ。
――あの花をリクと思えば、何とか耐えられるかもしれない。もしかしたら……もしかしたら。
「あれをお守りに持って行く」
小さな袋を手に取ったカレンは、殴る勢いで扉を開けた。
ニブラにあるビオレータの事務所を訪ねてきたアルマダは、先日の時よりも疲弊の度合いが進んでいた。いつもなら撫でつけられ整えられているはずの髪も櫛で梳かしてもいないのか荒れている。
目の下の隈が置かれている状況を語っていた。疲れているのか、アルマダは用意された椅子に深く座り、安堵からか大きく息を吐いた。
「大佐、何でここにいる!」
椅子に腰かけているアルマダに対し、リクは違和感を感じ取った。リクにオーツとロッテを任せて公都に戻ったはずのアルマダがニブラに来ていれば何かあったのだとリクでも気がつく。
「オーツ様がここにいるのは、幸運としか言いようがないな」
アルマダがリクに答える事なくオーツの顔を見て呟いた。
「大佐!」
「リクさん、落ち着いてください」
感情のままにアルマダに掴みかかろうとするリクに、ビオレータは静かに声をかけてくる。これでも飲んで頭を冷やせとばかりに紅茶のカップをリクに差し出してきた。
熱々の紅茶で頭など冷えないが、感情の隙間を突かれ彼女の目論見通り言葉を失った。
「それでアルマダ様。何故ニブラにいらしたのですか?」
ビオレータが荒れるリクの代わりに聞いた。
「あぁ、公都からニブラに向けて憲兵隊が出た。まず間違いなくオーツ様とロッテ様を連れ戻す為だろう。先に知らせようとしたがなかなか外出の許可が降りなくて奴らよりも遅れた。クソッ!」
アルマダが顔を歪ませ、感情を吐き出す。
「……いつも冷静なアルマダ様には珍しいですね」
「こちらの正体もばれてるのか軍内でも締め付けが強化されてな」
「他の方々は御無事ですか?」
「何人か行方知れずだ」
リクはビオレータとアルマダの間で交わされる会話をただ聞いていた。口をはさむ隙もない。
アルマダは軍内で情報収集をしては仲間である将校に伝えていたようだった。アルマダも軍属であり勝手な行動はとれない。公都外に行くとなれば許可が必要だ。
偽大公側も全てを掌握しているわけではないし、大っぴらに軍を動かせる訳でもないらしい。正当な理由を付けたアルマダの外出許可をいつまでも理由もなく却下はできず、遅延を図っていたのだ。
「憲兵……」
リクは苦い顔をした。憲兵にいい思い出など無い。
憲兵とは平たく言えば軍人による警察である。また秘密警察的な行動もする他に、特殊作戦も行っていた。今回はその特殊作戦の為の憲兵派遣だった。
目的のためならば人を殺めることにも躊躇はしない。彼等はそう教育されている、狂った猟犬だ。
――カレンが危ねえ!
リクは無意識に外に出ようと扉へ向かって歩いた。
「リク、どこへ行く」
「決まってんだろ、リジイラに戻るんだよ!」
咎めるアルマダに対しリクは声を荒げた。リクの頭を占めるのはカレンの安否だ。憲兵が強襲するならば必ず人質を取る。
今のリジイラの状況ならばエリナを捕まえれば逆らえる奴はいない。その際にエリナを庇うためにカレンが怪我をするかもしれない。最悪は死もありうる。
「それは許可できん。オーツ様を守る事が最優先だ」
「んだと!」
無下に拒否するアルマダに、リクは激昂する。リクにとってカレンが一番でありオーツは二の次だ。
納得できないリクはアルマダに近づき、腹の底から湧き上がる怒りで肩を震わせた。
「奴らの目的はオーツ様だ。ロッテ様だけでは作戦成功とはいえない」
「なんであんたはそんなに冷静なんだ!」
「お前こそ何でそこまで熱くなっている」
アルマダの目と声は静かだ。リクとカレンの関係を知らないという事もある。オーツが目の前にいることが一番の理由だろが。
「リク、落ち着け。憲兵どもがリジイラに到着している可能性はある。奴らの目的はあくまでオーツ様だ。だがオーツ様がいないからといってすぐにエリナ様などに危害を加えるとは考えにくい」
すぐにカッとなるなと前から言っているだろう、とアルマダ諭され、リクは不承不承、振り上げたこぶしを下ろした。




